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崩壊(その四十九)

 シエスタ家、邸宅。一階の大食堂にて。


 豪勢な料理の数々が並ぶ、円型の巨大な食卓テーブルを。今、大勢の人間が囲んでいる。


 十数を軽く越す椅子に座る、シエスタ家に仕える侍女メイドたち。その全員がここに集合しており。ある者は額に、ある者は後頭部に。一人一人に細かな違いや差異はあるものの、彼女ら全員に穴が穿たれていることは一致し。その穴を覗けば、存外形の保たれた脳が見えることだろう。


 そして侍女たちが座る物よりも幾分か上等な作りとなっている数個の椅子には、彼女たちの上司に当たる執事バトラーが皆、腰掛けている。頭部に穴を空けている彼女たちとは打って変わって、その執事たちは皆一様に燕尾服の胸辺りを色濃くさせており、注視すればその辺りの布地が刃物か何かの鋭い切先で貫き裂かれていることがわかる。そして垣間見える内側のシャツは、血で赤く染まっていた。


 そんな執事たち、彼らが座るその椅子よりも。更に豪奢な椅子に座る、また違った見た目デザインの燕尾服に身を包む、初老の男性────ジョーンズ・マッカンベリー。シエスタ家の使用人全員をその一手に纏め上げる筆頭リーダーである執事。そのジョーンズだが、侍女や他の執事たちとは違い、彼の身体は傷だらけで、如何いかに激しい損傷を受けたのかを如実に、生々しく物語っている。


 肩や腕、足の至る箇所ところから血を流し。また鳩尾付近からも流血しており、そして額と喉に穿たれたその穴からも、未だに鮮血が止め処なく流れている。


 そしてジョーンズらの椅子とは、まさに格の違いを放つ二つの、それぞれ細部で違う凝った意匠が施された、逸品の椅子に座っているのは。


 言うまでもなく、この屋敷の主人あるじにしてシエスタ家十一代目、前当主。右目の空洞を晒すカイエル=シエスタ。その妻である、頭の右上半分が欠け、その中身が空っぽとなったエマリー=シエスタ。他の誰でもない、その二人であった。


 誰がどう見てもわかる。誰の目から見ても、そうであるということは明白である────そうして、食卓テーブルを囲う彼ら彼女ら、ジョーンズ、そしてカイエルとエマリー。その全員が今や、何一つとして物を言うことは決してない、ただの人間の形をしている肉の塊でしかないと。即ち、紛うことなき死体に他ならないと。


 死体が食卓を囲っているという、側から見ればはなはだ正気ではない、常軌を逸したこの光景を。ただ一人、独りで遠くから眺めている者がいる。


 その者こそが、こんな狂った光景を作り出した張本人。侍女や執事、ジョーンズに加えて。己が両親すらも、その腰に下げた刺突剣レイピアの切先で以て手に掛けた、犯人。


 シエスタ家十二代目、現当主。剣聖と謳われ、『閃瞬』の異名を与えられた、『大翼の不死鳥フェニシオン』所属の《A》冒険者ランカー────クライド=シエスタ。


 クライドは椅子に座って、まるで観客でも気取るかのように。今し方自らの手で作り上げた、その度し難い狂気の産物を。特に何を考える訳でも、何を思うでもなく、無表情で。そして無言のままに、眺めていた。


 そうして眺めて。数分、しばし眺めて。不意に、クライドの肩が、小刻みに揺れ出す。


「ふっ、ふふ……はは、ははは……」


 そして徐に椅子から立ち上がると、軽く手を振り上げる。その時、クライドの手から何かが、宙へと放られた。


 それは紫色の魔石。その魔石は宙を舞い、次の瞬間。全体に細やかな罅が生じ、それは亀裂となって駆け回り。瞬く間に、魔石が宙で砕け散って────それに呼応するかのように。




 パキパキパキパキキキィンッ──死体が囲む食卓テーブルの真上に吊り下げられたシャンデリアから。硝子ガラスが割れたような、澄んで透き通ったが立て続けに響き渡った。




 砕け散った無数の魔石が、シャンデリアから落ちてくる。それら全てがどうやら、先程クライドが宙に放り投げた魔石と同じものらしい。


 砕けた魔石は落下するその途中で、更に細かく砕けていき。あっという間に砂粒程となって、一瞬にして魔力の粒子となって。その末に、大気に溶けて霧散する。


 そうして薄紫色の光が淡く瞬いた直後────それを台無しにするかの如く、突如として大食堂の窓の殆どが割れ砕け。






「ガルロオァァァアッ!」


「ガウガウガウガウゥ!」


「ガアアアアアアッッッ!」


「バアアァウウウッ!」


「オォーーーンッ!」


「アオォォォーーーンッ!」






 続け様に、割れたその窓の全てから。過剰な魔力を浴び、魔物モンスター化した野生の狼────魔狼の群れが。それも一つではなく複数の群れが、今し方魔石から放出されたその魔力に惹きつけられて。続々と押し寄せ、次々と大食堂へと飛び込み。


