(なんとか間に合った…さて、少しでも手伝わないと)
真糸市は解放空間が多いことも手伝ってか、近年になって『モンスターの出現頻度が多めでヒーローが活躍しやすいエリア』として注目を集めているらしい。それは裏を返せば危険と隣り合わせとも表現できて、こうした要素もじっくりと衰退を続ける要因と危惧されていた。
それでもヒーロー社会となった日本においては『モンスターが出やすいならそれも利用すべきだ』という口には出しにくい提案があるのも事実で、『真糸市はヒーローを必要としています』とか『多くのヒーローが活躍する真糸市』といったように、遠回しにヒーローへアピールしつつ町おこしを図っているらしい。
もちろん地元民である私からすれば好ましいことじゃないし、そうした方針をおおっぴらにすれば反発が生まれることも知っているから、今のところは節度のあるアピールになっていたけれど…それもいつまで維持できるか、ヒーローの立場から考えるのはなかなかに不思議な気持ちだった。
ちなみにこの日もモンスターが出没していたので、出現場所にやや近かった商店街には一時的な避難が命じられている。けれども、モンスターの討伐が完了してさほど時間も経過していないのにいつも通りの活気が戻っているように、花糸地区で暮らす人たちはすっかりこの生活に順応していた。
そして私はヒーローとしての仕事が早く終わったのでパン屋に直行、若干営業時間を変更したお店を手伝うことにしたのだ。本来であればそろそろ店じまいの準備をするタイミングだけれど、この商店街ではモンスター予報にあわせて営業時間をずらすのは日常茶飯事だった。
ましてや私たちのお店はパン屋、日々の食事を提供するお店でもある。お母さんもその辺は織り込み済なので、すでにお店に入ってせわしなく品出しをしていた。
「お母さん、ただいま。準備手伝うよ」
「舞、ありがとう…でも本当に大丈夫? 戦いのあとなんだから、お母さん一人でもなんとかなるよ?」
「ううん、私がこうしたいから…それに今日はお客さんもそんなに多くないだろうし、空き時間で提出書類を書いてもいい?」
「もちろんいいけど…無理はしないでね? お母さんは戦えないけど、そのぶん舞を支えてあげたいから」
「…ふふ、ありがとうお母さん。私も同じ気持ちだよ」
私も着替えて品出しをしつつ、お母さんの顔を見る。私はお母さんにそっくりとよく言われるけれど、そんなお母さんは今も二十代に間違われるほど若々しく見えるから、もしかしたら私の容姿が時々褒められるのはそんな血を受け継いでいるからなのかもしれない。
でも、お母さんは見た目だけじゃない。私たちを何よりも大切にしてくれて、いつも楽しそうにパンを焼いて、食べた人たちを笑顔にして…それは「モンスターがたくさん出て稼ぎやすいから」とこの街に寄りつくヒーローたちよりも、よっぽど『ヒーロー』らしいと思えた。
そんなもっとも身近なヒーローを支えるべく、今日も今日とて戦闘よりも気合いを入れてパン屋の仕事に励んだ。
*
(ええと、『シンプルなスタイルで戦うことで消耗を抑え、なおかつ周囲への被害を出さない人と環境に優しいヒーロー』…こんなものでいいかな…?)
予想通り、本日は避難から戻ってきた人たちが中心の客入りとなっていて、さほど忙しくもなくピークを終えられた。すでにお店の中にあるパンの数は少数、お母さんはパン作りだけでなくこういう在庫管理も上手だ。
なので私はレジ締めもほとんど終えて、今は営業時間終了を待ちつつその空白の時間で書類を仕上げようとしていた。お母さんは仕込みの真っ最中で、店が閉まったら私も手伝うつもりだ。
ちなみに里奈は事前の連絡通り家に戻っていて、私たちの代わりに家事を済ませてくれている。本当ならお店を手伝いたかったらしいけど、避難場所の都合で時間がかかりそうだったから、お母さんがお願いしたらすぐに聞き入れてくれた。
私は鈴との相談のおかげでようやく書類も完成しそうになり、自分たちの家族が本当にお互いを思っていることを噛み締めつつ、今はお客さんがいないので緩む口元を隠さず笑みをこぼす。お父さんが出て行ってもそんなにつらいとは思えないのは、こんなにも素敵な家族が残っているからなんだろうな。
(…そんな大切な人こそが、私にとってのヒーロー…『尊敬するヒーロー』についてはこれでいいよね)
今もニマニマとする表情のまま書類に向き合い続け、私は記入項目の一つをまたやっつけるべく、自分の中にある尊敬の形をこねこねとする。こう見えてもパンをこねることに関してはそこそこ上達してきたので、幸いなことに自分の中のヒーローはすぐに明確な姿を作り上げていた。
それはいつも私を支えてくれて、笑顔で待ってくれている人たち…お母さんに里奈。どちらもモンスターと戦うことはないのだけど、それでも。
私にとって胸を張れるほど立派なヒーローは、この二人をおいてほかにいなかったのだ。
…あと。私はほかのヒーローの動画に興味がないため、そういう人たちの中から尊敬する人を見つけることはできないのもあるけれど。
「? はーい、まだ営業はしてて……え?」
尊敬するヒーローについて書き終えた直後、お店のドアがコンコンと音を立てる。一応はまだOPENの看板を掛けてあったのだけど、すでに暗くなっていたので見えなかったのだろうか?
