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【7/8】 開戦前夜、王都へ

第66話 10-1 【※ただの特訓中です】

 今は初夏、賢暦けんれき千二十年七月八日の朝。異世界から召喚された勇者が死ぬはずだった日の、その次の日の鏡の森の外れ。僕は腰の杖に手をかけたまま、勇者を見据える。


「フェイク・繚乱!」


彼女の剣が、僕の胸元を狙って突き出される。僕は即座に杖でそれを受け止めた。金属同士がぶつかったような甲高い音が、明け方の森に響いた。


「……ッ!」


彼女の顔が、一瞬だけ苦痛に歪む。僕は杖で剣を押し返し、彼女の腹めがけて蹴りを入れる。しかし彼女は、後方に跳んでそれを躱す。


「詠唱の短縮、使えるようになっていたんですね。陰ながら、アヤメさんが生き残るための努力をしてくれていたこと……嬉しく思います」


彼女は一瞬で、人狼の毛皮を纏っていた。


「この一撃でも……ラノ君の杖は壊せないのね」


「杖の素材はトップシークレットでしたが……。せっかくなので一つだけ。この杖には、ダイヤモンドカットカツオの鰹節を使っています」


「カッ…………鰹節?」


アヤメさんの手から剣が落ち、カランと乾いた音を立てた。


「もちろん僕の魔力を編み込んで補強してはいますが……。そういえば、そちらの世界で鰹節は、食べ物なんでしたっけ?」


「そうだけど……。こっちでは違うの?」


「主に鎧の素材として使われることが多いですね。そちらの世界に倣って、削って食べてみた記録もありますが……おいしくなかったそうですよ」


「そうなんだ……。だったら女神様の聖剣で、切り刻んで調理してあげる!」


アヤメさんは慌てて剣を拾い上げ構え直す。刀身から放たれた魔力が、彼女の周囲を舞っている。


「フェイク・火華ヒバナ・ファイアワークス!」


彼女が剣を振ると、その魔力が弾けながらこちらに飛んでくる。


「ヒューマンケイン・レディ」


僕は杖の魔力を解放し、その魔力とぶつける。パチパチと火花が散り、やがてそれは小さな雷となって辺りを焦がす。


「くっ……その手には乗らないから! 魔力での力比べは、負けたら身体ごと乗っ取られるんだったわよね!」


僕とアヤメさんは、同時に後ろへ跳んで間合いを取った。そうは言っても、魔力の使い方はまだまだ未熟だ。以前警告した通り、純粋な魔力での力比べは最悪の場合、心身共に魔力ごと乗っ取られて、相手の操り人形にされかねない。


「魔法として自分自身と完全に分離していれば問題ありませんが、念には念を入れておくのは正しい判断ですね」


「それはどうもっ!」


アヤメさんの姿が視界から消え、次の瞬間、彼女の気配は僕の真後ろにあった。


鋼竜毒蛇ノ盾ヘドロフルポイズン・レディ」


アヤメさんの剣を、召喚した紫色の盾で受ける。


「毒……?!」


アヤメさんが瞬時に飛び退く。


「僕の得意技は、毒薬の魔法ですから」


僕はアヤメさんのほうに振り向くと、お気に入りの赤い杖を構える。


「セット・焦土・スタンバイ」


そして僕の……本当の得意技、爆薬の魔法が発動した。


「サイカ・ワ系ヘル、ファイヤー!」


「……」


「…………ほう」


舞い上がった砂煙が消えると、人一人分くらいのサイズの、ぐるぐる巻きになった包帯のドームが現れる。焼け焦げたそれが解けていくと、その中には無傷のアヤメさんが立っていた。


「本結界を使わなくても、その力は使えるんですね」


結界内のステージ上ではないのに、アヤメさんは人狼の衣装からミイラ男の衣装に早着替えしていた。その包帯のドームで、爆発の直撃を防いだらしい。


「……それよりラノ君、手加減したでしょ」


しかしアヤメさんは魔力を使い果たしたようで、地面に手をつきその場に座り込んだ。


「手加減?」


「っ……そう。一昨日聞いた呪文には、焦土だけじゃなくて……浄土と蒸発も入ってた」


「……」


「だから今の火力は、ラノ君の全力の……三分の一?」


そういえば、一昨日アヤメさんの本結界で魔鎧まがいを倒したときも、この魔法を使ったんだったか。


「相変わらず、類稀なる記憶力ですね。ですがアヤメさんも無傷のようですから、今回はおあいこということで」


「おあいこ? 私はもう、魔力切れで動けないのに……?」


目だけを僕のほうに向けるアヤメさん。


「はい。その盾を、奪われてしまいましたので」


いつの間にか、彼女の後ろに僕の盾、鋼竜毒蛇ノ盾ヘドロフルポイズンがあった。アヤメさんはそれを自分の身体で隠すように準備していた。相変わらず、手癖が悪い。


「……バレた?」


「その盾はタピさんの祖母、ホーク様から頂いた初めてのプレゼントですから。その盾を持っているアヤメさんに、攻撃はできません」


「…………やっぱり、私の負けよ」


アヤメさんはその場でぱったりと横倒しになると、膝を抱えた。するとミイラ男の衣装が光り、元の紫色のパーカーに戻った。僕が複製した、魔力の自然回復を促進させる素材を使ったパーカーだ。


「それは、なぜですか?」


「トドメが精神攻撃なんて、ラノ君って意地悪よね」


「精神攻撃……?」


「ごめんねラノ君、私、ラノ君からもらってばっかりで……プレゼントもしたことなくて……」


ああ、なるほど……。


「そのことですか……マインドフルヒールネス、クールダウン」


僕はアヤメさんに、精神治癒の魔法をかける。ホーク様に教わった、マインドヒールのプロトタイプ。


「……ありがと。ラノ君、何かほしいものない? 私に用意できるものなら……」


「アヤメさんの成長が見られましたので、今日は充分な収穫でしたよ。それに、今日アヤメさんが生きてくれていることが、僕にとっては一番のプレゼントですから」


「っ…………ありがと」


疲れているからなのか照れているからなのか、アヤメさんはさっきと同じ言葉を繰り返すだけだった。


「必ず、生き残りましょうね」


一方の僕は、今回は仮面もつけているしパーカーのフードも被っているので、顔や耳が赤くなっているのはきっと、バレていないだろう。

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