「ご主人様は、演技がお下手ですね」
酒場を出て人気のない方向へ向かって歩いていると微塵も酔いを感じさせないメイド姿のバカスライムが言って来ました。
「なにが……?」
「笑えていませんよ」
スライムが足を止めたのか、鎖がジャラッと音を立てて引っ張られ、思わず私も腕から持っていかれそうになります。
「なにが……?」
「ですから、それでお笑いになっていると思っているあたり、ご主人様は縁起がお下手だと申し上げているのです」
無表情のスライム相手に私は何をしているのでしょう?
空いた方の手で、知らずうち、自分の顔を触っていました。
通りに面していた窓ガラスには月明かりの元、今にも泣きそうな私の顔が映り込んでいます。
「嘘、嘘だよ」
「嘘ではございません。ご主人様は、ずっと今にも泣き出しそうにしていらっしゃいます」
鎖が音を立てて近づいて来ます。
スライムの、人の形をしたスライムの腕が、伸びてきます。
「お可哀想に」
「っ……!」
咄嗟に、鎖を引きちぎっていました。
部分的にデッドバイドラゴンスタイルを展開して切り落としたのです。
「ご主人様……」
スライムは酷く寂しそうな顔をしています。
まるで私のことを心配しているみたいに、人間みたいに、同情しているかのように。
「やめてよっ……、やめて!」
何が悲しくてモンスターに同情なんて……!
「モンスターのくせに……!」
冒険者に倒されるためだけに存在しているような生き物のくせに!
そう叫びたかったのですが、思ったよりも言葉は続きませんでした。
目の前のスライムがあまりにも無表情だったのが逆に私を冷静にさせたのかもしれません。
そう、所詮はスライム、モンスターです。
人間とは異なる存在、異なる生き物です。
ダンジョン内の魔素が寄り固まって、誕生させられるダンジョンの寄生虫、ダンジョン内の動く魔素の一種です。
そんなモンスターに何を言ったところで、何を言われたところで、壁に向かって話しているのと同じなのです。
独り、話し相手もいない私は、ずっと誰かとお話がしたかった。お友達になりたかった。
お父さんとお母さんが死んで、優しくしてくれる人は何人かいましたけど、お友達は、結局一人もできませんでした。
あの子とは遊んじゃいけませんだとか、お前のせいで俺の家がなくなったんだとか、色々言われました。
それはいいのです。私が悪いのですから。
でも、だけど、ひとりぼっちは、やっぱり寂しいです。辛いです。
「お父さん、お母さんっ……」
できる限り、口に出さないように心がけていました。
二人のことを思い出してしまったら、どうしたって呼びたくなってしまいます。
二人はいつだってそうやって呼べば「どうした?」と私のことを見てくれました。「どうかしたの?」と笑ってくれました。
私を安心させるために。
心細くないように。
だから私は、二人のことを呼んで、返事が返ってこないことが怖かった。恐ろしかった。
本当に二人がいなくなってしまったのだと、思い知らされてしまうから。
「ご主人様は、やはりお芝居がお下手ですね」
人間のふりをしたモンスターが近づいて来ます。
抑揚のない言葉遣いで、私を気遣うふりをしてきます。
「冒険者などお辞めになっては?」
「私は……!」
何を、言いたいのでしょう。
何を、怒っているのでしょう……?
「私は……、」
私は、冒険者になって、お友達が欲しかった。
お父さんやお母さんのように旅に出て、いろんなダンジョンを、仲間たちと攻略して、笑い合いたかった。
そして、そして――、「二人に……、もう、大丈夫だよって、私は、幸せだから、大丈夫だよって、言ってあげなきゃいけなかったのにっ……」
私は、今日、お墓の前で何をお話ししたんだろう。
もう一度、一人でダンジョンに潜ったこと。
師匠に助けられたこと。
大主人を倒して、スキルを授かって、……スライムに気に入られてしまったこと。
「ご主人様は、泣いてよろしいのだと思われます」
手を伸ばせば触れられる距離に立っているのに、スライムは私に触れようとはして来ません。
私が腕の部分にだけデッドバイドラゴンを纏っているから、警戒しているのかもしれません。
モンスターの考えていることは分かりません。
モンスターの思考回路など、理解不能です。
ですが、「わた、しはっ……、泣いて、なんかっ……」どうしてなのでしょう……?
たかがモンスター。所詮は魔素の塊でしかない相手に、私は今、話しかけてしまうのです。分かってもらえるハズがないのに、分かって、貰えるような気が、してしまうのです……!