あるいはドアを開けられない事情…手を怪我している可能性も考慮して、私がドアを開いたら。
「こんばんは。お腹が空いた、ので。パンを、ください」
…今となってはそこそこ顔見知りになったサイボーグこと、シャテルロが開かれたドアの向こうに立っていた。
うちのパン屋に来てくれる人たちは近くに住んでいる人が多いので、初見の存在であれば目立つこともある。けれど、近未来を感じさせるゴーグル、黒とグレーを基調にしたバトルスーツ、それを所々保護しているアーマープレート…その姿はこれまで訪れたお客さんのどれとも大きく異なっていて、異彩を放つとすら表現できるレベルだった。
というか、サイボーグの来店自体が初めてなんだけど…。
「…えっと…残り少ないけれど、まだパンはあるから…好きなのを取ってもらえると…」
「うん。でも、この格好だと、お店、入れない、から。財布を渡すので、おすすめのを、見繕ってほしい。です」
「…あー…うん、そうですね…個数の指定は…」
「じゃあ、5つ。食べきれない分は、持って帰って、主に…上司と、食べます」
「あっはい…」
夏に雪が降ってきたような混乱に包まれつつも、私はパン屋の店員としてすべきこと…接客を行う。面識はあるのだけど、それは私がブレッド・ノヴァをしているときの話なので、ギリギリで失礼ではなさそうな敬語で応じた。
うちのお店は基本的に自分で欲しいパンを取ってもらう形式だけど、よくよく見ると彼女の武装…サイ・アームは折りたたまれているもののその高さは2.5mほどはありそうで、うちのお店のドアをくぐり抜けるのは難しそうだった。仮にくぐり抜けられたとしても、この装備のままでは動くたびにいろんなところにぶつかりそうだった。
(…シャテルロ、そういうところは結構気を使ってくれるんだな…)
シャテルロから財布──まさかのがま口だった──を受け取り、私は残っているパンの中からおすすめを見繕いながら、今も入り口で佇んでいるシャテルロのことを考える。
彼女は銃火器を使う都合上、どうしても広範囲にダメージを与える戦い方が多い。それは私と違って対多数にも優れていることを意味している一方、どうしても周辺に被害を出しやすいので、『サイボーグは環境負荷の大きなヒーロー』なんて揶揄されることもあった。
なので言い方は悪いのだけど、割と大雑把な性格というか立ち振る舞いを予想していた…ものの、彼女はきちんとお店への負担を考え、そして私を急かすわけでもなく、お行儀よく外で待ち続けている様子は大柄な装備とは対極の繊細さを放っている。
(…よくよく考えると、人が暮らす場所に近いとミサイルとかは使わないっぽいし、少し先入観を持ちすぎていたのかもしれないな…)
私は選んだパンを袋詰めし、そして財布から購入代金をきっかり受け取る。がま口というなんともレトロな形式だけど、カード入れがあったり素材がアウトドアで見られそうなナイロンだったり、案外実用的な財布かもしれなかった。
そしてパンを渡すときは自分の中の偏見とも言える考え方を戒めつつ、謝罪する代わりに笑顔を浮かべてパンと財布を渡した。
「お待たせしました、本日のおすすめです。レシートも入れているから、あとでチェックしてください」
「ありがとう…それで、悪いけど。お腹が減りすぎて操縦が難しい、から。ここで食べても、いい?」
「ええっと、私はかまいませんけど…もしもお客さんが来たら、少しだけ避けてもらえると」
「大丈夫、です。じゃあ、いただきます」
サイボーグの装備って、本人のエネルギーも使うのかな?
