「ちょっとノヴァ、大丈夫!? 怪我はしてないでしょうね!」
「…大丈夫…あはは、ちょっと無理をしすぎた…かも」
ゴーレムが生み出した小さな敵…さながらミニゴーレムやドローンゴーレムとでも言うべき最後っ屁をすべて撃破したところで、私は大の字になって仰向けに倒れた。
私ことブレッド・ノヴァは特殊な力を使わない分、燃費の良さが強みだと考えていたけれど…ゴーレムのパンチを真っ向から受け止め、その巨体を空中へとぶん投げ、さらには鋼鉄のボディを蹴り壊したとなると…相当に消耗したらしく、戦闘終了と同時に緊張の糸が切れ、そして今は自宅へ帰るためのエネルギーを少しだけ蓄えるように、目を閉じて体を休めるので精一杯だった。
そんな私と一緒に敵を倒してくれた三人のヒーローはさっさと帰ることはなく、全員が私に近づいて様子を確認してくれている。真っ先に肩へ触れて揺すってくるのがレディで、ヒーローの体を本気で心配しているのが良い意味で悪っぽくなかった。
「パンの人、しっかり。レーダーには敵の反応もないし、バイタルセンサーにも異常ない、けど。病院へ行くなら、私が乗せていく」
「ありがと…でも大丈夫、本当に怪我とかしてないから。あと、その戦闘ユニット、私を乗せられる部分ってあるの…?」
ウィーン、という聞いたことのあるローラーの音が近づいてくると、本当に心配しているのかどうか疑わしく聞こえるかもしれない声音でシャテルロが話しかけてくる。
だけどこの子の優しさを知っている私は心から気遣ってくれていることがわかって、寝転びつつも無事を伝えるように右手だけ掲げ、そして軽く握ったり離したりを繰り返してみた。
ちなみに私の質問に対しては「足止め用のネットを使えば、運搬できる。はず」と教えてくれた。仮に運搬をお願いした場合、乗り心地と絵面に問題がありそうだなぁ…。
「ごめんねノヴァちゃん、あたしがまた歌えば立ち上がれそうだけど…体力自体の回復まではできないから、代わりに膝枕をしてあげるね?」
「ううん、シザーズには本当に助けられたから…気を使わなくていいよ」
そして最後に甘い香りが漂ってきたかと思ったら、私が遠慮する前にシザーズがすいっと頭を持ち上げ、そして膝枕をしてくれた。
その弾力は女の子らしさと無駄のなさを絶妙なバランスで再現していて、一度頭を置いてしまうとますます遠慮する気が失せてしまう。しかも頭まで撫でられてしまっては、疲労による眠気までもたぐり寄せられてしまうのだった。
「…みんな、本当にありがとう。みんなが来てくれなかったら、きっと街にも被害が出てた…」
「な、何よいきなり…言っておくけど、あんたたちヒーローのためにここへ来たわけじゃないんだから。私は悪の組織の幹部、ヒーローから仕事を奪うために戦っているだけよ、勘違いしないで」
「うん、私も、同じ。サイボーグとして、モンスターを倒すこと、私たちの有用性を伝えること、それが、役目。でも、お礼を言われるのは、嬉しい。と思います」
「んーふふ、あたしはアイドルだから! みんなを笑顔にするのがお仕事なら、みんなから笑顔を奪う悪い子たちにお仕置きするのは当然でしょ? だからノヴァちゃんも笑って? スマ〜イル☆」
「…あははっ、そうだね。私たちはヒーロー、モンスターを倒すのが役目…そして、大切な人を守るために戦っている…今日は助けられちゃったけど、私も…いつか、みんなを」
「おやおやぁ、今日は一段と派手に被害を出してくれましたなぁ…我々の苦労も考えてもらいたいのですがね?」
私は私を守ってくれた人たちを、同じように守っていきたい。
珍しくヒーローらしいことを素直に口にしようとしたら、ねちっこく耳障りな男性の声が鼓膜へと届く。
そこでようやく目を開いた私は首だけを持ち上げて、そちらを見てみると。
ジャケットだけ脱いだスーツ姿の中年男性が疎ましそうな視線を私たちへと向けていて、それと目が合うだけでもこちらへ好意的ではないと理解できた。無論みんなも突然の横槍に驚いてはいたものの、私と同じくその声に不快感を抱いたのか、全員の表情──シャテルロはいつも通りではあったけど──が険しくなる。
