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第5話   新たなバディ

 数メートルの間合いが瞬く間に縮まる。


 颯爽と立ち上がったユタラは左足を一歩分だけ前に出し、両足の爪先が漢数字の「八」の字になるような三戦立ちの構えを取った。


 身体は相手に対して正面。


 肩に余計な力が入らないようにしっかりと脇を締め、開手にした両手の親指だけを完全に曲げる拇子拳ぼしけんという拳形に変化させる。


 直後、襲撃者は畳を強く蹴って高らかに飛翔した。


 上地流空手独特の構えを取ったユタラの顔面に向かって、鋭い横蹴りを繰り出してくる。


 闘気をまとった鋭い横蹴りから身を守るため、ユタラは襲撃者の横蹴りを平手回し受けの技で受け流す。


 それでも襲撃者は攻撃の手を緩めなかった。


 襲撃者は床に着地するなり素早く反転。


 今度は右手に持ったナイフで攻撃してきたのだ。


 狙いは頚動脈けいどうみゃく


 ナイフで刺されたら致命傷は免れない急所である。


 だからこそ、ユタラは危機回避のために究極の選択を取った。


 ナイフを持った襲撃者の右手を内受けでがっしりと受け止めるや否や、勢いよく畳を蹴って背中から襲撃者の身体を抱き締めたのだ。


「ちょっ、後ろから襲いかかるなんて卑怯じゃない!」


 両腕の中で必死に抵抗する襲撃者にユタラは溜息混じりに呟く。


「素手の相手にナイフで襲いかかる君に言われたくはないよ、舞弥」


 ユタラが拘束を解いたと同時に襲撃者は素早く距離を取った。


 続いて襲撃者は防護面つきのヘルメット、黒の目出し帽、ボディアーマーの順に脱いで自分の正体を明かす。


 襲撃者の正体は成人にも達していない少女であった。


 高くもなく低くもない適度な高さの鼻梁。


 黒目がちの澄んだ瞳。


 顎の先端に向かうほど逆三角形になっている整った顔立ち。


 髪型は墨を流したような黒髪を肩口の辺りで切り揃えたセミロングであり、切れ長の目眉と桃色の唇からは何とも言えない色香が漂っている。


 肉づき加減も申し分ない。


 日頃から運動と食事のカロリー計算を徹底しているためか、衣服の上からでも脆弱や華奢という二文字はまったく見受けられなかった。


 当然である。


 野性味と可憐さを兼ねそなえていた少女は、中学・高校と柔道部に在籍して全国大会にも出場した経験を持つ格闘技の猛者なのだから。


 片桐舞弥。


 ユタラと同じく九年前にインドから日本へと移り住んだ少女だ。


「いつからあたしだって気づいたの?」


 ユタラは両腕を緩く組んで小首を傾げた。


「何となく。オーラというか雰囲気というか……いや、もっと具体的にわかったのは君の蹴りを受け流したときかな。掌から伝わってきた感触で「ああ、これは舞弥だ」と思った」


「へえ、凄いわね。それって中国拳法でいうところの聴勁ちょうけいってやつ? 触れただけで相手の感情や行動が読み取れるって聞くけど」


「これは聴勁じゃなくて沖縄の古流空手に伝わっているカキエの技法さ。でも、根本は聴勁と同じだと思う。だって沖縄の空手は土着の武術と中国武術が合わさって……」


 熱弁を振るっていたユタラはふと我に返った。


「いやいや、そんなことよりもどうして舞弥がここにいるのさ。大体、その特殊部隊みたいな格好とナイフを使った奇襲は何なの? まさか、コスプレじゃないよね」


「そんなわけないじゃない。この格好は訓練時に着用していたユニフォーム。奇襲したのはあたしの実力をあんたに見せるために仕方なくやったの」


「実力を見せるため?」


 ユタラが驚きを隠せなかったのも無理はなかった。


 世田谷区に居を構えていた〈アーツ製薬〉の本社ビルには二つの社長室が存在する。


 一つは地上五階にある表の社長室。


 もう一つは地下五階にある裏の社長室だ。


 表の社長室はアポを取れば一般人やマスコミでも入室は可能だったが、非合法活動を生業としている〈青い薔薇〉の中枢――裏の社長室には一般人どころか〈アーツ製薬〉の社員でも簡単に入ることは許されない。


