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<11・覚悟>

 どんどん音が近付いてくる。何かを殴る音、壊す音、吠える音――本能的に、夏俊は感じていた。この先に行きたくない。行ったら命の保証はない。人間の常識で図れないような恐ろしい存在がすぐ近くにいる、と。


「おい」


 階段を降りる途中で、ついに聖也は立ち止まった。思わず彼女の背にぶつかりそうになり、夏俊は急ブレーキをかける。ぶつかったところで彼女の背とパワーなら、そうそうつんのめることもなかっただろつが。


「何で追いかけてきた?」


 聖也は振り返り、険しい顔で告げる。疑問を投げ掛けられるのは明白だった。夏俊は運動神経は並であるし、成績はいいがそれだけだ。大毅とも未花子とも違うガチの文系である。未知化け物と戦うことになっても、戦力になるとは自分でも思っていなかった。

 同時に。


「戦闘向きの能力があっても、本番でいきにりそれが使える生徒は少ない。大半のヤツが、足がすくんで動けなくなる。だから俺はみんなに、化け物見つけても基本的には逃げろって言ってあったんだ。戦うってなら勝算があるのが大前提。俺は経験上やれる自信があるからここにいる。お前はどうだ?」


 尤もすぎる意見だ。何せ夏俊の能力はただの通信。しかも、通信の能力者同士でしか話が出来ない。いざ戦闘となったらほとんど役に立たないのは明白である。

 つまり、普通に考えたら――いくら夏俊が聖也を死なせたくないと考えていたとしても。ついてきたところで、彼女の足手まといになるのは明白なのだ。能力の上でも運動神経の上でも、彼女は圧倒的に夏俊より上なのだから。

 しかし。


「……わかってる。俺はまともな能力もないし、強くもない。度胸もないから、正直ビビってるよ。まだ化け物の姿も見えないのに」


 下の状況がどうなっているのかは全くわからない。既に何人も死んでいる、なんてことは充分にあり得た。もしかしたら廊下中血まみれで、地獄絵図なんてこともあるのかもしれなかった。そんな光景、本来なら映画だろうと見たくはないし考えたくもない。逃げだすならきっと今で、本来ならそれがずっと懸命な方法なのだろう。

 それでもだ。




『え、だって。俺お前らのこと好きだし。このクラスすっごく良いクラスだと思うし。それ理由じゃ駄目か?』




 思ったのだ。ここで聖也一人を行かせたら自分は――人として、大切なものを失ってしまうのではないか、と。

 クラス全員が仲良しなわけではない、でも。それでも聖也よりはずっと長く付き合っている連中だし、個人的に良いクラスに恵まれたと思っていたのも事実なのだ。

 失いたくない。

 ならば他人にばかり、任せてはおけない。


「それでも、俺も助けたいから。助けないと、自分で自分が許せないから。……確かに通信係がやられるのはまずいよな。でも置いてきた大毅達は、天都の能力があるから俺らの位置はだいたいわかるだろ。合流しようと思ったら無茶ってことはない」

「そりゃそうだが、でもな……」

「足手まといにならないようにする。俺のことを守ってくれとは言わない!いざとなったら全力で、一人でも逃げる……!だから、一緒に行かせてくれ」


 それに、と夏俊は続けた。


「俺の『通信』能力だって。その気になればきっと役に立つはずだ、そうだろ!?」


 化け物に追いかけられて、うまく逃げることができなかったら普通人はどうするか?夏俊は、夏俊なりに頭を回していた。場合によっては、自分の力が活路を見いだすケースもあるはずだと。


「…………」


 聖也は暫く無言で夏俊を見つめていたが、やがて諦めたようにため息をついた。彼女なりに割り切ったのか、あるいは押し問答する時間を惜しんだのかは定かでないが。


「化け物を見ても悲鳴を上げない、パニックにならない、いざと言うときは一人でも全力で逃げる。それがちゃんと誓えるんだな?」

「約束する……!」

「わかった」


 もっと粘るかとおもいきや、彼女はあっさりと引き下がった。そして、先程よりもやや慎重に階段を降りはじめる。化け物に気づかれないため、ということにはすぐ理解できた。

 音が大きくなっていく。段々と強くなるその響きに、夏俊は気がついた。人間を攻撃しているなら、もっと骨が折れる音や肉が潰れる濡れた音が混じりそうなものである。だが、今聞こえてくるのはただ、無機物を拳でひたすら殴打するような乾いた音ばかりなのだ。化け物とやらは、人間を食うために訓練されたものではなかったのだろうか。

 その疑問は、すぐに氷解することになる。


「あいつだ。声、上げるなよ」


 ちょいちょい、と廊下の角まで呼ばれる。夏俊は恐る恐るそこから顔を出して――即座に口許を抑えた。微かな呻き声で抑えた自分は、滅茶苦茶頑張ったのではなかろうか。

 想像した通り――否、想像を拒否したかった光景が目の前にある。

 廊下は、血飛沫で真っ赤に染まっていた。あちこちに骨の断片や、肉の欠片のようなものまで飛び散っている。特に目を引くのは、廊下の真ん中に転がっている歪な物体だ。

 女の子が、倒れている。だがその体が綺麗に揃っているのは上半身のみ。上半身だけの女の子の側に、あちこち千切れた両足とおぼしきものがごろりと二本鎮座しているのだ。

 噛み千切られた肉の断面からは、その中身がちらちらと覗いているのがあまりにもおぞましい。


――あ、あの、髪型……!神田さん、か?