「ああどうも、あなた方とは初対面でしたね…私は警察の『対ヒーロー課』に所属している人間ですよ、以後お見知りおきを。見たところ未成年の方もいそうですから、たばこは控えておきますかね…」
「…対ヒーロー課…ああ…どうも…」
でっぷりとしたお腹に添えられた手にはたばこが握られていたけれど、私とレディの服装は学生服でもあったことから、恩着せがましさたっぷりにそれを胸ポケットへとしまう。
けれどもその口はたばこの煙を吐き出すかのように、周囲を見渡しながらため息をついた。
(警察の対ヒーロー課…たしか『ヒーローの違法行為を監視・調査するための“監視班”』だったっけ…)
相手の肩書きを聞いた私は監督官から教わったことを思い出し、そして「面倒な相手に遭遇しちゃったか…」なんて表情は変化させないようにしつつ内心で嘆息した。
対ヒーロー課…というよりも警察は、ヒーローやその関連組織の一部とは関係がよろしくなかった。いいや、上層部をはじめとして対立関係にあるらしい。
というのも、日本にモンスターが現れた直後は警察もそれらに対応するよう動いていたけれど、敵の数が多すぎたこと、そしてその装備では手に負えない相手が目立っていたため、現在ではモンスターの撃退については完全にヒーロー任せとなっていた。
そこで終われば良かったのだけど、かつてはこの国で『正義の味方』を名乗っていた組織が「ヒーローがいればそれよりも弱い警察なんていらない。解体して置き換えるべきだ」という世論を危惧した結果、政治家や官僚、さらにはヒーロー安全推進協会とも癒着し、『ヒーローはモンスター以外のあらゆる存在への力の行使を禁ずる』というルールが作られたのだ。
わかりやすく言うと『モンスター以外であれば犯罪者であろうがテロリストであろうがその力を使ってはいけない』なんて決まりを徹底して守らされ、警察の領分を奪わせないために『ヒーローはモンスター以外には無力』という法律の鎖で縛っていた。
対ヒーロー課はこうしたヒーローが戦う現場に出向いては監視や調査を行う…という名目で、モンスターには対処しないけどヒーローには文句をつけるという立ち位置になっていたのだ。
…協会もそうなのだけど、この国の組織は『いかにして責任を負わずに口出しをするか』というルール作りに余念がない気がする。
だから監督官からは「対ヒーロー課は比較的規模の大きな現場にしか来ないけど、敵を倒したらさっさと帰ったほうがいいわね。遭遇するとネチネチ文句をつけられるわよ」と教わっていたけど、いかんせん体はまだ思うように動かなかった。
「で、あの工場はどうしてあんなことに? ああ、あなたたちが壊したと疑っているわけじゃないんですけどねぇ? 私たちはヒーローによる市街地への被害、一般人への暴行を取り締まらないといけないので…責任の所在をはっきりさせないといかんのですよ」
「ちょっとあんた、ノヴァがわざと壊したとでも言いたいの!? こいつはね、いつだって余計な被害を出さないように、無駄のない戦い方をしてるのよ! ほかのヒーローみたいに見栄え優先なんてことはせずに、馬鹿真面目にモンスターから街を守ってる…何度も一緒に戦った私が保証するわ!」
「おおっと、これは失敬失敬…ですが、あなた方…ホスピリティアでしたっけ? 自分から悪を名乗っている以上、あなたたちも疑惑の対象であることをお忘れですか? 協会にも登録していませんし、なんならあなたの組織にガサ入れ…おっと、捜査に協力してもらいたいんですがね?」
「…! こんの、豚野郎…!」
…危なかった。もしも今もレディがケルベロスとオルトロスを呼び出したままであったなら、彼女を侮辱されたとしてあの警察の喉笛へ食らいついていたかもしれない。
レディは私をかばってくれたけれど、それによってやぶ蛇ともいえる状態…自分の所属組織にまで疑惑の目を向けられてしまった。私はそれに対して申し訳なさを感じ、罵倒しながら立ち上がろうとした彼女の手を掴んで「ありがとう、でも落ち着いて」とだけ伝えた。
警察は「おやおや、これは口の悪いお嬢さんなことで」と余裕たっぷりだった。権力が背景にあれば、ヒーロー相手でも強気に出られるのだろうか?
