『こ、こんな怪文書をプリントするんですか……?』
──それは、私の秘蔵ファイルにこっそり保存してあった〝モラハラ現場〟の画像の中から、ララ様にチョイスされ、さらに文章加工の指示を受けて作成した特製エクセルファイルだった。
そこに写っていたのは、花びらを千切りながら、ニタニタと悦に入っているお局の画像に、コメントを添えたものだ。
──〝告発します。陰湿極まりないモラハラを、僕たちは決して許さない!有志一同より〟
……有志って誰よ?そんな人いるわけないし。しかも男性を装ってるけど、明らかに私が作ったってバレバレじゃない。あまりにもしらじらしいよ?
『しらじらしくていいの。一枚プリントして』
『印刷して……どうするんですか?』
『見たところ、お局はファックスをよく使うわね』
『はい。IT化は進んでるんですけど、お取引先様の事情で、ファックスでのやり取りはまだ結構多いんです』
『いいわね。それなら、廃紙としてトレイに混ぜれば、いずれ彼女の目に入るはずよ』
──つまり、お局だけにこっそり知らしめる作戦、ってこと?
『ファックスの受信用紙を取るときに、裏に気づく──うふふ、見ものねぇ』
……いやいや、そんな挑発めいた行為、めちゃくちゃリスキーだと思う。どんな仕返しが待ってるか想像もつかない。ララ様が言う〝じわりじわり大作戦〟って、一体どんな作戦なの?
『その前に、お考えを聞かせてください』
『単純なことよ。真の敵は絵梨花とお局。この二人さえ倒せば、周りの環境は自然と変わっていくわ』
──まぁ、言われてみればそうかもしれない。
でも……その「倒す」っていうのが、一番難しいのでは?
『まずは宣戦布告することが大事なの。風当たりはきつくなるけど、そのうち花の魅力に跪いた男性陣と一緒に、いびり倒してやるから』
え、えーと……本当にそんなに上手くいくかな?
特に〝私の魅力に跪く〟って部分が、どうにも引っかかるんだけど。
「「「何なのコレ!?アンタこそ陰湿じゃない!」」」
──なんて、逆ギレされる未来が見える気がして、すごく不安だ。
お局は、いわば叩き上げの怖い先輩。
入社以来、優しくされた覚えなんてない。
後輩の絵梨花にくっついてるのは、役員のお嬢様って肩書きと、あのカリスマ性にあやかりたいからだろう。本当は、絵梨花が配属されなければ自分がリーダーだったって、内心では絶対に僻んでいる。
だけど、ズボラで職務遂行能力はイマイチ。
明るく振る舞ってはいるけど、きっと自分の実力をわかっていて、心の中は不安だらけのはずだ。
常にストレスを溜めこんで、それを私にぶつけてくる──。
……やはり、いつかは闘わなきゃいけない相手なのだ。
私は意を決する。
タイミングよく、お局が後輩モブ男子を連れてサボりに出たのを見計らい、プリントしておいた怪文書をファックスのトレイにこっそり仕込む。──もう、後には引けない。
ドキドキしながら、その時を待つことにした。
『ところで花、このフロア、二百人くらい席があるけど……気になる男性はいないの?』
な、何ですか唐突に!?
『どうも、あなたの意識の中に、一人いる気がするのよねぇ』
『ララ様、心を読まないでください!そんなんじゃありませんから!』
『ふーん……結構年上のおじ様ね?』
『無我の境地!』
思考を止めなきゃ、全部読まれてしまう。
別に、好きとか、そういうんじゃない。
あの方には、尊敬というか……。
人と上手く接するのが苦手な私に、あの御方だけは、いつもあたたかい目を向けてくれた。さりげなく励ましてもくれた。
だからこそ、迷惑をかけるようなことだけは、絶対にしたくない。
酷い目に遭っても、この部署に踏みとどまってる理由も、きっとそこにある。
『なるほど、フロアトップの部長さんね』
──いかん。読まれた。
『……はい。先日、海外出張から戻られて、いま休暇中です』
『なーんだ、強い味方がいるじゃない』
『いえ、部長を巻き込まないでください』
『まぁ、状況次第ね。鶴の一声って、めちゃくちゃ大きいから』
なるべく、そんな事態にはならないことを切に願いたい。
『あ、戻ってきたわよ。ずいぶんサボってたわね~、お局』
──いよいよ、その時がやってきた。
私はPC画面を見るフリをしながら、透明なアクリル板越しに、彼女の様子をじっと伺った。
これは、ただの紙切れじゃない。
私からあなたへの、覚悟を問う宣戦布告だ。