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第15話   赤い蛇

 マラディンは集まっていたレンタル・ソルジャーたちを睥睨すると、ヒンドゥー語の訛りがない流暢な英語で口火を切った。


「ようこそ、〈ヴィナーヤカ〉へ。私の名前はマラディン・ラル。今回の仕事における諸君らの雇い主だ。隣の彼女はアジーナ・ティトリ。私の秘書をしてくれている」


「あんたらの自己紹介はどうでもいい。早く仕事内容について話してくれ」


 白人のレンタル・ソルジャーの横暴な態度にもマラディンは顔色一つ変えなかった。


「よろしい、それではビジネスの話に移ろう。諸君たちの仕事内容は至って単純。タール砂漠内にある油田施設を占拠した武装ゲリラを武力で一掃してもらいたい」


 そのとき、黒人のレンタル・ソルジャーが挙手をしながら口を開く。


「具体的な報酬の額を教えてくれないか?」


 この質問に他のレンタル・ソルジャーたちが追随した。


 成功報酬の分配方法や振込み先の指定を確認する者も出てきて、室内は瞬く間に異様な熱気に包まれていく。


 無理もないか、とユタラは納得した。


 身分を偽っているユタラと舞弥とは違い、本職のレンタル・ソルジャーたちにとって依頼主との報酬交渉は死活問題だ。


 聞くところによると、この業界では命賭けで仕事を成功させたのに報酬が払われないことも多々あるという。


「報酬の心配は無用だ。私も余計な敵は作りたくないからな。少なくとも今回の仕事に成功した暁には、現金でもカードでも諸君らが望む形で報酬を支払うつもりだ。報酬額は一人につき米ドルで五千ドル。ゲリラの頭目を捕まえた者にはさらに五千ドルを上乗せしよう」


 マラディンは淡々と話を続ける。


「ただし、任務遂行中における責任は諸君たち一人一人が負ってもらう。つまり、今後の人生に多大な影響を及ぼす重度の怪我を負っても〈ヴィナーヤカ〉は一切責任を持たない。死亡した場合も不慮の事故死として扱われる……まあ、一端のレンタル・ソルジャーならばそのぐらいの覚悟を持って任務に当たると私は思っているがね」


 そうしてマラディンが真っ白な歯を覗かせたときだ。


 訊きたいことがあります、とユタラが挙手をした。


 成人にも達していないレンタル・ソルジャーが珍しかったのだろうか。


 先ほどまで無表情だったマラディンは唇を歪める。


「私が答えられることなら何なりと答えよう」


 ユタラは我が意を得たとばかりに大きく息を吸い込んだ。


「どうして油田施設が武装ゲリラ程度に占拠されたんですか? タール砂漠の油田施設はインドでも最大の石油採掘場。当然、インド政府も常に目を光らせていたはずですが」


「残念ながら、その質問に答えることはできない。そもそもレンタル・ソルジャーの諸君らに油田施設が占拠された経緯など関係ないはずだ。違うかな?」


「あなたの言いたいことはわかります。でも、レンタル・ソルジャーだからと軽く見られては困ります。現地で血を流すのは僕たちなんですよ」


「何が言いたいのかね?」


「油田施設を占拠している武装ゲリラの正確な素性を教えてください」


「なぜ?」


「そのほうが成功する確率が増すからです。次世代を担う新たなエネルギーとしてメタンハイドレードやバイオ燃料を実用化する研究が世界各国で行われている一方、未だに世界中の石油会社が新たな油田開発に着手していることは有名です。そんな後者の行為が実を結んだタール砂漠の油田施設の警備がザルだったはずがない」


 ユタラは全員の視線を一身に受けつつも平然と言葉を紡いでいく。


「それでも油田施設が占拠されたのなら二つの理由が考えられます。一つは油田施設の警備に就いていた人間に裏切り者がいた場合。いかに厳重な警備システムを導入していても管理している人間と密かに通じていれば話が違ってくる。どれだけ頑丈な鍵をかけたところで、中から鍵を開ける人間がいるのなら元も子もないですからね」


 マラディンは軽く首を横に振った。


「私の考えが正しければ裏切り者の線は限りなく低い。なぜなら、ゲリラが油田施設を占拠した際に警備の人間は全員殺されているからだ。人質も一人たりとも解放されていない。それどころか、要求が通らない場合は人質を全員殺すとも犯人たちは言い張っている」