「それとあなた、サイボーグでしょう? サイボーグはミサイルとかも使うもんで、とくに被害を出しやすいと聞いておりますが…それについては?」
「ここでは、爆発物は、使ってません。機関砲だけで、飛んでいた奴だけを、撃破しました。サイ・アームのカメラにも記録済、確認、しますか?」
「…まあ、それならいいんですがね。人がいない場所であっても、地形を変えるような攻撃もやめていただけると幸いですが」
少しずつ、体に力が戻ってくる。それと同時に殴りかかろうとする衝動も生まれそうになって、私は存外気が短いのかもしれないと不安になった。
だってこいつは、シャテルロ…誰よりも生真面目に戦い続けていて、周囲にも気を使っている子を疑ったのだから。私だけが疑われるのならまだしも、シャテルロを…私と一緒に戦ってくれた仲間にまで疑惑の目を向けていると理解すると、やはり納得はできなかった。
「…ねえねえ、おじさん! 見ての通り、この子…ノヴァちゃんはね、こんなふうに動けなくなるまで必死に戦って、アイアンゴーレムみたいな強ーいモンスターまで一人で倒しちゃったんだよ? 本当ならチームを組んで倒さないといけない相手を、みんなが到着するまで一人で抑えていた…そんな子が自分から破壊行為に走るだなんて、ちょーっとばかり無理筋じゃない?」
「そういうあなたは動画が投稿できない魔女…失礼、魔法少女でしたかな? そんな制限をされていると聞きましたが、過去に何か問題行為でもあったんですか? それに関しまして、詳しくご説明願いたいものですねぇ」
「…いい加減に…しろ…!」
法治国家において警察には向かうのはリスクが高く、その辺は監督官にも「もしも警察にいちゃもんをつけられたら知らぬ存ぜぬで通すのよ。あなたなら拘束されるような問題は起こさないでしょうし」と教わっていた。
だけど…もう限界だ。もしかしたらこいつは『ヒーローの揚げ足を取るために挑発的な発言をしている』という意図があるのかもしれないけど、それなら応じてやる。
あくまでも笑顔で私をかばおうとしてくれたシザーズを侮辱したことで、ついに私は限界を迎えた。警察への好感度がヒーロー登場以降は輪をかけて下がっているらしいけど、それも納得だ。
「…あの建物は、私の到着が遅れたからああなった…だから、みんなは…悪くない…! ネチネチネチネチ責めるんなら、私だけで…十分だ…!」
「はい、そこまで。私はヒーロー安全推進協会監査部の監督官、久留木可奈です。ヒーローに非がないとはいえ被害が出てしまったこと、警察と同じく協会も心を痛めていますが…身を張って敵を撃退した彼女たちを責めるのは見過ごせません」
だから、私が相手になってやる。
そんな無意味な対抗心を突き出してやろうとしたら、監督官が駆け足で私たちのあいだに割って入り、私はその様子にそれ以上の言葉を紡げなかった。
ちらっと後ろを見て私に頷く監査官は、まるで「私に任せておきなさい」と語っているかのようだった。
「…これは監督官殿。ヒーローをかばうのはご立派ですが、監督不行き届きという意味ではあなたにも問題があるんですよ?」
「そうですね、おっしゃるとおりです。私『たち』はモンスターに対して無力、ゆえにヒーローが戦いを終えてからじゃないと現場には向かえず、そして実際に被害を出している瞬間を見ることもできない…ヒーローが直接蛮行を働かない限りは責任も問えない、協会との取り決めを忘れたとは言いませんよね?」
「いやですね、今のは我々の責務を果たしているだけですよぉ? 現場で起こったことを知るために、事情聴取に付き合ってもらっただけで…」
正直なところ、この二人のどちらが正しいのかはわからなかった…人間性については比べるのもおこがましいけれど。
それでも理路整然とルールを持ち出し、そして自分も警察もモンスターには無力であることをチクリと伝える様子には相手も徐々に及び腰になっていって、そのムカつく表情にも苦みが混ざっているように見える。
やがて警察はいたたまれなくなったのか、それを誤魔化すようにたばこを手に取ろうとしたら「未成年者もいます、喫煙はご遠慮を」と監督官に制止され、くるりと踵を返した。
「…では、あっちで吸ってくるとしますよ。協会にはたくさんの利権がありますからね、やり合うと怖いですからなぁ…」
