「ちょ、ちょっと……」
手を握られていたので私はその手を引っ張って止めるように指示しますが、スライムは口を閉ざしません。
「面倒を見ることはできなくとも、代わりの者を派遣したり、それなりの支援をすることだって可能だったはずです。それなのになぜ、ご主人様を放っておかれたのですか? 私自身、ご主人様と知り合ったのは最近ですが、それなりに苦労なさって来たことは聞き及んでおります。……そう、あなたよりかは、ご主人様のことを理解しているつもりです」
「し、してない……! できてない!」
こっそり手を引っ張る程度ではどうにもならなかったので今度は腕を引っ張ってみましたが、鎖がじゃらじゃらなるばかりで効果は皆無でした。
まるでスライムの体がぷるぷると震え、衝撃を吸収してしまうように、メイド姿のスライムはアルおじさまに向かって無礼を働き続けました。
「ご主人様に、利用価値ができたから近づいてきた。……私には、そのように思えてならないのですが」
眼光鋭く、それはモンスターが冒険者に向ける視線そのものでした。
いえ、このスライムはモンスターで、スライムはモンスターなので当たり前なのですけども……!
「だ、だめだって……!」
「ご主人様も、不思議とは思わないのですか? 墓前にも、これまで参られたことはなかったのでは?」
「それは……」
どうなのでしょう……?
私が村に住んでいた間は毎日お墓の手入れはしていましたが、おじさまが訪れたことは一度としてなかったように思われます。
「手厳しいなぁ……。いや、当然と言えば当然か。不審に思われるのも致し方がないというものだ」
おじさまは手に持っていた酒樽を机に置き、通りがかりの給仕係へ水を持ってくるように頼みました。
上機嫌だったのが嘘のように落ち着き払い、何処となく、元気がなくなります。
「墓には、毎年命日に参っていた。……ただ、どうしても顔を見せる気が起きなかっんだ。勇気がなかったと言ってもいいだろうね」
「勇気……?」
一体何の話をしているのか私にはよくわかりませんでした。
わかるのはおじさまが私を見る目が、とても苦しそうなことぐらいです。
「墓前で何をご報告なさったのか、あるいはお誓いになったのかは知りませんが、あなた様がご主人様のことを想っていらっしゃるというのであれば、話しておかれるべきかと愚考いたします」
「なるほど。どおりで君は僕に敵意むき出しだったわけだ。ある程度の事情は察していたということかな?」
「いえ。野生の勘というやつです」
「見た目によらず武闘派なんだね。ヘタルのメイドというよりかは護衛、猟犬といったところかな?」
「ご想像にお任せいたします。ですが、ご主人様に害を加えようとする人間には容赦致しませんのでどうかご理解を」
「……わかった」
アルおじさまは深く息を吐き、運ばれきた水を一気に飲み干すと私を見据えて話し始めます。
「ヘタル。君のご両親、クロウ・ロータスと、ジェリー・ロータスを殺したのは僕だ。僕のせいで、二人は死んだ」
突然、それまで騒がしかった店内が静まり返ったかのような錯覚に襲われました。
きっとそれは私の勘違いで、単純に目の前の人の言葉に吸い寄せられただけなのでしょうけども、それほど私は、衝撃を受けたのです。
「どういう、こと、ですか……?」
怖い、と感じるのはいつものことです。
人の目を見るのが怖いですし、人に見られることも怖いです。
モンスターと戦っている時は怖くありません。でも、モンスターから駆け出しの冒険者さんを助けて、冒険者さんたちから「化け物」と恐れられることは、怖いです。
だから、私にとって怖い、と感じることは結構日常茶飯事で、怖い、は怖いけど、怖くありません。
耳を塞ぎ、目を背けて逃げることができます。
逃げても怖いものは怖いことに変わりませんが、それで痛い思いをすることはありませんでした。
――でも、この時ばかりは、逃げることが出来なかったのです。
怖い、けど、逃げちゃダメな気がする。
駆け出し冒険者さんに「大丈夫ですか?」って声をかける時と同じです。
怖いけど、この先に進まなければ何も変わらない。
そんな気がしたのです。
「あの日、モンスターパレードを鎮圧した二人を、ギルドは休ませる判断をした。娘がダンジョン内で迷子になって、その捜索に出ていたという報告は受けていたし、冒険者にとって疲労は最大の天敵だ。……しかし、ギルドマスターに就任して間もない頃の僕は未熟者でね。力を貸すと言ってくれた二人に、甘えてしまったんだ」
そこから先は私の知る通りの話です。
ファルムンドの街を守るために二人は奮戦し、ドラゴンと相打ちになった。
「ドラゴンにトドメを刺す時だってそうさ。本当なら僕が前衛を張らなきゃ行けなかったのに、クロウは『立場あるものが前に出るんじゃない』とかいってね、軽装備だったくせに矢面に立って、ジェリーはそんな彼を支えるために前線へ出て――……、」
ドンっ、と大きな手がテーブルを打ち、私はビクッと肩が跳ねてしまいます。
「無理矢理にでも引き止めるべきだったんだ……。僕は、かつての戦友に甘えてしまったんだ……」
その時の功績でアルおじ様はギルド本部に異動となり、私への負い目から墓参りする時はいつも夜遅く、月明かりの無いタイミングを見計らって訪れていたそうです。
「その罪滅ぼしにご主人様を召し抱えようとは、虫のいい話ですことで」
「罵りたければ好きなだけ罵ってくれ。それで君の気が晴れるのならね」
「幼女趣味の変態がッ!」
「……いや、君に罵ってくれとは言ってないんだけどね……?」
とても誠実な人だと思いますし、優しい人なのだと思います。
私だったらこの無礼なスライムを一撃で葬っていたでしょう。いい加減にしろ、おバカスライム。
