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第37話   舞弥の死闘

 舞弥は鋭い踏み込みから腰だめに構えたナイフを突き出した。


 軽い刺し傷でも動きを止められる胃の部分に始まり、心臓部分や喉元など致命傷になる急所へ連続で突きを繰り出す。


 何百、何千回と繰り返し練習してきたナイフ・ファイティングだ。


 素手とは対照的にナイフでの戦闘は非力な者でも体格的に勝る相手を倒すことができる。


 少なくとも舞弥はそう思っていた。


「殺されずに生き延びる? お前にそんな力はない!」


 シュナは逆手持ちしていたナイフの腹で舞弥のナイフを弾き飛ばすと、間を置かずに舞弥の腹部に前蹴りを放った。


 無手になった舞弥の腹にブーツの先端が突き刺さる。


 胃液が逆流してくるほどの衝撃に顔を歪ませたのも束の間、シュナは苦痛の表情を露にした舞弥の首筋に真横からナイフを切りつけてきた。


 首筋に冷たい殺気を感じた舞弥は、反射的に首を引いて切りつけを回避する。


 それでもシュナの攻撃は休まらない。


 シュナはナイフで切りつけた反動を一切殺さず、軸足だった右足を内側に捻って身体を高速で回転させた。


 そのまま遠心力を利用して外側から半円を描くように舞弥の側頭部に左足の踵を叩きつける。


 競技空手などで多用される後ろ回し蹴りだ。


 舞弥はこめかみにハンマーで殴られたような衝撃を受けた。


 頭蓋骨が陥没しそうなほどの痛みのせいで身体がぐらりと傾く。


 しかし、舞弥は後ろ回し蹴りを食らったことで一縷の勝機を見出した。


 シュナの踵がこめかみから離れる直前、舞弥は意識を失いそうになるほどの鈍痛に耐えながらもシュナの左足を両手で素早く掴んだのである。


 それだけではない。舞弥はシュナの左足を掴むと同時に身体を反転。


 膝を曲げて両足を平行に揃え、重心を前方に倒しながら一気にシュナを投げ放った。


 これにはシュナも面食らっただろう。


 舞弥が渾身の力を振り絞った末に繰り出した技は、腕ではなく足を担いで投げる変形の一本背負いだったからだ。


 絶妙な体重移動で投げられたシュナは、空中で弧を描きながら床に叩きつけられた。


 背中から落ちたシュナは苦悶の声を漏らす。


 柔道の試合ならば舞弥に一本勝ちが宣言されたことだろう。


 しかし、これはルールに縛られた競技試合ではない。


 ルールが存在しないことがルールの殺し合いである。


 だからこそ、舞弥は床に仰向けに倒れているシュナに猛進した。


 このままシュナに跨ってパウンドなり関節技なりを決めて戦闘不能にしようと考えたのだ。


「調子に乗るな!」


 背中を強打したにもかかわらず、シュナは迫り来る舞弥に蹴りを放った。


 衝撃吸収剤を用いられたブーツの靴底が舞弥の顔にめり込み、しかもカウンター気味に蹴りを受けたことで、舞弥は鼻血を噴出させつつ後方へ吹き飛ばされる。


 シュナと同様に背中から落ちた舞弥は赤ん坊のように身体を丸め、蹴りの衝撃で溢れてきた大量の涙と鼻血を手の甲で拭った。


 そのときである。


 舞弥は顔面とは異なる部位に焼けつくような熱と痛みを感じた。


 舞弥は歯を食いしばって顔を痛みの発生源に動かすと、左手の二の腕部分に一本のナイフが深々と突き刺さっていたのだ。


 本当は喉が掠れるほど悲鳴を上げて暴れ回りたかったものの、戦闘家としての本能がそれを許さなかった。


 弱みを見せれば相手を調子づかせ、かつ自分から勝利の女神が遠のいてしまうことを舞弥は骨の髄まで訓練で叩き込まれていたからである。


「もういい」


 舞弥は全身を小刻みに震わせながらシュナに視線を移すと、シュナは苦虫を噛み潰したような顔で床に落ちていた一本のナイフを拾った。


 先ほどシュナに弾き落とされた舞弥のナイフだ。


 つまり二の腕に突き刺さっているナイフは前蹴りのあとにシュナが投げ放った自前のナイフなのだろう。


 四面楚歌とはまさにこのことだった。


 舞弥は無手の状態で左手に怪我を負い、シュナは舞弥のナイフを拾って無傷の状態である。どちらが有利なのかは明々白々だ。


「これ以上、お前を生かしておくと危険だな」


 だから、とシュナは順手に持ったナイフの切っ先を舞弥に突きつけた。


「即刻、その細首を掻き切ってやる」


 余裕の笑みが完全に消えたシュナの全身からは颶風の如き殺気が迸り、室内で風もないのに髪が軽く逆立つ。


 身体から発した殺意で逆立ったのではないかと錯覚するほどに。


 床に伏せっていた舞弥は悔しさのあまり奥歯を軋ませた。


 生きる望みを失ったからではない。


 その証拠に舞弥の瞳には死を覚悟した人間に見られる絶望の色は浮かんではいなかった。


(何でもいい。ほんの少しだけ時間を稼げれば……)