 社員でもエージェントでもない舞弥ならばなおさらだった。


 裏の社長室に呼ばれることなどあり得ない。


 あるとすれば理由は一つ。


 ユタラは青ざめた顔を舞弥から百合子へと移す。


「お前さんの考えているとおりだよ。片桐舞弥は〈青い薔薇〉に配属させる。仕事内容は〈発現者〉をサポートすること。そう、お前さんの新しいバディは彼女に務めてもらう」


「冗談じゃない!」


 ユタラは唾を吐き出さんばかりに怒鳴った。


「僕は反対です。舞弥はこっちの世界にかかわるべき人間じゃない。外国人の僕とは違って彼女は生粋の日本人なんですよ。このまま日本で危険とは無縁な生活を送るべきでしょう」


「確かに日本人の舞弥なら日本で上手く生きていけるだろうさ。だけど、舞弥をこっちの世界に引き込んだのは私じゃない」


 再び視線を戻すと、目が合った舞弥は力強く顎を引いた。


「そうよ、あたしは自分から〈青い薔薇〉に入ることを決めたの」


 ユタラは信じられないとばかりに眉間に深くシワを作る。


「いつから決めていたのさ?」


「ずっと前から……ごめんね、今まで黙っていて」


 ユタラは顔をうつむかせた舞弥に歩み寄り、両肩に軽く手を置いて首を左右に振った。


「そんなことはいいから、もう一度よく考え直すんだ。舞弥には未来がある。自分から〈青い薔薇〉に入って寿命を縮めるようなことはしちゃいけない。きっと草葉の陰でドクター・カタギリも泣いているよ」


「わかってる。パパがあの世で泣いていることぐらいね。だから、あたしは大学進学を諦めて〈青い薔薇〉に入ることを決めたの」


「どうしてだよ? どうしてよりによって〈青い薔薇〉に――」


 舞弥に詰め寄ったユタラに対して、傍観していた百合子が静かな声で一喝した。


「見苦しいよ、ユタラ。舞弥の〈青い薔薇〉への配属はすでに決定事項なんだ。それに言っておくけど、舞弥は大人の男でも脱落する厳しい試験をクリアして採用されたんだからね。ESIを一度で合格したことが何よりの証拠さ」


「ESI?」


 舞弥は自分の両肩に置かれていたユタラの手を優しくどけた。


「アメリカのコロラド州にある戦闘訓練施設のこと。最初は未成年の女でしかもズブの素人だからっていうことで受講は拒否されたんだけど、百合子さんがどこかに口添えしてくれたお陰で何とか受講することができたの。そのESIであたしは高校最後の夏休みを利用して猛特訓を積んだ。本当につらくて怖かったわ。でも、パパの仇が討てるかもしれないと思ったら過酷な訓練だって何とか乗り越えられた」


「ごめん、話が全然見えない。ドクター・カタギリの仇を討つ? そんなの無理に決まっているじゃないか。ドクター・カタギリが殺されたのは九年も前のことだ。それも殺された場所は日本じゃない。日本から六千キロも離れているインドで殺されたんだよ」


「それで舞弥は〈青い薔薇〉に入ることを志願したんだろう」


 ユタラの言葉に横槍を入れてきたのは百合子だ。


「〈青い薔薇〉の任務内容と場所は多岐に渡る。それでも活動場所は第三世界の内戦や紛争地域が多い。理由は今さら聞かなくてもわかるね。〝あの薬〟を悪用されるのは決まって先進国よりも戦争や内戦状態に陥っている発展途上国だからさ」


「つまり、今回の任務は海外派遣ということですか?」


「察しがいいね。そうだよ、お前さんは舞弥とバディを組んで海外へ飛んでもらう。詳しい情報は相沢に伝えてもらうが、ここで掻い摘んで説明すると〈アーツ製薬〉が海外に設けている製薬工場の一つが武装ゲリラに襲われた。それだけなら現地の警察に任せておけばよかったんだけど、目撃者の情報によれば武装ゲリラは化け物を連れていたと言うんだ。そして化け物を連れ添った武装ゲリラは、最終的に砂漠の中に建てられた油田施設に大勢の人質を取って立て篭もったという」


 話を聞き終えたあと、ユタラの視界全体に思い出したくもない砂の大地が広がった。


「必要な物資は向こうの工作員にすべて用意させておくから、お前さんたちは任務内容を聞いたら身支度を整えてすぐに現地へ飛びな。いいね?」


「待ってください。もしかして僕たちが向かう国というのは……」


「世界最大になった人口大国で無数の宗教と言語がひしめき、かつて地方領有と天然資源の問題で第四次印パ戦争を起こした国」


 百合子は淀みのない口調で言葉を紡ぐ。


「インド共和国だよ」


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