「いやー、助かっちゃったよ彼氏ちゃん、ありがとね。賄い作っちゃうから、ちょっと待っててねー」
そう言って、マスターはまた厨房の奥へと戻っていった。お昼時を少し過ぎた喫茶バフォメットにて。僕は怒涛の接客業務を終わらせ、前回僕とアヤメさんとルリさんの三人で来たときに使った個室の机に突っ伏して、力尽きていた。
「お疲れ様」
エプロンを脱いだアヤメさんが、なぜか向かいの席ではなく隣の席に腰掛ける。魔力が回復するパーカーの、少しでも近くにいたいのだろう。故障中の予備のパーカーも、早めに修理したほうが良さそうだ。
「お疲れ様でした……」
僕は顔だけをアヤメさんのほうに向ける。接客とは言っても、注文やお会計など、コミュ力がある程度必要な業務はアヤメさんがほとんど受けてくれていた気がする。途中から僕は、料理を運ぶのと片付けるのを繰り返すだけのゴーレムと化していた。それでも、僕にしては上出来過ぎる。僕、よくやった!!!
「勇者様は、いつもこんなことを……?」
「いつもじゃないけど、たまにね。マスターにはお世話になってるし、おかげで町の人とも仲良くなれたし」
「はぁ……すごいですね……」
「お待たせー! 今日の賄いはトリカブトガニのハンバーガーとスベスベマンジュシャゲガニのスープ。飲み物はいつものアイスコーヒーと、ホットミルクで良かった?」
マスターがいつも通り、ノックせずに入ってくる。
「あ、マスター、ありがとうございます」
「ありがとう、ございます……」
「大事な話し合いはお腹いっぱいにしてから、ね。アヤちゃんも彼氏ちゃんも、別れ話だからって遠慮しちゃダメだよ」
「……え?」
大事な話し合い……? それも別れ話……? まだ付き合ってもないのに……? 仮面も魔力もないときに、あまり僕を揺さぶらないでほしいんだけど……。
「……はい」
アヤメさんの真剣な横顔に、思わず背筋が伸びる。マスターは料理を並べると、すぐに個室を出て行ってしまった。
「……」
「……冷めないうちに、食べちゃおっか」
「……そうですね。僕もトリカブトバーガーは割と好きなので」
「その略し方だと、ますます食べ辛くなるわね……」
「そうですか?」
「私がいた世界では、トリカブトもマンジュシャゲも毒がある植物の名前だったんだけど……こっちの世界のはそんなことないのよね」
「そうですね。普通のカニですし」
「あ、ラノ君は毒薬の魔法が得意って言ってたけど、私がいた世界の毒とかにも興味あったりするの?」
「え、まぁ……」
確かに、自己紹介の時には毒薬の魔法を得意技としているけど、自分ですらその設定を忘れてしまうこともある。会長に指摘された通り、本当の得意技は爆薬だし。アヤメさん、よく覚えてたな……。
「ですが、これから果し合いをする相手に、そう易々と手の内は見せられません」
「果し合いじゃなくて、話し合い! ……ラノ君って、意外と好戦的よね」
「そうですか? 夜道でいきなり襲いかかってきたり、結界をぶっつけ本番で使ったりする勇者様ほどでは」
「仕方ないでしょ……それが、あなたに近づいた理由なんだから」
「……」
僕もアヤメさんも、目を合わせることなく前を向いたまま話を続ける。理由としては隣同士で座っているため、お互いのほうを向くとハンバーガーが食べ辛いというのもあるだろうけど。
「この町に来るちょっと前にね、自分の思い通りの場所を作れる魔法っていうのがあって、その魔法の使い方は、現地の協力者……ラノ君が使うところを見て覚えるようにって女神様に言われたのを、思い出して」
つまりかつてのパーティーメンバー、クルミさんを失った後に思い出したということなのだろう。もし先に僕に出会っていたら……僕はクルミさんを救えていたのだろうか。
「そうですか。でも僕以外にも、本結界を使える魔法使いはたくさんいますよ」
「私と同世代で使えるのはラノ君だけって、女神様は言ってたけど?」
本結界は魔力でできた空間のため、相手に乗っ取られるとたちまち形勢逆転しかねない。格上の魔法使いや魔族相手に使えないという点で、新人の若い魔法使いに人気がないのは当然だろう。見本にする相手が同世代である必要性は……おそらく女神が言っていた、アヤメさんの恋人の役割も担うことになるから、というのもあるのだろう。
