午前中の全ての授業が終わった。内海山先生の言った通り、午後からは休校となるらしい。全校生徒が校舎から出て行き、校門前に待つ親のもとへと向かっていっていた。
教室の窓から校門前を見遣れば案の定レガロもいた。僕の視線に気がつくと、にっこりと笑って手をひらひらと振った。
僕は気になることがあり、彼女に視線で「待ってろ」と伝えてから教室にいる内海山先生に話しかけた。
「あら、佐藤君。どうしたの、あなたも早く帰りなさい?」
どこからか、嗅ぎなれた
「内海山先生、例の事件について少し聞きたいことがあって」
「……話したでしょう? それに、あれ以上のことは私も分からないのよ」
……嘘だな。内海山先生はこの間一度も僕の目を見て話していないから、確信した。
この誘拐事件には裏がある。
「……仕方ない……」
内海山先生が振り向いたその瞬間、僕は彼女の目を見つめ術を掛けた。簡単な人心掌握術だ。段々と術中に嵌っていった先生はとろんとした目をしてゆらゆらと立っている。
「……誘拐事件について、知っていることを全て話せ」
「はい——」
* * *
完全に術中域に入った内海山先生いわく、現在までに隣接学区内の小学生が七人誘拐されていたようだ。「されていた」ということは過去形であり、つまり彼らは、すでに家に帰っていることになる。
被害者生徒はちゃんと生存した状態で無事に帰宅していたことに僕は安堵した。しかし腑に落ちない点もある。
どうやら、被害者生徒は生きたまま戻っているが、腕に噛み傷をつけて青い顔をしているところを保護されているらしいのだ。
(
やはり、主犯は
* * *
「…………あー、シュガーシュガー、妖術使ったんですか?」
教室を出、レガロの待つ校門前に着くと彼女は開口一番そう言った。
「なんでそう思う?」
「だって、目の色が朱いから」
「!」
しまった。僕はとっさに彼女から視線を逸らして、昂った力を抑え込む。
校舎に誰もいなかったことが幸いした。集中すると、ゆっくりと力が引いていく感覚が分かる。今まで内海山先生も術中から抜け出せずにいたかもしれない。
どこからか、カラカラと教室から窓を閉める音がした。
「先生……ごめん」
僕の呟きが聞こえたのかは分からないが、先生はこちらに気づいたようで、「佐藤君、気をつけて帰るのよー」と笑顔を見せた。
僕たちは軽く会釈をしてから、踵を返して学校を後にした。
「そういえば、帰りは歩きできたんだな」
「まあ、こっちの方が動きやすいですし。車で行くとシュガーシュガー、渋るじゃないですか」
「そりゃああれだけ大勢の目があれば、誰だって、あんな外車で来たら驚くだろ!」
できるだけ目立ちたくないんだよ僕は! という僕の意思をレガロはよく無視する。無視をするな。僕はお前の主人だぞ。僕をおちょくるのが最近の楽しみらしいレガロは、僕の騒ぐ姿を見てキャッキャ笑っている。くそ! 目立てば、それこそ危ういというのに。ただでさえ僕たちは異質な存在なのだから、もう少しは身の上を弁えてほしいものだ。
……なんて、子供ながらに世間体について悩んでいるとどこからか吹き出す音が聞こえた。
「……レガロ」
「ゴホン。すみません」
「すみませんと言っている割に、笑うのを堪えきれてないが?」
僕がひと押しするとレガロはそのまま笑い始めた。
「ぶふっ、さとうさとうって、たしかにシュガーシュガーっていう名前ですけど、安直すぎません? ぶふっ」
「笑うなレガロ! いい偽名が思いつかなかったんだよ!」
反論しながら僕は顔が熱くなっていくのを感じていた。
僕の名前は日本語で苗字で有名な「佐藤」と、甘い「砂糖」に変換ができると知って、この国で生きるためにその名を使うようになったのだ。
名前で調味料を付ける親がどこにいるのかと陰で言われたこともあるけども! どちらで呼ばれたところで同じ音なのだからもう気にしなくなったさ。
ひとしきり笑い転げたレガロが、で? と一転して真剣な顔で僕を見た。僕はいつも彼女のこの顔にドキリとする。フラフラしなければかっこいいのに、もったいない。
「あのメール、気になることがあるんでしょう? 送ったのは担任のうつみやま先生。彼女が何か知ってると踏んで、人体に影響が及ぶ確率の低い妖術を使ってまで聞き出したんでしょう?」
人聞きの悪い。間違ってはないけど。
「……先生の潜在意識を引きずり出した結果、連続誘拐犯は僕たちと同じ可能性が高い」
「——」
レガロが目を大きく見開いた。どうやら僕の
「……自ら囮になるつもりですか?」
「あはは。まさか」
夕暮れに揺れる風が僕の髪をさらう。舞う木の葉とともに、僕の瞳は段々と朱く染まっていく。まるで燃える夕日のように。
おとぎ話に出てくる吸血鬼のように。
「囮だって? そんな分かり易いこと、この僕がするわけないだろう。……僕は泣く子も黙る、
レガロは何かを言いたげにしていた。けれどそんな顔をしたのは一瞬で、彼女は言葉を呑むと静かに僕の前に跪く。
「……我が主、朱月の王——アルシュ・シュガーシュガー・ヴァンフォード卿。どうか……ご命令を」
「うん。さっきも言ったと思うけど、今回の誘拐事件、不可解な点が多いことから人間の仕業ではなく、僕たちに近い何かが犯人であると僕は考えている。総合して考えれば、犯人は『
「はい」
「お前に調べて欲しいことがあるんだ」
「なんなりと」
「お前は警察の立場を利用して被害者生徒に話を聞いてきてほしい。『君たちが攫われた時体のどこかに月の刺青を持つ者がいなかったか』とね」
「……っ、まさか! だってあの研究所は、シュガーシュガーがあの日建物ごと灰にしたはず!」
「もしかしたら一部の残党がこの国に逃げおおせていたかもしれない。『吸血蝙蝠』もそのひとりで、僕たちが日本にいることを知った、組織の刺客かもしれないだろう?」
あの日、僕のコンディションは万全ではなかった。討ち洩らしがあったとしても、不思議ではない。
(徹底的に、潰さなければ。髄まで灰にしてやる)
時期に宵がくる。僕たちの時間だ。