 そして一匹一匹が我先にと、食卓テーブルの方へと殺到した。


 一匹の魔狼が侍女メイドの首を噛み千切り、彼女の頭を咥え、そのまま豪快に頭蓋を噛み砕いて咀嚼する。また別の魔狼は別の侍女に飛びかかり、押し倒すと。彼女の胸元に鼻先を突っ込み、他の部位よりも断然柔いその膨らみに噛みつき、がっつくようにして食べ始めた。


 執事バトラーにも数匹の魔狼が群がり、早い者勝ちと言わんばかりに。各々の魔狼が、彼の腕や足を取り合うようにして貪っていた。


 これだけ数が多いと、物好きな個体もいるようで。他の魔狼が目もくれていない、食うには些か魅力に欠けるのだろうジョーンズの元へ。老齢の域に達し、独特の雰囲気を放っている魔狼が歩み寄り。最初は椅子に座る彼を見上げるだけだったが、不意にその口を彼の足に近づけたかと思うと。ゆっくりと開かせ、足に噛みつき、椅子から引き摺り。床に叩きつけるように倒した。


「ガァウ……」


 と、静かに一鳴きしたその魔狼は。ジョーンズの顔にまで近づいて、彼の頬に自らの牙を突き立て────彼の顔を、


 果たしてその行為に一体何の意味があるのか、それはこの老いた魔狼にしかわからない。単に、ジョーンズの顔の皮膚を食べたかっただけなのかもしれないが……。


 こうして、次々と魔狼の餌食になるシエスタ家の使用人たち。そしてそれはカイエルとエマリーも決して例外ではなく、残酷に。惨たらしく、二人も魔狼に食われ、食い散らかされた。


 布の裂ける音。肉の切れる音。骨の砕ける音────その合奏はおよそ人が演奏できるものではなく。しかし今人を使って奏でられているというのは、悪い冗談と紙一重な皮肉と言えただろう。


 普通でまともな感性の持ち主であれば、誰しもが耳を塞ぎたくなるような。あまりにも恐ろしく悍ましい、そんな合奏曲を。


「ははははッ!あははははははッ!!」


 この場ただ独りの観客者であり、魔狼の食事風景を含めた、その全てを鑑賞していたクライドは。今すぐにでもその場を転げ回るのではないのかというくらいに嗤い、大いに嗤い、盛大に嗤い。


「あはははははははははははは!!!捨てた!捨てたぁ、捨てた捨てた捨てた捨てたぁあああああ!!!」


 侍女たちを殺し。執事たちを殺し。ジョーンズも殺し、遂には他の誰でもない己の両親も。カイエルとエマリーの二人すらも、殺した上で。無関係な人々を巻き込んだ、身勝手極まりない最悪の鏖殺を果たしたその上で。そうして、クライドは嗤いながらそう言うのだった。


 無論、そんなクライドにも。飢えた二匹の魔狼が素早く迫る。涎を垂らし、鋭い牙を見せながら。その魔狼たちは左右に分かれ、それぞれ同時に。未だに嗤い続けているクライドへと襲いかかる。


 あわやクライドも魔狼の餌食になるかと思われた、その寸前。依然嗤いながらに彼は刺突剣レイピアを鞘から抜き、そのまま流れるようにして。


 ドスッ──右の魔狼の脳天へと切先を突き立て、貫き。


「ガウッ!?」


 飛びかかってきた左の魔狼の首を、難なく左手で掴み。


 ゴキンッ──そしてさも平然とその首をし折るのだった。


 首が不自然な方向へと向き、だらんと口から舌を伸ばす魔狼を放り投げ。刺突剣を魔狼から引き抜き。クライドは椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。


「でもこれだけは、これだけはぁ!捨てない!僕は捨てないよおおおおお!?絶対にッ!僕は捨てないからなああああああぁあははははははははははははははッ!!!!」


 と、突如叫び。そして嗤う────そんな狂気を周囲に振り撒きながら、時折襲ってくる魔狼をその刺突剣で殺しながら。そうして、もはや畜生の地獄絵図と化した大食堂から、クライドは去って行った。











 そしてその日を機に、クライド=シエスタは行方をくらました。

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