「あひんっ……!」
こっそりスキルを発動させ、指先だけに『猛毒クラゲ・スタイル』をまとわせ、腕から麻痺毒を流し込んであげたらビクっと跳ねて椅子にへたり込みました。
「ど、どうした……!?」
「りゃ、りゃいりょうぶ、でしゅ……。少し、飲みしゅぎ麻痺たぁっ……」
「そ、そうかい……?」
アルおじ様はバカスライムの前に置かれているお酒があまり減っていないことを訝しんでいるようでしたが、事実、メイド姿のバカが「あひあひ」言っているので信じる他ないでしょう。
名誉のために言っておきますが、それほど強い麻痺毒を流し込んだわけではありません。
そもそもデッドバイスライムは毒性の強いスライムです。
自分の毒に負けないよう、それなりの毒耐性は持っているはずなのでそこまで苦しむわけがないのです。
つまりこのバカスライムはわざと毒耐性を弱らせて私が流し込んだ毒を味わったということになります。
「あふぅんっ……」
しをらしくもたれ掛かって来たあたり、確信犯です。
酒場でなければサッと躱して床に倒れ込ませますが、なにぶん私は壁側に座っていたので逃げ場がありません。
不本意ですが肩をかすハメになりました。
黙らすためとはいえ、手加減して毒を使った罰なのでしょうね。
やはり私利私欲のために力は使うものではありません。
神様から与えていただいたギフトであるスキルはモンスターを懲らしめるのではなく、きちんと倒し切るために使わないといけませんよ? ということなのだと思います。
「大丈夫そうかい?」
「はい。心配するだけ、無駄だと思います」
渋々肩を貸したままでアルおじ様に向き直ります。
バカスライムの指先が職種のように私の膝に伸びて来たのでつねっておきました。
痛みは感じないとは思いますが、これ以上調子に乗ったら本気で許しませんよ、という意思表示です。
モンスターは調教できる生き物です。
モンスターテイマーはスキルだけではなく、日々の生活でどちらが上か、どちらがご主人様かを教え込むと読んだことがあります。
私もこのスライムに対し、口先だけのご主人様ではなく、名実ともに私の方が強いのだということを教え込まねばならないのです!
「私、は、……強い、です」
丁度いいのでスライムに伝えるついでにアルおじ様にも伝えておくことにしました。
「ちゃんと、強くなったので、大丈夫、です……」
「恨んでは、いないのかい……?」
「恨むとかは、ちょっとまだ、わかりません……。……でも、私、が、アルおじ様を、殺したいって思ったら、殺せると、思い、ますっ……」
辿々しくはなりますが、これが本心です。
お父さんとお母さんは自分のせいで死んだってアル叔父さまはおっしゃいますが、それもギルドマスターとしての責務を果たしただけの話です。
そんなことを言ったら罪の度合いはきっと私の方が大きいです。
「お父さんと、お母さんは、私を探しにダンジョンに入って、……消耗して、……それで、無理をして、死んでしまいました……。だ、だから、……おじさんのせいじゃ、ない、ですっ……」
「ヘタルちゃん……、君は……」
「おじさんは、悪くない、です……」
「ぐっ……」
目頭を抑え、顔を背けてしまったアル叔父さまを直視し続けようとは思いませんでした。
机の上の美味しそうなご飯に手を伸ばし、久しぶりにまともな料理というものを味わいます。
キノコばかり食べていたので最初の頃は舌がびっくりしましたが、次第に慣れて来ました。
慣れてくると同時に、少しずつ、味がしなくなっていきました。
お父さんと、お母さんは、私が殺したのです。
私が、ダンジョンに潜らなければ、きっとお母さんもお父さんも、スカル・デッド・ドラゴンなんかに負けたりしませんでした。
「今日は、ありがとうございました、……です」
なんだかこれ以上食べることができない気がして、
これ以上、ここにいたくないって思ってしまって、
私は頭を下げると無理矢理バカスライムを押しのけて立ち上がります。
「あぁ……、こちらこそ、ありがとうね」
充血した目でアルおじさまは手を差し出してきます。
ゴツゴツして、傷だらけの手でした。
きっと何度も、何度も何度も、この手でお父さんやお母さんを守ったり、讃え合ったりしたんだろうなって、思います。
「何か困ったことがあれば、必ず連絡してくれ」
「はい」
握手して、お辞儀して、礼儀作法には詳しくはありませんが、それなりにちゃんとできたと思います。
そのまま立ち去ろうとして、――後ろからおじさまの声が飛んできました。
「そういえば、君のお師匠様はなんという方なんだい?」
冒険者であれば必ずギルドに登録する決まりになっています。
きっと私のことが心配で、素性を調べるつもりなのでしょう。
お父さんとお母さんのお友達に、心配させてしまうのはいけないことです。
私はきちんと答えました。
「フリアリーゼ様です。剣聖の」
「ふり、……フリアリーゼ……だと……? し、しかし彼女は確か、ダンジョンに潜って……」
「はい。ダンジョンに潜って、先日、お帰りになりました。またしばらくは旅に出ると、おっしゃっていたので、半年ほどは戻られないかと」
ぽかーんとしばらくの間おじさまは口を開けて固まり、その後、しばらくして軽快に笑い始めました。
はは、ははは! と何がおかしいのか大粒の涙を浮かべながら笑い、そしてお告げになりました。
「これからの君が楽しみだ」
よくわかりません。何が楽しみなのか見当もつきませんが、こういう時、礼儀として否定してはならないと思ったので私はきちんと笑顔を作って頷き返します。
「はい。私もです」
うまく笑うことが出来て、本当に良かったと思います。