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第36話   ワーカー

 甲高い銃声が轟いたのと、激しい震動に見舞われたのは同時だった。


 続いて舞弥の右手に衝撃が走り、片手で持っていたAK74が弾き飛ばされる。


 敵からの銃撃だ。


 舞弥は震動によって崩された体勢を瞬時に整えると、後ろ腰に差していたベレッタを痺れていない左手で引き抜いて発砲した。


 言わずもがな出入り口から銃撃してきた敵に対してである。


 すると敵は機敏な動きで真横に跳んだ。


 開けっ放しの出入り口に立っていた軍服姿の敵が視界から消え失せる。


 それでも舞弥はトリガーを引き続けてオリビアの元へ走り寄った。


 尻餅をついていたオリビアを強引に立たせ、すぐに奥のショーウインドウの裏に隠れるよう指示する。


 オリビアは顔面を蒼白に染めつつも大人しく指示に従ってくれた。


 多目的ホールからの脱出やここでの銃撃戦で身に染みたのだろう。


 戦場下では無駄口を叩かずに生き残る選択肢を素早く選ぶことが重要なのだと。


 舞弥はオリビアが隠れるまで誰もいない出入り口に向かってトリガーを引き続ける。


(――残り二発)


 マガジンに装填されていた弾丸の数を数えていた舞弥は、一発を撃った直後に脇目も振らずに疾駆した。


 出入り口にではない。


 敵に撃ち落されたAK74の場所にである。


 亜音速の弾丸を目視することは不可能だったが、舞弥は弾丸が命中したポイントを皮膚感覚で把握していた。


 銃撃された部分はフロントサイト部分だ。


 銃身部分や機関部分に被弾していれば致命傷だったが、銃撃にさほど支障が出ないフロントサイト部分が壊されてもAK74の射撃機能が損なわれることはない。


 舞弥はベレッタを持ったままAK74を取りに戻った。


 AK74さえ取り戻せば敵と対等に渡り合える。


 そう判断したものの、舞弥のプランは見事に粉砕した。


 床に転がっていたAK74を拾おうとした寸前、敵は出入り口の扉から颯爽と半身を出して銃撃してきたのだ。


 約一メートル前方の床に転がっていたAK74に手を出していた舞弥は、立て続けに放たれてくる銃撃を回避するためにAK74の入手を諦めた。


 前転しながら身近にあったショーウインドウの裏へと逃げ込む。


 人間の精神は極限状態まで追いやられると、自我の崩壊を回避するために意識を失うか逆にどんな小さな物音でも聞き取れるほど五感が鋭敏に研ぎ澄まされる。


 前者は平和に慣れ親しんだ一般人に多く見られ、後者は心身ともに極限まで鍛え抜いた兵士や武術家などに多く見られるという。


 そして舞弥は後者に分類される人間だ。


 なので舞弥は通路から展示会場へと侵入してきた敵の気配を明確に察知できた。


 足音から判断するに敵は一人。AK74のようなアサルトライフルは持っておらず、なぜかサイドアームである拳銃を主力武器としている。


 銃声から推測するに敵が所持している拳銃はベレッタ。


 ただし予備のマガジンを奪い損ねた自分と違って、少なくとも敵は二つ以上の予備マガジンを携帯しているはず。


 一方、舞弥の主力武器はコンバット・ナイフ一本とベレッタ一丁。


 仮にここがジャングルならば戦術次第で勝てる見込みもあったが、半ば閉鎖された展示会場の中では予備マガジンが豊富な相手に軍配が上がる。


 それこそ不用意に姿を現せば身体に風穴を開けられてしまう。


 だからといって一箇所にいつまでも隠れているわけにはいかなかった。


 敵の発砲はやむことを知らない。


 空気を切り裂く何発もの弾丸がガラス製のショーウインドウに悉く命中し、飾られていた日本の和服に焦げついた小さな穴が穿たれていく。


(これじゃあ埒が明かない。いずれ殺される)


