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第18話   復讐心

 おぼろげな閃光に見えていた太陽が空と地表の境目に姿を消すとき、人間の体内から容赦なく水分を搾り取る砂漠の暑さは減少する。


 砂漠地帯における昼と夜の気温差が激しいことは有名だが、それはラクダを主な交通手段としていたタール砂漠も例外ではなかった。


「いきなり冷えてきたね、舞弥」


 先を歩いていたユタラが小声で話しかけてくる。


「あたしは大丈夫。それよりも音には注意してよ。こういった鉄製のトンネル内は音が予想以上に外へ漏れるから」


 舞弥は同じく小声でユタラに注意すると、原油独特のつんとする匂いを堪えながら慎重に両足を動かしていく。


 討伐隊から外されて二時間は経過しただろうか。


 ユタラと舞弥の二人は他のレンタル・ソルジャーたちの目を盗みつつ、闇夜に紛れて一本の破損したパイプラインに侵入した。


 パイプラインの中は数メートル先も見えないほどの暗闇に支配され、若干の原油が残って滑りやすかったものの、コンバット・ブーツを履いていたので二人の足取りは軽い。


 貴重な原油を運ぶパイプラインが頑丈な代物だったことも幸いした。


 破損箇所が多く目立つとはいえ、子供の二人ぐらい余裕で支えられる強度は依然として保たれていたのだ。


 なので携帯していたフラッシュライトで足元の破損箇所を避けて通れば余裕で先へと進める。


 また先ほどからヘリコプターのローター音に混じって、パイプラインの天井に何かを叩きつけるような音が絶えなかった。


 雹ではない。


 突風で運ばれた石がパイプラインに降り注いでいるのだ。


 舞弥はフラッシュライトを片手に先行しているユタラの背中を追う。


 我ながら廃棄されたパイプラインを使うとは抜群のアイディアだった。


 けれども自分の策に溺れてぐずぐずしていたら何もかもが手遅れになってしまう。


 しかし、状況を鑑みるに天は自分に味方している。


 このまま行けば余計な戦闘を避けて目的地の油田施設内に忍び込めるはずだ。


 もちろん、あくまでも敷地内までと考えたほうがいい。


 そこから先は多くの監視やトラップを抜けなければならないはずである。


 だとしても今の舞弥に後退の二文字はなかった。


 九年経った今でも耳の奥に残って消えないでいる。


 金銭や名誉のためではなく、一介の医師として難民キャンプで働いていた父親を虫けらのように殺した連中の声を。


 九年経った今でも身体の奥底に刻み込まれている。


 父親を殺した連中にタール砂漠まで無理やり連れて行かれたときの圧倒的な恐怖を。


 九年経った今でも目蓋の裏に焼きついて離れない。


 父親を殺した張本人の腕に蝶のような形をした火傷があったことを。


 そして油田施設を占拠している武装ゲリラのリーダーにも、不思議な模様をした火傷があるという。


 はっきりとした模様はわからない。それでも本能が囁いている。


(あいつが……カビールがあたしのパパを殺した犯人なんだ)