 無神論者であった舞弥もこのときばかりは天に祈った。


 三十秒などと贅沢は言わない。


 半分の十五秒を稼いでくれる〝何か〟が起こってくれたら現状を打破する起死回生は必ず見込めた。


 やがてシュナと舞弥の距離が約二メートルまで縮まったときだ。


 舞弥の祈りが天に通じたのか、今まで存在を忘れていた人物による思いもよらぬ行動がシュナの歩みを停止させた。


「何の真似だ?」


 シュナは顔を横に向けて凄みのある低い声を出した。


 釣られて舞弥もシュナが見つめている方向に顔を動かす。


「お、大人しく武器を捨てなさい!」


 いつの間にか視界に映る距離にオリビアが立っていた。


 かちかちと歯を鳴らし、震える両手でAK74を構えながら。


「武器を捨てるのはあんたのほうだ、オリビア議員。その銃はAK74と言って比較的に扱いやすいライフルだが、それでも素人のあんたに扱える銃じゃねえよ」


 オリビアは首を大きく横に振って否定した。


「捨てるならあなたから捨てなさい。そして今すぐ自首するんです。子供同士が殺し合いをするなんて狂気の沙汰です」


 シュナは「馬鹿馬鹿しい」と落胆の溜息を漏らす。


「子供同士の殺し合いが狂気の沙汰? 言ってくれるぜ。こうしている間にも人種を問わず何十万人という子供兵が、世界中の紛争地域で殺し合いをしていることはあんたも知らないはずがないだろう」


「だから私はあなたを説得しているんです。少なくともこれからのインドには子供兵もPMCも必要ない。あなたも本当は大人たちに脅されて今回のテロに加わったのでしょう?」


「それこそお門違いだ。俺は俺の意思で今回のテロに加わったんだよ」


 オリビアの意見を一蹴したシュナは、身体を丸めている舞弥に歩み寄っていく。


「止まりなさい! さ、さもないと――」


「撃つってか?」


 シュナは再び立ち止まり、オリビアと視線を交錯させながら不敵に笑った。


「無理だな。あんたは俺を撃てねえよ。インドから子供兵とPMCを根絶させようという政策案を掲げているあんたならなおさらだ。違うか?」


 シュナの予想は的を射ていたようである。


 オリビアは顔をがっくりと落とし、ついでにシュナに差し向けていた銃口も床へと落とす。


「そうそう、撃つ度胸も技術もない人間は銃を持つべきじゃねえのさ」


 と、勝ち誇りの笑みを浮かべたシュナが舞弥に顔を戻したときだ。


「そうね。それに関してはあたしも同感だわ」


 シュナは怪訝そうに眉間にシワを寄せた。


 当然である。


 ほんの十数秒だけ目を逸らしていた合間に、先ほどとは別の場所に移動していた舞弥がベレッタの銃口をシュナに突きつけていたのだ。


「おいおい、弾切れの銃を突きつけてどうするつもりだ?」


「弾切れ? どうしてあたしがあんたの目を盗んで場所を移動したと思う?」


 舞弥は半分ほど入れていたマガジンを完全にグリップ内に押し込むと、二の腕に走る激痛に堪えながらスライドを引いて初弾を薬室内に装填する。


 シュナは大きく目を瞠った。


 舞弥の手馴れた装填動作に驚いたのではない。


 二の腕にナイフが刺さっているにもかかわらず、身体を別の場所に移動させた意味に気づいたのだ。


「ようやく理解したようね。ここはあんたがベレッタの予備マガジンを落とした場所よ」


 そうである。


 無手になって万策尽きたと思っていた舞弥は、床に伏せっていたときに見つけたのだ。


 すぐ近くにシュナが落としたベレッタの予備マガジンが転がっていたことに。


 発射準備を整えた舞弥はトリガーに右手の人差し指をかけた。


「最後の最後に油断した自分自身を恨みなさい」


 舞弥は肉食獣のように吼えたシュナに躊躇なく発砲。


 マガジン内の弾丸をすべて消費するつもりで連射した弾丸は、間合いを詰めようとしたシュナの身体を悉く貫いた。


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