ヒーロー専用の動画投稿サイト、HeroCast。ここのメインコンテンツは言うまでもなくモンスターとのバトル動画で、これまでは私もそういう動画のみを投稿していた。
しかし、HeroCastは決して戦闘専用の投稿サイトではなく、ヒーローであれば多種多様な動画も投稿可能となっている。たとえば戦闘に関してのコメンタリー、ヒーローとしての日常ドキュメンタリー、料理や雑談といった企画動画…とにかく、規約違反に該当しない限りはほとんどのものが投稿できた。
そして人気ヒーローの多くはこうした戦闘以外の動画も投稿しており、さらなるファン…もっとぶっちゃけると収益獲得につなげているらしい。もちろん私の優秀な妹はそうした構造についてもリサーチしていて、前々から「姉さんはそろそろファンサービスのバリエーションを増やしていこうよ!」なんて言われており、私はそれに対してなんとなく及び腰だったのだけど。
先日の協会への出頭にて本格的に登録ヒーローになったこと、さらにはアイアンゴーレムとの戦闘風景を投稿したところ、それが予想以上に閲覧数が伸びて反応もよかったため、里奈の「ファンサービスを開始するなら今だよ!」という意見に押し切られてしまい。
ついに私は初の戦闘以外の動画…『ブレッド・ノヴァのパン作り講座』なるものを配信することになってしまった──。
*
『どーもー、ブレッド・ノヴァでーす。今回は…ダルニツキーという黒パンを作ります。これは、えーと…海外…主に寒い地方で親しまれている、日本ではあんまりなじみのないパンですね…はい…』
里奈のパソコンに映るヒーロー、それは紛れもなく私…ブレッド・ノヴァだった。いつものドミノマスクを着用し、カッターシャツの上に生成りのエプロンを装備して、パン工房…ミルキーウェイのキッチンスペースを拝借し、パン作りを開始しようとしていた。
それも、凄まじい棒読みにて。
今は撮影を終えて妹と一緒に動画を確認している最中だけど、里奈はその虚無感のあるパン作りに対して普段は見せない険しい視線を向けていた…今からチェック後のお説教が怖い。
『まず、ライ麦粉と強力粉を…はい、混ぜます。モルトエキスがなければ蜂蜜でも…まあ、どっちでもいいです。あ、どうでもいいとかじゃなくて…なんていうんだろう…はい、日本の一般家庭ではメジャーではないから、代替品を使うのもありだと思う…的なやつです』
…うん、改めて見返すと…私、なにに配慮してるんだ?
実際のところ、パン作りに対しては真面目に向き合っているという自負がある。現にこのときに作ったダルニツキーも十分な品質に仕上がっていて、あとで食べたお母さんも「ヒーローが作ったパンとして売り出したいくらいだよ」なんて褒めてくれた。
ちなみにお母さんは私たちに対してめちゃくちゃに優しいけれど、パンについてはかなりシビアな人だから、褒めてくれるということは本当においしかったと言うことでもある。嬉しい。
けれど、動画を見ている方々にはそんな品質が伝わるわけもなくて…ぶっちゃけるとトーク力みたいなエンターテイメント性が必要なのだろう。
…よし、里奈にはおとなしく怒られておこう。
『イーストを溶かした水を入れて、全体を…混ぜます。で、生地がまとまったら…ちょっとこねます。コネ…コネ…コネ…コネ…』
わあ、すごい…パンをこね始めると、何も話さなくなったぁ…。
もちろんこれには言い訳…理由があって、私はパンをこねるのが好きなのだ。パン作りの工程はほぼ全部が好きなのだけど、中でもコネコネタイム──私たち家族が考えた呼称だ──は格別というか、これが始まると無心になれる。
なんていうんだろう…あの感触、力加減、光景…宇宙へ至る道、とでも言おうか。ごめん、言いすぎた。
ともかくパンをこねている最中は宇宙が誕生して間もない頃のような、何もない空間にてただこねている手触りだけが自分を知覚させるような、悟りの境地に至れる気がした。
だからこれは放送事故などではない、そう言い訳をしようとしたら…チベットスナギツネみたいな目で動画を眺める里奈の横顔を見て、もはや語るまいと私も目の前のモニターを遠い目で見つめた。
『ふう、満足…おっと、これから発酵させて…膨らんだら…棒状に成形して、またちょっと置いておきます…あ、この間に何か話さないとダメだったっけ…えと…この動画が気に入りましたら、チャンネル登録をよろしくお願いします…あの…これからは、戦闘以外も発信していきたいなと…だから、バトルに興味がない人も見てもらえると…って、バトルに興味がない人はHeroCastを見てるわけないやーん…あはは〜…』
…うん…私のチャンネルは、戦闘のみの配信でいいかもしれない…。
