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第44話   終焉

 不意にマラディンの目の色が変わった。


 再びソファに座ったマラディンは、相手を威圧するような低いトーンの声を発する。


「聞き捨てならないな。私のどこが悪党というのかね?」


 マラディンの威圧に舞弥は臆しなかった。


 厳密に言えば臆する理由がない。


 最愛の父親の命を奪った仇が目の前にいて、その仇を追い詰めるべき証拠も持参している。


 むしろ仇を前にして冷静さを失っていない舞弥の自制心にユタラは心の底から感服したほどだ。


「話を逸らそうとしても無駄よ。あたしたちはあんたがオリビア議員の暗殺を依頼した証拠品を握っている。本当ならさっさと警察に渡したいところなんだけど、警察に証拠品を渡したら直にあんたと対面できなくなる可能性があった。だから、こうして直に会いに来たのよ」


 舞弥はズボンのポケットから切り札を取り出した。


 プラムに暗号を解析してもらって中身が自由に閲覧できるようになったマイクロチップである。


「このマイクロチップには、あんたがオリビア議員を暗殺するためにテロリストたちに武器と情報を渡した事実がデータとして残っている。どう? これでもまだ白を切るつもり?」


「待ってくれ。私が誰に武器と情報を渡したというんだ?」


 この期に及んで白々しい。ユタラは見苦しく足掻くマラディンに嫌悪感を抱いた。


 どれだけマラディンが自分の仕出かした罪から逃れようとしても、裏取引のやり取りが証拠能力の高いデータとして残っている以上、マラディンが実刑から逃れる術はない。


 そしてユタラよりもマラディンの返答に激怒したのは舞弥であった。


「とぼけるのもいい加減にしなさいよね! こっちにはあんたたちが結んだ裏取引の情報が詰まったデータを持っている! 言い逃れなんてできないわよ!」


 直後、舞弥はガラステーブルの上に置かれていた灰皿を床に叩き落した。


 テーブルと同じくガラス製だった灰皿が粉々に砕け散る。


「大体、さっきから調子のいいことを言っているけど、本当はあたしたちに会うことにしたのは別の理由があったからでしょう」


 眉根を激しく寄せたマラディンに対して、舞弥の言葉を引き継いだのはユタラだ。


「僕たちはあなたとの訪問に際して偽名を使いました。ムーナ・タックシンとシュナ・シャンドル。聞いたことがないとは言わせません。あなたが提供した武器と情報を使って今回のテロ事件を引き起こした元子供兵たちの名前です。その名前を聞いたからこそ、あなたは僕たちに会うことを決意したのではないのですか?」


 マラディンはユタラと舞弥の顔を交互に見渡すと、マイクロチップの中身を確認させて欲しいと要求してきた。


 舞弥は「それは無理な相談ね」とマラディンの要求を否定する。


「隙をついて証拠のデータを消去するつもりでしょ? あいにく、そうはいかないわ」


「君たちは誤解している。私はオリビア・パクシーの暗殺など依頼してはいない」


「こっちは証拠のデータを持っているのよ!」


「だからデータの中身を見せてくれと言ったんだ。もしも本当にそのような取引が行われたという証拠が残っているのだとしたら、それは私の名前を騙った何者かの仕業だろう」


「何者かって誰よ?」


「それはわからない。しかし、私も身に覚えのない罪で逮捕されるのはごめんだ。そこで君たちに提案がある。証拠のデータを見せてくれるのなら、私が集めたオリビア・パクシーに関する情報を提供しよう。もちろん、これから集める情報もすべてだ。君たちも私と同様に今回のテロ事件を調べているようだからね」


 これには舞弥ばかりかユタラも驚いた。


 てっきりマラディンは口八丁手八丁でとぼけるかと思いきや、自分から真犯人探しに協力すると提案してきたのだ。


「ユタラ」


 強大な肩透かしを食らった舞弥は、どうしてよいかわからずバディに助け舟を求めた。


 ユタラはすがるような目つきをしていた舞弥から視線を外し、濁りのない眼をしていたマラディンと視線を交錯させる。


「わかりました。証拠のデータをお見せしましょう。ただし、その前にあなたから僕たちに見せて欲しいものがあります」


「何かね?」


「両腕を見せてください」


 今日のマラディンは小綺麗なダークスーツを着用していた。


 そしてスーツなのだから両腕と両足ともに地肌はきっちりと隠されている。


「マラディンさん、あなたの腕のどちらかに不思議な模様をした火傷はありませんか? あるというのなら証拠のデータは見せられません。そればかりか、僕たちはあなたに対して全力で敵対します」


