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第12話「いつかコラボしたいな〜…必殺技は、うん…」舞と日奈子

「むぅわぁいちゅわぁ〜〜〜ん、どこへ行こうというのかね〜?」

「いや、学校も終わったしパン屋の手伝いへ行くんだけど…そのねっとりした呼び方はなに…?」

 いよいよヒーロー安全推進協会への出頭が間近に迫った日、私は焦りを覚えて自宅に戻る…わけではなく。

 私を悩ませていた書類については記入も終えており、今日はモンスター予報も平和っぽかったので、心置きなくパン屋の手伝いができると内心でウキウキしながら放課後を迎えたら、溶けかけたキャラメルのようなねちゃっとした声で名前を呼ばれた。

 それに振り向く前に柔らかな感触が背中に押し当てられて、同時に甘ったるい香りが私を包む。つまりは女子生徒に抱きつかれたことを意味していて、もしも今がヒーロー状態であれば引っ付かれる直前にカウンターをしていたかもしれない。スイッチングしていない場合、私はただの女子高生でしかないのだ。

 なお、こんなバグった距離感のアクションをしでかしてくる人は一人しか思い当たらなくて、私は椅子に座ったままため息交じりでその人…新井さんに返事をした。

「んふーっ、聞いたよ見たよ知ってしまったよ〜? あたしという推しをそっちのけにして、乃亜ちゃんをパン屋に連れ込んでおデートだなんて…浮気は男のかいしょーなんて言うけどさ、あたしはそこまで心が広くないんだよね〜」

「その日は新井さんと鈴に『江田さんとパン屋に行く』って普通に教えたし、浮気もなにも私たちの関係ってただの友だ…クラスメイトでしょ? あと私は女なんだけど?」

「ちょっと舞ちゃん、なんで友達から微妙にランクダウンさせたの!? もしかして男の子扱いされたことへの当てつけかな!? でも舞ちゃんがイケメンオーラを出してるのが悪いんだからね!」

「なにこの当たり屋みたいな絡まれ方…」

 新井さんは私にぎゅっと抱きついたまま、耳元で高く煌びやかな声で抗議してくる。しかしその内容に一切の非を感じられなかった私はすげなく返答して立ち上がろうとしたけれど、新井さんの無駄に大きな『ダブルメロンパン』を押しつけられているせいか、なかなかに足が重く感じた。

 …本当にでかいな。男子とかはちらちら見ていることも多いんだけど、まあこのサイズなら止むなしって気がする。私相手ならいいけれど、男の子にもこんな距離感で接していたとしたらかなり危うい。

 もちろん私は女なので、そんな悩ましい気持ちになるはずもない。ただ、香水でもつけているのか新井さんからは妙なまでに甘々しい匂いが漂ってきて、それが私の思考力をちょっぴり阻害しているのか、全力で押しのけようとするモチベーションが生まれなかった。

「あたしたちさぁ、高校に入ってからの付き合いじゃない? だからさぁ、鈴ちゃんに比べて交流が少ないでしょ? それで乃亜ちゃんともデートを済ませちゃったしさぁ、あたしって舞ちゃんからの扱いが雑な気がするんだよねぇ?」

「ものすごい言いがかりなんだけど…鈴とだってこんなにベタベタしてきたわけじゃないし、江田さんとのあれもデートじゃないよ…甘えたいならさ、鈴のほうがいいと思うよ? 鈴は私と違って包容力があるし、面倒見もいいからなんだかんだで甘やかしてくれると思うけど」

「包容力の塊みたいな女の子がなんか言ってる! というか鈴ちゃんだって舞ちゃんが相手だからあんなふうにデレてるけど、あたし相手だと『こんな甘ったれ、修正してあげるわ!』ってビンタされるのがオチだよ! 日奈子ちゃんはクールだからね、甘えられる相手をきちんと見定めているの!」

「まるで節穴だぁ…」

 無理に突き飛ばす気にはなれなくとも、早くパン屋に行きたいという気持ちは醗酵が終わったパン生地のように膨れ上がっている。

 だから私はヒーローをしているときに正拳突きを放つように、両足に力を込めて今度こそ立ち上がる。すると新井さんはまだ甘えたりないようで、歩き出した私に引きずられるように抱きついたままだった。

 その様子はちょっと可愛い…と言えなくもなかったりするかもしれないのだけど、明らかに相手を間違えている。と言うか、私の普段の態度のどこに包容力を見いだしたというのか…。

 新井さん、もしかして親に甘えられていないのだろうか?

