大盛り…いや、特盛りのチャーハンにたっぷりの唐揚げという思わぬ強敵と遭遇した私だけれど、こちらの相手についてはさほど苦戦せずにすんだ。
どうやらヒーロー状態だと常人を超えた力を発揮できる分、代謝能力も大幅に上がっているらしく、炒められたお米の山は見る見る間に減っていった。ただ単に量が多いだけでなく、ぱらっとした食感と塩コショウだけとは異なる香ばしい味付けもあって、最後までするすると胃袋へと消えていった。
添え物と言うには立派すぎる量の唐揚げも衣がカリッとしており、中身の鶏もも肉もジューシーで思わず顔がほころぶ。チャーハンに唐揚げという組み合わせはどちらも味が濃くて飽きるのではないかと思ったけれど、あふれる肉汁は最後まで私の舌を楽しませてくれた。
そして今は身体能力測定を待ちながら腹ごなしをしている最中で、せっかくだし妹にメッセージを送って昼食の感想でも伝えようかと思っていたのだけど…。
「ほらほら、まだ時間に余裕があるとはいえ、あなたは書類については先延ばし癖があるみたいだから…早めに訂正しておきなさいよ?」
「わかってますって…にしても、『きょうめのパンチ』って…」
食後、待合所でくつろいでいた私に対し、監督官は先ほど提出した書類を片手に小走りで駆け寄ってきた。
『ノヴァ、さっき提出した書類だけど…必殺技名にふりがなを忘れていたから、“きょうめのパンチ”って登録されているんだけど…これ、誤字よね…?』
…というわけで、私はその書類を持って今は人がいない講習室へと移動、監督官の監督──日本語としては正しいけどなんかややこしい──の下、書類の修正をしていたのだ。
「こう見えて、協会は毎日大量の書類を捌いているから…読み取りとかはAIに任せているのよ。だからふりがながないとAIが自動で判断して埋めてくれるのだけど、まだ精度がね…」
「それは仕方ないですけど…でも前後の文脈とかでわからないものなんですか…? さすがに『きょうめのパンチ!』って叫んでモンスターをぶっ飛ばすヒーローはいないような…」
「それで言ったら『強めのパンチ!』もどうかと思うのだけど…ともかく、昔から書類にうるさいのは我が国の美点と欠点を兼ね備えた問題よ。書類にうるさいからこそ不正に対して気付きやすい分、ちょっとしたミスでも都度の訂正が必要だから効率も悪いまま…ってわけね。だから諦めなさい?」
「…なんだこの国…」
念のために言っておくと、私は日本という国が好きだ。モンスターが出現するようになって変わったところもあるのだけど、それでも天敵の出現に抗い、そして早い段階で秩序を取り戻したという事実は、諸外国から模範とされることも多い。
その一方で非効率的な体制はなかなか改善が進んでいないようで、ドローンなどに高性能なAIも使われるようになっている反面、こういう事務作業は今も人間特有の面倒くさい部分が許容されているというか、監督官の口ぶりから察するなら『面倒を残すことで雇用を維持している』とでも表現すべきか。
ちなみに私はパン屋に関すること以外はなるべく面倒をなくしたいと考えているので、今も日本に根強く残る無駄はどうかと思っていた。いや、自分の家族も生きる国だから、そういう意味では好きなんだけどね?