事前の台本にて『適度にジョークを挟むといいよ!』なんて書かれていたから、ようやく思い出した私はとってつけたような冗談を口にしたんだった…これなら何も言わないほうがよかったな…。
ちなみに里奈は涙を堪えるようにこめかみのあたりを押さえていて、それを見ていたら私も泣きなくなった。
ごめんね、お姉ちゃん演技力皆無で…ごめんね…。
『220度のオーブンで焼きます。焼けたら完成です…スープとか、煮込み料理に合うので…よかったら試してみてください。おすすめはボルシチとかでしょうか…あ、うちではビーフシチューとも組み合わせてますよ。では、また…』
よし、やっと終わった。よく頑張った、私。
…もちろん言うまでもなく、今の賞賛は『こんな動画をチェックのためとはいえ通しで見たこと』であって、画面の向こうにいるヒーローに対しては普段あまり動画を見ない私でも説教したくなった。
でも具体的に何が悪いのかを改善のために教えるということはできなくて、この辺がまたもどかしい。悪いということはわかっていても、それを言語化して伝える術を持たない…モンスターが現れるようになっても人間同士の争いがなくならない理由がわかった気がした。
「……姉さんってさ、いつ見ても美人だよね。うん、本当、見た目は……最高だよ……姉さんよりも美しくて格好いい人を、私は知らないよ……本当に…見た目はっ、最高、なんだよっ…!」
「ごめんね、里奈…ごめんね…お姉ちゃん、信じられないくらい配信者に向いてなくて…だからね、そんなに悔しがらないで…!」
動画が終わって自室に静寂が戻った刹那、里奈は私に振り向いてまずは容姿を褒めてくれた。私のことを美人だと褒めてくれるのは里奈とお母さんくらいのもの──あ、鈴もそこそこ褒めてくれたっけ?──で、自分の容姿にそこまで頓着していない私でも、内心ではちょっぴり嬉しかった。
…けど。里奈はすぐさま悔しそうに机に手をついて、うつむきながら絞り出すように…そして世界を呪うようにうめかれてしまっては、私も心の底から謝罪するしかなかった。
里奈の言いたいことを要約すると『姉さんは見た目はいいのに配信者にはまったく向いていないから打つ手がない』ってところで、普段から動画映えするように苦心してくれる妹であっても、この内容には全面降伏せざるを得ないのかもしれない。
だから私も涙を堪え、そして泣きたい気持ちも抑え込むように里奈の背中をさすりながら謝罪した。まだまだ小さな体で必死に私たちを支えてくれるこの子を失望させた私は…もしかしなくても、姉失格なのかもしれなかった──。
「でもこういう動画を投稿することで『ヒーローも普段は意外と一般人なのかもしれない』なんて親しみを持ってもらえるかもだから…撮り直しをすると材料ももったいないし、最低限のテンポ改善をしてから投稿するね?」
「あ、いつもお手数をおかけします…それと急に冷静になるとね、お姉ちゃんの情緒も迷子になるから許してほしいな?」
「だって、泣いててもファンは増えないし…それに姉さんのルックスは地球から見た金星以上に整っているから、『美人に塩対応されたい』なんて層にもヒットするかもだから…」
「里奈、どこでそんなことを習ったの? ちょっとお姉ちゃんにブラウザの履歴を見せて?」
私の感傷を急ブレーキによって壁へ叩きつけるように、里奈は顔を上げたかと持ったら少しだけ疲労感のある笑顔を見せてくれて、そのままマウスとキーボードを素早く操作して動画編集を開始した。
里奈は私たちの前だと感情豊かで無邪気な女の子だけど、常日頃から私やお母さんを支えようと頑張ってくれているせいか、こういう場合の立ち直りは姉である私がびっくりするくらいには早い気がする。お姉ちゃん、妹の成長が早くて嬉しい反面、ちょっと寂しいよ…。
…しかし、私の可愛い里奈に『特殊な需要』について教えたのはどこのサイトだろうか。あるいはSNSかもしれないけれど、もっとペアレンタルコントロールを強化したほうがいいのかもしれない。
「アップロードまでに少し時間がかかるから、姉さんは休んでてもいいよ?」
「うん、ありがとう…でも今日はそんなに疲れてないし、なにか手伝うことはある?」
「うーん、パソコンは今私が使っているから…そうだ、ほかのヒーローの戦闘以外の動画を見てみるのはどう? そうすれば勉強になって、次はまともな…んんっ、次はもっといい動画を作れるかも!」
「アッハイ、そうします…勉強不足で済みません…」
「ご、ごめんね姉さん、でも本当にルックスだけは二度とこの世に誕生し得ないほど整っていて、私は毎日見とれてるから…」
…私、そんなに見た目がいいのだろうか…ほかの人の顔をじろじろ見ることなんてまずないから、比較しようにもその対象がわからず、里奈やお母さんの評価は家族の欲目だとは思うのだけど…ここまで褒められると、多少はうぬぼれていいのかな…?