「利権にまみれているのはお互い様です。現場で戦うヒーローの揚げ足取りで安全に点数を稼ぐよりも、『反社に加担する違法ヒーロー』の取り締まりを強化してもらいたいですね」
「…ちっ」
離れる口実が見つかっても嫌みで締めくくろうとしたら、監督官に最後まで反撃されて舌打ちをし、そそくさと警察は去って行った。
それを見送った監督官は「さて」と一呼吸置いてから私たちに向き直り、その大人びた顔をふわっと緩めた。
「大体事情は把握したわ、あなたたちは帰って体を休めなさい」
「でも…」
「前にも言った通りよ。モンスターによって生じた被害は私たちやCUREが担当して、あなたたちは次の戦いに備える…こうやって役割分担をして、そしてお互いが最高の仕事をするの。それと、あなたたち」
キリッとしつつも優しさを含んだ声で、監督官は私たちに帰宅するように促す。そんな彼女には発生した被害を責める意思なんて微塵も感じられず、それはそれで逆に申し訳なくなったのだけど。
私がようやく立ち上がれるくらいの元気を取り戻したのでふらつきながら二本の足で踏ん張ろうとしたら、すぐにレディが肩を貸してくれた。すると彼女から洗濯洗剤を思わせる、どこかで嗅いだことのあるような香りが私を包んだ。
「ノヴァを助けてくれてありがとう。悪の組織もいるのはちょっとコメントに困るけど、あなたたちも人間のために戦っていると知っているつもり…だから、その子がまた一人で無茶をしようとしたら、手を貸してあげて」
「…ふん! ヒーローどもに頼られるなんてごめんだけど、偶然居合わせたときくらいは…邪魔しないなら、助けてやってもいいけどっ!」
「了解、しました。パンの人も、居住区が近いときは、手伝ってくれると助かります」
「んふっ、あたしは魔法少女でアイドルだからね! ファンは大事にするから、困ったときはいつでも呼んでくれていいよん☆」
そして監督官は私を助けてくれたヒーローたち…『仲間』にもぺこりと頭を下げて、そんなことを言ってくれた。
それから彼女はすぐに復旧作業に取りかかったので私たちは背を向け、それぞれの帰る家へと向かった。
*
監督官の仕事、それはあくまでも『協会としての責任を果たしていることを伝えるためのポーズ』であった。
ゆえに現場に来て写真を撮影すればほとんどの作業は終わり、あとは報告書などを作成すればそれでよかった。
「モンスターによって破壊された廃工場についてですが、こちらは持ち主と連絡がつきました。『解体作業になかなか踏み切れなかったからいい機会だった』とのことで、撤去作業はそのまま開始してもらってかまいません」
しかし久留木は現場を離れようとせず、今回破壊された廃工場の持ち主に連絡を取り、撤去作業を開始しようとしたCUREにそれを伝える。さらにはほかの被害の有無についても調べ始め、まるで補填作業員の一員であるようにキビキビと…何度も同じことをしてきたかのように、一体感のある働きを見せていた。
「すまんね久留木さん、あんたがいてくれると復旧がスムーズで助かるよ…けど、いいのかい? 上には『勝手に動くな』って言われてるんだろ?」
その働きぶりを近くで見ていたCUREのベテラン職員は親しげに監督官に声をかけ、ヘルメットを装着した頭を丁寧に下げる。久留木もまたそれに「いつもお疲れ様です」と返礼しつつ、手元の端末を操作して被害状況の確認をしていた。
そう、復旧作業への協力は久留木の個人的なものであった。これは協会の担当業務からは外れており、実際に上司からは何度も苦言を呈されていたが、彼女は決してやめなかった。
監督官は現場で起こりえるあらゆる状況に対応すべく、しっかりと訓練を受けている。そしてその中には災害時の行動も含まれていて、少なくともCUREの足を引っ張らない程度の技術は叩き込まれていた。
だというのに、それを実行することは好まれない。久留木はそんな状況にどうしても我慢ができない、あまりにも正しすぎる人間だった。
「…私はヒーローじゃありません。ですが、ヒーローを支える人間としての矜持があります。彼らが安心して戦えるためにここにいる、だからできることは全部やりたいんです」
「…あんたもヒーローだよ、本当に」
監督官、それは協会内における左遷先だった。
しかし、久留木にとっては『誰よりもヒーローに近く、ヒーローと共に戦える場所』であった。
そんな久留木の返事に職員は破顔し、お互いをたたえるようにグータッチを返し、そしてそれぞれが作業を再開した。