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第12話 私だけのヒーロー

 信春は廃墟の闇を切り裂くように駆けていた。足元で砕けたコンクリートが爆ぜ、肺は焼けるような息で悲鳴を上げる。背後では、マーダークラウンの重い足音が地響きのように迫る。冷や汗が頬を滑り落ち、信春の目は恐怖と決意で燃えていた。  


(マーダークラウンに追われるなんて、最悪の運だ…! だが、俺はここで終わるわけにはいかない。あの子の笑顔を、絶望で塗り潰すわけにはいかない…!)


 心の中で叫びながら、信春は一つの信念を握り潰すように抱きしめる。全速力で廃墟の通路を突き進み、倒れた鉄骨を跳び越え、崩れた壁の隙間を滑り込む。だが、マーダークラウンの殺意は執拗だ。金属の爪が空を切り、壁を削る不気味な音が闇を切り裂く。距離は容赦なく縮まっていく。  


「まずいぞ! 信春、絶体絶命だ! マーダークラウンの刃がすぐそこまで迫ってる!」


 ユキコの実況が会場を切り裂く。観客席は息を呑み、誰もが信春の命運に目を奪われる。


「彼が囚人になった理由…それは、一人の少女を両親の虐待から救った罪だ! その子の未来のために、信春は全てを賭けた! 生きろ、信春! 絶対に逃げ切れ!」


 ユキコの声が炸裂する中、観客たちは衝撃に凍りつく。

 一人の少女を救うため、自らの人生を投げ出した男。その真実が明らかになり、会場は一瞬にして感情の嵐に飲み込まれる。涙を流す者、拳を握り締める者。観客席から声が上がる。  


「マジか……自分の人生を犠牲にしてまで…!」

「殺人に関しては賛否両論かもしれないが、少女を救ったのは本物の正義だ!」

「信春、絶対に逃げろ! お前は俺たちのヒーローだ!」

「頑張れ、信春さん! 負けるな!」


 声援は雪崩のように膨れ上がり、「信春! 信春!」のコールが廃墟の壁を震わせる。視聴者のコメント欄も「信春、死ぬな!」「絶対に逃げ切れ!」と熱狂的なエールで埋め尽くされる。

 信春は走りながら、信じられない思いで声の方向を振り返る。


(この俺を……囚人の俺を、応援してくれるのか……?)


 普通なら、囚人には罵声と憎悪が浴せられる。だが、信春は違う。彼が少女を虐待から救った事実は、観客の心を打ち抜き、彼をヒーローへと変えたのだ。


(……そうか。俺の戦いは、皆に届いたんだ……! なら、絶対に生き残る。あの子の未来のために、皆の声に応えるために!)


 決意が信春の体を突き動かす。彼は歯を食いしばり、廃墟の出口へ向けて加速する。瓦礫を蹴散らし、暗闇を突き抜ける。だが、マーダークラウンの気配はなおも背後に迫る。

 廃墟を抜け出した瞬間、信春は咄嗟に建物の隙間へ滑り込む。近くの錆びた樽の影に身を潜め、息を殺す。心臓の鼓動が耳元で爆発するように響く。  

 マーダークラウンは廃墟から姿を現し、冷酷な目で周囲を見回す。金属の爪が地面を擦り、不気味な音が空気を切り裂く。信春は動かず、ただ祈るように息を止める。

 やがて、マーダークラウンは獲物を見失ったと判断し、ゆっくりとその場を去っていく。  


「マーダークラウン、撤退! 信春、奇跡の逃走成功だ!」

 ユキコの叫びが会場を揺らし、観客席は歓喜の渦に包まれる。「信春! 信春!」のコールが天を突き、コメント欄も「やったぞ!」「ヒーローだ!」と称賛で溢れ返る。

 樽の影で息を整える信春は、苦笑いを浮かべながら安堵する。だが、すぐに表情を引き締める。


(一匹は振り切った……だが、ハンティングマンがまだいる。油断は死を呼ぶからな……!)


 慎重に周囲を確認し、信春は再び動き出す。廃墟の影を縫い、音を立てないよう細心の注意を払いながら進む。ハンティングマンの気配はどこに潜んでいるかわからない。今、信春にできるのは、ただひたすらに逃げ続けることだけだ。


 ※


 シティゾーンの闇を進む信春の足音は、まるで鼓動のように小さく響く。汗が額を伝い、視界の端で廃墟の残骸が揺れる。ハンティングマンの存在が、空気そのものを重くしていた。


(このままじゃ、いつか捕まる……早く安全な場所に……!)