「…それとね。あたし、なんだか舞ちゃんは…特別? 別枠? スペシャル? そんなものを感じちゃうんだよねぇ。ねねね、やっぱりどこかであたしと会ったことがある? 実はあたしたちは知らない場所で、それどころか別の世界でもうんめー的な出会いを果たしていてさ、惹かれ合う宿命の元にあるみたいな? ほら、『美少女同士は惹かれ合う』っていうし!」

「漫画やアニメの見すぎじゃない? あと私は美少女じゃないから、これで気のせいが確定したね。じゃあ私、パン屋の手伝いがあるから…」

「もおおお、舞ちゃんはあたしのアイドル…ニューアイドルとしての勘を軽視しすぎ! それにイケメン美少女たるものそれを自覚して、今は『じゃあ日奈子も私のパン屋においでよ、可愛がってあげるから』って言うところでしょ? でしょ!」

「今日の新井さん、いつもの10倍はうざ…うっとうし…面倒だなぁ…じゃあ一緒に行こうか…」

「女の子を傷つける本音なんて隠そ? それはそれとして、舞ちゃんとのパン屋デートやったね☆ この小説のメインヒロインはあたし、はっきりわかんだね♡」

「ちょっとなに言ってるかわかんないね…」

 新井さんと親御さんの関係、それははっきりとはしていない。というかこの子の異常なまでのポジティブさを考慮すると、むしろ散々に可愛がられているほうが自然だ。

 それでも家族仲が──自分で言うのもなんだけど──良好な私としては、新井さんが何らかの理由で甘えられていない可能性を思い浮かべた時点で、どうしても突き放す気にはなれなかった。

 どれだけ関係が良好でも、親に甘えられない人だっている…この前の江田さんとの会話で、私はそれを知ってしまったから。

 だから私は今も抱きついたまま離れない新井さんに対して口からは毒を吐き出しつつ、ずるずると重みを感じつつもそのまま歩き続けた。ちなみに私たちの姿を見た女子からは「星川さんと新井さんがいちゃついてる…」とか「舞ちゃんの本命って鈴ちゃんじゃないの!? 解釈違いだよっ…!」なんてはやし立てられて、私は自分の甘さに若干後悔しつつパン屋に向かった。


 *


「うーん、舞ちゃんの焼いたパンはおいしいね! 愛妻弁当ってやつー?」

「お母さんが焼いたパンも混じってるけどね…でも、パンが褒められるのは嬉しいよ」

「舞ちゃんのお母さん…あたしのお義母さんもパンを焼くのが上手だよね! うーん、本当はもっと通いたいんだけどな〜」

「私のお母さんでいいからね? なんで言い直したの?」

 新井さんを引きずるようにしてパン屋に向かうと、予想通りお母さんはにっこりと笑って迎えてくれた。お母さんは普段からお店を手伝う私に「友達と遊ぶ時間も減らしてしまって申し訳ない」と思っているのか、こうして友達…クラスメイトを連れてきたときは毎回嬉しそうにしてくれる。

 そんなわけで私が最低限の手伝いを開始して早々に「今はそんなに忙しくないし、あとで里奈も来てくれるから、新井さんとおしゃべりしてていいよ」なんて送り出してくれて、店内のベンチで会話しつつ二人でパンを食べていた。

 ちなみに今新井さんが食べているのはメロンパン、ミルキーウェイの人気商品の一つである『スター・メロン』だ。こちらはその名前の通りほのかに星形を思わせる形に焼き上げていて、表面のクッキー生地には天の川を思わせるパウダーシュガーのラインが走っている。

 言うまでもなくきれいな形に整えるのは難しく、パンごとに微妙な違いがあって、中でもきれいな焼き上がりはお母さんがメインで担当したものだ。今新井さんが頬張っているのもお母さんお手製で、それが褒められることは素直に嬉しかった。

 …これで余計な茶々がなければ、もっと素直に応じれるような気がする。

「そういえばさ、舞ちゃんはこの子…ほら、フェリシアちゃんについて知ってる?」

「あ、この人…うん、知ってるよ。『実は人間にそっくりなモンスター』みたいに言われてるけど、本人が否定してるよね」


『どーもー、あなたの夢枕に立つ愛猫、見た目は可愛い猫ちゃん、でもゲーミングはガチ勢、“枕野フェリシア”ですよ〜…ふわぁ…』


 パンをもぐもぐとしつつ新井さんは自分の携帯端末──日本で人気の高いメーカーの最新機種、それもハイエンドタイプ──を取り出し、おもむろに動画を再生して私に見せてくる。

