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RESTART(その九)

「さて。一つ、是非とも聞かせてもらいたいんだが。ラグナ=アルティ=ブレイズ」


 と、特に大して、別に何事もなかったかのように。そう声をかけてくるエンディニグル・ネガには見向きもせず。その場で固まって動けないでいたラグナは、不意に立ち上がり。そのまま、今にも素っ転んでしまいそうな程に蹌踉よろめき揺れながら、しかしどうにか歩いて、先を進む。


 そうして数分をかけて、ラグナは着いた。悲惨に、そして無様に教会の床に転がされた、クラハの元に辿り着いた。


 ラグナは見下ろす。首は曲げられ、両目は潰され、左腕は幾度も折られ、左手は握り潰され、右腕は引き千切られ、左足は捻られ、右足は殴り潰された。そのような有様のクラハを無言で見下ろす。


 そんなラグナのことを、今や伽藍堂がらんどうの空洞と化したその眼窩もまた、無言で見上げていた。


 もはや誰の目からどう見ても、生きていないことなど火を見るまでもなく明白で。ラグナはしばらくそうして立ち尽くしていたかと思うと、唐突にその場にへたりと。クラハの血溜まりに、ラグナは座り込む。まだ仄かに温もりが残っているクラハの血によって、太腿ふともも臀部でんぶ、局部が赤く濡れ染まるのも構わずに、ラグナは座り込んだのだった。


「なぁ、今どんな気分だ?」


 そんなラグナの、小さく華奢な背中を眺め、そう訊ねながら。エンディニグル・ネガもまた徐に、その場から歩き出す。


「大事で大切な後輩を散々、最後の最期まで苦しませた挙句の果て、そうして呆気なく、こうして無惨にも殺された。その気分は、どうなんだ?なあどうなんだ、ラグナ=アルティ=ブレイズ?」


 続けて訊ねるエンディニグル・ネガはある程度まで歩くと、そこで立ち止まり。何処まで人を馬鹿にしたような嘲嗤ちょうしょうを浮かべて、ラグナのことを見つめる。


 対してラグナは数秒後、座り込んだまま、ようやっとその口を開かせた。


「殺さないって、俺が、言う通りにすれば」


 ラグナの声は落ち着いていた。妙な程に、嫌な程に。淡々と、落ち着きを払っていた。


「ああ、そうだな」


「殺さないって、お前は」


「そう言った。確かに言ったとも」


 言い終えて、エンディニグル・ネガは嗤いを静かに溢す。やがて、次第にそれは声量を増し、そして。


「嘘に決まっているだろうあんなもの。第一、我が貴様にそのような美味しい話を用意すると思ったか?貴様などに、よりにもよって貴様なんかに……ヒヒ、ヒャハハハッ!ギャハハハハッ!!アゲャゲャゲャゲャッ!!!」


 と、ラグナに対してはっきりと言い放った後、エンディニグル・ネガはこれまでの中で一番に悍ましく邪悪な、最低最悪の嗤い声を盛大に上げるのだった。


「……エンディニグル」


 エンディニグル・ネガの嗤い声が喧しく、騒々しく、けたたましく響く最中。静かに、ラグナが呟く。


「ネガだ、ネガ。ネガを付けろよ、ラグナ=アルティ=ブレイズ」


 そんなラグナの呟きを拾い上げ、エンディニグル・ネガは一旦大嗤いすることを止め、半笑い混じりにそう返す。


 ラグナとエンディニグル・ネガ、そうして両者の間に訪れた、ほんの一瞬の静寂────






「エンディニグルゥゥゥゥ゛ゥ゛ゥ゛ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッッッッッ!!!!!」






 ────あらん限りの憎悪と怨恨を、ただひたすらに込めた殺意の絶叫で以て。ラグナはその静寂を引き裂き破り捨てると、そのまま立ち上がって駆け出す。目を見開き、拳を振り上げ、エンディニグル・ネガに迫る。


 ゴッ──そしてその道中、顔面を黒い手によって殴られ。その勢いで容易くそのまま、ラグナは教会の床に倒されてしまった。


「ネガを付けろってんだよッ!このゲロっきの小便ションベン臭え便器穴があッ!!ヒャア゛ア゛ア゛ハハハッ!!」


 と、吐き捨てて。周囲に唾を撒き散らしながら、エンディニグル・ネガはその場から動き出す。早歩きで、ラグナの元へと向かう。


「考えていた。ずっと考えていた。考えて、ずっと、考え考えずっとずっと。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと考えていた。我は……おれは、ずっと」