少なくとも、『モンスターと共存を! 戦闘反対!』と今も夢見がちに日本人へ泣き寝入りを強要しようとする連中と違い、この国が滅ぶのはいやだと断言できた。
「言っておくけど、もしもあなたが実績を重ねて人気ヒーローになった場合、書類の面倒くささは倍増すると思っていいわよ。人気が出るということは収入も増えるだろうから、とくに税務関係については覚悟しておくべきね」
「…ヒーローって、モンスターと戦っているだけじゃダメなんですか…?」
「そうね、一切の収入を得ず、ありとあらゆる損害を自分たちで何とかできるのならそれも実現できるかもね…もっとも、協会は『非認可ヒーロー』の存在をなくしたいと考えているから、そういう抜け道もいつかは潰そうと動くかもしれない…って、また話しすぎたわ。あなたは話しやすいから、私も口が軽くなるのかしらね」
人気の高いヒーローとなれば、その収入額はいわゆる高額所得者の仲間入りを果たしているのだろう。まだ学生ではあるけれど、それくらいはなんとなくわかる。
ただ、今の私の収益は少ないし、そしてパン屋に関するお金の問題はお母さんが処理しているから、すぐに直面することはないのだろうけど…金銭に関するあれこれとも向き合うことになると考えたら、先ほど食べたチャーハンがまだ胃の中で存在を主張するように重く感じた。
そして監督官の言うとおり、一切の報酬を受け取らず、さらには損害を出したら自分の責任で復旧や賠償をするといったスタンスは現実的じゃない。そもそも私だって実家のために稼いでいるわけだし。
…改めて考えると、ヒーローってなんだろう。そんな哲学的な問いに向き合う機会が書類訂正の瞬間というのは、なんともやるせなかった。
「そういうこともあるから、『プロデューサー』や『マネージャー』がいるヒーローも増えてきているわね」
「プロデューサー…マネージャー…なんか、どっちもアイドルとかそういうのをイメージしそうになるんですが」
「動画投稿がメインの収入源になることも多いし、実際に歌やダンス、握手会といった分野で稼いでいるヒーローも目立ってきているから、あながち間違いでもないでしょう? 人気商売である以上、プロデューサーやマネージャーがつくことでのメリットも多いわ」
「…なんだかなぁ。私も稼げるならどっちでもいいとは思うんですけど、そういう規模に到達したら、なんかヒーローの役割としては逸脱している気が…」
私はほかのヒーローに対してほとんど興味がないから、監督官のこういう話…職業としてのヒーローの実態については、意外と参考になっている。監督官もそう言ってくれたように、私もこの人が相手だと質問しやすい気がした。
一方で、ヒーローとしての矜持があるとも言えない私であっても「それって本当にヒーローなのか?」とは思う。そういうケースもあるとは漠然と理解していたけれど、改めて聞かされるとますます私のヒーロー像からは離れていった。
モンスターを倒し、そのために使った時間や金銭的損失をたくさんの人の善意によってまかなう…私にとってのヒーローというのは、そういうシンプルな存在であるような気がした。
「私も同意、目立つことが手段と目的になっているヒーローはどうかと思うけど…でもまあ、私はあなたにプロデューサーがつくのは選択肢として考慮してもいいと思うわ」
「…え? 私、アイドルみたいなことはちょっと」
「わかってるわよ、あなたはそういうキャラじゃないもの…ただ、プロデューサーがいることで本来の仕事に集中できるのは悪くないでしょう? SNS運用や宣伝、何よりこういう書類関連もプロデューサーがいれば結構対応してくれるはずよ。たまにはここに来てもらうけれど」
「…それは、魅力的ですね」
やはりこの真面目な人も『ヒーローは人々を守ることを最優先にすべきだ』と考えているみたいで、そういうところも含めて気が合うのかもしれない。
けれど、私が書類に関して弱いのが相当心配なのか、意外も意外な提案をしてくる。今も訂正に四苦八苦している私を見る目は呆れているよりも、純粋に心配してくれているように感じた。
同時に、こういう書類の面倒が減るというのは普通にありがたい。そして宣伝やSNSの運用も私の苦手としている分野で、そこまで把握してくれているこの人こそマネージャーとかに向いていそうな気がした。
「本当なら私が四六時中サポートしてあげてもいいけど、監督官は特定のヒーローだけに肩入れするわけにはいかないのよ。というよりも、そんな時間もないしね…今日もこの手伝いが終わったら見回りがあるし…」
