「僕は好きなんだ、スノードロップ」
花言葉の由来になった楽園を追放され悲しむ二人に天使が告げた「もうすぐ春がくるから絶望してはいけない」という言葉。
厳しい冬は必ず終わり、暖かな春が訪れる。それは辛い日々にも何れ終わりがくるという希望を与えてくれた。
「だから、僕は好きなんだ。いつか希望は訪れるって勇気になるから」
ふわりと笑う幼き少年の優しい表情を忘れることができない。それほどに希望を与えてくれたから。
*
慣れたように学生証を機械に通して司令部へと向かう。二重のロックを解除すれば、いつものモニターやコンピューター機器に囲まれた室内が目に入った。
指令席には資料を確認している伊藤司令官の姿があった。いつも被っている軍帽は外して、面倒げに頭を掻いている。
「呼びましたか、伊藤司令官」
「あぁ、来たか」
声をかければ伊藤司令官は資料をデスクに置いてから「任務の話ではない」と先に切り出した。
「言っていなかったが、今日はお前の両親の命日だ」
「私の、両親……」
「そうだ。殉職した二人の」
伊藤司令官は「今まで言わなかったのはお前の気持ちの整理ができるまで待っていた」と訳を話した。
幽璃が六歳の時にアリスだった両親は、ランクAのモノノケとの戦闘で市民を守るために死亡。幼かった幽璃は両親の死と一人になった現実を受け入れられず、心を閉ざしてしまっていた。
「俺は親友に〝自分に何かあれば娘を頼む〟とお前を託されていた。だが、あの時はすぐに引き取ることができなかったのは話しただろう」
「はい。その時期はモノノケが異常活発だったと……」
「そうだ。だが、孤児院に預けられたお前の様子を俺は見に行っていた。覚えているか?」
伊藤司令官の問いに頷けば、彼は「まずは俺に慣れてもらわなければいけなかったからな」と話す。最初は怯えや悲しみが窺えて時間がかかると覚悟をしていたと。
けれど、ある日から少しずつ明るくなっていた。調子がいいのかと問えば、「友達ができたの」と笑顔を向けて教えてくれた。
「お前が探している〝彼〟のおかげで俺に心を開いてくれた。だが、あの事件が起こった」
孤児院がモノノケに襲われたあの事件。両親を亡くした記憶が蘇り、〝彼〟と別れてしまった悲しみが胸を締め付ける。
「お前がアリスとして成長し、両親の話題を出しても問題ないほどに気持ちの整理ができたら命日を伝えようと決めていた」
親の命日が大事というわけではないけれど、知っていてほしいと思ったのだと伊藤司令官は真っ直ぐに見つめる。
両親の命日。たった六年間しか両親と一緒にいなかったけれど、思い出というのは残っている。
優しかった母、悪いことをした時はしっかりと叱る父、二人との温かな日々を忘れることはできない。だから、死を受け入れられなくて発作のように泣いていたのだ。
でも、今は違う。もう決めたのだ、私は〝彼〟を探すと。悲しさと決別し、希望を与えてくれた〝彼〟ともう一度、会って伝えるために。
「大丈夫そうだな。なら、これから墓参りに行こうと思うが一緒に行けるな?」
「はい、お願いします」
辛い過去を思い出すかもしれないが泣きたくなったら泣いていい。伊藤司令官はそう言って幽璃の頭を優しく撫でた。
***
両親の墓は殉職した天津光ノ民のアリスたちが眠る墓地の一角にあった。ひっそりと佇む墓石に花を添えて伊藤司令官は手を合わせている。
天気は曇りで雨は降っていないにしろ、気分はよくない。太陽が出ていないというだけで暗く感じてしまう。
分からなかったけれど、怒りといった感情はなかった。母も父も職務を全うして死んだのだ。市民を命がけで守って、守り抜いて。死への悲しみはあるけれど、二人を誇りに思っている。
「大丈夫か、幽璃」
「大丈夫です。今は彼を探します、確証のない希望であっても」
覚悟の決まっている言葉に伊藤司令官はそれ以上を問うことはしてこなかった。彼なりの気遣いであるのを幽璃は理解している。
こんな自分に付き合ってくれるのは彼だけだろう、見つかる保証のない人物を探すなど。
「だが、紅蓮とウミネコには話しておけ」
「それは……」
「二人はお前のチームメンバーだ。お前が夜の街を歩いていることを知っている」