 そんな譫言うわごとを何度も繰り返し、病的に呟き続けていた傍ら、ラグナのすぐ側に辿り着くエンディニグル・ネガ。


 そんなエンディニグル・ネガには目もくれず、今すぐにでも、何としてでも立ち上がろうとしているラグナを。見下ろし、数秒。エンディニグル・ネガは徐に足を振り上げ。




 ダンッッッ──ラグナの右手を、踏みつけた。周囲の床が割れ爆ぜる音に混じって、肉が潰れて骨が砕ける音もした後。ゆっくりと、じわじわと。徐々に、血溜まりが広がっていく。




「これしかないと思った。これこそだと思った。故におれは、こうすることにした。そうするしかないと思った。それこそだと思った。故に我は、そうすることにした」


 言いながら、言い続けながら。エンディニグル・ネガは踏み潰したラグナの右手を、文字通り。エンディニグル・ネガの足が動く度、まるで挽肉を捏ね繰り回すような音がした。


「それはそうと早く答えてくれよラグナ=アルティ=ブレイズ。今の気分をおれに、その気分を我に、一緒になって甚振いたぶって痛めつけて終いにはぶっ殺された気分を!我に!こと細かに詳細に懇切丁寧に答えて教えてくれよなあ。なあ、なあなあなあどんな気分なんだ!?なあッ!?」


 見て触れることを憚られる、まるで地獄のようなその狂気で表情を彩りながら。エンディニグル・ネガは依然としてラグナの手を踏み躙り続けて、再度ラグナに訊ねる。


「殺すッ!!!殺す、殺す!殺す!!殺す殺す殺す殺す殺すッ!!!ぶっ殺すッッッ!!!!!」


 対して、その小さな身には有り余る程の怒りと、到底似つかわしくない殺意があらわれた、壮絶にして凄絶極まる表情で。喉を破り裂かんばかりの勢いを以てそう叫び吐き散らしながら、頭上のエンディニグル・ネガを睨め上げるラグナ。


 手を踏み潰された挙句、そのまま容赦なく擦り潰される、その想像を遥かに絶する激痛いたみは。己が心身を灰になるまで灼き尽くさんとする激情によって、完全に忘れ去られていた。


「良いぞ!良いぞ良いぞ!!嗚呼ああそうだ嗚呼それが見たかったんだおれはッ!他の誰でもない、貴様のッ!ラグナ=アルティ=ブレイズのその表情かおッ!!怒りと憎しみと恨みが滅茶苦茶に入り乱れ無茶苦茶に入り混じった末に渾然一体となったその表情を……遂にッ!!見れたぞぉおおおッ!!」


 そんなラグナとは正反対に、エンディニグル・ネガは狂喜きょうきの叫びを絶頂の如く迸らせる。


「これで晴れておめでたく、おれと貴様は同じだ……最低最悪の同類同族だあッ!!アッハッハッハッハッハッ!!!!」


「黙れぇぇぇええええええッッッ!!!!!ぶっ殺してやるッ!ぶっ殺してやるッ!!ぶっ殺してやるぅうううゔゔゔッ!!!!!」


 ガッ──直後、ラグナの手から足を退かしたエンディニグル・ネガは透かさず、躊躇うことなく、ラグナの顔を足蹴にした。


「喧しいんだよボォケがッ!そう何度も何度も何度も何度も口にするもんじゃあないぞ……できもしないことはァ!!」



 堪らず、またしても床に倒され転がされるラグナに向かって吐き捨て。エンディニグル・ネガはラグナに詰め寄ったかと思うと、再度足を振り上げ。


「わかってんのかあッ!?なあッ!!」


 先程と同じようにまた、ラグナを足蹴にするのだった。


 そうしてエンディニグル・ネガは手を伸ばし、ラグナの細い首を鷲掴み。ゆっくりと手に力を込め、ラグナの首を徐々にし潰しながら、そのまま。軽々ラグナの身体を持ち上げ、宙ぶらりんに掲げる。


「がッ……は……っ」


 喉を圧迫され、思うように息ができず。ラグナは堪らず顔を苦しげに歪めて、無意識の内に口を開きっ放しにさせて舌を突き出す。やがて頬が上気し、瞳を潤ませ、その端に涙が浮かび始める。


