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崩壊(その四十七)

「……」


 その日も、また。そうして日常いつも通り、男────カイエルは。剣聖、『閃瞬』のクライド=シエスタの父親であり。彼の先代に当たるシエスタ家十一代目当主、カイエル=シエスタは。


 日々の執務を淡々とこなし、順調に片付けていく────。今日ばかりは、否ここ最近はそうではなく。自分でも情けない話で、これもただの言い訳でしかないということも重々理解しているが。とあることが原因で、今カイエルは執務に専念することができないでしまっていた。


 そのとあることというのは言うまでもなく────クライド。他の誰でもない息子の、クライドのことである。


「…………」


 今日より数日前、カイエルはクライドをこの屋敷に来させた。その理由は────






『僕は彼と同意見さ。悪いけど、そう簡単には認められないな……クラハ=ウインドア君』






 ────そのことについて。自分のあずかり知らないところで、自分の息子が身勝手な理由からによる決闘を繰り広げたことに関してだ。


 自らがそうされたように、そうであったように。カイエルもまた、己が息子であるクライドにもそうした。幼少期から屋敷を発つ二年前の日まで、彼に言って聞かせた。


 シエスタ家当主たる者、その生涯全て常勝不敗で在れ────シエスタ家が始まって以来、一字一句欠けることなく継がれてきたこの家言を。自分が父にそうされていたように、そして父が祖父にそうされていたように────カイエルはクライドにもそうした。


 何故なら、それが正しいと思っていたから。これが正しいのだと、カイエルは信じていたのだから。


 別にこの家言が間違っているとは考えていないし、今更否定しようとも思わない。しかし────ふと、カイエルは些細な疑問を抱いた。果たして、本当にこれでいいのかと。


 確かに人生、勝てねば意味はない。勝たねば、何も得られないし、何も変えられないし、何も始められない。


 何かを得たいのなら。何かを変えたいのなら。何かを始めたいのなら。まずは、勝たなければならない────けれど、だからといって、。……はずだ。そのはずだ。


 そも、負けたことがないということは。それ即ち、成長の機会チャンスもないということ。成長の機会が訪れない人間の行末ゆくすえなど、たかが知れている。現に今の自分がこうなのだから。


 認めたくはないが、自分が────シエスタ家がこうして現代いまも、敗北を知らないままに続いたのは。ただただ、運に恵まれていたとしか言いようがない。


 それ故に、カイエルは些か遅くも、疑問に思ったのだ。そんなシエスタ家じぶんたちは、正しいのか。これで本当にいいのか、と。


 そして疑問に思ったまま、答えもわからないままに。それをクライドに対して強要しても良かったのだろうか────その結果を、数日前。カイエルは目にした。目にして────




『ぼ、僕は負けてなど……いません!決してッ!クラハに、あんな輩にこの僕が負ける訳ないでしょう!?』




 ────彼は、後悔した。身が切り裂かれ、心が張り裂ける程の後悔に襲われた。


 ──すまないクライド……全て、全ては私の所為だ。私の不甲斐なさが招いた結果だ……。


 もう数分前から止まってしまっているペンを、静かに机上に起き。それからカイエルはすっかり冷めてしまった珈琲コーヒーを少し啜る。……こんなにも苦いのは、単に角砂糖を落としていないからだけではないだろう。


 やはり、間違っていた。祖父や偉大なるシエスタの先祖たちまでもが……とは流石に言わないが。しかし、少なくとも自分は間違っていたとカイエルは自責の念に駆られる。


 早く気づくべきだった。もっと早く気づくべきであり、そして別の形で答えを出すべきだった。だが、もう遅い。何もかもが、もはや遅い。


 ──故にだからこそ、手遅れとは知りつつも……私は決めた。そう決めたのだ。なあ、そうだろう……?