 あれから九年という月日が経っていたが、犯行場所は同じインドのタール砂漠。


 ならば九年前に自分たちのいた難民キャンプを襲撃した連中と、今回の油田施設を占拠している武装ゲリラが同一犯である可能性は決して低くないだろう。


 だからこそ、と舞弥は怒りで奥歯をぎりりと軋ませた。


 その直後である。


「……あ……いあ……舞弥……舞弥ってば」


 はっと我に返ると、吐息がかかるほどの距離にユタラの顔があった。


 顎下から放射されていたフラッシュライトの光がユタラの顔だけを闇の中に怪しく浮かび上がらせている。


「どうしたの? さっきからずっと上の空じゃないか?」


 心臓を素手で掴まれたような錯覚を覚えたのも束の間、舞弥はさり気なく目線を逸らして心情を悟られないように表情を緩めた。


「な、何言ってるのよ。これでもあたしは常に任務のことだけを考えているんだから」


「嘘……だよね?」


 車のエンジンを吹かせたような突風が鳴り響く中、ユタラは真摯な顔で問いかけてくる。


「今の舞弥は任務よりも私情を優先しているように見える。大方、油田施設を占拠している武装ゲリラと九年前に僕たちを拉致した連中が同一犯だと疑っているんじゃない?」


「ば、馬鹿なこと言わないでよ。第一、何の根拠があってそんな――」


「不思議な模様をした火傷」


 ユタラの口から出た復讐のキーワードに舞弥は思わず息を呑んだ。


「忘れるわけないじゃないか。九年前、僕も君と一緒に見ているんだよ。連中の一人に不思議な模様をした火傷があったこと。だから――」


「だから、あたしが任務よりも復讐を優先させると思ったの?」


 ユタラは小さく首を縦に振った。


「そんなことあるわけないじゃない。あたしたちは〈青い薔薇〉のエージェントとしてインドに派遣されたのよ。だったら任務遂行が最優先項目でしょう」


「本当にそう思ってる?」


 舞弥は偽りの笑みを浮かべながら「当たり前よ」と胸を張った。


「じゃあ、武装ゲリラの討伐よりも〈青い薔薇〉の任務に全力を注ぐと誓える?」


「ち、誓えるわよ。あたしこと片桐舞弥は〈青い薔薇〉の任務に全力を注ぎます。どう? これで満足した? 満足したのなら早く先に進みなさい」


「うん……わかった」


 ユタラは振り返ると、再びフラッシュライトの光を頼りに奥へと歩いていく。


(ごめん、ユタラ。嘘つきのお姉ちゃんを許して)


 口では〈青い薔薇〉の任務を優先すると誓った舞弥だったが、父親の仇と思われる武装ゲリラよりも任務を優先させるつもりは毛頭なかった。


 その代わり、必ず連中に自分たちがしてきた悪事の数々を後悔させる。


 特に父親の仇と思しきカビールだけは絶対に許せなかった。


 恐怖に震えるカビールの眉間に銃口を突きつけ、九年前にやらかした己の蛮行を悔い改めさせても許せるかどうか。


 どちらにせよ、まずはカビールと対峙しなければ話にならない。


 舞弥は手持ちの主力武器であるオートマチック拳銃のグリップを強く握った。


 すると示し合わせたかのようにユタラの足が止まる。


「ちょっと、どうして急に止まるのよ?」


「どうしても何も……ほら」


 フラッシュライトの光の先には、二人の行く手を遮っている鉄製の壁が視認できた。


「どうりで敷地内に続いているパイプラインの中にトラップの類がなかったはずだよ。こんな壁で仕切られているんなら、わざわざトラップを仕掛ける必要なんてないからね」


「何を暢気なこと言っているのよ」


 舞弥はユタラの隣を横切って壁に近づき、軽く折り曲げた人差し指でノックする。


 反響音と堅さから推測するに相当な厚さの鉄壁だとわかった。


 この鉄壁を壊すには手榴弾かC4がいる。


 小型の爆弾である手榴弾や高性能爆薬に可塑剤を加えたプラスチック爆薬であるコンポジション4――C4ならば爆発の際に発生する強力な衝撃波により眼前の鉄壁を破壊できるはずだ。


