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第8話「あんたってそういうとこあるわよね…」舞と鈴

 戦いのない放課後、私は大抵お店に向かって手伝っている。ミルキーウェイはとくに朝が忙しいけれど、夕方も仕事や学校終わりに買いに来る人が多くて、私だけでなく妹も手伝うことがしばしばあった。

 そんなわけでこの日も私はパン屋の工房に向かい、いそいそとパンを焼き続けていた。オーブン、ミキサー、冷蔵庫、作業台などが設置された空間はおよそ10坪ほど、そこを私やお母さんが忙しく行き来している。ちなみに里奈はレジと袋詰めを担当してくれていて、客入りが落ち着いたら「私もパンを焼きたい」と話していた。

「舞、チョココロネの追加お願いね! お母さんはソーセージドッグを担当するよ!」

「了解、任せて」

 ミルキーウェイは小さなパン屋かもしれないけれど、味についての評判は抜群だ。自分の実家をこのように表現するのは少し驕り高ぶっているようにも聞こえるけれど、お母さんのパンを普段から食べている立場からすると、私はここよりもおいしいパン屋を知らなかった。

 そして私はいつかお母さんと同じくらいおいしいパンを焼くため、このお店を支えるため、そうした気持ちをこねこねするように一次発酵が終わったパン生地の成形を行う。

 チョココロネと言えばあの形、縦長の楕円形が肝だ。金属製のコーンへらせん状に巻き付けて、巻き終わりはとくにしっかり閉じるように形を整える。

 その後は天板に並べてラップをかけ、二次発酵を行ってふっくらしてくるのを待つ。待ち時間のあいだにつや出し用の溶き卵、製菓用のチョコと生クリームを混ぜたチョコクリームを用意しておき、それも終わったら販売スペースを確認して在庫の補充、袋詰めの手伝いもこなした。

(ふう、今日も忙しいな…でも、楽しい…)

 ありがたいことに本日もミルキーウェイは繁盛、親子三人でギリギリ回るくらいには忙しかった。その様子はある種の『戦い』とも表現できて、こうした立ち回りにふとモンスターとの戦いを思い出す。

 ヒーローとしての仕事に一切のやりがいがないとは言わないにせよ、楽しいと感じたことはほとんど…いや、一度もなかったかもしれない。そもそも楽しいと感じることに不謹慎なものすら感じていて、私は案外そういうところは真面目にやっていたのかもしれなかった。

 それに対し、パン屋での慌ただしさは…間違いなく嫌いじゃない、いいや、好きだとすら言えた。

 大好きなお母さんと妹がいて、二人と一緒に働けて…お互いが支え合ってお礼を伝え合う、そんな状況は私の人生において一番充実しているタイミングかもしれなかった。

「ふう、これなら間に合いそう…舞、すっかり腕を上げたね。手際もいいし、ヒーローを引退したらすぐに後を継げそうだよ」

「ううん、まだまだ…今日だって下ごしらえしてくれていたからスムーズにできたし、パンがおいしいのも全部お母さんのおかげだから。里奈も手伝ってくれるから作業に集中できるし、私、やっぱりこの店が大好きだよ」

 普段の私はあんまり感情とかが表に出ないらしく、なにを考えているのか、そもそもなにかに興味があるのかがわかりにくいと言われることもあった。

 でも、そんな私にも好きなものがちゃんとある。たとえば家族と、そしてそんな家族と一緒に作るこのお店。そうしたものに対してはまるで呼吸をするかのように、素直な気持ちを口にできた。

 お母さんにニコニコとした表情を向けられるとくすぐったくはあるし、照れ隠しに頬をかいてしまったりもするんだけど、それでも吐き出した言葉を茶化す気にはなれない。このお店にある存在、それこそが私の世界のすべてだったかもしれない。

「舞は本当にいい子に育ってくれたね…私と違って可愛いし、男の子に声をかけられたりしてないの?」

「ううん、全然…それに私、ヒーローもあるし恋愛に時間なんて割けないよ…」

「そっかぁ…舞には悪いけど、ちょっと安心した。舞は優しいから、変な男に引っかかりそうだし…」

「…姉さんに、男…?」

 客足が少し落ち着いてパンが焼き上がるまでのこの時間、私とお母さんはこうした会話…親子の雑談をすることが多かった。

 家にいるときも言葉は交わすけれど、普段は私もヒーローの仕事があるし、里奈は動画編集とかを手伝ってくれるし、何よりお母さんは朝早いからすぐに眠ることがほとんどだ。それに対して不満はないけれど、ちょっとだけ寂しいと思ってしまうあたり、私もまだまだ子供なのかもしれなかった。