『お前にはシエスタの家名を捨ててもらう』


 ──愚かな私。愚かな、カイエル=シエスタよ……。


 間違えた自分は。とっくのとうに間違えていた自分は、もうどうにもならない。


 だが、クライドは違う。息子はまだ違う。まだ、間に合うはずだ。こんな自分とは違って、まだ年若い青年で、輝かしい希望と未来があるのだから。


 ──私には確信がある。クライド、お前はシエスタ家歴代当主の中で唯一、敗北した……否、知った。それはつまり、私を含めた全当主の中で唯一、成長の機会を得たということに他ならない。


 クライドであれば、きっと。否、必ず己のものにし、糧にするだろう。その確信が、カイエルにはあった。


 ──成長を遂げたお前は、シエスタ家に変革をもたらす。今までのシエスタ家わたしたちを覆し、新たなシエスタ家の創始者はじまりとなるだろう。惜しむらくは、私がそれを十全には見届けられないということ……実に、無念だ。


 と、心の中でみと呟き。カイエルはカップをまた机上へと置いて、何を思うでもなく窓の方を見やる。


 ──……あの日とて、本当はあんなことを言うつもりなどなかった……。


 そして何度目かもわからない程に、思い返したあの日のことを。またしても、カイエルは思い返す────想起させる。


、な?』


 我ながら、酷い物言いだ。それに説得力などないに等しいだろうが、別に責める


 ──昔から妻にも言われ、呆れられた……私は不器用だと。全く以てその通りで、返す言葉もなかった。


 他にもっと言い方があった。上手い言い方など、幾らでもあった。


『見損なったぞ我が息子よ……よもや、お前ともあろう者が、そのような腐った世迷言を口にするとは……クライドッ!二年も見ない間に、こうも見下げ果てた男になるとはな!!』


 だが、あの時の熱くなっていた自分の理性あたまでは、ろくな言い方が思いつかず。


『お前にはシエスタの家名を捨ててもらう。今後一切、お前がシエスタを名乗ることを私は許容しない。決して……決してな、クライド。我が息子めが』


 結局、そんな突き放すような言葉をかけてしまった。そんな突き放すような言葉をかけてしまったことを、今でもこうして、カイエルは後悔しているのだった。


「…………気にするな。敗北は恥ずべきことではない。それはお前を更なる高みへと誘う、他のどんなものよりも……」


 依然として窓の外を見つめながらに、独り静かに言葉を紡ぐカイエル。だがそれは今更でしかなく、そして無意味だ。無意味であると、彼は重々理解している。


 ──やはり駄目だな、私は。他ならぬ自分の息子だというのに、まるで他人行儀のような褒め言葉しか出てこない。父親失格か……。


 堪らず、そう嘆いて。けれど、それでもカイエルはそうでありたいと思う。ただ一人の、クライドの父親で在りたいと切に願う。故にだからこそ、深い感謝の念を抱いた。


『……すみません』


 我が息子、クライドを。剣聖と謳われ、『閃瞬』と呼ばれ。自身の実力を少しも疑わないでいたクライド=シエスタを。見事、その技────【閃瞬刺突フラッシュ・スラスト】を打ち破り。そしてクライドを負かしてくれた青年────クラハ=ウインドアに対して。


 ──彼には頭が上がらない。クライドに成長の機会チャンスを与えてくれただけでなく、あの『炎鬼神』からも庇ってくれて……本当に、感謝しなければならない。


 もし、あの時。怒りに身を任せ、その拳を振り下ろさんとしていた『炎鬼神』────ラグナ=アルティ=ブレイズを。クラハ=ウインドアが止めてくれていなければ。最悪、クライドは二度とその手に刺突剣レイピアを握れなくなっていたかもしれない。


 それはクライドにとって、死にも等しい────いや、それ以上に苦しく辛い結末だろう。そんな結末を息子が辿らずに済んで、本当に良かった。


 故にだからこそ、カイエルは許せなかった。


『卑劣な手段を、卑怯な手を用いたに違いないクラハの奴はッ!!それしかない!でなければ、このクライド=シエスタに勝てる訳、ないッ!!』


 命の恩人にして、自らを人生の岐路に立たせてくれた者に対して。そのあまりにも身勝手な侮辱の言葉を、よりにもよってクライド当人が口にしたという事実、現実に。堪らず、カイエルは激怒した。激怒せずにはいられなかった。


 ──が、それもこれもひとえに私の責任だ。何も考えず、何も疑わずに、クライドにシエスタの家言を……その価値観を植えつけてしまった私の不始末に起因するものだ。……いつの日か、私は彼に頭を下げねばならんな。


 と、自嘲気味に心の中で呟いて。カイエルはクラハ=ウインドアの顔を脳裏に浮かべ────ふと、思った。


 ──はて……?妙だな。クラハ=ウインドア……会ったことはおろか、一度たりとて顔を合わせたことなどないはずだ。そもそも、今回のことがなければ、私が彼のことを認知することはなかっただろう。……だというのに、何故だ?


 カイエルは思う──────────、と。

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