 だが、あいにくと手榴弾やC4は持ち合わせていない。


 手持ちの武器はスイス製のSIGザウアーP226ハンドガン一丁とコンバット・ナイフ一本のみ。


「もう、これじゃあ先に進めないじゃない!」


 舞弥は苛立ちに任せて目の前の鉄壁に蹴りを見舞う。


 靴底と中底の間に金属板が埋め込まれたコンバット・ブーツでの一撃である。


 それでも鉄壁の一部を凹ませるどころか、微動だにさせることも無理なのは明らかだった。


 ところが舞弥の履いていたコンバット・ブーツの靴底が鉄壁と接触した瞬間、二人が潜んでいたパイプライン全体が強震に襲われたように激しく上下に揺れた。


 片足立ちになっていた舞弥は咄嗟に体勢を整えることもできずに転倒する。


「凄いな。舞弥の蹴りってこんなに威力があったのか」


 震動がおさまった数秒後、唖然としていた舞弥はユタラに優しく起こされた。


「ありがとう……ってそんなわけないでしょう。今のは蹴りのせいでも地震でもない。爆破物による衝撃よ」


 おそらく突入作戦が決行されたのだろう。


 警備の手薄な場所を爆破して突破口を開き、完全武装したレンタル・ソルジャーによる人海戦術で一気にケリをつけるつもりだ。


「ユタラ、あたしたちも早く施設に向かいましょう。でないと手遅れになる」


「そうだね。レンタル・ソルジャーに邪魔されて〈発現者〉を逃がしたら事だものね」


 そのとき、舞弥の心臓に針で刺されたような鋭い痛みが走った。


 ユタラは勘違いしている。


 舞弥の口にした〝手遅れになる〟とは〈発現者〉に逃げられるという意味ではなく、カビールが第三者に殺されるという意味を含んだ言葉だった。


「だけど手持ちの武器だと目の前の鉄壁は壊せないしな……仕方ない。こうなったら僕が力尽くで何とかするよ」


 舞弥が良心の呵責に悩まされたとき、両腕を組んでいたユタラは眼前の鉄壁に向かってぼそりと呟いた。


 その言い方が「ちょっとドアを開けるよ」ぐらい軽い口調だったので舞弥は面食らってしまった。


「力尽くで何とかするって……まさか、この鉄壁に素手で穴を開けるつもり!」


「いやいや、さすがの僕でも素手で鉄壁に穴を開けるなんて無理だよ」


 だけど、とユタラは持っていたフラッシュライトを舞弥に突きつける。


「穴の代わりに隙間を開けてみせる」


 舞弥はフラッシュライトを受け取るなり、何の冗談かと眉間の縦シワを深めた。


「ユタラ、あんたの心意気はわかった。でもね、世の中には可能なことと不可能なことの二種類しかないのよ。ここは一旦引いて別のパイプラインから敷地内へ」


 向かいましょう、と舞弥が踵を返そうとしたときだ。


 ユタラは鋭い呼気を吐きながら、鉄壁に対して自流の構えを取った。


 両股を内側に引き締めつつ、一歩だけ踏み出した右足と左足が漢数字の「八」の字になるように立つ。


 両手はボクシングのファインティングポーズとは異なり、肩に無用な力を入れず肘と脇腹を密着させた。


 両拳は固く握らず、開手の状態から親指だけをしっかりと曲げた拇子拳と呼ばれる拳形に変化させる。


 日本の沖縄で発展した上地流空手独特の構えだ。


 上地流空手のことはユタラが選んだ戦闘スタイルなので舞弥も勉強していた。


 空手発祥の地である沖縄で最も中国拳法に近い空手と言われている名流である。


 もともと空手は沖縄の古武術である〈手〉と中国拳法が融合して誕生した武術であり、その中でも上地流は比較的新しい空手流派として大正時代に産声を上げたという。


 だが、上地流空手の特徴は知れば知るほど異質を極めた。


 目玉や金的以外の部位を徹底的な肉体鍛錬により鋼の如く鍛え上げるのだ。


 それこそ攻撃を加えた相手の拳足が破壊されてしまうほどに。


 そんな上地流空手を得手としていたユタラは本気で鉄壁を破壊しようとしている。


 それも銃器や刃物には一切頼らず、ひたすら鍛え上げた自分の拳足のみで。


「舞弥、危ないから下がっていて」


 言われなくても舞弥は無意識に後退していた。


 ユタラから放出されていた異様な雰囲気に恐れをなしたからではない。


 上地流空手の構えを取ったユタラの皮膚が徐々に別の生物へと変貌していったからだ。


「――行くよ」