そんな考えはすぐに申し訳なさによってかき消されて、私は逃げるように自分の携帯端末を操作し、HeroCastにアクセスした。
(うーん、誰の動画を見ようかな…こういうときは人気者から…いや、やっぱり…試しに『レディ・ナイチンゲール』で検索してみるか)
HeroCastのトップページには今日も人気動画がタイルのように表示され、どれを押しても人気ヒーローの作品にアクセスできることを一目で伝えてきた。
そうしたタイルの合間を縫うように広告も表示され、そのうちの一つは私たちも使っているドローン、O-DRIVEシリーズの製造販売元であるオーテラメディアテックのものだった。キャッチフレーズは『正義の瞬間、逃さない。君だけのヒーロームービー、O-DRIVEで』…うん、いつもお世話になってます。
「…あ、本当にヒットした。悪の組織でも投稿できるのか…いいのかな…いいか…」
そんな広告を横目に知り合いの名前を打ち込むと、本当に彼女が投稿したと思わしき動画がヒットする。そしてそのチャンネル名は『悪の幹部レディ様のお料理教室』…普通だ…悪ってなんだろう…。
そうした哲学的な疑問は自然と私に独り言を口にさせ、そしてその動画の一つをタップしていた。
『ようこそ、悪のお料理教室へ! 今日のメニューは…背徳的カロリー爆弾、バターライスオムレツよ!』
『ポイントはチーズと生クリームを使ったソース、これでカロリーを大幅にアップできるわ!」
『いい? これはヒーローどもにお腹いっぱい食べさせたいわけじゃなくて、大量にカロリーを取らせて動きを鈍らせるのが目的なんだから!』
『そんなわけで、ホスピリティアでは自分勝手なヒーローたちの仕事を奪う仲間たちを募集中…おっと、これ以上はBANされるから察しなさい!』
『…ふう、これでいい? 動画向きのテンションって疲れるのよね…ん? オルトロス、あんたなんで笑って…って、カメラ止めてないじゃないの!? 後で編集カットしなさいよ!?』
「…でも、普通にいい動画だ…あれ? もしかして私のパン作りと微妙にジャンルがダブってる?」
この動画では文字通りレディがお料理をしていて、それはある意味ではパン作りをする私と似ている…のだけど、棒読みっぽさはまったくない。
それどころか本当に料理が好きなのか、作っている最中はとても楽しそうで、同じくパン作りが好きな私とどうしてここまで差がついてしまったのか…多分、『仲間を増やすために手段を選べない』といった理由があるのだろうけど。
ちなみに彼女は協会からすると非認可ヒーローであり、アカウントのアイコンにもそれを注意するマークが表示されている。この状態だと収益化ができない上、悪の組織の過剰な宣伝は規約違反なのか、ここでの活動は肩身が狭そうだった。
…最後のほうのカットされなかったシーンについては、まあ置いておこう。可愛かったけど。
「…次は、えっと…あ、やっぱりシャテルロのもあった…『現役サイボーグ(第七世代)の兵器解説チャンネル』…うーん、それらしい、ような?」
レディの動画を堪能したあと、私はさらなる知り合いについて検索してみる。そして現役サイボーグことシャテルロの動画もヒットして、それならば見ないわけにもいかないとタップした。
ちなみに私は素手で戦っているけれど、実は銃器も結構好きだったりする。理由は自分でもわからないのだけど、アサルトライフルやサブマシンガンといった武器を見ていると…なぜだか懐かしくなるのだ。撃ったことないはずなのに。
『皆さん、こんにちは。現役サイボーグの江…こほん、シャテルロ、です。今回紹介するのは…ガトリング機構、について、です』
『まず、ガトリングは…銃の名前では、ありません。正確には、回転式多銃身…機構のこと。私が使う、GA-27Sを、想像して、ください』
