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第34話   決意

 まともな生活を送っている者には聞きなれない〝戦場〟と聞いて、先ほどまで逃げることに必死だったオリビアの目の色ががらりと変わった。


 これでオリビアは素直に口を閉ざしてくれるはず。


 そう思った舞弥が再び視線をオリビアからAK74に移したときだ。


「ねえ、もう一つだけ訊いてもいいかしら?」


「オリビア議員」


 怒気を含んだ声を発した舞弥に対して、オリビアは「本当にこれが最後だから」と舞弥の承諾も得ずに問いかけてきた。


「あなたが人質に取ったテロリスト集団の首謀者のことなんだけど、いきなり背中から昆虫のような羽翅が生えたわよね? あれって巷で噂になっているUMAのことじゃ――」


 そこまで言いかけたとき、舞弥は瞬時に右手を動かしてオリビアの口を掌で封じた。


 すかさずオリビアの耳元に口を近づけ、小声で「静かに」と耳打ちする。


 数秒後、静寂に包まれていた展示会場の扉が盛大に開かされた。


 ショーウインドウの影に隠れていたので正確な人数は把握できなかったが、足音から察するに少なくとも二、三人の人間が警戒心を持たずに展示会場内に飛び込んできたのはわかった。


 敵の拘束から逃れてきた人質たちだろうか。


 などと、この状況下で甘い夢を抱くのは楽天家か真正の馬鹿だと相場は決まっている。


 十中八九、自分とオリビアを始末しに現れた大人兵だ。


 現に複数の人間たちは展示会場内に足を踏み入れるなり、狂った麻薬中毒者のようにAK74のトリガーを引き絞った。


 フル・オートで発射された五・四五ミリ弾が、各国の民族衣装を展示していたショーウインドウを粉々に粉砕していく。


 アサルトライフルのフル・オート射撃は嵐に似ている。


 耳をつんざく銃声は濁黒の雲間から迸る雷鳴であり、銃口から発射される弾丸は金属の豪雨だ。


 闖入者が容赦なく放った弾丸はショーウインドウのみならず、来客用の椅子や頑丈な壁にも無数の穴を穿っていく。


 正常な思考を持つ人間ならば、極度のパニックを起こす状況だろう。


 実際、オリビアはパニックを起こしかけていた。


 全身を小刻みに震えさせ、両耳を手で押さえて身体を丸めている。


 それでも、これは舞弥にとって僥倖だった。


 闖入者たちは舞弥たちが身を潜めている反対方向の場所に弾丸を吐き出している。


 要するに闖入者の無防備な後姿が舞弥からは丸見えなのだ。


 もちろん、こんな千載一遇のチャンスを逃す舞弥ではない。


 舞弥はオリビアの耳元に口を近づけて「絶対に声を上げないでください」と忠告して行動に出た。


 連中に気づかれないように足音を消してオリビアから離れた舞弥は、別のショーウインドウの影に身を潜めるなり手持ちのAK74の射撃モードを素早くフル・オートからセミ・オートに切り替えた。


 トリガーを引き続けてマガジンが空になるまで弾丸を吐き出すフル・オートとは対照的に、セミ・オートとはトリガーを引くと一発だけ弾丸が発射される機能だ。


 そうして舞弥はショーウインドウの影からトリガーを引いた。


 命中。背中を撃たれた兵士は悲鳴を上げて前のめりに倒れる。


 仲間の一人が銃撃されたことで、残り二人の兵士たちは見当違いの場所に弾丸を撃ち込んでいた愚行に気づいたのだろう。


 慌てて身体を振り向かせ、フル・オート射撃を行ってくる。


 自分に向けられる明確な殺意と弾丸は怖い。


 だが、現状を打破する手立てがないかと訊かれれば舞弥は力強く否と答える。


 だからこそ舞弥は必死に気持ちを落ち着かせ、身体を丸めて二度目のチャンスが訪れる機会をひたすら待った。


 やがて舞弥の祈りが天に届いたのだろう。


 二度目のチャンスが舞い降りてきた。


 突如、二人の兵士のフル・オート射撃がぴたりと止まった。


 弾切れである。AK74のマガジンに装填できる弾丸は三十発。


 フル・オートで馬鹿みたいに撃ちまくれば数秒で弾切れになるのは必然だ。


 そして弾切れを起こした銃は弾丸を再装填しないと鉄と木が合わさった棒切れと化す。


 案の定、二人の兵士は用意していたマガジンを再装填しようとした。


 舞弥はすかさず予備のマガジンを装填する前に兵士たちの身体に弾丸を撃ち込んだ。


 舞弥がトリガーから人差し指を離すと、それが合図だったかのように二人の兵士は糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。