「どうやら君たちには何か特別な事情があるようだね」


 全身を弛緩させたマラディンは颯爽とスーツを脱ぎ、カフスボタンを外して右手から順にシャツの袖を捲り上げた。


 筋肉質の褐色肌がユタラと舞弥の視界に飛び込んでくる。


 二人はソファから崩れ落ちそうなほど仰天した。


 マラディンの両腕には火傷の痕が一つもない。


 細かな切り傷や擦り傷はあったものの、火傷を消すために皮膚移植したような痕跡すらも皆無だった。


 こうなると話は大きく違ってくる。


 ユタラと舞弥はマラディンこそがオリビア・パクシーの暗殺計画を目論み、九年前に難民キャンプを襲撃した武装ゲリラの一人だと確信していた。


 それなのにマラディンの両腕には火傷の痕跡は一切なく、しかもマラディンはオリビア・パクシーの暗殺を計画した謎の人物の特定に力を貸すという。


 ユタラは複雑な表情を浮かべながら口元を右手で覆い隠した。


 何かがおかしい。


 マラディンが二つの事件の中心人物であるのなら、ここまで相手の言いなりになるはずがなかった。


 証拠のデータにしてもそうだ。


 今後の人生を左右するデータなど百害あって一利なし。


 本物か偽者かなど関係なく、是が非でも奪い取って隠滅を図るはず。


 けれどもマラディンは落ち着いた素振りを一向に崩さない。


 先ほどからユタラはマラディンをじっくりと観察していたのだが、舞弥が証拠のデータを突きつけたあとにも両目が泳ぐこともなければ貧乏揺すりを始めるということもなかった。


 まさに冷静沈着なボスの態度。とても罪を重ねてきた悪党とは思えない貫禄だ。


(もしかして、僕たちは何か重大な見落としをしているんじゃないのか)


 などとユタラが思考を巡らせていると、シャツの袖を元に戻したマラディンが二人にどうしてこのようなことをさせたのか理由を訊いてきた。


 無理もない。


 マラディンの立場だったら自分も同じように理由を尋ねるだろう。


 だが、ユタラと舞弥は九年前の出来事について喋ることはできなかった。


 うつむいた舞弥とは対照的に、ユタラはブラインドが上げられていたガラス窓越しに外の風景を眺めた。


 遠くにあったビルの屋上に太陽の光を反射していた小さな光源がある。


 再び視線をマラディンに戻したユタラは表情を引き締めた。


「残念ながらそれをお話することはできません。ですが、あなたの誠実な態度を見て僕たちの気が変わりました。どうやら僕たちはあなたを誤解していたようです」


 舞弥の手からマイクロチップを掴み取ると、ユタラは「どうぞ」と証拠の詰まったデータをマラディンに差し出した。


 マラディンはおそるおそるマイクロチップを受け取る。


「とりあえず、中身を確認させてもらおう。だが確認する前に忠告しておく。このチップの中にオリビア・パクシーの事件にかかわる情報ではなく、たとえば我が社のシステムに深刻なダメージを与えるウィルスの類が仕込まれていた場合、私は君たちを器物破損と業務妨害で告訴して多額の賠償金を要求する。それでも構わないかね?」


