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第8話 ヒカリと零夜

 シティゾーンの荒廃した街並みを、サヤカ、ヒカリ、碧の三人は息を潜めて進んでいた。ハンティングマンは一体しか残っていない。油断はできないが、その分動きやすい状況だ。薄暗い路地に響くのは、三人の靴音と遠くの風の唸りだけ。


「ハンティングマンについてだけど、このエリアにはいないみたい」

「良かった……一時はどうなるかと思いました……」


 ヒカリの報告に、碧は胸を撫で下ろし、崩れたコンクリートの塊に腰を下ろす。安堵の吐息が冷たい空気に白く溶けた。ハンティングマンが追ってこないとわかった瞬間、張り詰めていた緊張がわずかに解けるのも無理はない。

 だが、サヤカは眉を寄せ、頬を風船のように膨らませて不満を露わにしていた。ハンティングマンを倒せない苛立ちが、彼女の闘志を燻らせている。一体を破壊すればゲームは強制終了――その事実は、彼女の心を焦がしていた。


「サヤカ。不安な気持ちも分かるけど、今は我慢しましょう。そろそろミッションも始まるし」

「分かったよ……」


 碧の落ち着いた声に、サヤカは渋々頷き、彼女の隣にドサリと座り込む。ヒカリはそんなサヤカを見て柔らかく苦笑し、そっとその頭を撫で始めた。彼女の手は優しく、まるで妹を慰めるようだった。


「気持ちは分かるけど、今は落ち着いて。ハンティングマンもいないし、昔話でもしましょう」

「そうですね。じゃあ、私が逃走ロワイアルに参加した事について説明します」


 ヒカリの提案に碧が頷くと、サヤカも興味を引かれたように身を乗り出した。碧は静かに、しかし熱を帯びた声で自らの過去を語り始める。廃墟の静寂の中、彼女の言葉だけが響いた。


「私が逃走ロワイアルに参加したのは、自分を変えようとしていました」

「自分を変える? どういう事だ?」


 サヤカが首を傾げると、ヒカリもまた碧の言葉に引き込まれるように視線を向けた。碧は一瞬目を伏せ、言葉を紡ぐように続けた。


「私は保育士として働いていますが、今の給料では物足りなさを感じています。子供と触れ合うのは好きだけど、お金の事を考えると流石にどうかなと思ったのです」

「確かに保育士の給料は安すぎる傾向があるからね……」


 ヒカリは真剣な眼差しで頷き、サヤカは頭をポリポリと掻きながら考え込む。

 日本の保育士の平均年収は一般より低めだが、近年は上昇傾向にある。それでも碧には納得できない現実であり、どうすれば良いのか考えていた。そんな折、逃走ロワイアルの募集が目に留まり、彼女は迷わず飛び込んだのだ。


「だからこそ、この逃走ロワイアルに参加して勝つと決めました。絶対に生きて運命を変えようと!」


 碧の声は力強く、瞳には揺るがぬ決意が宿っていた。どんな試練が待ち受けようと、彼女の覚悟は鉄のようだ。


「頑張っているわね。私は芸能枠として参加させられたけど、必ず生きると決意したの。このオープンフィンガーグローブがある限りは大丈夫よ」


 ヒカリは拳を握り、黒いオープンフィンガーグローブを見せつける。暗闇の中で、ライトに照らされたグローブが鋭く輝き、彼女の決意を象徴していた。


「何処で手に入れたんだ?」

「昨年の大晦日の幕張で。その時は零夜君も一緒だったから」

「ああ。あの新たな八犬士の一人ですね。彼の活躍は聞いていますし、逃走ロワイアルでは一般枠として成功した実績を持っていると」


 サヤカの質問にヒカリが笑顔で答えると、碧も手を叩いて頷いた。

 東零夜――逃走ロワイアルで一般枠として逃走を成功させ、後楽園の悲劇を経て異世界へ転移した伝説の人物。彼は今、仲間と共に地球とハルヴァスを守る戦いに身を投じている。その名を知らぬ者はいないが、サヤカは初耳らしく、怪訝な顔で首を振った。


