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第44話 6-6【視点R】魔族の楽園

「俺はザック・ザクロイド。魔族の、ドラキュラだ」


「私はアリス・アングリード。魔族の、サキュバスだよ!」


「えっ……」


アヤの表情が、一瞬強張る。昨日の夜感じた魔力の通り、アリスはやっぱり魔族だった。


「それから、ルリちゃんのお友達!」


アリスがずぶ濡れの頬を、私の頬にくっつける。まぁ私も、一緒に池に落ちてずぶ濡れだし、別にいいんだけど。


「やっぱりアリス、魔族だったのね」


「そうだよ! もしかしてルリちゃんも?」


「そ。元は普通の人間だったけど、この世界に召喚されたときに魔族にされたってわけ」


「しょーかん?」


「私は魔王軍側の勇者。本当は、魔王軍四天王の一人なのよ?」


「そうなの? かっこいい!」


アリスはその綺麗な目をさらに輝かせる。町の子どもたちが、勇者であるアヤに向ける視線と同じように。


「じゃあ、本当は勇者をやっつけなきゃいけないんだ!」


アリスはその純粋な目を、アヤのほうに向ける。アヤの顔から、血の気が引いていくのが目に見えてわかった。


「私もね? 本当はサキュバスだから、人間を襲わないとお腹がペコペコになっちゃうの。でもね、サイカがいるから大丈夫なんだよ!」


そう言うと、アリスはサイカ・ワのほうへ駆けていく。


「サイカー、せーきちょうだい!」


「はい。どうぞ」


「うぇっ?!!」


サイカ・ワがパーカーを脱ぎ始めると、アヤの血の気が一気に戻る。アヤは変なところでウブだが、きっとそういうところが男にはウケるのだろう。私は逆に、二人の行為がよく見えるところへ移動する。


「いただきます!」


サイカ・ワが胸元のボタンを外すと、アリスが口を開ける。すると、サイカ・ワの胸の辺りから赤いモヤのようなものが出てきて、アリスの口の中へ吸い込まれていく。


「ごちそうさま!」


「…………え、終わり?」


サキュバス、アリスの食事は、人間サイカ・ワに、触れることすらなく終わった。


「ラノ君、今の赤いのって……」


アヤも、最終的には好奇心に負けて畳の部屋から降りてきていた。


「いわゆる、人間の性欲ですよ」


サイカ・ワは澄ました顔で告げる。


「人間の性欲……。今のが……」


「今のを、毎日……?」


「ええ。朝起きたときと、家に帰ってすぐに」


少し顔は赤いものの、アヤはさっきとは違い狼狽えることなく話を聞いている。アヤの恥ずかしがる基準は、いまだに私にもわからない。でも、サイカ・ワの性的耐性が、仮面だけではないことはよくわかった。


「……そういうことね。あんたがアヤの誘惑に耐えられる理由がわかったわ」


「誘惑? あ、女神様の加護のこと? ……あ!」


アヤは慌てて、スポーツウェアの上着の前を閉めてお腹を隠す。


「……ええ、そうね」


アヤは変なところで無頓着だが、きっとそういうところが男にはウケるのだろう。


「そうだラノ君、さっそくで悪いんだけど、シャワー貸してくれない? ランニングの後そのまま来ちゃったから……」


「ああ….…それなんですが、うちにシャワーはありませんよ」


「……シャワーが、ない?」


サイカ・ワがまた、澄ました顔で告げる。


「マスターの家には、あったのに……?」


「ええ。ただ、代わりと言ってはなんですが、森の奥に温水が湧く泉があります」


「え、それって……!」


「あなた方の世界で言うところの、温泉ですね」


「マジ? 温泉?!」


さすがの私もテンションが上がる。この世界の人たちはそもそもお湯に浸かるという文化があまりないらしく、シャワーがあってもバスタブはない家が一般的らしかった。そんな世界で、また湯船に浸かれる日が来るなんて。


