その日のレガロは落ち着きがなかった。
あの日のシュガーシュガーの言葉が妙に気にかかるのだ。
いくらシュガーシュガーが、怖ろしき
(……あれからシュガーシュガーが家に戻らないのって……)
彼はこの誘拐事件に、すでに巻き込まれていると考えていいだろう。そうレガロが推測できてしまうのは、一緒に下校していたというクラスメイト二名も巻き込まれている可能性が高いと今朝の会議で挙がっていたからだ。
レガロの仕事は、簡単に言えば『警察官』だ。
彼女が所属するのは警視庁の中でも秘匿化されている【特殊犯罪怪奇課】と呼ばれる部署で、主に
今回の事件は彼女の班が担当となった。それは偶然か必然か。もしかしたらシュガーシュガーによる采配なのかもしれないと、嫌な考えがレガロの脳内を埋めつくしていった。
レガロはシュガーシュガーと主従関係にあり、簡潔的にいえばレガロは彼のボディーガードだ。それを無視して自ら敵地に行こうとする主人を、彼女は止めるすべを持たない。
それは主人が『絶対』だから。
ガンッと自席の机を殴る。目の前に広がる事件のあらましが書かれた書類には、レガロたちが追う小学生児童誘拐事件の文字が並ぶ。
少年は帰り、少女帰らず。
今もこうしているうちに犯人は霧に紛れて小学生たちをひっ捕らえ、少女ばかりが不安と恐怖の深海に囚われ続けている。
(もし、シュガーシュガーが巻き込まれていたら……)
少年が帰る、と言っても、きっとシュガーシュガーは別だ。犯人と思しき人物と交戦し、自分が異なる者であると証明してしまったのだから。
シュガーシュガーの願いとはいえ、彼女は今、主人から離れたことを後悔していた。どうしても、主人の願いを聞き届けた自分が許せないのだ。何がなんでも止めるべきだったと、歯がゆい思いが募っていく。
けれどこれはシュガーシュガーが望んだことだから、と。レガロは自分自身に強く言い聞かせなければ動くことすらできなかった。
レガロの部署は基本、定時より1時間前までに戻っていれば、あとのことは自由な場所だ。時間に拘束されない条件として、より多くの情報を集めることがレガロたちの仕事である。
彼女の上司は
いい男だと思う。けれどレガロはそれ以前に、彼のことを知っていたし、なにより彼のことを気に入っていた。
不意に携帯がなる。仕事用の携帯ではなく、プライベート用の携帯に。
発信源は、シュガーシュガーの通う小学校からだった。まさか彼が戻った? いやそれは無い。もしも解放されていたとしたらすぐに自分と接触を試みるはずだ。わざわざ小学校からの連絡ということは彼絡みでなく、事件になにか進展があったからだろう。
深呼吸をしてから通話モードに変える。掛けてきたのは、小学校の養護教諭だった。
* * *
『——もしもし。こちら佐藤砂糖くんのご家族の方でしょうか?』
「はい。佐藤の姉ですが」
『すみません。本来であれば、担任の内海山から連絡をと思ったのですが……彼女はあいにく休みをいただいていまして』
ご丁寧に有休消化か。なんとまあ、入念な計画性が見えて、心底腹立たしい。
そこまで思って、思いとどまる。感情に流されてはいけない。これも愛する『弟』シュガーシュガーのためだと、レガロは声に苛立ちの色を抑え、あくまで姉として話を聞く。
『実は、先日例の事件に巻き込まれた被害生徒のひとりの山田くんが
「……え?」
『親よりも先にあなたと話がしたいと今ここに——あ、ちょっと山田くん!』
『佐藤のお姉ちゃん! 佐藤が、佐藤が!』
鬼気迫る声がレガロの耳を穿つ。恐怖の色が電話越しに聞こえて、ああ君は怖ろしいものを見たんだねと慰めたくなった。
レガロ自身も何者かによって数年間軟禁状態にあった過去がある。
子供たちの痛みは、よく知っていた。レガロは、隣にいないシュガーシュガーを想った。
「……君は山田くん? 今からそっち向かうから、それまで待っていてくれるかしら。大丈夫だから、先生にもう一度電話を代わってくれる?」
『……うん』と先ほどよりも少しだけ落ち着きが見える声が電話越しに届く。その後に再び養護教諭の声が聞こえてきた。
「今、小学校の近くにいます。少ししたらそちらに向かいますので、それまで山田くんをお願いしてもよろしいですか?」
『ええ、お待ちしております』
フツリと切れた電話越しの無機質な音に心がざわめく。しかし思わぬ所で手がかりが舞い込んできた。
レガロは次は仕事用の携帯を取り出し、上司である斎条に掛けた。
「——もしもし。……はい。思わぬ所で手がかりが舞い込んできました。なので今から被害生徒に会いに向かいます。……失礼します」
斎条への報告を終えたレガロは、そのまま事件の情報収集を行うために乗ってきていた自家用車に戻り、シュガーシュガーの通う小学校へと急ぎ向かったのだった。