 私は試作用に焼いた一口あんパンを食べつつ、その画面に映った動画配信者…枕野フェリシアについてコメントする。

 とくに目立つのはその髪、濃色こきいろで所々跳ねているお尻くらいまでの長さがありそうなロングヘア…の頭頂部に位置する、ぴょっこりと跳ねた猫耳。

 その厚み、毛の生え方、時折見せるわずかな動きは明らかに犬よりも猫で、それが本物であれば人間ではないのは確実だ。


『うふふ、本日も私の耳は獲物を探しております…まあ、動いているように見えるリアルタイム編集なんですけどね。猫耳が生えた人間なんているわけないじゃないですか、いい加減にしてください…』


 まったりとして実にダウナーな、それでいて穏やかで上品そうな話し方は、今もあくびを隠さない本人のように眠気を誘ってくる。

 あくびによって潤った葡萄色の瞳は夜を思わせる青さを秘めていて、本人も自称しているように容姿は凄まじく整っていた…それこそ、これも人間かどうか疑われる要素になっていそうなくらいには。

 ちなみに『私が可愛いと思ったら投げ銭よろしくお願いいたします…ゲーミングマウスを新調したいので…』なんて開幕早々に厚かましいお願いをした結果、本当に投げ銭を行う人がいた。美人って強いんだなぁ…。

「そうか、これってウィッグだけじゃなくてリアルタイム編集も加わっているのか」

「だねー。でもさ、この可愛さと人気は編集だけじゃどうにもならないでしょ? あたし、いつかは『コラボ』できそうな人を探してて…フェリシアちゃんも気になってるんだよね」

「そうなの? 新井さん、動画投稿をしてたんだ。私はそういうのは疎いから、ちょっとすごいかも」

「…あー…うん、まあ…そうだね、あたしすごいよねー?」

 動画投稿が一般化したのはかなり前の話で、それこそヒーローとは無関係の動画コンテンツも数え切れないほど存在している。ちなみにこの猫耳投稿者もHeroCastとは別、従来から存在する有名動画サイトで活動していた。

 それでも基本的な収益システムはさほど変わらないようで、投げ銭を受け取って『うふふ、ありがとうございます…そのうちグラボも交換したいですね…』なんてご満悦な姿を見ていたら、ほんのわずかに羨ましくなる。

 私の動画に投げ銭を入れてくれる人もいるのだけど、見たところフェリシア宛のものは金額も頻度もたいしたもので、こうなったら私もうさ耳をつけて戦ってみるか…なんて馬鹿なことをコンマ数秒だけ考えた。どう考えても似合わないし、戦いの邪魔にしかならなさそうだ。

 そうして次に関心が向かったのは、羨ましそうに動画を見つめる新井さんの横顔だった。その口ぶりからも察するに新井さんも動画を投稿していて、そしてもっと人気者になりたい…そんな素直な願望が伝わってくる。

 だから私はいかにも『動画投稿はしてませんよ』なんて口ぶりで返事をしたら、新井さんはこれまた気になる…私のほうを一切見ず、どこか明後日に向けてのぼんやりした返答をした。

「あ、えっとね…あたし、ほかにも気になっている子がいるんだ! ほら、この子とか!」

「…この人って…」

「ありゃ、舞ちゃんもご存じ? あたしが密かに注目しているヒーロー、ブレッド・ノヴァちゃんだよ!」

 横から注がれる私の視線に気付いたのか、新井さんははっとして端末を操作、別の動画サイトへと画面を切り替える。

 そしてそこはHeroCast、ヒーローたちの動画が集まる場所で…新井さんは有名なヒーローを表示するかと思いきや、そこにいたのは手足のみで戦う見た目も戦闘スタイルも地味な少女、ブレッド・ノヴァ…まあ、私だった。

 ちなみに再生されているのは先日の強敵戦、クリスタルリザードとの戦いだ。ゴブリンやウルファンとは比較にならないほど素早く厄介なので苦労させられたけれど、その分だけ見応えのある内容になっているのも事実で、ドラゴンなどの強敵との戦いはHeroCastでも屈指の人気コンテンツになっていた。