 ユタラと舞弥は互いの顔を見合わせた。


 十五年以上も付き合いのある二人だ。


 大抵のことならばアイコンタクトで相手の言いたいことはわかる。


 二人は揃ってマラディンに力強く頷いて見せた。


「いいだろう……アジーナ君、このチップの中身を至急確認してくれ」


 マクロチップを舞弥から受け取ったマラディンは、足早に近寄ってきたアジーナにマイクロチップを手渡した。


 よほどアジーナを信頼しているのだろう。


 マラディンはアジーナにすぐさまマイクロチップの中身を専用のパソコンで確認するよう命じる。


 普通の秘書ならばイエスと即決する場面だ。


 しかし、マイクロチップを受け取ったアジーナは違った。


 プレジデントデスクの上に置かれていたパソコンには向かわず、それどころかマイクロチップを無表情のまま床に落としたのである。


 それだけではない。


 アジーナはヒールの踵でマイクロチップを踏み潰したのだ。


「何をする!」


 秘書の身勝手な行動に声を荒げたのはマラディンだった。


「あなたは事の重要性を理解していないのですか? オリビア・パクシーの暗殺を企てたことがマスコミに漏れれば我が社は終わりなんですよ」


「君は本当に私がそんな計画を立てたと思っているのか?」


「いいえ、まったく思っていません。なぜなら、あなたの名と社名でオリビア・パクシーの暗殺を依頼したのは私なのですから」


 次の瞬間、アジーナは懐から取り出したナイフでマラディンの喉を掻き切った。


 傷口からは大量の鮮血が噴出し、床の一角に酸鼻な血の池が瞬く間に形成されていく。


 どんな屈強な兵士でも喉を切られたら終わりだ。


 現に喉をナイフで切られたマラディンは低い呻き声を上げて絶命した。


 呆気に取られたユタラと舞弥だったが、二人はパニックを起こすこともなく冷静に状況を把握した。


 人を殺したというのに眉一つ動かさなかったアジーナを睨みつける。


「まさか……あんたがオリビア議員の暗殺をムーナに依頼した真犯人だったの?」


「ご名答。でも、それを知る人間はこの世にいては困るの。わかるでしょ?」


 だから、とアジーナは自分の左腕をナイフで刺した。


 そのまま苦痛の声を漏らしながらプレジデントデスクに向かう。


「あなたたちには相応の罪を被ってもらうわ」


 アジーナはプレジデントデスクに置かれていた電話の受話器を取ると、酷薄した笑みを消して信じられない行動を取った。


 電話越しに「助けて!」と泣き喚き始めたのだ。


 すると一分もかからずに二人のガードマンが社長室に押し寄せてきた。


 強力なポンプアクション式のショットガンを携帯している。


「た、助けてちょうだい。社長を殺したのはこの子たちよ。そればかりか、この子たちは私まで殺そうとした。ほら、見てよ。こんなに深くナイフを刺されたのよ」


 アジーナは奥歯を噛み締めながらナイフを引き抜き、同時にスーツの袖を大きく捲り上げてガードマンたちに傷口を見せつけた。


 おそらく、自分は被害者の一人だとガードマンたちに印象づけるためだったのだろう。


 けれどもユタラと舞弥は傷口など目に入らなかった。


 代わりに入ったのは、アジーナの左腕に残っていた不思議な模様の火傷痕だ。


 このとき、ユタラはようやく思い出した。


 九年前、舞弥と一緒に見た火傷はカビールのものではなくアジーナのほうの火傷であることに。


「さあ、早くこの二人を捕まえてちょうだい。何たってこの二人は社長を――」


「アジーナさん」


 懸命に芝居を打っていたアジーナの言葉を遮ったのはガードマンの一人だった。


「残念ながら逮捕されるのはあなたです」


 ガードマンたちは慌てふためいたアジーナを素早く拘束。


 怪我をしていることなど構わず床に押し倒し、両手を後ろ手に回して手錠をかける。


「ふざけないで! どうして私が逮捕されるのよ! 社長を殺したのは私じゃなくてこの子たちだって言っているじゃない!」


「もうやめてください、アジーナさん。あなたが何と言おうが無駄なんです」


「どうしてよ! 詳しく説明しなさい!」


「そんなに説明して欲しいなら、あたしからしてあげるわ」


 ソファから立ち上がった舞弥は、首から提げていたペンダントを手に持った。


 中身が空洞になっている雫形のロケットペンダントの中身を開ける。


 ペンダントの中に写真は入っていない。


 入っていたのは小型の盗聴器だ。


「子供だと思ってボディチェックを怠ったことを後悔することね」


「どういう意味?」


 アジーナの疑問に答えたのは、またしてもガードマンの一人である。


「この部屋は今も盗撮されているんです。会話の内容もすべて筒抜け。そして先ほどからインディラ・フューチャーがPMCの実態を知るという体で生放送しています」


 途端にアジーナの顔面が蒼白に染まっていく。


 そんなアジーナの顔面に舞弥は渾身のサッカーボールキックをお見舞いした。


「正直、あんたには訊きたいことが山ほどある。留置場で覚悟しておくことね」


 一方のユタラはガラス窓に近寄ると、クレセントを回して窓を開放した。


 遠くのビルで社長室を盗撮していたテレビスタッフに一本だけ突き立てた親指を見せる。


 ほどなくして、ユタラの耳に甲高いサイレン音が聞こえてきた。


 すべてに終止符を打ってくれるパトカーのサイレン音が――。


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