 だから私にとってお店の手伝いは親子のコミュニケーションでもあって、些細な会話ですらも心が弾む…けど、接客が一段落したと思わしき里奈が工房に入ってきたとき、思わず背筋が凍るような声音と視線を向けられて、口から変な音が出そうになった…。

「姉さん、ダメだよ…姉さんみたいな美人で優しくてなんでもできて面倒見がいい人に言い寄ってくる男なんて、どいつもこいつもろくでもない人間に決まってるよ…ちょっとでも心を許したが最後、姉さんは延々とそいつの面倒を見続けて散々に利用されて、最後には捨てられてなにも残らないんだよ…? それに姉さんはヒーローなんだから、男の影をちらつかせると炎上が確定するのもわかってるよね…? 今のご時世、女性ヒーローにそういう匂わせは必要ないの…匂わせるのは私との関係だけにしておこうよ…ね…?」

「い、いや、私、本当にそういうのはないから…というか、お母さんも里奈もなんで私のことをそんなに褒めるの…私、特別可愛いってことないのに」

 里奈の瞳からは光が消えていて、つかつかと私に歩み寄ったかと思ったら肩を掴んで詰め寄ってくる。その力加減は「この小さな手のどこからこんな力が…」と思うほどで、仮にもヒーローである私ですら身の危険を感じた。

 …私の妹だし、もしかしたら里奈にも『ヒーロー因子』があるのだろうか…だとしたら、里奈には戦わせたくないなぁ…。

「ほらほら、里奈は落ち着きなさい…心配しなくても、舞に言い寄ってくるようなヤリ○ンがいたら私たちで『お話し』すればいい話だし、ね? 大丈夫、舞はお父さんを見て育っているから悪い男には引っかからないよ」

「…そ、そうだよね、ごめんなさい…私、姉さんの口から『男』って出てくるだけで心配になっちゃって…」

「えぇ…それ、日常生活が割と大変にならない…?」

 幸いなことに妹の暗黒面はお母さんによって遮られ、私の肩を万力のような力で掴んでいた手も離れていく…けれど、まだ不安だったのか、里奈は私にそっと抱きついてきた。

 まだ中学生ということもあるけれど、里奈は比較的背が小さめなのも手伝ってか、抱きつかれるとその愛らしさが際立つように感じる。だから私に非があるかどうかはさておいても不安にさせたことへの罪悪感が募り、素直に「ごめんね、大丈夫だから」と頭を撫でつつ伝えた。

 …でも、お母さんも割と容赦がないな…むしろ私よりもお母さんのほうが男性に見られていることが多いから心配なのだけど、あの口ぶりだと余計なお世話かもしれない。

「…姉さん、恋愛をするにしても男はやめてね…できれば姉さんを裏切らなくて傷つけない、優しくて強くて高収入な女の人にしてね…」

「えっ…あの、私も女なんだけど…?」

「あはは、舞ったらお堅いね。大丈夫、お母さんは舞が選んだ人ならちゃんと受け入れるから…むしろ、女の人のほうが安心だし」

「二人して私の恋愛志向を決めるのはやめよう?」

 しばらく私へスリスリと身を寄せていた里奈はようやく顔を離し、その表情が幾分か明るくなったことにほっとしていたら…あろうことか、この子は姉に対して明後日の要求をしてきた。

 いやまあ、今時そういうのが珍しくないのは知っているし、いくつかの統計では『女性ヒーローのガチ恋勢には女性の割合が多い』なんて話も聞いたことがある。もしかすると、少数ながらも存在している──と里奈が言っていた──私のファンにも女性がいるのかもしれない。

 ただ、これまで男女問わず恋慕を抱いたことがない私に『恋愛するなら女性にしろ』というのは…私の恋愛的な方向性が定まっていない状況下において、いささか暴力的な要求じゃないかな…?