シャテルロの言葉に新たな疑問を浮かべつつ私が大丈夫である旨を伝えると、早速入り口からわずかに右側へと移動する。その際は足を覆うアーマーに内蔵されたローラーが駆動したのか、ウィーンという音とともに水平移動を行っていた。
「…おいしい。私は、お米派、だけど。このパンは食べ応えがあって、嬉しい」
「ああ、それはうちの人気商品の一つ、ソーセージドッグですね。なるべく皮をパリッとさせるようにして、それでいてマスタードとケチャップでしっかりした味わいだから、男性にも喜ばれてますよ」
「そう、なんだ。こんなふうにパン屋で食べること、あんまり、なかったから。これからは、もっと食べたい。です」
「…ふふ、ありがとうございます。あ、ちょっと待っててもらえますか?」
シャテルロはごそごそと袋からパン…ソーセージドッグを取り出し、もきゅもきゅと口にし始めた。ゴーグルで覆われている目元からは感情の判別ができず、その言葉も抑揚がなかったけれど。
その『おいしい』という言葉にはたしかな温度が含まれている気がして、今も背中に背負われている武装ユニットとは正反対の人間らしさにあふれている気がした。そしてパンを褒められて嬉しくなってしまった私はこの戦闘終わりのサイボーグをねぎらいたくなったのか、あるいはリピーターになってもらいたいのか、少しだけサービスすることにした。
お店に入り、紙コップを取り出す。そしてそこにインスタントの紅茶を入れたらシャテルロのところへ戻り、接客中のように微笑んでお茶を差し出した。
「これ、よかったらどうぞ。多分モンスターとの戦いの帰りですよね?」
「ありがとう。うん、今日は、結構な離れたところにも出たから。空を飛べる私が向かって、殲滅してきた」
「そうなんですね…ありがとうございます、私たちのために戦ってくれて」
私たちヒーローは事前の予報とリアルタイムの通知に従い、近くにいる人が迎撃に向かうのが基本となっていた。ヒーローにスイッチングしておけば高速移動もできるけれど、さすがにシャテルロのように空を飛ぶことはできず、そういった面では飛行が当たり前にできるサイボーグに強みがあった。
それでも物理的な距離が離れているほど移動の負担も大きいわけで、ここまでお腹を空かせて補給を必要とするくらいには疲れているのだから、ちょっとくらいねぎらってもいいだろう。
私とは大きく戦い方が異なるとはいえ、モンスターに対処するための苦労はわかっているつもりだ。だから、私くらいは…なんて似合わないことを考えていた。
「…でも、この武装は、エネルギーをよく使うから。だから、今日みたいに、ガス欠になることもある。私は、もっと、サイボーグたちのために、頑張らないと、いけないのに。だから、お礼を言われるほどのこと、できてないです」
「…あの、私はサイボーグがどれくらい大変なのか、わからないんですけど」
私から受け取った紅茶を口に含み、ゴーグル越しに夜空を見上げる。やっぱり表情は窺えなかったけれど、元々抑揚のなかった声のトーンがわずかに沈んだように聞こえた。
私たちは同じヒーローだけど、違うところがたくさんある。戦う目的だって人それぞれで、時にはヒーロー同士で諍いが起こるように、正義の味方であっても『求めている正義』は違うのだろう。
「だけど…あなたはなるべく被害を拡大したくないって考えているように見えますし、ほかのヒーローと戦うときも巻き込まないようにしています。だから、その…あなたみたいなサイボーグがいるって知ったら、きっとみんなも捉え方が変わるって思いますよ」
シャテルロは人がいないところなら躊躇なくミサイルを撃ち込むけれど、それでも人間の生活圏内なら自重しているみたいだし、何よりほかのヒーローがいるときは注意喚起だってしている…まあそれは当たり前のことかもしれないのだけど。
それでも、思うのだ。人々の迷惑を顧みないヒーローだって増えてきた中、被害を広げやすい武器を使いつつも周囲に配慮して、誰よりも早く敵を殲滅している…そんなこの子は、悪い子じゃないって信じられた。
…こんなふうに自分のことも分析して評価できるのなら、あんな書類に苦戦することもなかったんだろうな。
私は他人にあまり関心がないと思っていたけれど、それ以上に自分に対して無関心なのかもしれない。
「…ありがとう。パンとお茶、とってもおいしかったです。また、来てもいい?」
「ええ、もちろん…ただ、そのときは装備を外してくれたら、もっとゆっくり選んでもらえると思いますけど」
「それは、難しい。外して置いていると、誰かに取られるかも、しれないから」
「…でもそれ、すごく重そうですけど。盗まれる心配ってあるんですか?」
「…それでは、ありがとう、ございました」
シャテルロの装備はどう見ても軽そうではないし、自転車と違ってすぐに盗まれるようなことはなさそうだけど。
それを突っ込んでみたらシャテルロはぷいっと顔を逸らし、武装ユニットの飛行機能をオンにして飛び去っていった。もしかしなくても、彼女はそこまで考えていなかったのだろうか。
「…うちのパン屋はサイボーグ御用達です…うーん、案外いい宣伝になるのかな…」
夜空に青白い光芒を残しながら消えていったシャテルロの言葉を思い出し、私は一人で苦笑しながらそんなことをつぶやく。
それでも「一回来てくれただけじゃ気が早いか…」なんて考え直し、次に来てくれたときにまた考えようと店じまいを再開した。