「…本当にお疲れ様です」
私の願望まで見透かしたのか、監督官はため息交じりで疲労感をあらわにし、マネージャーにはなれそうもないということを隠さず伝えてきた。
それに対して残念に思う気持ちはあったけれど、同時に今の関係でも十分すぎるくらい助けてもらっていたので、私は素直にねぎらってから書類の訂正を終えた。
*
監督官に訂正を終えた書類を渡し、私は身体測定へと向かっていた。測定会場は本棟から少し離れたあの体育館みたいなドームでするらしく、ヒーローであればさほどつらいとも感じない程度の運動も含まれているらしい。まあ、私の学校でも行われている身体測定のヒーロー版だと思えばいいだろう。
ドームへと移動すべく、渡り廊下を歩く。こうした道の構成も『校舎から体育館へ』といった感じの移動と似ていたから、現役女子高生としてはそんなに迷うこともなかった。ふと廊下の横を見ると笑いながら敷地内を散歩するスーツ姿の男性たちがいて、時刻を考えると昼休憩にしては遅く見える。
(監督官は休憩時間もほとんどなさそうだったのに、『いいご身分』ってやつだろうか)
実際は遅れて休憩を取っているだけかもしれないのだけど、監督官の愚痴のおかげですっかり協会へのイメージが凝り固まってしまった私は、そんな重役オーラのある人たちへチベットスナギツネのように乾いた目を向けてしまう。いやほんと、偏見かもしれないのだけど。
それでも今も施設内をせわしなく移動して雑用をこなしてる監督官と彼らでは、どちらが尊敬できるかと聞かれたら判断に迷わなかった。過ごした時間の長さも大いに関わっているのだけど、職務に忙殺されつつも公平さを失わない彼女に対し、改めて敬意を抱きそうだった。
「たばこを吸うから一服入れる、そんな名目でほかの人よりも多く休憩できる…いいご身分だよ、本当に」
突如として後ろから聞こえてきた声に、思わず私はびくりと振り返る。その声音と言葉には間違いなく私を責める意思は感じられなかったのだけど、問題は…すぐ後ろに立たれるまで、一切の気配を感じなかったことだろうか?
そこにいたのは、食堂のおばちゃん…もとい、マダムだった。
「ああ、ちなみにアタシは休憩じゃなくて掃除用具を取りに行ってたのさ。食堂のおばちゃんっていうのはね、案外忙しいもんさ…さっきのあんたみたいに、食べ盛りのヒーローが来るときは余計にね」
「あ、さっきはどうもありがとうございました…」
「なぁに、気にすることはないよ。ヒーローを大盛りにする分、あんまり動かない連中から減らしてるからね…ひひひっ、メタボ連中はダイエットができる、ヒーローは次の戦いに向けて英気を養える、一石二鳥のシステムさね」
「あ、あはは…」
先ほどは忙しかったし、三角巾も被っていたから容姿についてはまじまじと眺められなかったけれど、こうして見てみると本当に『おばちゃん』という感じの年齢の女性だった。
かかかっ、と快活に笑うと笑いじわが顔に生じていて、そこに疲労感による老け込みといったものは感じられない。お母さんよりは明らかに年輪が刻まれているけれど、センター分けされたオレンジがかったナチュラルショートヘアは、まだまだエネルギーにあふれているイメージだった。
その勢いと『監督官に教えてもらった噂』もあってか、私は若干返事に窮してしまう。
(…この人、昔は『日本有数の強さを誇る伝説的なヒーロー』だったらしいけど…)
監督官は間違いなく協会でも若手であるけれど、今も勉強熱心だけあって時間があればアーカイブを確認して情報を集めているらしく、この人の噂についてもいくつか教わったのだ。
『イキッている現役の人気ヒーローに絡まれた結果、相手をボコボコにして引退に追い込んだ』
『なまじ知能のあるモンスターが協会の建物に忍び込んだ結果、この人に見つかって瞬殺された』
『現役時代は【災害級モンスター】を一人で叩きのめしたことがある』
どれも新米ヒーローの私からするといささか現実味に欠けた話であって、それこそ食事中の雑談感覚で聞いていたのだけど。
スイッチングしていて気配に敏感なはずの私の背後を音もなく取ったという事実は、これまで戦ってきたどんなモンスターよりも油断ならないように思えた。
「おやおや、若い現役ヒーローがこんなおばちゃん相手に警戒するんじゃないよ。これから身体測定だろ、今から緊張してちゃあいい結果も出やしない」
「いえ、警戒なんて……!?」