 現に私の動画としては再生数もそこそこ伸びがよく、同時に里奈がシザーズが映り込まないように工夫してくれたおかげか、非表示にされることもない。

「…新井さん、ブレッド・ノヴァのファン…とか?」

「んふふっ、舞ちゃんったらやきもち? そだねぇ、今一番注目しているヒーローはノヴァちゃんだよっ」

「…そうなんだ。新井さんはもっとこう、華やかで可愛いヒーローというか…知らないかもだけど、マジカル☆シザーズとかが好きそうな気がしてた」

「…へ? 舞ちゃん、どうしてその子の名前を…?」

「え…あ、いやー…偶然、ね」

 動画の中の私はクリスタルリザードの素早い攻撃にも決して負けず、同じかそれ以上に速い動きで回避している。たしかに攻撃を当てるのは難しい相手だったけれど、同時に相手の攻撃もすぐに当たるほどではなくて、それは尺稼ぎの不毛なやりとりに見えなくもなかった。

 けれど、新井さんはそんな私の動きをじいっと見つめていて、そこには退屈そうな輝きは含まれていない。一挙手一投足をしっかりと確認し、それを追い続ける…うぬぼれに聞こえるかもだけど、本当にファンのような雰囲気を纏っていた。

 それにほっぺたがむずむずとしてきた私は誤魔化すように、画面にこそ映っていないものの一緒に戦ってくれたヒーロー、その魔法少女の名前を口にしたら。

 新井さんは再生中の動画から目を離し、わずかにつり目がちで形のきれいな瞳をまっと開きながら、ぐぐっと私を見つめてきた。

 その反応に私は返答に窮し、さすがに「ヒーローとして戦っている最中に知り合ったよ」とは言えず、どうとでも捉えられそうな、ジャムにもマーガリンにも合うコッペパンみたいな回答をするしかなかった。

「もしかして、シザーズちゃんの『アイドル活動』を見たことがあるとか?」

「……あー、うん。大体そんな感じ。シザーズの歌とダンス、すごいよね、うん」

 いつもゼロ距離射撃を仕掛けてくるかのような新井さんの距離感だけど、この瞬間はまるでお互いの鼻先を引っ付けるかのように顔を寄せてきて、いやではなくとものけぞるしかない。

 その食いつくようなリアクションに「もしかしてシザーズのファンなのだろうか?」と思った私はなんとなく通じそうな…アイドルというよりはヒーロー活動だったけれど、それでもそこで披露してくれたライブはまさにアイドルだったので、この場をしのげることを願ってそれっぽく口にした。

 すると…新井さんは、にぱっと笑った。一日の大半を笑顔で過ごしているような子だけど、この瞬間に浮かべたそれは初めて見せるものだった。

 長々と掘り続けた坑道にてついに宝石を掘り当てたような、価値の高い宝物を見つけたような…年齢にかかわらず無邪気に笑わせるような、そんな魔法に自分からかかったような反応だった。

「そっか…そっかぁ! んふーっ、やっぱり舞ちゃんは見る目があるね!…あたしのこと、見てくれる人…ちゃんといたんだ…」

「え? 今、なんて…」

「んーん、なんでも! でもさ、そういう話を聞いたら…あたしも頑張らなきゃって思うよね!」

「…そ、そうだね…?」

 新井さん、なんでこんなに喜ぶんだ?

 猫の瞳みたいにコロコロと表情を変えるこの子だけど、今日はとくに気まぐれな変化…なにを考えているのか読ませない、そんな反応ばかりに見える。

 そして小さくなにかをつぶやいた気がしたけれど、少なくとも友達が楽しそうに笑う様子には私も悪い気はしなくて、話もそらせたことだしこれでいいか…なんて思っていたら。


『とどめだ、強パンチ…じゃなくて、えっと…フェニックス・アロー…?』


「…ノヴァちゃんは可愛くて格好いいけど、必殺技は…うん…」

「……うん、そうだね……ごめんね?」

 赤と金色のオーラを纏ったヒーローの、必殺技とは思えない間抜けなかけ声が端末から聞こえてきて。

 新井さんは瞬時にすんっとなり、私も同意するしかなかった。同時に反省もしたけれど、新井さんは「なんで舞ちゃんが謝るの? 変なの〜」と笑ってくれた。

「はぁ、いつか見てみたいなぁ…シザーズちゃんとノヴァちゃんのコラボ! それまでには必殺技もなんとかしてもらいたいなぁ〜」

「…そうですね…」

 あのパンチ、そんなにダメかな…?

 そんな質問はもちろんできなくて、私はその日が本当に訪れるのだろうかと期待とも不安ともつかない感想を抱き、妙に丁寧な返事をしてしまった。

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