 舞弥は身を隠していたショーウインドウの裏から素早く離脱。


 飛散したガラスで余計な怪我を負わないように、頭部を両手で覆い隠しながら別のショーウインドウの裏に移動した。


 その間、出入り口付近で発砲していた敵が少しずつ歩み寄りながら銃撃してくる。


 敵もわかっているのだ。


 今の舞弥には自分と対等に戦うための武器がないことに。


 そうでなければ無造作に距離を縮めてくるはずがなかった。


 もしも大自然に生きる猛獣たちならば、確実に獲物を仕留めるまで余裕や油断を見せることはないだろう。


 弱肉強食が当たり前な自然界において、猛獣たちは余裕の素振りや絶対に勝てるという油断が致命的なミスを生むかもしれないことを本能的に知っているからだ。


 だからこそ、舞弥は絶体絶命にも等しい現状でも望みを捨てなかった。


 銃撃している相手は猛獣ではなく一人の人間である。


 自分が相手よりも圧倒的優位な立場に立った瞬間、無意識のうちに相手の力量を過小評価してしまう可能性は大いにあり得た。


 現に敵は獲物をなぶるようにゆっくりと距離を詰めて来ている。


 一気に間合いを縮めて至近距離から銃撃すれば勝利の女神が微笑むにもかかわらずだ。


 やがて敵の銃撃がぴたりと鳴りやみ、リノリウムの床に小さな衝撃音が聞こえてきた。空のマガジンを床に落とした音である。


 舞弥はここが運命の岐路だと悟った。


 粉砕されたショーウインドウの裏から大胆にも身体を曝け出し、敵に向かってベレッタのトリガーを引く。


 このとき、舞弥を追い詰めていた敵は腹の奥から驚愕したはずだ。


 なぜなら、弾切れを起こしていたと思っていた舞弥のベレッタから一発の弾丸が発射されたからである。


 舞弥はこのチャンスを待っていた。


 全弾を撃ち尽くしたと敵に思わせたのは、拳銃の弾丸が届く射程内で敵がマガジンを交換するタイミングを狙っていたからに他ならない。


 ただし舞弥は銃撃で致命傷を負わせようとは毛ほども考えてはおらず、たとえ命中しなくても敵の予備マガジンを装填する時間さえ奪えればいいと思っていた。


 なぜか? 


 決まっている。


 射撃以上に得意であった白兵戦に持ち込むためだ。


 そして敵が舞弥の射撃に動揺して予備マガジンを手元から落としたとき、舞弥はベレッタをズボンに差し込むなり疾風の如き速さで敵に肉薄した。


 瞬く間に敵の制空圏へと入り込んだ舞弥は、右肩に吊るしていたナイフ・ケースから抜く手も見せぬ速度でコンバット・ナイフを抜いて攻撃を繰り出す。


 狙いは首筋の頚動脈だ。


 数センチでも切られれば数分で死に至る急所中の急所である。


 しかし、敵も簡単に頚動脈を切らせるような素人ではなかった。


 二個目の予備マガジンを装填する時間がないと判断するや否や、敵はベレッタを捨てて舞弥と同じく右肩に吊るしていたナイフ・ケースからコンバット・ナイフを抜いて応戦してきたのだ。