真司とみうは幽璃が夜の街に出ていることに関して聞いてきたことがあったのだと伊藤司令官は話した。
夜間警戒を任せているとその時は返したけれど、「なら、おれらも一緒にやるべきだ」と真司に言い返されてしまったのだ。
チームメンバーである自分たちが参加していないのはおかしい、幽璃一人で何かあったらどうするのだ。と、詰め寄られて二人を落ち着かせるのに一苦労したらしい。
これが一度だけでなく、何度もあるのだからそろそろ彼らを抑えておくには限界なようだ。
「お前が〝彼〟を探すのを止めることはしない。けれど、その行動でお前を心配するチームメンバーがいることは理解しておけ。もし、それが原因で何かあったら、あの二人がどう行動するか。お前なら想像がつくだろう?」
伊藤司令官に問われて幽璃は考える。もし、自分に何かあれば二人はきっと叱ってくるはずだ。
理由はどうあれ、隠し事をされてそれが原因となれば不満も出る。自分たちは信用できないのかと。
幽璃自身、真司とみうのことは信頼している。共に戦うチームメンバーとして、学友として。
けれど、自分の過去に二人を巻き込みたくはないとも思う。だが、心配はかけたくはない、悲しませたくも。
「お前の覚悟を話してやれ。あの二人なら受け止めてくれるはずだ」
「わかりました」
話さずに問題が起こるよりはいい、聞かれたくないほどもう引きずっているわけでもない。幽璃は時間がある時に話をしようと決めて、墓石へと目を向ける。
眠っている両親の声を聞くことはできない。それでも再会できたような感覚があって、胸の中に溜まっていた感情の一部が溶けたように感じた。
「伊藤司令官」
「なんだ」
「父と親友だったとか」
「そうだな。学生時代からの長い付き合いだ」
「父は親友だから貴方に私を託したのですか?」
気になっていたことがあった、どうして私を引き取ってくれたのか。親友から頼まれたからといって子供を育てるなどできるのかと。
そんな疑問に伊藤司令官は「そうだな」と答える。
「お前の父親とは馬が合ってな。少しばかりお調子者なところもあったが、責任感が強く、誰にも分け隔てなく接していた。友人のために頭を下げることだってできる良い奴だった。そんなあいつは一度だって誰かに何かを頼むことはしなかった」
それは友人たちを信用していないからというわけではない。迷惑をかけたくない、気を遣わせたくはないという優しさと自己犠牲からなるものだ。
弱さを見せて心配をかけたくないというのもあったのだろう。そういう時は素直に頼ってほしいと常々、伊藤司令官は思っていた。
けれど、それが彼の性格だというのも理解していたので、自分が気づいた時には何をいうでもなく手を貸していた。
そんな、弱さを滅多に口にも出さない親友が初めて見せた。結婚し、子供ができた時に。
『オレとあいつに何かあった時は娘を頼む』
天津光ノ民に所属し、前線に出ていた二人はいつモノノケによって命を落とすか分からない。
どんなに危機管理を徹底していたとしても、絶対に死なないという確証はなかった。だから、親友に娘を託すことにしたのだ。
「冗談ではない、真剣な、最初で最後の頼みだとすぐに察したさ」
もうこいつが誰かに頼みごとをすることはない、最初で最後だと。長く付き合っている親友だからこそわかることだった。
半端な気持ちで親友の最初で最後の頼みを聞いたわけではない。伊藤司令官ははっきりと口にする、あいつの覚悟を見たからだと。
「お前を負担になど思ったことはない。同情や仕方ないといった感情で引き取ったわけでもだ」
負担になど思うなら最初から引き取ってはいないと伊藤司令官は笑う。それは本心からの言葉であると伝えているようで、幽璃はなんだか安心できた。
「頑固なところも、決めたら突き進むところもあいつに似ている。慣れているからお前は自由にやればいい」
それは彼なりの応援と激励だ。やるからには、決めたからには覚悟を持ってやり遂げろという。けれど、無茶はするなといった色も含まれていた。
幽璃はその温かさに「はい」と頷いた、絶対に折れることはないと誓うように。