「なるほど……じゃあ、もう一つの理由が原因みたいですね」


 ユタラはマラディンに射抜くような視線を飛ばした。


「武装ゲリラは予想だにしていなかった戦力で油田施設を占拠した。違いますか?」


 室内に微妙な空気が流れ始めたとき、マラディンは身体の力を抜いて大きく吐息する。


「面白い。君の慧眼に免じて少し説明しようじゃないか」


 そう言うとマラディンは秘書のアジーナに目配せする。


 アジーナはこくりと頷き、携帯していたリモコンを操作した。


 すると部屋の明かりを司っていた蛍光灯の光が消え、室内は数メートル先も視認できないほどの暗闇に包まれる。


 しかし、動揺の声を上げる者は一人もいなかった。


 声を上げる間もなく蛍光灯とは別な光源が室内に現れたからだ。


 液晶画面である。


 前方の壁にかけられていたカーテンが自動的に左右に開かれ、隠されていた百インチ相当の巨大な液晶画面が顔を覗かせたのだ。


 それだけではない。


 液晶画面にはカーキ色の軍服を着たインド人が映し出された。


 人数は三人。


 ロシア製のAK74というアサルトライフルを携帯している。


「この三人は政府と油田施設の採掘権を有している、石油会社に声明映像を送りつけてきた武装ゲリラたちだ。武装ゲリラの名前は〈ラール・サルバ〉。直訳すると〈赤い蛇〉という」


 静止画面を見据えながらマラディンは説明する。


「〈ラール・サルバ〉はラージャスターン州でも名が通っていた武装ゲリラで、噂によるとイスラム過激派とも親交があったらしい。そして真ん中の禿頭の男が〈ラール・サルバ〉の頭目であるカビール・ビジャム。殺人罪と強姦罪で指名手配されている凶悪犯だ」


 液晶画面の真ん中に立っている男にユタラは注目した。


 左右にいる男たちは厚布で顔を隠していたものの、リーダーであるカビールは顔を隠してはいない。


 禿頭と無精ひげを生やした、三十代後半と思しき細身の男である。


「カビールは声明の中で警備システムを乗っ取り、油田施設で働いていた約五十人の職員を捕虜にしたと言っている。もちろん、連中の目的は金だ。捕虜一人を解放させる代わりに米ドルで百万ドルを支払えと政府と石油会社に要求してきた。要求が飲めない場合は油田施設を爆破するとつけ加えてね」


「それだけですか? できれば静止画ではなく実際の映像を見たいんですけど」


 ユタラの願いをマラディンはにべもなく否定した。


「見たところで君たちの仕事内容が変わるわけでもあるまい。君たちレンタル・ソルジャーの仕事は報酬を受け取る代わりに専門の仕事をするだけだ。それに余計な詮索は君たちの報酬に悪影響が出るかもしれんぞ」


 この言葉に反応したのは本業のレンタル・ソルジャーたちだ。


 報酬が減らされるかもしれないと危惧したのだろう。


 変に目立っていたユタラにブーイングの嵐を浴びせる。


 ユタラはこめかみを人差し指で掻くと、無言のまま着席しようとした。


 何も周囲の人間たちに恐れをなしたからではない。


 実のところカビールたちがインド政府や石油会社に送りつけた声明映像はユタラも舞弥も日本で視認ずみだ。


 映像を入手したのはインドの現地工作員であるプラムだった。


 彼は女装癖のある単なるオカマではなく、クラッキング技術に長けたクラッカーとしての一面も持っているという。


 仮にも〈青い薔薇〉の現地工作員に選ばれた人物だ。


 ならばプラムのクラッキング技術は相当高いに違いない。


 だが、今のユタラにはどうでもよかった。


 それよりも百合子の秘書である相沢女史から聞いた、カビールについての聞き捨てならない情報のほうが気になる。


 ユタラは着席する前に意を決してマラディンに尋ねてみた。


「わかりました。ですが、最後に一つだけ聞かせてください。その〈ラール・サルバ〉という武装ゲリラの中に不思議な形の火傷を負っている人間がいるというのは本当ですか?」


 不意にマラディンは表情を歪めた。


 それは隣に佇んでいたアジーナも同じである。


 二人は互いに顔を見合わせると、質問したユタラに乾いた笑みを見せた。


「どこで手に入れた情報か知らないが的を射ている。カビールだよ。カビールが不思議な形をした火傷を負っているそうだ。まあ、どこの部位にあるかまでは知らないがね」


 直後、ユタラの脳内に九年前の忌まわしい記憶が次々と蘇ってきた。


 難民キャンプから誘拐されたときの恐怖。


 がたがたと激しく揺れていたボンネット・トラックの荷台。


 足場が不安定で流れる汗が止まらない砂漠。


 強力なアサルトライフルで武装していた軍服姿のゲリラたち。


 腕に蝶のような形の火傷を負っていた舞弥の仇。


 ユタラはおそるおそる隣にいた舞弥の顔をちら見する。


 舞弥は画面に映っていたカビールを瞬き一つせずに直視していた。


 殺意と憤怒が渾然一体となった炯々とした黒瞳で。


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