 展示会場の一角に金属同士が激しく衝突する甲高い音が鳴り響く。


 頚動脈を狙った一撃がナイフの刃先で防がれた。


 舞弥の右手に軽い痺れが走る。


 しっかりとグリップを握っていなかったらナイフ自体が弾き飛ばされていただろう。


 ナイフを合わせた感触で互いに相手の力量を推し量った刹那、今度は自分の番だとばかりに敵が反撃してきた。


 頚動脈への先手必勝を狙った舞弥とは対極に、敵は舞弥の心臓目掛けてナイフの切っ先を突きつけてくる。


 心臓は人間のみならず動物全般にとって最大の急所だ。


 どんなに強靭な肉体の持ち主でも心臓をナイフで刺されたら人生に終止符を打たれてしまう。


 ゆえに舞弥は鋭い踏み込みから繰り出されてきた刺突を半身にすることでかわした。


 間髪を入れず後方へと跳躍。


 舞弥は〈青い薔薇〉の訓練施設で習い覚えた構えを取る。


 重心を低く落とし、ナイフを持ってない左手は拳を軽く握った状態で顔の横に近づけ、ナイフを持った右手は腰だめに構える。


「ナイフでの勝負なら勝ち目があるとでも思ったのか?」


 舞弥が軍隊格闘技で使用されるナイフ・ファイティングの構えを取った途端、敵も自流の構えを取りながらヒンドゥー語の訛りがある英語で話しかけてきた。


 敵が取った構えは舞弥と瓜二つだったが、決定的に異なる部分が一つだけあった。


 舞弥はナイフを順手で持っているのに対して、敵はナイフを逆手に持ったのである。


 舞弥は眉を跳ね上げた。


 敵が切りつけに特化した構えを取ったからではない。


 敵が発した声に聞き覚えがあったからだ。


「その声……あんた、シュナね!」


 敵は構えを崩さず左手で目出し帽を脱ぎ捨てる。


 両耳を隠すほど伸ばされた黒髪に小麦色の肌。


 切れ長の目眉と大柄の体格はムーナの側近であったシュナに間違いなかった。


「どうしてあんたがここに?」


「裏切り者に制裁を加えるのは当然のことだろうが」


「違う。あたしが訊いているのは」


「どうして簡単に自分たちの居場所がわかったのか、だろう?」


 シュナは左手を動かして胸ポケットから小さな機械を取り出した。


 掌に収まるほどの四角形の機械には液晶モニターが搭載されている。


「なるほど、そのGPSであたしたちの居場所を探り当てたってわけ。ということは、あたしの身体のどこかに発信機が取りつけられているのね」


「正確にはお前が着ている軍服に発信機を仕込ませてある。どれだけ触っても絶対に取りつけられた場所がわからないほどの超薄型の発信機がな」


「つまり、それだけあたしはムーナに信用されていなかったってこと?」


「いいや、お前の軍服に発信機を取りつけたのは俺の独断だ。少なくとも俺は最初からお前を信用してなかったからな」


 それにしても、とシュナは抑揚を欠いた口調で言葉を紡ぐ。


「つくづく、お前の悪運の強さには感心したぜ。二度の不可解な震動が起きなかったら確実に殺せたはずなのに……だが、それ以上に驚いたのは〈ワーカー〉どもの心臓を狙ってきっちり殺してやがることだ。もしもお前が敵に同情するような情け深い女だったら、今頃はオリビアもろともこいつら〈ワーカー〉に殺されていただろうよ」


「〈ワーカー〉? 〈ワーカー〉って何のこと?」


 シュナは舞弥の質問を無視して床に唾を吐いた。


「まあいい。どっちにしろ、お前の悪運もここまでだ。今度こそ確実に息の根を止める。このホテルに侵入してきた人間と同様にな」


 もう用はないとばかりにシュナはGPSを後方へ投げ捨てる。


「侵入してきた人間?」


「ああ、そうか。無線機を与えてなかったから知らないんだったな。お前がオリビアを連れて逃げたあと、見張りを命じていた〈ワーカー〉から連絡が入ったのさ。緊急用のヘリコプターで屋上から侵入しようとした人間がいたってよ」


 これには舞弥も瞳孔を拡大させた。


 警察か軍の特殊部隊が専用のヘリコプターで侵入を試みたのならば納得できるが、緊急用のヘリコプターでテロ現場に侵入しようとする無謀な人間など普通はいない。


 ただ、舞弥には普通ではない行動を取る人間に心当たりがあった。


「その侵入しようとした人間ってどんな奴なの?」


「裏切り者のお前に教える義理はねえな……と、言いたいところだが俺の質問に答えたら教えてやるよ。パク・イルソ、お前は何が目的で俺たちの作戦に加わった? お前のバックにはどんな組織がかかわっている?」


「悪いわね。あたしにはあんたが何を言いたいのかさっぱりわからないわ」


 舞弥はシュナから視線を外さず徐々に移動を始めた。


 一定の距離を保ったまま摺り足で横へ横へと動いていく。


「この期に及んでとぼけるつもりか。素直に吐けば苦しまずに殺してやるよ。どうせ死ぬなら楽に死ぬほうがいいだろ?」


 シュナは恐ろしいことを平然と口にしながらも舞弥に合わせて身体を移動させた。


 二人が歩くたびに粉々になったガラスを踏みつける音が周囲に響き渡る。


 やがて舞弥はガラスが飛散していない場所で立ち止まった。


「そうね。誰だって苦しんで死ぬよりは楽に死にたいわ。でも、今のあたしにとって一番いいのは苦しんで死ぬことでも楽に死ぬことでもない」


 舞弥は身体を低く沈めたまま猛然と突進する。


「殺されずに生き延びることよ!」


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