エイル子に入水する危機はどうにか免れた。エビルボアーの背にまたがったまま、槍で地面を突いたことで、どうにか軌道修正。
「相変わらず愚直なやつだな、お前はよ!」
「見てライル! 魔族が村に!」
木々の隙間に家屋が見えた。そこをキルリザートたちが横切っていく。村は既に襲われていたが、オレたちの到着もさほど遅れなかった。
「アイーシャはデカブツから降りるなよ!」
オレは飛び降りて村に降り立った。
家々は窓を板で塞いで硬く閉じた。遠くで刃のぶつかる音が鳴る。懸命な防戦を繰り広げていた。
硬く閉ざしたドアをキルリザードが粉砕。子供の悲鳴、女の絶叫。オレはすかさず駆けつけ、その背中を槍で貫いた。
キルリザードは甲高い絶叫を響かせては、全身を霧に変えた。それは散らばらず、むしろ一処に集まり、赤黒い球体に変貌した。それよりも安否だ。
「大丈夫か、怪我は!?」
「あ、ありがとうございます。どうにか……」テーブルの下で、母子が抱き合いながら震えていた。出血は見られない。
「とにかく隠れてろ。敵はオレが倒してやる」
エビルボアーに合図を出して呼び寄せた。アイーシャも背中に隠れるようにして身を潜めている。
敵の数はどうか。点在する家屋の屋根に2体、地表に3体。今見えるのはそれだけだ。
村の中央付近では、村人が農具を片手に絶望的な防戦を繰り広げている。魔族の動きについていけず、1人2人と斧で切り倒されていた。
「急ぐぞ! このままじゃ壊滅だ!」
駆けつけようとするが、散開する5体が襲いかかってきた。地表の3体が猛然と距離を詰めてくる。
「邪魔をするな、退け!」
初撃の斧を柄で受け止め、すべらせながら相手を斬る。2体目の頭を石づきで殴打して吹き飛ばす。最後の1体は、飛びかかる前に突き倒した。
しかし屋根の上、射手が矢をつがえて放った。オレではない、エビルボアーの方だ。
「やばい! 避けろ!」
しかし巨大なイノシシは矢の動きに応じる事はできず、鈍重だった。その身体に矢が吸い込まれていく――かに見えた。
「グオォォン!」
エビルボアーが大地を揺るがすほどの雄叫びを響かせた。すると、放たれた矢は飛びながら歪み、力なく地面に落ちた。その体には傷1つない。
「ハハッ、やるじゃねぇか!」
屋根の上の2体は石礫(いしつぶて)で落とし、倒れた所を刺突で葬った。
「向こうだ、敵はまだ多いぞ!」
中央付近まで歩を進める。ひときわ大きな建物の前で村人たちが抗戦している。アイーシャが「集会場だよ」と教えてくれた。
状況は厳しい。戦うのは残り5名。倒れている男たちの方がずっと多かった。そしてキルリザードも10体は押し寄せているだろう。
「注意をひけ、デカブツ!」
「グオオオン!」
至近距離での咆哮に、全員がこちらを向いた。特にキルリザードの標的が村人から逸れたのは大きい。
矢が射掛けられる。オレはエビルボアーの前に立ち、聖槍で円を描くように振り回した。へし折れた毒矢が地面に散らばる。
「今度はオレが相手だ、トカゲ野郎!」
低く這うように駆けていく。敵は2射目をつがえ、オレだけを狙う。放った瞬間、さらに速度をあげると、全ての矢が頭上を通り抜けて地面に突き立った。
その時には、すでに間合いだった。
「死ぬ覚悟は出来たな! これでも食らえ!」
横一閃。複数体を同時に討ち果たしていく。そのほとんどを倒したしたが、2体ほど逃がしてしまった。それらは村の郊外へ、そして北のエイル湖方面へと消えていった。
「チッ。まぁいい」
オレは構えを解いては、村人に話しかけた。「助けに来たぞ、無事か?」
しかし村人たちは構えを崩さない。農具や斧を握りしめたまま、こちらの様子を窺っている。ほとんどはエビルボアーを睨んでいた。
「何者だお前ら、そのバケモノは何だ!?」
それは、そう。いきなり大型魔獣が現れたら、その反応は正しいとしか言えない。大抵は怯えており、闘志を見せるのは斧を構える髭面の男だけだった。
そこへ、エビルボアーの毛髪の海からアイーシャが顔を覗かせた。
「カーターおじさん、アタシだよ!」
「アイーシャ!? これは一体どうしたことだ!?」