 神田夏梅。少しぽっちゃり系で天然系の、可愛らしい女子だった。やや赤みがかった髪を二つ結びにしていたのである。彼女の大好きな蝶を型どった髪飾りが、未だにその髪束の上で血にまみれて鎮座していた――見間違えるはずがない。人間があのように引きちぎられて殺されるなんて、一体誰が想像していただろうか。

 そして、彼女の遺体よりも重要なことは、それを行った犯人がすぐそこにいることである。

 そいつは遺体よりも少し奥まった場所で、ひたすら一つのドアを殴り続けていた。

 天井の高い廊下につきそうなほど大きな背丈の――灰色で筋肉質な、まるで巨人のような姿の化け物が。


「ちっ……やっぱり、キメラってのは罪喰いのコピーかよ」

「つ、つみぐい?」

「こっちの話だ。……夏俊、まだあいつは俺らに気が付いてない。作戦会議するとしたら今しかねえ。ここから見える景色だけでわかることを全部挙げてみろ」

「え」


 どうやら、聖也はあの怪物のことを知っているらしい。そして知っている上で、夏俊のことを試そうとしているらしかった。恐らくこの状況の中、夏俊が本当に役に立つのか見定めたいのだろう。

 裏を返せばこれは、彼女の期待に応え、自分の価値を証明するチャンスと言っても過言ではない。


――……そうだ。考えることなら、俺にもできる。戦闘で役に立てないってなら……作戦で、役に立ってみせるんだ。


 夏俊はもういちど、そっと壁から頭を出して化け物を見た。化け物はただずっと、ドアの向こうを殴るばかりである。恐らくその向こうに行った何かを引っ張り出したいが、ドアが邪魔で巧くいかないのだろう。

 自分達がここにいて、ひそひそ話をしていることにも気づかない――あるいは意識が向かないのだとしたら。あのドアの向こうに、二人よりも多い人数が籠城している可能性が高い。


――廊下に転がってるのは、神田さんだけ?……いや、向こうにも頭のない死体がある……。誰なのか判別つかないが、どっちも学ランってことは、男子か……。


 化け物の行動。

 女子の遺体が神田夏梅しかないのなら、リーダーで通信係の毒島彩也はまだ生きているはず。そしてあのドアの向こうで、仲間とバリケードを張ってどうにか耐えている可能性が高い。そして彼女の仲間もと二人は生きているとみてまず間違いあるまい――ならば。


「……聖也」


 今、自分にできることは。


「俺の能力、使ってみてもいいか?」




 ***




 もうダメ。毒島彩也の心は折れつつあった。

 残る生き残りの前嶋まえしまなほ、小瀧集こたきしゅうと共に、近くの研究室と書かれた部屋に逃げ込んだまではいい。だが、化け物はすぐそこまで追いかけてきていた。必死に鍵をかけた入り口の前に机と椅子を積み上げてバリケードを作ったものの、化け物は諦める様子がない。

 このままでは入り口がまるごと壊されて、自分達も生きたまま殺されることは明白だった。


――いや……いやいやいやいやいや!死にたくない……こんなところで死にたくない!


 三人がかりでバリケードを押さえ、耐える――耐える。だがバリケードが壊されるよりも前に、彩也の心の方が限界を迎えつつあったのである。

 だってそうだろう。友人が三人もあの化け物に食われて殺されたのだ。しかも生きたまま、である、特に夏梅の最期はトラウマ以外の何物でもないのだ。両足を脱臼させられて挙げ句、股間からばりばりと喰われるなんてどんな悪夢だろう。けして、あんな目に遭っていい子ではなかった。自分達だって――あんな死に方をしなければならないような罪など、断じて犯していないはずである。

 何故こんな惨い真似ができるのだろうか。いくら悪魔を倒すためのブレスレット、その性能を見るためだと言っても。


「ど、どうするのよぉ、毒島さん!」


 なほが泣きそうな顔で言う。


「バリケード、壊されちゃう!壊されなくたってあたし達、ずっとここにいるわけにはいかないでしょ?ねえどうするの?どうするのよ、ねえ!?」

「わ、私に訊かれても……」

「私に訊かれてもって何よ!毒島さんがリーダーなんじゃない!!」


 リーダーと言ったって仮のものだ。通信の能力があるから暫定的に任命されただけである。こんなところでそれを使って追い詰められたってどうしようもない――助けてほしいのは彩也だって同じなのだから。


「そんなに喚くならお前がなんとかしろよ、前嶋……!」


 パニックになりかけているのは集も同じであるらしかった。他力本願で叫んでばかりのなほに痺れを切らし、叫びはじめる集。


「毒島はあくまで通信係だろ!一番戦い向きの能力持ってるのお前だろーが、文句あるならお前が出ていって戦えよ!!」

「ちょ、女の子に戦わせるっての!?」

「今は男とか女とかじゃなくて、能力が向いてるかどうかの方が大事だろうが!都合よく今だけ守って貰おうとしてんじゃねーよ!!」


 仲間割れなんてしている場合じゃないというのに。結局、みんな自分のことだけが可愛いというのか。友達だと思っていたのに、一緒に脱出できるとばかり思っていたのに。

 彩也の目の前が真っ暗になりかけた、まさにその時。


『毒島、聞こえるか!毒島!』

「……え?」


 彩也のブレスレットが、声を発したのである。

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