やっぱりこの人、ただ者じゃない。
私は元々考えていることがわかりにくいみたいだし、あくまでもこの人は──今は──一般人なのだから、警戒する必要なんてないと自分に言い聞かせていたら。
「おっと悪いね、知り合いに似てきれいな顔をしてたから…ついマスクの下を見たくなっちまったよ」
見えなかった。いや、誇張とかじゃなくて。
ほんの一瞬、この場を離れるためにこの人から目を逸らしたかと思ったら、彼女の手は私のドミノマスクの端、左目の下あたりにするっと入り込みそうになっていて。
それに気づいた私はカウンターをしそうになり、けれども悪意を感じさせないこの人を攻撃するのはもってのほかだとギリギリで制止できて、相手の右腕を掴みそうになる手は中空でピタッと止まった。
でも、一つ言えること。それは。
もしも彼女から手を止めなければ、私のマスクは確実に剥ぎ取られていた。つまり、カウンターをしていたとしても…間に合わなかっただろう。
「…あんた、いいヒーローだ。力の使いどころをちゃんと考えていて、『ここ』の奥には優しさがある…あんたはもっと強くなれる、アタシが保証するよ」
「…あの、あなたは…やっぱり」
「ひひっ、根も葉もない噂を信じるこたぁないよ。アタシはただの『食堂のおばちゃん』、か弱いか弱いレディーさ…でも人生の先輩として、一個だけアドバイスだ」
私の反応に対してこの人…『おばちゃん』は満足したようにまた笑い、私の首の下、両胸の上あたりを指でトントンと叩いてきた。
それはまるで、私の奥にある優しさ──本当にあるのかどうかは自分でもわかりかねる──を呼び起こすような仕草だった。
「いいかい、どれだけ強くなっても『それ』は決して捨てるんじゃないよ。それをなくしたらモンスターと同じ、人に危害を加える害獣に成り下がっちまうからね…ま、あんたなら大丈夫さ。測定、頑張りな」
そこまで伝えるとおばちゃんはもう一度かかかっと笑い、掃除用具の入ったバケツを片手に廊下を歩いて行った。そして彼女の背中が消えると同時に私を包んでいた緊張感はほどけ、奇しくもそれは私の中から余計な力を抜き取ってくれた。
「…『これ』、か…」
私は自分の胸元に手を当て、独りごちる。
先ほどまではあるかどうかわからなかったものが、熱を帯びて存在を主張し始めた気がした。
*
測定にはいくつもの種類があり、私はまずパンチ力…『パンチングマシーンをヒーロー向けに大幅に強化したもの』を殴ることになった。
ドームの隅に置かれたそれは何度もパンチを受け止めてきたのか、殴られる部分は若干の消耗が見られたけれど、壊れる様子はない。
現に私の前にいたヒーローたちの一撃を受け止めたとしても、次の瞬間にはけろりと元の位置に戻っていた。そして数値が表示され、それに一喜一憂するのは新米たちのお約束らしい。
(一応は『強めのパンチ』が必殺技だしな…ここで多少はマシな成績を出したほうがいいかも)
普段なら、『どんな結果であってもすぐに終えたらそれでいい』なんて思うだろう。なんなら、今もさっさと終えたいとは思っている。
だけど、なんだろう…ただ者ではなさそうとはいえ、食堂のおばちゃんにマスクを奪われそうになったことが悔しさにつながったのか、今日の私は少しだけやる気がありそうだった。
(…いや、違うな。私は『これ』の正体が見たい…のかもしれない)
自分の番が回ってきて、私はパンチングマシーンに向き合い、モンスターと対峙するときのように構える。
やや半身で、両足はしっかりと踏ん張る。左手を突き出して呼吸を整え、私は胸の奥を意識した。
もしも『これ』の正体がただの優しさであったのなら、パンチの威力に影響なんて与えないはず。だけど私は胸の奥を意識するようになってから、どうしてだかそこは熱を発し続けていた。
そして熱は太古から人類のエネルギー源となっていたように、ヒーロー因子もメラメラと刺激された私は右手に湧き上がってくるものを込めて。
(……すごく強いパンチ!!)
…決して口には出せない技名を心だけで叫び、力の正体を呼び起こすようにパンチを放ったら。
ドッ…ゴォォォン!!
わずかに音が遅れて聞こえたかと思ったら、壊れそうもなかったパンチングマシーンは殴られた部分がへし折れ吹き飛んでいき、壁に激突して大きなクレーターを生みだしていた。
それに対し周囲は唖然とした…けれど。
(…あれ? これ、もしかして…弁償ものでは?)
誰よりも驚き、そして冷や汗をかいていたのは…ほかの誰でもない私だった。