「そんな人物は初めて聞いたが、奴はとても強いのか?」

「ええ。彼はプロレスラーを目指している身でありながら、忍者として活動しているわ。大晦日の戦いでも諦めずに立ち向かっていたし、その勇姿を見て感動していたわ」


 ヒカリの声には誇らしさが滲む。零夜との親友関係やSNSでのやり取り、そして大晦日の戦いで見た彼と仲間たちの勇姿――すべてが彼女の心を強く打っていた。WDG48の八重樫椿やギャルモデルのりんちゃむもまた、零夜たちの不屈の精神に感化された一人だ。

 その後、宝物庫で武器を手に入れた三人は零夜たちと共闘し、敵を撃破。手に入れたお宝を山分けし、今やテレビ局に引っ張りだこの有名人となった。あの共闘がなければ、彼女たちの今はなかっただろう。


「だからこそ、私も零夜に負けずに頑張ろうと決意したの。ここで止まってしまったら、彼に心配されるからね」


 ヒカリの言葉に、サヤカと碧は深く頷いた。零夜という存在がヒカリを変え、今の彼女をここに立たせているのだ。


「私も彼らに対しては憧れを抱いています! 特に藍川倫子に興味を持っていて、彼女の様なクールレディになろうと考えています!」

「ああ。あのプロレスラーね。私も倫子さんに憧れているの。特に……」


 ヒカリと碧が零夜たちの話題で盛り上がる中、サヤカは退屈そうに欠伸をし、天井を見上げた。そこにはドローンカメラが飛び、ゲームの状況を映すモニターが冷たく光っている。


(現在、ハンティングマンに見つかっている人は居ないか……まあ、一体になったから、そう簡単に見つかる筈が……)


 サヤカが心の中で呟いたその瞬間、けたたましいブザーが廃墟に響き渡った。空気が一変し、三人の体が凍りついたように固まる。視線は一斉にモニターへと吸い寄せられた。


「さあ、次のミッションが始まりを告げられます! その内容は「追跡の罠」! どんなミッションなのか見てみましょう!」


 実況のユキコの声が場内にこだまする。モニターに映し出されたミッションの内容に、闘争者も観客も息を呑んだ。画面には、赤く光る目と鋭い爪を持つ異形の機械――マーダークラウンの姿が映し出され、金属的な咆哮がスピーカーから響く。


「ミッションの内容は、マーダークラウンに見つからずに逃げ切る事です! マーダークラウンはハンティングマンと違い、標的を見つけて襲い掛かる厄介な敵です! 上手く逃げ切れる事が出来るかがカギとなりますが、マーダークラウンを破壊してもOKとなります! 命の保証はありませんけどね」


 ユキコの説明に、観客席は恐怖と興奮のざわめきに包まれた。視聴者のコメント欄も「マーダークラウン、ガチでヤバい!」「三人とも生き残れるのか!?」と不安の声で埋め尽くされる。いくら実力者とはいえ、この敵を相手に勝てるかどうかは未知数だ。  

 モニターに映るマーダークラウンの姿は、まるで死そのもの。赤い眼光が闇を切り裂き、爪が地面を削る音が遠くからでも聞こえてくるようだった。サヤカの背筋に冷たいものが走り、ヒカリと碧も顔を見合わせた。空気が重く、まるで嵐の前の静けさだ。


「この戦いは手強いかも知れない……けど、私たちならやれると信じているわ!」

「ああ……あのバルタールが考えた事に違いないからな。私らは何が何でも生き残るぞ!」

「ええ! これ以上奴らの好き勝手にさせない為にも!」


 ヒカリ、サヤカ、碧は一斉に立ち上がる。ミッション開始の合図と共に、遠くから響くマーダークラウンの不気味な咆哮。廃墟の闇にその姿が現れた瞬間、三人は一斉に戦闘態勢に入り、決死の覚悟で走り出した。  

 この戦いは、決して簡単には終わらない。心に刻んだその思いを胸に、三人は闇へと飛び込んでいく――。

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