ううぅぅっ……。
意識の奥がふっと
『ちょっとだけ、意識を借りるわね』
次の瞬間、腕が勝手に動き出す。筆が紙の上を滑り、墨の香りがふわりと漂う。
手元を見つめながら、私はただ呆然とつぶやいた。
「えっ……今、私、字を書いてるの?」
筆先はまるで生き物のようにしなやかに動き、力強く、それでいて美しい。
それは、確かに私の手で、ララ様が書いていた。
『花、とっても上手だわ。まるで書道家みたい!』
……い、いえいえ、私はただボーッと座っていただけです。
「はぁ、すごい字……」
信じられない。紙の上には、見事な楷書体。
……いや、え、誰これ書いたの?私?違うよね?いや私だよね??
ていうか、この超常現象、なに!?
まさか私、これからララ様に身体どころか脳まで乗っ取られていく感じですか!?いやいやいや、怖すぎるんですけど!
でも待って?ララ様の能力が勝手に使えるってことなら……
それって、自分のスキルに高性能アシスト機能が搭載されたってことでは?
うーん……それはそれで、ありがたいような、怖いような……いや、やっぱり怖いわ。
でも今はとりあえず──宛名書きが片付いたことの方が重要!
……と、そこまで考えたところで、スッと何かが抜けていくような感覚がして、意識がクリアに戻った。
思考が静かになる。妙に静かすぎて、逆に怖い。
まぁ、いいか。とりあえず宛名書きは終わった。終わったんだ。なんだか嬉しい。よし!
『ララ様、さっそく絵梨花に完了メール送ります!』
ふん、これでお局に頭を下げる必要はなくなった。ざまぁみろだ!
敵の思惑を外してやった快感で胸がいっぱいになり、複雑な心境は吹き飛んだ。
そして、小さな反撃が思い浮かぶ。
フロアに戻り、賞状をスキャンしてPDFに変換。絵梨花に送りつけてやるのだ。証拠を見せつけてやる。
──
RE: ご依頼の件
池園さん
宛名書き、完了しました。PDFをご確認ください。
綾坂 花
──
もちろん、東薔薇主任へのBCCも忘れずに。
絵梨花のあの偉そうな命令メール、主任にもぜひ読んでもらいたいところだ。
私は、五メートル先の絵梨花をアクリル板越しにこっそり観察。
彼女がメールを開いた瞬間、顔がピクッと引き攣った。
すぐさまお局を手招きして、二人でPDFをのぞき込んでる……。
あの悔しそうな顔、最高じゃない!?
記念写真に撮って飾りたいくらいだわ!
『してやったわね、花!』
『はい、スッキリしました!』
絵梨花からの返信はなかったけれど、ほどなくして主任からのメールが届いた。BCCで、さりげなく。
──
RE: 謝恩会の準備
池園さん、ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。
東薔薇ハルト
──
RE: 謝恩会の準備
東薔薇様
賞状が完成しました。引き続き、打ち合わせ通り席表の作成を進めます。
各課の世話役からの出欠も揃っておりますので、どうぞご安心ください。
池園絵梨花
──
『うふふ、東薔薇の内通で絵梨花の動きが丸見えになったわね~』
……そこは謎だ。何を考えてるのか不気味ではある。でもまあ、おかげで次の一手が読めるって意味では助かる。
そしてほどなくメールが届く。
──
RE: ご依頼の件
綾坂さん
ホテルの席表を速やかに完成させなさい。参考資料として、席表案を添付しておきます。
池園絵梨花
──
やっぱり来たわね。はいはい、予想通り。
こんなの──楽勝!
添付ファイルを開くと、三十数個の丸テーブルに、総勢二百五十人分の名前がズラリ。
……いや、意外と骨の折れる作業じゃないこれ?でも挫けない。
と思ったら、またあの〝馬鹿女〟からメールが届いた。
──
RE: ご依頼の件
話は変わるけど、今週の業務報告資料もよろしく。どちらも今日中にね。
池園絵梨花
──
「またかっ!なんでもかんでも私に押し付けて!」
さすがに怒りで体が震えた。
でも、ここで黙っていたら負け。
『花、これも上司に送って差し上げなさい』
『もちろん。絵梨花のメールはすべて、しかるべき上司に──BCCで!』
怒りパワーを燃料に、私は猛烈なスピードでタッチタイピング。
もう絵梨花グループのサボりを盗撮してる暇もないくらいに集中する。
まずは、業務報告だ。よし、送信。
毎週完璧な報告資料を作っているのは私。なのに、絵梨花はそれをさも自分の手柄かのように上司に提出しているらしい。ただ転送してるだけのくせに。
上司も上司で、私が作ってるって知らないの?ほんと、信じられない。……でも、そろそろ暴いてやる。
さて、次は席表の仕上げ。
ファイルを眺めていて、ふと気づく。「ゲストテーブル」?購買部の謝恩会なのに、各部署ごとにも席が設けられているみたい。
そして、生産管理部のテーブルに──〝伊集院翔〟の名前が。
「えっ!?翔様も謝恩会に呼ばれてたの!?」