軍用車が置かれている車庫の側に待機室はある。厳つい軍車が並ぶのが窓から見える室内に
天津光ノ民に入隊しているハンターは哨戒任務に出なければならない。それは仮入隊であっても例外ではない。
授業を終えて司令部に顔を出し、待機室で哨戒任務が何処で行われるのかの確認が終わるまで待つ。この待ち時間が些細な休息の時間に、真司とみうと他愛ない会話をするのを好きだった。
「あのさ、幽璃」
「どうかした、みう」
「あのね、言いたくないなら言わなくてもいいんだけど……」
真剣と言うよりは心配といったふうだろうか。何かあったのだろうかとみうを見遣れば、彼女は遠慮げにしながらも「聞きたいことがあるの」と口を開く。
「夜の街を一人で警戒任務してるってどうして?」
その問いに幽璃は黙る。伊藤司令官に言われたことを思い出したのだ、二人が心配しているということを。
みうは「一人は危ないよ」と心配してくれていた。何か事情があるのだろうというのを察している。
だから、言いたくないなら言わなくてもいいと気遣いをしてくれた。そんな様子に幽璃は「わかった」と頷く、覚悟を決めたように。
「伊藤司令官にも言われた。チームメンバーには訳を話せと。だから二人に話そうと思う」
「いいの?」
「隠すことでもないから。これは私が
その言葉に二人は顔を見合わせた。夜の街を一人で警戒するという行動にそれだけの大きな意味があるのかと驚いたふうに。
「孤児院にいた私が伊藤司令官に引き取られるまでに起こった出来事が覚悟を決めさせたの。大した理由でもないかもしれないけど聞いてくれる?」
「当ったり前だろ! しっかり聞くに決まってるじゃねぇかよ」
「そうだよ!」
茶々なんか入れずにちゃんと聞くと二人は真っ直ぐな眼を向けた。幽璃は「じゃあ、話そう」と自分の過去、思い出に救われた話を始めた。
*
十年前、その頃のモノノケは異常活発という現象に陥っていた。ランク度を問わずに活発化し、同時多発していたのだ。
現象の原因を調査している中でランクAのモノノケが暴れ、多数のハンターが犠牲になり――その中に両親もいた。
幽璃は他に身寄りがなかったために、天津光が丘学園が管理している孤児院へと入所することになる。両親が死んだと受け入れる間もなく。
たった一人になって、寂しくて、悲しくて。毎日、部屋の隅で泣いていれば、同室の子供に「うるさい」と「気持ち悪い」と言われてしまう。
行き場がなく孤児院の廊下の奥で過ごしていた。皆が外で遊んでいる時はここが静かで落ち着けたから。
その頃から伊藤司令官が面会に来ていたけれど、両親を知る彼にどうして助けてくれなかったのだという怒りしかなく、会話どころか顔すらも合わせなかった。
毎日毎日、廊下の奥で一人泣いて。もうずっと一人なのだと思いながら。そうして過ごしていたある日のことだ。
『ねぇ』
声がしてゆっくりと顔を上げれば少年が一人立っていた。
『大丈夫、きっと希望はあるから』
そう言われて白い花を差し出されて、手に握られている花を見る。派手でもなく、地味でもない花はひっそりと咲くように儚げで。
不思議と手が伸びて受け取ってしまった。どうしようと花を眺めていれば、少年に両手を握られる。
『スノードロップ。死を象徴する花とか言われているけれど、花言葉が希望の花なんだ』
『希望?』
『うん。あぁ、悪い意味に捉えちゃう人もいるんだけどね。貴方の死を望むとか……でも、僕が伝えたいのはね。花言葉の由来になった楽園を追放され、悲しむ二人に天使が告げた言葉なんだ』
『どんな、言葉?』
『もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよっていう言葉だよ』
冬に終わりがあるように辛い日々にも終わりがくる。今は悲しくて、辛くて寂しいかもしれないけれど、折れないでほしい。きっと希望は訪れる。少年は「僕を信じて」と微笑んだ。
どうして信じられるのだろうか。希望なんてないかもしれないじゃないか、辛い日々が終わることはないかもしれないというのに。
花言葉だけでどうしてと思った。思ったけれど、その優しげで力強い瞳に頷いてしまう――何となくではあるが、信じられるかもしれないと。
それから彼は傍にいれくれるようになった。廊下の奥で泣いていれば頭を撫でてくれて、母と父に会いたいと吐き出すのを聞いてくれて。片時も離れることはなく、ずっと寄り添ってくれた。