 その過程を実に嫌らしく、そしていやらしい笑みで眺めていたエンディニグル・ネガが口を開く。


そそる顔してくれちゃってどうもありがとうございますッ!」


 そして不意に暇を持て余していた左腕を振り上げ、宙を指差した。


 オォン──すると次の瞬間、エンディニグル・ネガが指差した場所が急激に黒ずみ。そうして完全な暗黒が広がり、無数の黒い手がわらわらと這い出し、好き勝手に伸びる。


「ハッハァーーーッッッ!!!」


 直後、エンディニグル・ネガは持ち上げ掲げていたラグナを、黒い手が蠢くその暗黒へと放り投げるのだった。


 ラグナの身体に黒い手らは群がり、我先にと言わんばかりにそれぞれがそれぞれに弄り始める。


 ある黒い手はラグナの肌を撫で回し、ある黒い手はラグナの腰を掴み、ある黒い手はラグナの太腿ふとももを鷲掴み。ある黒い手はラグナの胸を揉み拉き、ある黒い手はその先端を摘んでし潰し。ある黒い手はラグナの下腹部を撫でやったり、押し込んだり。ある黒い手は更に下へと這わせた指先を向かわせ、そして上下に何度も往復させて、擦り上げる。


「そう急かすな、そんなに急かすな……安心しとけ、これでもかってくらいに気持ちいーぃ目に遭わせて、悦ばせてやっから」


 と、言いながら、エンディニグル・ネガはそんな光景を。愉悦の眼差しで以て、ラグナのそんな痴態こうけいを。じっくりと、ねっとりと、ねぶり尽くすかのように眺めていた。


「だから貴様もおれを愉しませろ。たんまりとおれに愉しませてから、たっぷりとおれに殺させろ。ハハ、ハハハ……ハハハハハハッ!」


 エンディニグル・ネガの高わらいが響く最中、ラグナは虚な瞳で見つめる。


 ──…………クラハ、ごめん………。


 と、視線の先に映るクラハに対して謝った直後、黒い手がラグナの顔を覆い────やがて身体と共にラグナの意識もまた暗黒へと沈んだ。




















「あーぁ、殺されちゃった。死んじゃった」


 闇の中。一片の光すらも存在し得ない、ただひたすらの闇の只中にて。不意に、そんな声をラグナは聴いた。


「あんなに呆気なく殺されちゃった。あんなに無惨に死んじゃった。キミの後輩クン」


 聴き覚えのある声は、まるで歌うかのようにそう言って、ラグナの神経を無遠慮に逆撫でる────


「……」


 ────しかし、憤る余力も。そして反応する気力すらも、今やラグナは失っていた。


「これでいいの?ねえ、それでいいの?」


 そんな有様のラグナを見兼ねたように、声はそう訊ねるも。ラグナはその問いかけを無視するのだった。


 そうして訪れる静寂。が、それが続いたのは数秒のことで。


「力をあげる」


 と、何の前触れもなく唐突に、ラグナに対して声はそう言った。


 少し遅れて、徐に。まるで鉛のように重たい瞼を、ラグナは開かせる。


「ああでも、先に言っておくけど。この力で後輩クンをどうにかすることはできないから。そこは御愁傷ってね」


 と、解放されたラグナの視界に映り込んだ────自分と瓜二つの顔と姿をした、真白の髪と灰色の瞳を持つ少女は。まず平然と告げてから、ラグナに顔を寄せる。


「でもさ、嫌でしょ?これで終わるなんて。後輩クンを……大事で大切なクラハをあんな風に苦しませて、ああも死なせて。それで終わっちゃうなんて、キミが一番嫌で、許せないでしょ?」


 そう言いながら。互いの鼻先がぴとりと触れ合う程まで、真白と灰色の少女はその顔をラグナに近づけさせる。


 対するラグナといえば、何も言わず。しかし、顔を逸らすこともせず。ただ黙って、真白と灰色の少女のことを見つめていた。


 宙で視線を交えさせ、絡ませる最中。真白と灰色の少女がラグナに囁く。


「委ねて。そして、受け入れて」


 そうして、とうとう遂に────二人の唇が触れ合い、重なり合った。


 やがて先に離れた真白と灰色の少女は蠱惑的な笑みを携えながら、謳うように。


「ハッピーバースデー、ラグナ。ハッピーバースデー……


 そう、ラグナに言うのだった。

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