「……」
その日も、また。そうして
日々の執務を淡々とこなし、順調に片付けていく────
そのとあることというのは言うまでもなく────クライド。他の誰でもない息子の、クライドのことである。
「…………」
今日より数日前、カイエルはクライドをこの屋敷に来させた。その理由は────
『僕は彼と同意見さ。悪いけど、そう簡単には認められないな……クラハ=ウインドア君』
────そのことについて。自分の
自らがそうされたように、そうであったように。カイエルもまた、己が息子であるクライドにもそうした。幼少期から屋敷を発つ二年前の日まで、彼に言って聞かせた。
シエスタ家当主たる者、その生涯全て常勝不敗で在れ────シエスタ家が始まって以来、一字一句欠けることなく継がれてきたこの家言を。自分が父にそうされていたように、そして父が祖父にそうされていたように────カイエルはクライドにもそうした。
何故なら、それが正しいと思っていたから。これが正しいのだと、カイエルは信じていたのだから。
別にこの家言が間違っているとは考えていないし、今更否定しようとも思わない。しかし────ふと、カイエルは些細な疑問を抱いた。果たして、本当にこれでいいのかと。
確かに人生、勝てねば意味はない。勝たねば、何も得られないし、何も変えられないし、何も始められない。
何かを得たいのなら。何かを変えたいのなら。何かを始めたいのなら。まずは、勝たなければならない────けれど、だからといって、
そも、負けたことがないということは。それ即ち、成長の
認めたくはないが、自分が────シエスタ家がこうして
それ故に、カイエルは些か遅くも、疑問に思ったのだ。そんな
そして疑問に思ったまま、答えもわからないままに。それをクライドに対して強要しても良かったのだろうか────その結果を、数日前。カイエルは目にした。目にして────
『ぼ、僕は負けてなど……いません!決してッ!クラハに、あんな輩にこの僕が負ける訳ないでしょう!?』
────彼は、後悔した。身が切り裂かれ、心が張り裂ける程の後悔に襲われた。
──すまないクライド……全て、全ては私の所為だ。私の不甲斐なさが招いた結果だ……。
もう数分前から止まってしまっているペンを、静かに机上に起き。それからカイエルはすっかり冷めてしまった
やはり、間違っていた。祖父や偉大なるシエスタの先祖たちまでもが……とは流石に言わないが。しかし、少なくとも自分は間違っていたとカイエルは自責の念に駆られる。
早く気づくべきだった。もっと早く気づくべきであり、そして別の形で答えを出すべきだった。だが、もう遅い。何もかもが、もはや遅い。
──故にだからこそ、手遅れとは知りつつも……私は決めた。そう決めたのだ。なあ、そうだろう……?
『お前にはシエスタの家名を捨ててもらう』
──愚かな私。愚かな、カイエル=シエスタよ……。
間違えた自分は。とっくのとうに間違えていた自分は、もうどうにもならない。
だが、クライドは違う。息子はまだ違う。まだ、間に合うはずだ。こんな自分とは違って、まだ年若い青年で、輝かしい希望と未来があるのだから。
──私には確信がある。クライド、お前はシエスタ家歴代当主の中で唯一、敗北した……否、知った。それはつまり、私を含めた全当主の中で唯一、成長の機会を得たということに他ならない。
クライドであれば、きっと。否、必ず己のものにし、糧にするだろう。その確信が、カイエルにはあった。
──成長を遂げたお前は、シエスタ家に変革を
と、心の中で
──……あの日とて、本当はあんなことを言うつもりなどなかった……。
そして何度目かもわからない程に、思い返したあの日のことを。またしても、カイエルは思い返す────想起させる。
『
我ながら、酷い物言いだ。それに説得力などないに等しいだろうが、別に責める
──昔から妻にも言われ、呆れられた……私は不器用だと。全く以てその通りで、返す言葉もなかった。
他にもっと言い方があった。上手い言い方など、幾らでもあった。
『見損なったぞ我が息子よ……よもや、お前ともあろう者が、そのような腐った世迷言を口にするとは……クライドッ!二年も見ない間に、こうも見下げ果てた男になるとはな!!』
だが、あの時の熱くなっていた自分の
『お前にはシエスタの家名を捨ててもらう。今後一切、お前がシエスタを名乗ることを私は許容しない。決して……決してな、クライド。我が息子めが』
結局、そんな突き放すような言葉をかけてしまった。そんな突き放すような言葉をかけてしまったことを、今でもこうして、カイエルは後悔しているのだった。
「…………気にするな。敗北は恥ずべきことではない。それはお前を更なる高みへと誘う、他のどんなものよりも……」
依然として窓の外を見つめながらに、独り静かに言葉を紡ぐカイエル。だがそれは今更でしかなく、そして無意味だ。無意味であると、彼は重々理解している。
──やはり駄目だな、私は。他ならぬ自分の息子だというのに、まるで他人行儀のような褒め言葉しか出てこない。父親失格か……。
堪らず、そう嘆いて。けれど、それでもカイエルはそうでありたいと思う。ただ一人の、クライドの父親で在りたいと切に願う。故にだからこそ、深い感謝の念を抱いた。
『……すみません』
我が息子、クライドを。剣聖と謳われ、『閃瞬』と呼ばれ。自身の実力を少しも疑わないでいたクライド=シエスタを。見事、その技────【
──彼には頭が上がらない。クライドに成長の
もし、あの時。怒りに身を任せ、その拳を振り下ろさんとしていた『炎鬼神』────ラグナ=アルティ=ブレイズを。クラハ=ウインドアが止めてくれていなければ。最悪、クライドは二度とその手に
それはクライドにとって、死にも等しい────いや、それ以上に苦しく辛い結末だろう。そんな結末を息子が辿らずに済んで、本当に良かった。
故にだからこそ、カイエルは許せなかった。
『卑劣な手段を、卑怯な手を用いたに違いないクラハの奴はッ!!それしかない!でなければ、このクライド=シエスタに勝てる訳、ないッ!!』
命の恩人にして、自らを人生の岐路に立たせてくれた者に対して。そのあまりにも身勝手な侮辱の言葉を、よりにもよってクライド当人が口にしたという事実、現実に。堪らず、カイエルは激怒した。激怒せずにはいられなかった。
──が、それもこれも
と、自嘲気味に心の中で呟いて。カイエルはクラハ=ウインドアの顔を脳裏に浮かべ────ふと、思った。
──はて……?妙だな。クラハ=ウインドア……会ったことはおろか、一度たりとて顔を合わせたことなどないはずだ。そもそも、今回のことがなければ、私が彼のことを認知することはなかっただろう。……だというのに、何故だ?
カイエルは思う──────────