「それだけの情報でよく、僕まで辿り着きましたね」
「仮面の魔法使いって聞いてたから、見つけるのは簡単だったよ?」
「……そうですか」
僕はトリカブトバーガーを皿に戻して、スープを一口飲む。少し温いが、疲れた身体にはちょうど良い。気がつくとアヤメさんはすでに両方とも食べ終えており、残るはアイスコーヒーだけになっていた。アヤメさん、お腹空いてたのかな。
「いずれにせよ、荒削りではありますが勇者様は、僕の本結界の魔法を見て覚え習得することができた。……僕の役目は、果たしたということですか?」
お役御免。事実上のクビ。ヒノトリとの戦闘での醜態も含めての通告だろう。あの日一人目の勇者にも、そんなことを言われた気がする。僕はただの恋人候補であって、恋人にはなれなかったということだ。
「……」
アヤメさんが、面と向かってお前はクビだなんて言えない性格であることくらいはこの数日でわかった。穏便に、僕のほうから身を引くべきだろう。
「それで、次の魔法使いには今夜の、黒金の獅子団とのことは話したんですか?」
「……え?」
昨日の喫茶店でのアヤメさん、ルリさん、マスターの反応と、路地裏での取引相手の対応からして、今夜、アヤメさんと黒金の獅子団との間で、良くないことが行われるのは間違いないだろう。
「次の、魔法使いって……?」
「僕が辞めた後の、次の魔法使いです。勇者様のパーティーメンバーに、魔法使いがいたほうが良いのは事実ですから」
アヤメさんの役職は勇者。ルリさんは僧侶。召喚された二人目の魔法使い、クルミさんが亡くなっていることを考えると、代わりの魔法使いはどうしても必要になってくる。
「いや、ラノ君の次、なんて、見つかってないけど……?」
「そうですか。では、今夜の件について、何か解決策が見つかったんですか?」
「いや、特に……」
「……」
僕は思わず、アヤメさんのほうを見る。アヤメさんもいつの間にか、こちらに身体を向けていた。少し顔が赤い気はするが、真顔だ。つまり、冗談ではない。
「……つまり、僕の次の魔法使いも決まってなければ、黒金の獅子団の解決策も見つかってないのにクビってこと?! 僕のこと、そんなに嫌になったんですか……?!」
さすがの僕も、声が大きくなる。
「嫌じゃない! でも、私にはもう、ラノ君の隣に立つ資格なんて……!」
嘘だろコイツ、底なしのお人好しか? ていうか今、僕の隣に座ってるけど。
「いいですか勇者様、最初からそんな資格はありません。僕はあなたの恋人ではない。勇者様の、配下です。僕はあなたの、半歩後ろをついていく存在でしかない。勇者様がわざわざ、隣に立つ必要なんて……」
「そんなの嫌!私はラノ君の隣が良い!」
どういうこと?! 隣に立ちたいの? 立ちたくないの? どっち?!
「勇者様、まさか……」
そういえば、トリカブトガニとスベスベマンジュシャゲガニに毒性はないが、お酒と同じ成分が含まれると聞いたことがある。魔力不足のせいかと思っていたが、確かに僕も、少し気分が高揚している気がする。
「なによ?!」
アヤメさんが身を乗り出して僕の顔を睨む。顔が赤いし目が据わっている。これは絶対に、酔っている。
「……ヒューマンケイン・レディ」
僕はお気に入りの赤い杖を、アヤメさんのおでこに向けた。
「セット・プレミアム・スーパー・ストロング・スタンバイ」
少しは抵抗するかと思ったが、アヤメさんは大人しく目を瞑った。
「サイカ・ワ系オール・ゼロ、ファイヤー!」
一瞬だけアンデッド状態にしたアヤメさんに、状態異常を回復する魔法をかける。赤い光とともに、彼女の酔いが醒めた。その余波で、僕の酒気も抜けたようだ。
「…………あ、ラノ君? あの、えっと」
アヤメさんは酔いが醒めたというのに、まだ顔を真っ赤にしている。
「とにかく、今夜の件までは付き合わせて頂きます。乗りかかった船ですし、黒金の獅子団と繋がってるとかいう濡れ衣も晴らしたいですし」
「……」
「勇者様、よろしいですね?」
「……はい」