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第13話 この痛みの名が分からない


「使えぬな、本当に」


 イフェイオンは百貨店ビルから少し離れた場所にいた。


 モノノケを倒されたのを察したのか、小さく溜息をつきながら手に持っていた水晶のようなものに目を向ける。


 綺麗に透き通った姿などとうに無く、水晶はどろりとした濁った色をしていた。


 それでもかろうじて水晶のような部分もあるそれをポケットに仕舞う。



「まぁ、多少は吸えたか」



 そう呟くとイフェイオンは指を鳴らし、ふわりと風が舞って身体が浮き上がる。


 勢いよいよく風を吹かせて駆けるようにその場を後にした。


   *


 無機質な通路の壁は薄汚れ、ポツポツとまばらにある小さな電灯の明かりでは先が見えない。


 静かな空間に靴音だけが響く。イフェイオンが暗がりを歩いていると足音が二つになった。前から誰かがやってくるのを感じて立ち止まる。



「やぁ、イフェイオン。回収はできたいかい?」



 紫のメッシュが入った黒髪を弄りながら糸目の男は笑みを見せる。


 よれよれの白衣は少し大きいのか袖が長い。けれど、彼は気にしている様子も見せていなかった。


 そんな糸目の男にイフェイオンは、ポケットに仕舞っていた水晶を放り投げた。


 おうっと受け取った男は頬を膨らませる、割れたらどうするんだいと。


 イフェイオンは「受け止めることぐらいできるだろう」と冷たく返した。



「ほんと、乱暴だね君は。そんなんじゃ、モテないよ」


「黙れ、アンデルセン」


「あぁ、そうか君はそうだったね。ごめんごめん」



 アンデルセンと呼ばれた男は口元に手を押さえながら謝る。


 謝ってはいるが、口元はにやついているので本心からではないのは見て取れた。


 苛立つイフェイオンなど気にも留めず、アンデルセンは水晶を眺める。どろりと濁っているそれにうーんと声を零した。



「思った以上には手に入らなかったね、負の感情」


「邪魔が入ったからな」


「天津光ノ民かい? ほんと、面倒だねぇ」



 アンデルセンは「まぁ、これぐらいでも足しにはなるさ」と水晶を白衣のポケットに仕舞う。


 ないよりはマシだからと言って、イフェイオンに近寄る。


 糸目のその表情は読めず、何を考えているのかイフェイオンは彼の言葉を待つしかない。



「何かあったかい?」


「何か?」


「いや、君は分かりやすいからねぇ。何かあったのだろう。例えば、そうだね……気になる子でも見つけたかい?」



 アンデルセンの言葉にイフェイオンは黙る。


 頭に過ったのは天津光が丘学園の生徒である氷を操るアリス、スノードロップだった。


 何故、彼女が過ったのかは分からないがその様子にアンデルセンが糸目を少し開く。



「本当にわかりやすいねぇ……」


「何のことだ」


「別に言わないならいいさ。ボクだけがそう思っておくから」



 どんな子だろうねぇとアンデルセンは糸目を下げる。その視線が気持ち悪く、イフェイオンは顔を顰めた。


 仮面をしているというのに分かるその表情にアンデルセンはくすくすと笑う。


 人の気持ちを読もうとし、神経を逆撫でるその才能は大したものだ。


 イフェイオンは早くこの男から離れたくて仕方なかったが、彼はそうではないようで話しかけてくる。



「ボスがねぇ。もう少し暴れようと言っているんだ。きっと早く完成させたいんだろうねぇ」


「ボスが?」


「あれを完成させるにはもっと負の感情が必要だから。もう少し過激に行こうかって」



 ボスは早く完成させたいみたいだけど焦るのは良くない。そう意見は言っておいたけどどうなるか、アンデルセンは肩を竦める。


 完成を焦って失敗するというのはよくあることだ。そうならないためにも慎重に行動するべきである。


 彼の考えには一理あった、焦って好機を見余るなどあってはならない。


 完成させて壊さなければならない、天津光が丘学園を。


 ずきりと頭が痛み、イフェイオンは額を押さえた。何かが、邪魔をしようとするように沸き起こる。


 記憶なのか、感情なのか、その両方なのか酷い頭痛が襲う。


 痛々しく頭を押さえるイフェイオンにアンデルセンはふむと少し考える素振りをみせた。



「頭痛かい? 大変だねぇ。薬を処方しようか?」


「黙れ、放っておけば治まる……」


「そうかい? でも、無理はよくないよ。戦闘中になったら大変だろう」



 あとで薬を持っていこう、アンデルセンはねっと人差し指を立てる。


 何か言いたげにイフェイオンは見遣るも、彼は表情一つ変えることない。



「君には働いてもらわなきゃならないからねぇ」


「分かっている、そんなこと」


「君には負の感情を集めてくれなきゃならない。学園都市を壊すために」



 この学園都市は全て壊さなければならない、言い聞かせるようにアンデルセンは囁く。


 その言葉を聞くたびにイフェイオンの頭痛は酷くなった。この男の話を聞くなと、従えという二つの心がぶつかり合う。


 酷くなる頭痛に耐えながらイフェイオンはアンデルセンの話を聞く。



「ボスも君には期待しているんだ。お互い頑張ろうじゃないか」


「……分かって、いる」


「そうだよねぇ。分かっているよね。うんうん。だったらもっと頑張ろうね」



 すっとイフェイオンに近寄ってアンデルセンは耳元で囁く。



「もっと、頑張ってもらわないとねぇ。そうしないと……わかるだろう?」



 小さく笑い、アンデルセンはにっと口角を上げた。


 それが癇にさわり、苛立ったように腕を振れば彼は「乱暴だねぇ」と呟いて離れる。



「まぁ、分かっているようだしいいよ。後で薬を持っていくから飲むんだよ」



 そう言ってアンデルセンはすたすたを歩いていくその背を見つめてイフェイオンは痛む蟀谷こめかみを擦った。


 この痛みはなんだ、この苦痛はなんだ。沸き起こる感情は、読み込めない記憶は。


 何度、問いかけても答えた見つからずにそのたびにアンデルセンの言葉が脳を巡る。


 もっと頑張らないとねぇ――だんっと通路の壁を殴る。お前に何が分かるのだ、お前に。


 怒りが湧いて、けれどやり場のないそれを押さえるようにもう一度、壁を殴った。



「言われなくとも、分かっている」



 誰に言われずとも、そんなものは分かっている。やらねばならないことなのだ、これは。


 そのためならば、こんな痛みなどどうということはない。


 自分に言い聞かせてイフェイオンは、頭を押さえながら暗い通路を再び歩き出した。



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