 挙げ句の果てに、お母さんからも本気とも冗談ともつかない微笑みを浮かべて後押しされてしまったら、私はどうすればいいのだろうか…。

(うーん、私は将来は絶対パン屋になるだろうし、そうなったら一緒にパンを焼いてくれる人がいいけど…あれ? その条件が当てはまる場合、どっちでもいいような気が…いやいや、私まで錯乱しているのか…)

 恋愛も結婚も無縁な立場でありながらも、ふと『一緒になるならどんな人がいいか』と考える。

 そして世界の中心にパン屋がある私としては『一緒にお店を支えてくれる人』という絶対条件があって、『男か女か』というのがそれに並ぶくらい重要なのかと聞かれたら…少なくとも今のところは、どっちでもいいと思ってしまう。

 でもそれは妙な期待を向ける二人によって混乱させられているだけだと思い直し、私は「ほらほら、もうちょっとしたらチョココロネが完成するから持っていってね?」なんて切り上げた。

 焼き上がったコロネは予想通りいい匂いがして、それにチョコクリームを注入していたらきれいさっぱり恋愛については忘れられた。


 *


「いらっしゃいませ…あ、鈴。今日は遅いけど、どうしたの?」

「こんばんは…まあちょっとね、会議…じゃなくて、『慈善活動』みたいなことをしてたのよ。気にしなくていいわ」

「そうなの? 鈴はえらいね」

 ミルキーウェイは基本的に18時クローズで、現在は17時30分くらい、時刻としては夕方であっても来客のタイミングとしては遅いと言えた。

 そしてそんなタイミングに訪れた知り合い、それは鈴だった。今日の放課後には「ちょっと野暮用があるから」と言ってどこかに向かっていたけれど、それが慈善活動だとしたら本当にたいしたもので、私はレシート用紙の補充をしつつ素直に褒められた。

 けれど鈴は「本当に立派なことじゃないから」とだけ話し、トレーとトングを持ってパンの物色を開始する。ほかのお客さんと同様に、鈴もまたトングを持つと同時にカチカチと鳴らしていた。あれ、ついついやってしまうけれど…なぜだろうか。

「あ、チョココロネがある…」

「それ、私が焼いたやつだよ。大部分はお母さんが作ってくれたけれど、今日のは出来がいいと思う」

「ふーん…別にあんたが作ったからってわけじゃないけど、これにしようかしら。いい? 私はチョココロネが好きだからであって、あんたが作ったものが食べたいってわけじゃないから」

「うん、わかってる…でも焼いてからそんなに時間が経ってないし、今日は上手く作れたから、鈴に食べてもらえるのは嬉しいよ」

「…ふ、ふん…そこまで言うのなら、ケル…家族の分も買って帰ろうかしら…」

 カチカチ、トングを鳴らしつつ鈴が最初に見たのは…チョココロネだった。

 何を隠そう、この子はチョココロネが好物だ。初めてここに来た日もチョココロネを選んでいて、それからたまに訪れたときも大抵は買ってくれる。ちなみに売り切れだったときはしょんぼりしていた。子犬みたいで可愛いかもしれない。

 ともあれ、今日は在庫があったので鈴は家族の分も購入するべくトレーに乗せていき、あっという間に売り切れ状態になった。トレーの上にたくさんコロネが並ぶ様子を見る鈴はどこか楽しげで、ほんのちょっとだけ私よりも年上であるようには見えない。

 つり目がちな双眸は一見するときついけれど、知り合いに対しては決して当たりが強いだけでなく、今みたいに家族のことも考えて行動できる優しい光をたたえていた。

「いらっしゃいませ…あれ、鈴ちゃん? 今日も買いに来てくれたの?」

「あ、どうも…ええ、ちょっと今日はお腹が空いてたし、近くに来ていたから…」

 私が鈴の会計を済ませて袋詰めをしていたら、後ろからお母さんが出てくる。すると鈴に対して柔らかく微笑んで見せて、彼女もまたお母さん相手には毒づくわけにもいかないのか、気まずそうではないもののちょっとだけ顔を赤くしてから頭を下げた。

 ちょっぴり口の悪いところもある鈴だけど、無意味に反発するような子でもなくて、とくにお母さんみたいな優しい年上には少しばかり弱い気がする。それを指摘してからかったりすれば怒るから、口には出せないけど。

