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第9話

 事件が起きた影響か、小学校は声ひとつない静寂の地と化していた。

 校門は施錠されており、『休校』という看板が立っていた。詳細を書いていないのは周辺への混乱を避けるための配慮だろうか。


(そんなもの、すぐに噂が拡がって意味が無くなる)


 レガロはそう切実に思った。配慮なんて無駄。悪い方の噂なんて特に、即効性の毒よりも早く回るのだから。

 それに生徒やその親のネットワークを舐めてはいけない。そのうちにモンスターペアレンツに攻められて終わりかなと想像して、少しだけ張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。


 シュガーシュガーが参観日などを知らせないため、彼の通う小学校の中を初めて歩いたレガロだったが、保健室へはスムーズに向かうことができた。それはきっと、廊下まで響き渡っていた『彼』の落ち着きのない泣き声のおかげだろう。

 保健室の扉を二回ノックしたところで、はいと柔和な女性の言葉が聞こえた。入室の許可を得たレガロは扉をゆっくりと引いていく。


「……失礼します。先ほどご連絡頂いた佐藤です」

「ああ佐藤さん、お待ちしておりました」


 養護教諭らしき白衣の女性が、山田少年と思われる子を慰めていた。その姿が自分の過去と重なって少しだけ息を呑む。

 過去に引っ張られてはいけない。レガロは彼女たちに気づかれないように深呼吸をした。


「あっ、山田くん!」


 養護教諭が慌てた声を出したのでレガロの意識が現実に戻る。瞬間、体に小さな衝撃がぶつかった。山田少年がレガロの体に抱きついたのだ。


「……」


 ぎゅうっと力強くスーツを握られる。そこから恐怖の度合いが嫌というほど伝わり、レガロはいたたまれない気持ちになった。


「……山田くん? よく頑張ったね。怖い思いさせてごめんね?」


 だからレガロはできる限り優しく声をかけた。レガロの声に山田少年が反応する。「ううん」彼は首をふるふると横に振った。


「だって、佐藤のお姉ちゃんのせいじゃねえもん……」

「……! ありがとう」


 レガロは山田少年の気遣いに感謝しつつ、養護教諭に視線を戻す。

 ここからは『仕事』の時間だ。

 胸ポケットから自分の証明書である警察手帳を彼女に見せる。養護教諭は目を見開きレガロを見つめた。


「先生。私は、警視庁の刑事です。きっと山田くんは私のことを弟から聞いていたのでしょう。だから、私を呼んだ」


 山田少年が頷く。


「山田くん。君が帰ってきたとき、砂糖は何を言ってたかな?」

「佐藤さん!」


 レガロが山田少年に事件の当時を聞き出そうとした瞬間、養護教諭が口を開いた。


「山田くんは混乱しています! 不安定なまま事情聴取なんて……せめて彼の心が安定するまでは止めてください」

「時は一刻を争います。今この時も、被害生徒はこの子のように恐怖に怯えている。……山田くんも、早く砂糖たちに会いたいから私を呼んでくれたんだよね」

「うん。……でも」

「でも?」

「佐藤が言ってたんだ。『お姉ちゃん、きっと僕がいなくて悲しい顔してるから。だから、ここから出たら伝えて欲しい。僕は大丈夫だよ』って」


 ……ほんとうにあの方は。レガロは主人の身勝手さに呆れながらも、シュガーシュガーらしいなと笑う。


「……そうだね。砂糖なら、大丈夫。だからどんな事でもいい。君が見てきた物を教えてくれないかな?」

「うん」


 レガロは山田少年から同意を得ると、彼の手を自分の額に持っていき当てた。養護教諭と山田少年は一体何をしているのだろうという顔をしている。

 レガロは人の記憶を覗き込むことができる。それは相手が心を彼女に開かなければ発動することのできない能力だった。レガロはまぶたを閉じて山田少年の心に寄り添うと、どこかで、ポォン……と水が水面に落ちる時の音がした。



 * * *



 小学校を後にしたレガロは携帯を取り出し、早速どこかに電話をかけた。画面に表示されているのは、上司である『斎条』の名前である。


「……お疲れ様です。……、……はい。誘拐事件の真相を見つけました。今から現場に向かいます。あー、そうそう。ひとつお願いがあるんですけど……」


 そこまで話した途端に電話越しに金切り声が響く。「……うるさ」叫ばれることは想像していたが、なかなかの高音にレガロは思わず肩をふるわせた。


「いやいや、いつもお願いしてるようなことじゃなくて。いやだってあれは相手が悪いからこっちも手が出てしま……いつもちゃんと始末書書いてるでしょ⁉ それでいいって言ったの斎条さんですよ‼」


 レガロの反論に、電話越しの斎条がぐぅのねも出ないという声を出す。


「……じゃなくて。救急車とSITの手配を要請します。場所と時間は追って連絡しますので。はい。他は大丈夫です。では、よろしくお願いしますね」


 斎条は電話越しに渋っていた。無理もない。たった一人のヒラ刑事がSITの手配要請をするのは異例であるし、斎条がまた上層部にとやかく言われることは明白であった。

 だが、それでもあらゆる可能性がある以上は駒を用意しておいて損は無いと、レガロは申し訳ないと思うと同時に開き直る。


(約束したんだもの。主人マスターはあたしが絶対に守る)


 権力とは使う物。使わずしてどうするというのか。使えるものは使う。たとえそれが、社会の権力に抗うことになっても。


「人の命がかかってんのよ……そんなのに比べたら、首を切られることくらい、わけないのよ!」


 レガロは携帯を乱暴に胸ポケットに仕舞う。その衝撃で電源が完全に落ち斎条からの再度連絡が届いていたことも知らずに、彼女は単独にて事件現場へと走ったのだった。

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