『弾を撃つたびに、銃身がくるくる、回ります。これは、連射によるオーバーヒート。つまり、過熱を防ぐため。複数の銃身を順番に使うことで、熱が分散、されます』
『ガトリングは重くて、大きくて、電力も必要。人間には、運用がむずかしい。でも、サイボーグなら、大丈夫。重さも反動も制御、できます』
『連射速度も、調整可能。私は、毎分3000発で、撃てます。この武器は、広範囲に被害を出さないので、居住区が近くても、安心。です』
『もちろん、さらに安全を重視するなら、格闘兵器も、積んでます…あれ。途中から、サイボーグの紹介に、なったかも』
「…おおー…うん、普通に参考になる。ガトリングって銃の名前じゃなかったんだ…」
シャテルロは動画の中でもいつも通り淡々としていて、それは私の棒読みを彷彿とさせる…けれど、私に比べると「えっと」とか「はい」みたいな取り繕うような相づちがなくて、テンポの悪さを感じさせない。
それに元々静かではありながらも聞き取りやすい声質なのか、あるいは解説が上手いのか、その内容はするすると頭に入ってくる。途中でサイボーグの話に脱線したけれど、それも愛嬌と感じさせるような憎めなさがある。
…私の動画がひどすぎるだけだろうか。
「…シザーズは…やっぱりないか。うーん、ほかに知り合いとかいないし、どうしたものかなぁ」
「姉さんってその三人とは仲良しだよね? この前も一緒に戦っていたし、ユニットを組んでみるのもいいかも」
そして最後に魔法少女ことシザーズについて検索すると、一切の動画がヒットしなかった。里奈の言うとおりシザーズはここへ投稿できないみたいで、改めて彼女が何をしたというのか気になる。
それは好奇心からではなく、どことなく憤りを伴っていた。たしかに彼女はテンションが高く、場合によってはウザ絡みに見えるかもだけど、実際は真面目に戦っていて、ほかのヒーローを助けることだってある…というかその能力も踏まえると、むしろ見えないところでも誰かのサポートをしていそうだった。
そんな彼女が追放されているだなんて…と思っていたら、里奈が私の独り言に反応してくれる。動画編集もまもなく終わるみたいで、改めてこの子の手際の良さに感謝した。
「ユニットかぁ…そうだね、チームを組んで戦うヒーローもいるんだよね」
「戦いだけじゃなくて、歌とかダンス、それ以外にもゲーム実況とかお絵かき配信とか、いろんな企画があるよ! レディさんやシャテルロさんの動画はバズってるわけじゃないけどコアなファンがいるっぽいし、姉さんとファンのタイプも似ているから、ユニットを組めば相乗効果もあるかも…」
「…そうなったらさ、プロデューサーやマネージャーっているのかな?」
「うーん、たしかに個性豊かなメンバーを取り仕切る人はいたほうがいいかも…私は動画編集ならちょっとは手伝えるけど、そっちは力になれないや…ごめんね?」
ユニットという言葉に私は先日の監督官の言葉を思い出し、今後の展望について少しだけ思案する。
私たちが手を組むとして、そうなったら全員で戦うためのスケジューリング、そして戦闘以外の動画の企画準備、何より面倒くさい書類の整理…それら諸々を担当してくれる人は、たしかに欲しい気がする。
それはソロで戦い続ける場合はもちろんだけど、個性豊かすぎる人たちが集まるユニットであれば…より重要な気がした。
(にしても、ファイターにトリックスター、サイボーグに魔法少女か…まるで『闇鍋』みたいな組み合わせだな)
まったく違う味を持つヒーローたちが、一つの鍋に集まってよりおいしい料理を目指す。
その様子を想像した私は苦笑し、そして「里奈はいつも力を貸してくれているよ。ありがとう」と妹の頭を撫で、ユニットの話はとりあえずうやむやにした。