「そうなんだ…ふふふ、ありがとう。舞、レジ締めはお母さんがやるから鈴ちゃんと少し休憩してきなよ。練習に作ったミニメロンパンも一緒に食べていいから」

「え、いいの? でも、鈴は大丈夫?」

「…ま、まあ、小腹も空いてたし? 今はベンチも空いているから、別にいいけど?」

「そっか…うん、じゃあちょっとだけ一緒に食べようかな。待っててね」

 そして閉店も近いので私がレジ締めの作業をしようとしていたのを知っていたのか、お母さんはそっと手を伸ばしてきて私に休憩を促してくる。正直に言うと、疲れているわけじゃないんだけど…私には友達が少ないこともあってか、鈴がお店に来てくれたときはよくこんな提案をしてくれた。

 幸いなことにうちのパン屋には簡素なベンチが一つ置かれていて、主に常連さんが購入したパンをその場で食べたり、そのままおしゃべりしたりするのに使っている。そんなわけで私は一旦お店の奥に入ってから練習で作ったパンを持ってきて、いそいそと鈴の隣に座った。

「じゃあ、いただきます…鈴もよかったらちょっと食べる?」

「これ、小さなメロンパン? ふーん、練習用としては悪くなさそうだし…いただくわ」

 私がトレーに乗せて持ってきたパン、それは普通のメロンパンの半分以下のサイズ…文字通りのミニメロンパンだ。

 練習として焼かせてもらい、そのまま家に持ち帰って家族で食べる…言わばまかないのようなもので、本当なら人に食べさせるものでもないのだけど。

 鈴にはちょっとおまけする約束もあったし、私は食べてもらえるかどうかは半々くらいの想定で差し出した結果、予想よりもあっさりと受け取ってくれた。

「…うん、普通にメロンパン…だけど、スーパーで売ってるのよりも香ばしい…やるじゃない」

「あはは、ありがとう。焼きたてっていうのもあるけど、実は焦がしバターを使ってみたんだよね。そのおかげかも」

 鈴は料理上手なのでよく家族のためにご飯を作っているから、料理の評価については結構シビアだと思う。だから少しだけはらはらしつつ感想を待ってみると、ほんのりと頬を緩めて褒めてくれた。

 このリアクションもぶっきらぼうに見えるけれど、ある程度付き合いのある私からするとかなり前向きな褒め言葉であるのがわかって、こちらもゆっくりと表情から力が抜ける。そしてもう一つ勧めてみるとあっさり受け取ってくれて、それから少しのあいだは無言でお互い食べ続けていた。

 パンの香りに包まれて食べるメロンパンは、普段よりもおいしい気がした。

「…ねえ、私のいいところってなんだと思う?」

「は? いきなりなによ?」

「あ、いや…えっと、ほら…将来、面接を受けるときの自己PRの参考に聞きたいっていうか…」

「あんた、このお店を継ぐから面接なんて受けないんじゃないの?」

「…そうだった…」

 メロンパンの香ばしさは口までも軽やかにしてしまったのか、私は今も頭を悩ませていること…自己評価シートの内容について、鈴にまでも相談してしまう。

 もちろん私がヒーローであることは誰にも言えないのだから、本当のことは伝えられない。かといって吐き出した言葉は肺の向こう側には戻せないため、私は咄嗟に言い訳をしたら…無慈悲なまでの正論を突きつけられた。

 進学もする予定がないし、今後の私の人生で面接を受ける機会なんてなさそうで…もしかしなくても鈴って、家族以外だと一番私のことを理解しているのだろうか。

「…質問の意図はわからないけど、まあ…あんたも『あいつ』も人に迷惑をかけない、気を使い過ぎるいい奴…だと思うわよ…」

「…人に迷惑をかけない…うーん…」

 それは多分、悪い評価じゃないだろう。少なくとも迷惑をかける人間よりも、ずっと。

 けれど、つい最近別の人にも同じことを言われたわけで、となるとやっぱり『私は地味で無害なヒーローです』ってなるわけで…うーん、やはりこれでいくしかないのだろうか?

「言っておくけど、『私は地味で無害です』なんて書かないようにね。謙遜は悪いことじゃないけど、いきすぎると自虐になるもの」

「……あはははは、やだなー、そんなことかくわけないでしょー」

「そういうのはこっちを見ながら言いなさいよ! もう、なんで私の周りは『こういうの』ばっかり…」

 …などと思っていたら、鈴はこれまた私を見透かしたようなことを言ってきて。思わず目を逸らし、棒読みで白々しく返事をするしかなかった。

 それからパンを食べ終えるまでは小さな討論会を行い、結局結論は出ず、最後に鈴は「覚えてなさいよ!」なんてどこかで聞いたことがあるようなことを吐き捨てて帰って行った。

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