「アリス、案内してあげてください。ルリさんも、池に落ちて身体が冷えたでしょうから、一緒に入ってきては?」


「そうね……」


「任せて! こっちだよ!」


「あ、ちょっと待って……!」


アリスが元気よく走り出し、アヤが後に続く。私もついていこうとしたとき……部屋の奥から、聞き慣れない笑い声がした。


「お前……何であいつのこと、まだ生かしてるんだ?」


「え……?」


私と、その男以外の全てが止まっているように見えた。いや、どうやら魔法で本当に止まっているらしい。……ザックって言ってたっけ。こいつも、魔族か。


「あいつが勇者で、お前は魔族なんだろ? しかもあいつは、お前のことをひどく信用している。絶好のチャンスじゃないか」


わかりやすい悪魔の囁きが聞こえる。いや、こいつは確かドラキュラなんだっけ。袴を履いたドラキュラなんて初めて見た。甚平を着たサキュバスも、初めて見たけど。


「あんただって魔族なんでしょ? じゃあ、あんたがやればいいじゃない」


もちろん、そうはさせないけど。私は、縁側で胡座をかいているそいつを睨む。


「俺? 俺がやったらつまんないだろ。俺はお前を唆した功績で、魔族の楽園に入れてもらうんだよ」


「……魔族の、楽園?」


どこかで聞いたような名前に、思わず聞き返す。あれは確か、この世界に召喚されてすぐのときに……。


「そうかそうか、お前は魔王にも会ったことがないんだったか。今や第二次魔王城の結界の中は、魔族の楽園になってるって噂だぜ。血も酒も飲み放題なんて、一体どこで仕入れてんだろうな?」


わかりきったことを、わざとらしく呟く。人間の血なんて、人間から仕入れるしかない。


「……興味ないわ。私はアヤの隣にいられたら、それでいい。あんた吸血鬼だっけ? 勝手にアヤの血吸ったら、メッタ刺しにするから」


サイカ・ワの同居人に、こんなのがいるとは思わなかった。サイカ・ワもいるし、アヤなら大丈夫とは思うけど……。


「おいおい……じゃあ、お前の血なら良いのかよ?」


懐から出した扇子が、私を指す。


「そうね……一口どう?」


私は池に落ちて濡れたままになっていた胸元のネクタイを外し、シャツのボタンを外した。……きっとアヤなら、これくらいのことはやって見せる。それに、うまくいけばフォーボスみたいに、私の魔力で化け物にして退治できるかも……。


「そいつは無理だな。酒の味がわかるようになってから出直してきな」


「お酒……? 何? 私のこと酔わせたいの?」


「魔王軍四天王の魔力の通った血なんざ、酒で薄めなきゃ飲めたもんじゃないからな。それまでは……人間の勇者の血でも啜って待ってるからよ」


「っ!?」


気づけば日は沈み、辺りは真っ暗になっていた。


「てなわけでサイカ、客人たちが湯浴みの間、俺たちは覗きと洒落込むかい?」


「……はぁ?!」


いつの間にか、私たち以外の時間が動き始めていた。アヤにも聞こえたようで、振り返ったまま固まっている。さすがのアリスもゴミを見るような目だ。サイカ・ワのほうは相変わらず、澄ました顔で告げる。


「一応言っておきますが、純粋な魔族であるあなたが、女神の加護を受けた勇者の裸を見れば、目が消し炭になると思いますよ」


「マジかよ? そいつはまずいな」


「ですのでザックは、女神から返ってきた仮面の調整を手伝ってください。誤って魔族であるあなたを、焼却してしまってはかわいそうですから」


「サイカ・ワ! 今すぐこいつ焼却して! もしくはアヤ! 今すぐ脱いで、こいつの目潰して!」


「ルリ?!」


とっととこいつは処分しないと、アヤが危険に晒される。


「そうカリカリすんなよ。せっかく綺麗な顔してんだから」


「この……アヤ! アリス! もう行こ!」


もういい。こいつは後だ。こいつのペースに、乗せられるわけにはいかない。


「あ、それから最後にもう一つ」


私は無視して、アヤたちについていく。


「俺がさっき言ったこと、全部嘘だから。忘れていいぜ」


「……」


「……」


「…………はぁぁ?!!」


これがこいつとの、最初で最悪の出会いだった。

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