 舞弥はショーウインドウの影から身を出し、床に倒れている三人の兵士の元へ歩み寄った。


 生死の確認のためではない。連中の予備マガジンを奪うためだ。


 けれども三人の兵士は多くの予備マガジンを携帯できるタクティカル・ベストを装備していなかった。


 予備マガジンは左右の胸ポケットの中に一本ずつしか入っていない。


 しかし、今は贅沢を言っていられない危機的状況だ。


 舞弥は三人の兵士から六本の予備マガジンを奪い取った。


 本当はサイドアームである拳銃も奪い取ろうとしたが、タクティカル・ベストを装着していない舞弥が携帯できる武器や予備マガジンの数は限られてくる。


 なので舞弥は拳銃の強奪は諦めた。


 三十発入りの予備マガジンを六本入手できただけでも上出来だと自分に言い聞かせ、その代わりAK74の銃口を三人の兵士に向ける。


 狙いは心臓だ。


 人間は銃撃されても生きている場合がある。


 確実に息の根を止めるには脳の中心にある脳幹を破壊するか心臓の鼓動を止めるしかない。


 そのため、舞弥は三人の兵士の心臓に弾丸を撃ち込んで〝とどめ〟を刺そうとした。


「やめなさい!」


 トリガーを引こうとした寸前、舞弥は誰かに行動を戒められた。


 声が聞こえてきた方向に顔を向けると、ショーウインドウに身体を預けるように立っていたオリビアの痛ましい姿が視界に飛び込んできた。


「お願いだからやめてちょうだい。あなたのような年端もいかない女の子が当たり前のように銃を扱って、当たり前のように人を殺すなんて間違ってる」


「お言葉を返すようですが、凶悪なテロリスト相手に情けは無用ですよ」


「そんなことは関係ない。私はあなたの将来を心配して言っているの」


 舞弥はオリビアの口から出た〝将来〟という言葉に首を傾げた。


 将来なんていうものは普通の生活を送る人間だけに与えられた特権だ。


 そんなものは舞弥のように公には存在しない組織のエージェントとして働く人間には縁遠いものである。


 九年前までは舞弥にも自分の将来について選択できる特権があったかもしれないが、少なくとも〈青い薔薇〉のエージェントとしてインドの土を踏んでいる今はない。


 いや、これからも自分の将来について深く考えることなどないだろう。


 世界中で活躍している傭兵、民兵、軍人、警察など戦いに身を置く人間たちもそうだ。


 彼らも大なり小なり命を懸けて日々を生きている。


 そして舞弥は誰かに強制されてエージェントになったわけではなく、自分の信念と私情のために〈青い薔薇〉のエージェントとして生きることを選択したのだ。


 視線を交錯させていたオリビアから視線を逸らすと、舞弥は対テロ訓練を受けた特殊部隊のように躊躇なく三人の兵士の心臓に弾丸を撃ち込んで完全に絶命させた。


「何てことを!」


 冷静にトリガーを引いた舞弥とは打って変わり、オリビアはこの世の終わりのような顔をして床に座り込む。


 何が悲しいのか両目から頬を伝って流れる涙が見えた。


 舞弥はトリガーから指を外して颯爽とオリビアに近づいていく。


「オリビア議員、先ほども言いましたが今やこのホテル内は戦場なんです。敵に情けをかけたが最後。今度はこちらが殺されるかもしれない。お願いですから現状を理解してください」


 そう言うと舞弥はオリビアに左手を差し出した。


「さあ、一刻も早くこの場所から移動しますよ」


「移動って……今度はどこに行くの?」


「それは移動しながら考えましょう。とりあえず、今はこの場所から逃げるのが先決です。銃声を聞きつけた他の兵士が集まってくるかもしれません」


 舞弥は事実を淡々と口にすると、無理やりオリビアの手を掴んで立ち上がらせる。


 本来ならば戦力にならないオリビアなど早々に見限りたかったが、次期首相候補と期待されているオリビアは大事な証人だ。


 警察や軍の特殊部隊が踏み込んできた暁には、オリビアの口から自分がテロリストではないと証言してくれるよう頼まなければならない。


 そのためにもオリビアは何としても守る。


 オリビアを守ることが最終的に自分を守ることに繋がるのだから。


「ですから早くここから立ち去りましょう。オリビア」


 議員、と言葉を続けようとしたときだ。


 舞弥はオリビアが身体を預けていたショーウインドウをちらりと見て驚愕した。


 ショーウインドウのガラスには出入り口の様子が反射しており、そこには一人の兵士がこちらに拳銃を向けている姿が映っていた。


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