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第13話

「……お前、の生き残りか」

「……そうよ。二十年前、君が壊滅させたあの研究所の生き残り、鏡蝙蝠ミラーバットのルカよ」


 憶えていない? と不気味に嗤う(内海山の姿をしたままの)ルカのことは、正直憶えていなかった。だからと言って正直に事実を伝えるのは得策じゃない。今相手の神経を逆撫ですれば、井口さんやレガロの身に危険が及ぶ。


「……おかしいな。あの時、確かにあの場所にいた全員の命は残らず狩り取ったはずなんだけど」

「ええそうね。でも私は死んでいなかったわ。尽きようとしていた私の命を、あの方がすくい上げてくだすったから」


 まるで悦に浸り高揚する顔をして、ルカが熱い吐息をもらす。

 今までたくさんの女を見てきたけれど、これほどまでに気分の悪い笑顔は見たことがなかった。


「世界が変わったわ! まるで地獄から天国に行ったみたいに晴れやかな気持ちよ! マカロンにいた頃よりもうんと幸せな世界が今は広がっているの」


 ルカの視界にすでに僕たちがいないことは明白だった。

 僕は井口さんにレガロを預けて、ルカの前に立つ。ルカの視線が僕に向く。鏡蝙蝠というだけあって、硝子玉のように澄んだ双眸に僕の姿が揺らぎ映った。



 * * *



 マカロンは僕が母国にいた時代、多くの異形が人の手によって犠牲となった実験組織だった。僕もレガロも、ほかの仲間たちもその中に囚われていた。

 あの日レガロを助けたのは気まぐれだったけど、それでも、研究所内を周回した時に見た光景は凄惨で、人間があそこまで非道を働いていたとは思いもしなかった。


 きっとルカも、希少な異形の一族なのだろう。あの研究所はそういった珍しい血族を捕らえては実験を重ねていた。

 そして、ルカの言う『あの方』というのはおそらくその研究チームのリーダーのことだろう。

 今にして思えば、僕があの研究所を壊滅させた日にあの男だけいなかった。


(しくじったな。これじゃあ、虫の息だった子たちが生き残っている可能性が出てきた)


 言い訳に過ぎないかもしれないけれど、それでも、希少な血を悪用する人間などにかける情けなんて僕は持ち合わせていなかった。


 僕は過去を思い出し、やるせない気持ちになりながら目の前のルカを見据える。

 今のこの小さな体でどこまで戦えるだろうか。せめて、誰かの血を少しでも飲むことができたなら——。


 そこでレガロと目が合った。


 彼女が今から何を言い出すのかも目を見れば分かってしまうほど、僕はレガロの思考が瞬時に読めてしまった。


「シュガーシュガー! あたしの……あたしの血を使ってください‼」


 ルカの反転術によって写された傷が、レガロの美しい肌に映えていた。彼女の血の臭いは甘美なもので、吸血鬼としてはまたとないご馳走だ。


「……レガロ。とても嬉しい誘いだけど、僕はお前の血を飲む気はないよ」


 レガロの顔が悲しみに歪む。確かに井口さんの血を飲むことはけれど、レガロの血を飲む気もない。

 いいや、「飲めない」というのが正しいのかもしれない。

 僕を本当の意味で殺せるのはこの世にレガロだけであり、そしてそのことを彼女が知ることはない。


 水銀血を持つ、甘い、愛しい子。


 ふっと彼女に微笑みかけた——瞬間、僕の視界が地が割れ落ちたくらいの衝撃で揺れた。

「シュガーシュガー!」と焦りの滲むレガロの悲鳴が届く。

 ああ、僕は内海山に殴られたのだ、と気がつくのにそう時間はかからなかった。


「げほっ、ごほっ」

他人ひとの前でなにイチャイチャしてるのよ。なに、愛した男に捨てられた、この女への見せしめのつもり?」

「そんなわけないだろ。被害妄想も大概にしなよ」


 口もとのぬるりと付着している血に、僕はゆっくりと舌を伸ばした。鉄臭い。久しぶりの『餌』に僕の胸は高鳴った。

 これは殴られた衝撃で切れてしまった僕の血ではない。レガロのものでも、まして井口さんのものでもない。これは——内海山のものだ。

 僕は笑った。周囲が引くくらいの大きな声で。


「——アハハハハッ!」

「何がおかしいの。気でも狂った?」

「……ああ、つい。嬉しくて笑っちゃった。助かったよ、ありがとう


 ザワザワと僕の周囲の空気が揺れ始める。風などこの場所に届くはずがないのに、風が吹いたように僕の髪が揺れ、地面の砂ぼこりが巻き上げた。

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