「エイレーネから駆けつけたんだよ、あとこの子はボアちゃんで、敵じゃないから。よく見て、可愛いでしょ?」
エビルボアーは頬を地面にこすりつけて、ポエポエ鳴いた。村人たちは唖然とするものの、闘気や恐怖心は遠のいていた。
「ま、まぁ分かった。客人よ、話をしたいところだが怪我人の治療を優先したい」
「もちろんだ。つうか手伝うぞ」
「何から何まで……すまない」
カーターという斧使いの男は、背後のドアに取り付き、スライド式の錠を外した。開かれた鉄扉の向こうには、すでに数名の負傷者と、怯える子供たちが居た。
部屋の隅に積み上がるテーブルや椅子の乱雑ぶりに、混乱ぶりが伺えた。
「怪我も毒も、かなり厳しいな……」
カーターとともに担ぎ込む。負傷者たちは腕を押さえても血が止まらず、包帯を巻き付けても瞬く間に赤く染まった。
矢傷の男も危険な状態だ。傷口は紫に腫れており、命を蝕むかのように広がっていく。大人たちは血相を変えて駆け回るが、悲壮な顔は片時も緩まない。
「うぁ……いやだ……トカゲが来る!」
うめき声まで恐怖に満ちていた。怪我人たちは、痛みと恐怖心で錯乱状態だ。オレに出来ることは少ない。怪我が悪化しないよう、力付くで押さえる事だけだった。
(クソッ。何が槍は護りだ。結局は人斬り包丁じゃねぇかよ……!)
その時だ。外からボンッという音とともに、七色の煙が集会所に流れ込み、間もなく消えた。
「ゴホッ。今度は何だ!?」その問いに答えるより前にアイーシャが飛び込んできた。
「錬金術だよ! 傷薬と解毒薬、これを使って!」
両腕に抱えられた大量の小瓶。渡りに船だった。
しかしカーターは眉を潜めるばかりで、受け取ろうとはしなかった。
「アイーシャ。お前は無免許なんだろう? 聞いてるぞ、本試験には受からなかったと」
彼の瞳は、責めるというより諦めを帯びていた。しかしアイーシャは引き下がるどころか、ヒゲに噛みつく勢いで詰め寄った。
「そうだよ、確かにアタシは仮免で、本当の錬金術師じゃない。でもそれが何? 免許証が皆を救ってくれるというの!?」
「それは、理屈としてはそうかもしれんが……万が一、不手際があったとしたら」
「じゃあどうするの。エイレーネから治療師を呼ぶの? そんなの間に合わないよ。そもそもデモノイド・ウェーブが起きてる村に、誰が来てくれるって言うのよ!」
あまりの剣幕にカーターが気圧される。両者が視線をぶつける中で、オレは渡し船をだした。
「信じてやってくれ。これまで、アイーシャの錬金術に助けられるシーンは少なくなかった」
「……分かったよ。お前にすがるしか無さそうだ、信じてるぞ!」
アイーシャは小瓶を床に並べると、飛ぶようにして外へ出た。錬金釜に取り付いている。調合を続けようというのだろう。
薬はというと、効果があったらしい。出血は止まり、毒の侵食も食い止めている。これにはカーターもアイーシャに「薬は立派な出来栄えだった」と頭をさげた。
「さて、ここは村の者に任せようか。客人、話をさせてもらえないか?」
カーターが汚れた手を拭いながら、歩み寄ってきた。
「もちろんだ。どこで話す?」
「オレの家が近くにある、そこにしよう。茶くらいは出す」
ここで集会所の鐘が鳴った。カーターの顔が目に見えて緩む。警戒を解く知らせなのだろうか。
すると、方々の家もドアを開いた。安堵を浮かべた村人たちが、様子を窺いつつこちらに歩み寄るのだが――。
「うわぁ! バケモノがいるぞ!」
「まだ安全じゃないじゃないの!」
エビルボアーを目にした村人たちは、またもや家の中に閉じこもってしまった。
「ええとだな客人。あの魔獣をどうにかできないか?」
「悪いやつじゃないし、危害を加える事もない。村の連中には、妙にデカい馬だと説明してくれ」
「馬の二倍は大きいが……分かった、どうにか言いつくろう」
こうしてオレはカーターの小屋に案内された。テーブルで向き合うなり、彼は驚きの言葉を口にした。
「槍遣いの世話になるのはいつぶりだろう。デキン殿以来だな」
思いも寄らない言葉に、思わず前のめった。親父の名前をここで聞くとは思わなかった。