「ご主人様」
そっと、スライムの腕が私へと伸びて来ます。
何かされるっ――、そう感じた瞬間、反射的に腕を振り上げてスライムの腕を切り飛ばしていました。
人通りはなく、誰も見ていないのが幸いして騒ぎにはなりません。
ただ、スライムの腕を模していた部分がべちゃりと音を立てて地面に落ち、消滅していきます。
スライムは酷く、寂しい顔をしていました。
酷く、傷ついた顔をしていました。
それでも、スライムは残った方の腕を私の背に回し、抱き寄せます。
「泣いてください。私の体は、吸音性にも優れておりますので」
「っ……、ぁっ…………」
私は、泣きました。
これでもかってぐらいに泣き続けました。
両親のこと。
アルおじさまのこと。
私の、ダンジョン攻略のこと。
いろんなことが頭の中を巡って、ぐちゃぐちゃでした。
気がついた時には、スライムに膝枕をされ、夜空をぼんやり見上げています。
街外れの、丘の上にまで泣きつかれた私をスライムは運んでくれたようです。
「落ち着きましたか」
メイド姿のスライムは静かに私を見下ろします。
「ごめん、なさい……」
なんだか気恥ずかしくなって私はそっぽを向きます。
そっぽを向いたら、顔に髪がかかって、それを冷たい指先が掻き分けます。
「良いのです。私は、ご主人様の愛玩動物なのですから。良きようにお使いください」
「あいがん、て……」
「ちゃんと可愛がってくださいね?」
「……嫌」
「あらあら」
なんだかとても懐かしい感じがします。
とても比較できるものではありませんが、大昔、お父さんと喧嘩した時にお母さんがこうやって膝枕をして、話を聞いてくれた記憶がうっすらと蘇りました。
思い出せば辛くなる。
だから思い出さないように忘れていた。楽しかった頃の思い出です。
「あなた、名前、なんていうの……」
「名前、ですか……」
「モンスターには名前、ない……?」
デッドバイスライムの、スライム。
モンスターに自我がらしきものがあるのは、ここ最近の付き合いでなんとなくわかるようにはなって来ましたが、お互いを名前で呼んでいるような光景は見かけません。
あくまでもデッドバイスライムはデッドバイスライム。
ドラゴンでもドラゴンです。
「そもそも、名前というものは親から頂くものかと。……そう言った意味では私の親はダンジョン、ということになるのですが……」
当然ながらダンジョンに意思はありません。
モンスターパレードはダンジョンの自浄作用。
ダンジョンが一つの生命体という考え方もありますが、それはあくまでもダンジョン研究者たちが唱える説の一つで、実際に潜ってみた感想といたしましては、あまり的を射た説だとは思えません。
ダンジョンはあくまでもダンジョン。
魔素が発生し、溜まりやすい場所というだけで、意思はなく、モンスターパレードも偶発的なものであるように思われます。
だから、このスライムが名前を持っていないと言っても不思議ではありません。むしろそうなんだろうなって思いながらも尋ねた節もあります。
「……じゃ、エメ。エメラルドの、エメって、呼ぶから」
「エメ、で、ございますか……」
「目が、緑色だから……。……嫌……?」
なんだか反応が怖くて顔を見ることができませんでした。
微かに灯りの残る街の方を眺めながら、唇を尖らせます。
どうせモンスターだ。私の気持ちなんて、分かってくれるはずがない。
そんなふうに予防線を張って、拗ねてみます。
ですが、返って来た言葉はその必要のないものでした。
「気に入りました。むしろ、ご主人様に与えてもらったものが気に入らぬはずもないのですが、なるほど、私は本日よりエメです。デッドバイスライムの、エメ」
思わぬ調子に体が跳ね起きあがります。
信じられない答えに思わずスライムを見つめてしまいます。
「私はエメ。ご主人様の専属愛玩動物でございます」
「……メイドで、いい。メイド。メイドの、エメ……」
「はいっ。では、メイドのエメということで」
クスクスとまるで人間みたいに笑うスライムに、私は妙な気持ちで、胸の奥底がくすぐったいような、頬が緩んでしまいそうな、そう言った奇妙な感覚に陥ります。
こういう時、どういうふうにしたらいいのか、師匠からは、教わっていません……。
ですが、ふと、酒場でのアルおじさまのことが思い浮かびました。
「……どうぞよろしく、エメ……」
少し気恥ずかしかったのですが、手を差し出します。
エメは戸惑いながらも残っていた方の腕を私に伸ばし、ぎゅっと手を掴み返してくれます。
「はいっ、ご主人様?」
ひんやりとした手から、エメの気持ちが伝わってくるようで、……エメの手を通して、私の気持ちがエメに伝わっていくかのようで、私は――、私は……、「……エメ……?」「…………はい?」
エメが、目を逸らします。
エメの手が、手の形をした触手が、私の手首に絡みつきます。
なんでしょう。スライムは液体なので基本的に汗をかかないのですが、エメの額に汗が滲み、ダラダラと流れ落ちているような気がします。
「……………」
「……………」
エメは、私の魔力をすごい勢いで吸い上げていました。
それはもう、グングンと。
なんだか腹が立ってブンブンと腕を振り回したらエメの腕はぐにゃんぐにゃんの触手になって、ぶるんぶるん震えます。
「だ、だって、限界だったんですもの……! こ、これ以上魔力供給を絶たれては私は、消滅してしまうと……!」
「騙したな!? 騙したな!? 騙したな!!?」
そうです。
全てはモンスターの生存本能ゆえの行動だったのです。
こんなところで私に見捨てられれば自然消滅してしまうからと、一芝居打ったのです。
「モンスターのくせに芝居が上手いなんて……!」
「芝居などではッ……! 決して……! 決して……!」
必死に弁明しようとしますが、バカスライムはどこか楽しそうです。
知らないうちに腕は鎖に形を変え、じゃらんじゃらんと首に繋がれた鎖が音を立てて上下していました。
「ど、どうぞす、末長く、よろしくお願いいたしますわ……!? ご、ご主人様ぁっ……!?」
鎖に揺られながらバカスライムが叫びます。
鎖を揺らしながら、私は怒鳴ります。
「しる、かー!」
夜の街に、私の声が鳴り響きました。
デッドバイスライムのエメは笑い、あまりにも大きな声が出たことに驚いた私は目を白黒させて誰かに目撃されていないか、周囲を見渡します。
幸いにも誰もいませんでした。
月明かりの照らす中、丘の上には私とスライムの二人きり。
いつか、どうか、そう遠くない未来。
こんな最低な状況は、早く終わらせて、どうかちゃんとした冒険者のお友達と、同じように笑い合いたいと、……私は思ったのでした。
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次章、ヘタルの成長。
スライムの膝枕は風邪の時とかに気持ちいいと思います。(葵依幸)