さて——。
なぜ山田くんだけが解放され、僕と井口さんだけがこの場に残ったか。
理由は簡単だ。今目の前に広がるそれが答えだからだ。
「あーあ……。ダメじゃないか内海山先生。これは……」
うつろな目をした少女たちが床に倒れている。いち、に、……確認できる人数と誘拐事件に関わった数が一致する。しかし、ここにいるのは井口さんを含めて少女たちだけで、僕以外に男子生徒は見当たらなかった。
「……僕が残された理由は……。それも簡単な答えかな?」
内海山先生が微笑んでいる。僕も同じように笑ってみたら先生的にはそれが気に入らなかったらしく、僕は彼女に頬をぶたれた。突然のことに、ひっ、と隣で動けなくなっている井口さんが小さく悲鳴をあげた。
「どうして笑うのかしら? 君も、誘拐事件の人質なのよ?」
「じゃあ、恐怖で震え上がって助けを乞えばいいの?」
「それはそれでつまらないわね」
じゃあどうしろってんだ。
僕は呆れてものが言えなくなった。事実怖くないのだ。この状況が。
きっと僕がただの人間であったなら、井口さんのように恐怖のあまり顔を引きつっていたことだろうけれど。
「……人質ってことは、あの子たちは生きているの?」
「ええ、息はしているわ」
息「は」している。含みのある言い方にちらりと横目に彼女たちを見れば、なるほど、胸部が上下しているのが確認できた。
生きてはいる。けれどそこに生きようという意思が見えない。絶望という闇が彼女たちの心に巣食い、希望を貪り食っているからだろう。
生気が死んでいるとは言い得て妙だった。
「ねえ、どうせ死ぬのなら教えて欲しいんだけど」
これはある種の賭けだった。死ぬつもりなど毛頭なかったけれど、
「ええいいわよ。なにかしら」と内海山先生が言う。
僕は許可をもらい、気になっていたことを訊いてみる。
「あの子たちはどうしてここに連れ去られたの?」
「どうして?」
「一見、特に気になる点が見当たらない。かと言って僕たちと共通点があるようにも見えない」
「……」
内海山先生は少しだけ驚いた様子で僕を見た。僕が言ったことはきっと正しい。僕や山田くん、井口さんがこの場所に連れ去られたのは多分、イレギュラーだ。僕を怪しんで僕だけを捕まえようとした時に、運悪く彼らがいたから一緒に連れてきた。そんなところだろう。
ただ僕たち以前に連れ去られた彼女たちには明確な犯罪の意図が感じられた。
「だから、どうしてかなって、思って」
僕は内海山先生の目を見て話す。彼女は少し考える素振りをして、僕を見返した。
「君、頭がいいのね。……そうよ、君たちとあの子たちには接点は無いわ」
ふと、不敵に笑う彼女の気配に、嫌な予感がした。雨漏りでもしているのだろうか、水滴が闇に落ちていく音が室内に反響する。彼女の足下に広がる雨漏りでできた水たまりに、彼女の姿が——無い。
僕はハッとした。その可能性については深く考えていなかったからだ。
気づいた時、すでに内海山先生がナイフのようなものを僕、ではなく井口さんに向かって振りかざしていた。
危ない! そう思った時には一瞬遅れてしまい、目の前に鮮血が飛び散ることになってしまった。
井口さんは無傷だ。良かった。いやちっとも良くない。ただ僕の注意力が散漫していたのが悪い。左肩がぱっくりと裂けてしまった。力無く、血が流れ続ける。
……まあ、こんなもので死ねるなら、僕は今ここに生きてはいないんけれど。
「あら。首を狙ったはずなのに……。勘がいいのね」
「……お前、
思っていたよりも低い声が僕から出たようで、支えていた井口さんが体を強ばらせたのを感じた。
「ああ、本当に勘がいいの。どうもしていないわ。安心して? 彼女は、生きている」
まだね。そう言って胸に手を当てて内海山が嗤う。
嫌な予感がする。ゆっくりと胸から手を放し、内海山はそのまま僕たち——の背後に人差し指を伸ばす。
「ほら、あそこにいるでしょう?」
少女たちの、中央。指された場所に……本物の内海山先生は横たわっていた。僕は急いで彼女の安否を確認する。首元の脈はあった。だが微弱で、すぐに病院へ連れていかなければ危険な状態であることに変わりはなかった。
「お前は何者だ、どうして彼女を使った!」
「使っただなんて人聞きの悪い! これはあの女が望んだこと!」
「なに……?」
「この女、自分が好いた相手が既婚者だということを知らずに付き合って、妻子がいると裏切られた腹いせに極上の復讐心を燃やしていてね。ちょうど散歩をしていた時に声をかけてやったの」
「だから契約を交わしたのか」
「ああ、とても、とても悲しい目をしていたからねえ」
下等生物にありがちな模範解答に頭痛がする。
そうやって、弱い心に漬け込んで、廃人と化した屍を貪り食うのだ。なんて美しくない
「……先生が世界を悲しんで、復讐のためにお前を使ったことは理解した。けど分からない。小学生に当たりをつけたのはなぜだ」
「理由はふたつあるわ。ひとつ、その相手の子供が小学生だったから。ふたつ、少女の恐怖に滲む顔が美しいから」
「
なるほど。人間は復讐さえ終われば後は逃げることに意識を向けることが大半だと思っているが、下等生物は嬲ることを生きがいとしている傾向があるために被害が増大するのだ。
僕たちを保護してくれている『彼』がそうボヤいていたのだから間違いない。
「…………どこまでも脳が無いな」
「なんですって?」
「行動そのものに知性を感じないって言ったんだよ!」
僕が啖呵をきった瞬間、狙ったかのようなタイミングで天井が
ドゴンと大きな音がして、上を見上げれば、笑う僕の愛しい人魚がいた。
背後にはくっきりとした朱い三日月が僕らを照らしている。暗闇の世界が光に侵食され、ようやくこの場所が廃墟であることが分かった。
「……あれ、動機について色々調べてきたのに、もう自白しちゃったんですか?」
披露する時間が省けちゃった、とのんきな声が空から地へと降りてくる。天井から地面まで約六メートルほどはあるだろうに、落ちてくる彼女は重力を感じさせなかった。
「たった今聞いたよ。突入するなら早くしろレガロ。……でもまあ、よくやった。さすがは僕の可愛いマーメイドだ」
「お褒めに預かり光栄です、マスター」
からかうように笑うレガロだけど、その瞳は安堵に満ちていた。どうやらよっぽど心配させてしまったらしい。
こんなに切羽詰まった状況でも、後日存分に甘やかしてやろうと心に決める僕だった。