 ユタラの声が耳に届いた直後、パイプラインの一角に甲高い金属音が鳴り響いた。

 ハンマーで鉄壁を思いっきり叩いたような歪な金属音。


 それはユタラが鉄壁に対して鋭い前蹴りを食らわせたときに生じた衝撃音だった。


 それだけではない。


 ユタラは前蹴り、横蹴り、後ろ蹴りと多種多様の蹴りを放つと、間髪を入れずに今度は素手で鉄壁を殴り出したのだ。


 鉄壁の中央にではない。


 左の壁端に正拳突き、手刀打ち、裏拳打ち、肘打ち、掌底打ちなどの手技を本気で打ち込んでいく。


 するとどうだろう。


 人間の攻撃ではビクともしないはずの鉄壁に異変が生じた。


 ユタラが一つ技を繰り出す度に鉄壁の表面が凹んでいったのだ。


 手榴弾やC4などでようやく壊せると舞弥が判断した頑丈な鉄壁がである。


 五分ほど経っただろうか。


 一箇所を集中的に攻撃した結果、鉄壁はついにユタラの猛襲に屈服した。


 鉄壁の壁端に外と通じる小さな隙間が生まれたのだ。


 それでも人間が通れるような大きさではなかったので、攻撃を中断したユタラは第二の手段に転じた。


 ユタラは小さな隙間に両手を入れて鉄壁をこじ開け始めたのだ。


 全身全霊の力を込めたユタラの腕の筋肉は膨れ上がり、バンプアップした筋肉と表皮の間に無数の血管が浮かび上げる。


 その間、舞弥は呆然と成り行きを見守るしかできなかった。


 当然である。


 腕力で鉄壁をこじ開けようとしているユタラに、対人用の戦闘技術しか習得していない常人の舞弥が加勢できるはずがない。


 やがてユタラの労力は見事に実を結んだ。


 壁端にはユタラと舞弥が何とか通り抜けられるほどの穴が開けられた。


 穴を通して砂漠地帯特有の乾燥した空気が流れ込んでくる。


「はあ、はあ、はあ……これで何とか……通れるはず……だよ」


 死力を振り絞ったユタラは、額にびっしりと汗を掻きながら横の壁に背中を預けた。


〈発現者〉であるユタラでも鉄壁の一部をこじ開ける行為はつらかったのだろう。


 ユタラは百メートルを全力疾走したように荒く呼吸を繰り返す。


「だ、大丈夫?」


 舞弥がおそるおそるユタラに歩み寄ると、ヒビが入ったように硬質化していたユタラの皮膚が見る見るうちに人間の皮膚へと戻っていく。


「大丈夫大丈夫。僕は肉体鍛錬以上に局部鍛錬と型の鍛錬に主眼を置いていたからね。拳も足もどこも傷めてないよ。それに能力を発現させている間の僕は鉄よりも堅いのさ」


 ユタラは壁から背中を離すと、何度か深呼吸をして呼吸を整えた。


 そしてコンバット・ベストのポーチから取り出したパチンコ玉を口に含む。


「さあ、一刻も早く施設内に向かおう。いつまでもこんなところで足止めを食らってるわけにはいかない」


「そ、そうね」


 適当に相槌を打った舞弥にユタラは首を傾げて見せた。


「どうしたの? 微妙に声を裏返らせて」


「当たり前でしょう。誰だって〈発現者〉の力を見たら驚くに決まっているじゃない」


「あれぐらいで驚いていたら身が持たないよ。君も〈青い薔薇〉のエージェントなら〈発現者〉が本気で能力を発現させたらどうなるか知ってるでしょう?」


 知らないはずがなかった。


 正式な〈青い薔薇〉のエージェントとして登録された際、百合子からユタラの〈発現者〉としての生物タイプを詳細に聞かされたのだ。


 しかし、やはり他人から聞かされるのと自分の目で見るのでは驚きの度合いに雲泥の差があった。


 しかも百合子の秘書であった相沢女史から渡された報告書によると、ユタラの能力にはまだ先がある。


 個々の資質によって生物タイプが異なる〈発現者〉の中でも、ユタラの身体に発現する生物の能力は非常に希少で強力だという。


 わかる気がする。舞弥の脳裏にかつて地球上を支配していた生物の姿が浮かんだとき、普通の人間に戻ったユタラは舞弥の肩を優しく揺さぶった。


「舞弥、何を呆けているのさ。急がないと〈発現者〉に逃げられるよ」


 ユタラの声で現実に引き戻された舞弥は反射的に頷く。


「わ、わかってるわよ。そんなに急かせないで」


 舞弥はパイプラインに開けられた穴から外へと飛び降りた。

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