 その瞬間、背後から金属が擦れる鋭い音が炸裂した。振り返ると、そこにはハンティングマンが屹立していた。サングラス越しに光る冷酷な眼光。獣のような殺意が、信春の背筋を凍らせる。


「クソッ、見つかった…!」


 信春は即座に駆け出す。ハンティングマンは無言で追ってくる。その足取りは異様に速く、まるで獲物を嬲るように楽しんでいるかのようだ。廃墟の通路を突き進み、倒れた柱を跳び越え、散乱した瓦礫を蹴散らす。信春の息は限界を超え、肺が悲鳴を上げる。  


「信春、最大の危機! ハンティングマンがすぐそこまで迫ってる! 逃げ切れるのか!?」


 ユキコの声が会場を切り裂き、観客席は悲鳴と声援で沸騰する。誰もが彼に生きて欲しいと願っているのだ。


「信春、諦めるな! 絶対に生きろ!」

「逃げろ! お前はヒーローだ!」


 コメント欄も「信春、負けるな!」「ハンティングマン、なんて怖え!」「絶対に逃げ切れ!」と怒涛のエールで埋め尽くされる。

 走りながら、信春は遠くに光る脱出ゲートの看板を捉える。廃墟の奥、錆びた鉄扉の先にそれはあった。あそこまで辿り着ければ、この地獄から抜け出せる。


(あそこだ……! 脱出ゲート! 絶対に辿り着く……!)


 歯を食いしばり、信春は全霊でゲートを目指す。瓦礫を蹴散らし、倒れた鉄骨をくぐり抜け、ただひたすら前へ。ハンティングマンの足音が背後で地響きのように迫るが、信春は振り返らない。観客の声援が彼の魂を突き動かす。  


「信春、ゲートまであと少し! 行け、行けー!」


 ユキコの叫びが会場を燃え上がらせ、観客は総立ちで彼を後押しする。  

 だが、その瞬間――ゲートの直前で、暗闇からマーダークラウンが姿を現した。大鎌が月光を反射し、冷酷な笑みが信春を嘲笑う。信春は咄嗟に身をかわそうとするが、時すでに遅し。大鎌が唸りを上げ、信春の胸を深く切り裂く。  


「グハッ!」  


 血が噴き出し、信春は地面に叩きつけられる。鮮血が廃墟の床を染め、観客席からは悲鳴が爆発する。会場は一瞬にして凍りつき、ユキコの声も途切れてしまった。

 信春は血に濡れた手で空を掴むように伸ばし、掠れる声で呟く。  


「俺は……ここまでだ……だが、希望は…サヤカたちに託す……これだけは忘れないでくれ……俺は……弱者を守る……ヒーローだ……」


 その言葉を最後に、信春の目はゆっくりと閉じた。体から力が抜け、静かに動かなくなる。  


「信春、死亡確認…!」  


 ユキコの声は震え、会場は深い悲しみに沈む。観客席からはすすり泣く声が響き、コメント欄は「信春…なんでだよ…」「ヒーローだったのに…」「忘れない、絶対に!」と悲しみの嵐に包まれていた。


 ※


 孤児院の一室では、テレビの前に集まった子供たちが信春の最期を目撃していた。綺羅羅は小さな手を握り締め、ヒックヒックと泣きじゃくる。彼女の目から溢れる涙は、まるで決壊したダムのようだ。  


「信春さん…信春さん…!」


 他の孤児たちは彼女を囲み、そっと肩を叩いたり、手を握ったりして慰める。その中の一人、年上の少年が静かに尋ねる。  


「綺羅羅、悔しいのは分かる。でも、信春さんは最後、どんな風に見えたんだ?」


 心配そうな表情をしている少年の質問に対し、綺羅羅は涙を拭って震える声で答えた。


「うん…私だけの…大切なヒーロー…」


 少年は彼女の言葉に静かに頷き、綺羅羅が泣き止むまでそばにいることを心に誓う。部屋には静かな嗚咽だけが響き、信春の遺した想いが子供たちの心に深く刻まれた。  


 ※


 会場では、信春の死に誰もが沈黙していた。だが、その静寂を突き破るように、一人の観客が立ち上がり叫ぶ。 


「信春は死んでもヒーローだ! 俺たちは絶対に忘れない!」


 その声に呼応し、観客席から拍手が沸き起こる。それは悲しみを乗り越え、信春の信念を称える拍手だった。ユキコもマイクを握り直し、声を張り上げる。  


「信春、彼は最後までヒーローでした! 彼の想いは、サヤカたちに、そして私たち全員に受け継がれるでしょう!」


 コメント欄にも新たな声が溢れ出す。「信春、ありがとう」「サヤカ、信春の分まで生きろ!」「ヒーローは死なない、俺たちの心に生きてる!」と、信春の信念とサヤカへの期待が寄せられる。  

 信春の死は悲劇だった。だが、彼の行動と最後の言葉は、観客、視聴者、そして孤児たちの心に永遠に刻まれた。彼が守ろうとした希望は、確かに次の世代へと繋がれていくのだった。

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