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【7/3】黒金の獅子団の壊滅

第31話 5-1 【そして日常へ戻る】

 今は初夏、賢暦けんれき千二十年七月三日のお昼過ぎ。世界一幸福な魔法使い、サイカ・ワ・ラノが、異世界から召喚された勇者、千歳アヤメと対決した夜が明け、太陽が昇り切った頃。


「喫茶バフォメット……」


僕はアヤメさんたちが寝泊まりしている喫茶店近くの、路地裏に積まれた木箱の影で、その様子を伺っていた。


「……っ」


女神に魔力を半分以上奪われたせいで、僕の魔力回路はまだ完全には回復していなかった。そのせいで、魔力不足による立ちくらみと頭痛のダメージが続いている。それでも僕は、今日アヤメさんに会わなければならなかった。


「ラノ君……?」


「ひ?!」


後ろから声をかけられ、思わず肩が跳ねる。振り向くとそこには勇者……アヤメさんが立っていた。


「え、あ、ごめん……。脅かすつもりはなかったんだけど……」


心臓のドキドキが止まらない。これは絶対に、吊り橋効果……!


「いえ、すみません……。えっと、最初にいくつか、良いですか?」


「……うん。良いよ」


アヤメさんはどこか申し訳なさそうな顔で微笑むと、頷いた。昨日から今日の夜にかけて、色々ありすぎて気まずいのは僕も同じだった。それでも僕は、なるべく早くアヤメさんに会う必要があった。


「ありがとうございます。それで勇者様、その格好は……?」


アヤメさんは昨日貸した僕のパーカーの上に、喫茶バフォメットのマークが入ったエプロンをつけていた。僕と違い、パーカーのフードは被ってはいない。


「あぁ、これ? 今お昼時だから、ちょっとお店のお手伝いをね」


「そうですか。いえ、そうではなくて……僕のパーカー、昨日からずっと着てるんですか……?」


ひとまず、貸したパーカーの無事は確認できた。千年魔書魔炉せんねんましょまろで見た毛皮の装備の時は、元々着ていた服が弾け飛んでいたので心配していたのだが、ライブ会場で見た包帯の装備の魔法は、元々着ていた服が変化するタイプの魔法のようだ。


「え、あ、ごめん! 着てると魔力が回復するってラノ君言ってたから……確かに着てたほうが調子良いし……」


「そ、そうですか……」


確かに昨夜はアヤメさんの魔力が回復しやすいようにと渡したのだが、まさかずっと着ているとは思わなかった。……困った。


「あ、もしかしてラノ君、この服返してもらいに来たの……?」


「……えぇ、まぁ。女神にいちゃもんをつけられて、魔力を半分以上持っていかれまして……」


「……やっぱり、あの気配は女神様だったのね」


アヤメさんは、あの時僕を襲った女神の存在に気づいていたようだ。確かに彼女はこの世界に召喚された時に、女神に一度会ったことがあるはずだ。


「はい。魔力を回復してから、女神と話したことの共有もしたかったのですが……」


「ごめん、ちょっと待ってて」


そう言うとアヤメさんは、路地裏でエプロンを外し僕のパーカーを脱いで埃を払った。


「え、ちょっと……!」


「貸してくれてありがと。洗って返したかったけど、そんな悠長なこと言ってられないみたいだし……」


アヤメさんはエプロンをつけ直してから、僕のパーカーを差し出す。


「それは別に、良いんですけど……良いんですか?」


「良いって、何が?」


「…………いえ、何でもないです」


背に腹は代えられず、僕はアヤメさんが脱いだばかりの僕のパーカーに袖を通し、フードを被る。


「あ、服は洗えてないけど、私はちゃんとシャワー浴びたからね?!」


確かに、パーカーからふわりと甘い石鹸の香りがする。僕の家の石鹸とは違う香りだ。……仮面が無い分、理性の乱れがいつもよりひどい。


「いえ、それも別に、良いんですけど……」


僕はフードを深く被り直す。僕の魔力が回復し始めるのを感じたが、このペースだと全快にはかなり時間がかかりそうだ。今夜までには何とかなりそうだが、女神のやつめ、面倒なことをしてくれたな……。


「じゃあ、いつもの仮面も、女神様に……?」


「はい。いつかは返すみたいなことを言ってましたが……」


「そう……」


アヤメさんは、フードに隠れた僕の顔をまじまじと見つめる。僕はその視線を躱しきれず、思わず目を逸らした。


「でも、ラノ君が無事で良かった……」


「……それはこちらの台詞です。勇者様こそ、昨日の今日で人助けなんかしてて、体調は大丈夫なんですか?」


町のほうは、ヒノトリの暴走からたった一夜明けただけのはずなのだが、元通り以上の復興を遂げていた。やはりこの町の人たちは、魔物の襲撃に慣れているのかもしれない。


「あ、そうだった! ラノ君、魔力は回復した?」


「え、えぇ、多少は……」


「ちょっと手伝ってくれない? 今ルリが出かけてて……バイト代も、賄いも出るから!」


嫌な予感と共に、僕は喫茶店の中へと引きずり込まれる。お昼時のためか、店内は町の人や冒険者で溢れかえっていた。


「いらっしゃいま……、あ、アヤちゃん! どこ行って……、あら?」


カウンターの奥から、マスターが顔だけを出す。


「もしかして、昨日の仮面の坊や? なんだい、かわいい顔してるじゃないか」


「あ……どうも」


かわいい……。かっこいいではなく……かわいい……。ぐぬぬ……。


「でしょー?」


…………いや、何でアヤメさんがドヤ顔してるんだ。


「そうだ彼氏ちゃん、ちょっと手伝ってよ! 旦那が寝込んでるから、人手不足でさー」


マスターの旦那さんの呪いは、まだ解けていないようだった。この手の呪いは、かけた犯人が死ねば解けるはず。犯人は黒金の獅子団の一員で間違いないと思うが、昨日ヒノトリに食われたやつではなかったようだ。


「……」


この件も、この後アヤメさんに相談する必要がある。僕としては、ひとまずアヤメさんと話がしたいわけで、人助けなんかしてる場合ではない。……それに。


「ぼ、僕に接客なんて……」


向いてないどころの話ではないことくらい、僕が一番わかっている。しかしアヤメさんは、すでに店の奥からエプロンをもう一つ、引っ張り出してきていた。


「大丈夫! ここのお客さんは、みんな良い人ばっかりだから!」

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