一番好きな花がスノードロップだと彼は言う。死を象徴しているという逸話があるけれど、花言葉の由来となった神話の出来事が好きだと。
『どうして私の傍にいてくれるの?』
『僕もキミと同じで父と母はいないから。一人になった悲しみは痛いほど分かる』
たった一人だけになって、悲しくないわけが、辛くないわけがない。他人の気持ちの全てを分かるわけではないけれど、一人になったという痛みは知っている。
だから、放っておけなかったのだと彼は答えてくれた。
『僕がいるから一人じゃないよ』
『なら、私がいるから一人じゃないわ』
だって今は二人なんだものと笑って返せば、彼は瞬きをしてから微笑んで頷いた。
*
「ずっと、そうずっと一緒にいられると思った」
希望に満ちた日々はある日、一瞬にして崩壊した。孤児院がモノノケの襲撃を受けたのだ。建物は崩れ、火の海と化し、子供や職員が逃げまどう。
彼を探した。自分一人だけでは逃げられなくて、必死に探して――
「彼……
泣いていた。それは死への恐怖ではなく、悲しみからの涙。彼の名前を呼んで、手を伸ばしたけれど届かなかった。
『ごめんね、幽璃。キミと一緒にはもういられないんだ』
訳を話してくれなかった。ただ、泣きながらも優しい笑みを見せてくれていた。
『忘れないで。きっと希望は訪れるから』
僕がいなくてもキミなら大丈夫だよ。その言葉と共にびゅんっと風が舞って彼は消えてしまった。
どこにいったのだと追いかけたかった、探したかった。けれど、救助にやってきた天津光ノ民によって保護されてしまって――
「その後すぐに伊藤司令官に私は引き取られたの。引き取られた当初はまた別れを経験してしまったと泣いたのを覚えている」
両親との別れを思い出させて、彼がいない現実が嫌で。
「でも、彼と過ごした日々がいつも胸にあった」
目を瞑れば浮かぶあの安らぎの日々。そこで改めて感じた、彼から希望をもらっていたのだと。
「だから私は決めたの。もう泣かない、彼からもらった希望を胸に前を歩むと。そして、彼とまた会うために強くなるって。もう二度とあんな悲しい顔をさせないために」
どんなことを言われても曲げるつもりも、折れるつもりもない。これが私の戦う理由だ。
幽璃は話し終えて真司とみうを見れば、二人は笑うでもなく、同情するでもなく、ただ真剣に聞いてくれていた。
「スノードロップっていうコードネームって、その男との思い出でつけたのか?」
「分かってくれるかもしれない、この花の名前で私だって」
思い出の花なのだから。たった一言に籠められた想いを察したように二人は頷いた。
「その人が好きなんだね、幽璃は」
「そうね……きっとそうなんだと思う」
思い出の日々に救われて、希望を与えてくれた彼に抱く感情というのはきっと愛だ。誰が見てもそうだろうと幽璃は「初恋を拗らせている」と照れる。
「拗らせてしまっていると自覚してるんだ。相手は私のことなど忘れてるかもしれないのに」
「そんなことない! きっとその人は覚えているはず!」
それだけ傍に居てくれて励ましてくれていたのだから、彼だって覚えているはずだとみうは断言する。
自信満々に言うものだから少しばかり驚いてしまう。どうしてそこまで自信があるのかと聞いてみれば、「だって幽璃が好きになった人だもの」と返された。
「大切な友達が好きなった人なんだから、その彼を信じたくなるじゃない?」
「そういうものかな?」
「そういうものだよ」
私は応援してるとみうはにこっと笑みを浮かべて真司のほうを見遣る。彼はなんとも複雑そうな顔をしていた。
何か悩んでいるようだったので、何かおかしなことをいってしまっただろうかと不安に思っていれば、「あー、くそっ」と真司が頭を乱暴に掻く。
「おれは幽璃の味方だ。だから、お前の覚悟は応援したい」
「ありがとう、真司」
「でも、諦めるのは辛い」
「何がだ?」
「あー、うん。真司、気持ちはちゃんと整理しようね」
くっそうと嘆く真司の様子に首を傾げれば、みうに「気持ちが整理できたら教えてくれるから」と言われて、幽璃はそれ以上のことは突っ込まないでおいた。
「それはそれとして、もう一人で夜の街を歩いちゃだめだからね!」
「だが……」
「あたしも付き合うから絶対に連絡して、わかった?」
「わかったわ」
びしりと注意されて幽璃は頷くしかなかった。一人が危険であるのは間違いないのだから。