月明りが、鉄の地面に横たわる最愛の人を照らす。
エムジが、死んだ。
「あ……」
エムジが死んだ。死んでしまった。
「あああ……あああああああ!!!!!」
もう、会えない。一緒に生き残ろうって言ってたのに、いっぱい話そうって言ってたのに。
「ああああああああ!!!!!!!」
もう、もう二度と、話せない、会えない、永遠に、永遠に。
「エムジ、エムジぃ……」
そして、そしてウチは……
1ヵ月後に、エムジの事を、忘れて、しまう。
エムジが見せてくれたズンコの記憶と共に、大切な二人を、忘れてしまう……!
「嫌だ。嫌だよぉ。一緒にいたいって言ったじゃないかぁ……。ウチだって、ウチだってずっと一緒にいたかったよ……ずっとそばにいてよぉ、忘れたくないよぅ……」
いくらゆすっても、もうエムジは起きない。二度と目覚めることは無い。死とはそういうものだ。どれだけ大事でも、どれだけ大好きでも、どれだけ守りたいと思っても、死は、別れはいきなり訪れる。
昨日、エムジとアルビと一緒に部屋で騒いでた時に、想像しただろうか、明日会えなくなるなんて……。
ズンコの件以来、ウチはずっとそのことに怯えてた。いつか突然、誰かがいなくなるかもしれない。だから毎日を、可能な限り毎日を、悔いのない様に過ごそう。伝えたいことは伝えておこう。するべきことはしておこう。と。
だからウチはエムジに好きと言い続けた。アルビにも同じく、感謝を伝え続けた。ズンコの時には言えなかったから。
その効果はあった。エムジにはちゃんと伝わっていた。ウチがエムジが好きだと。そして、エムジもウチを好きと言ってくれた。
良かった。良かった。良かった。……だから何だというのだ。
結局!! エムジは死んでしまって!! ウチはまた取り残されて!! 絶対守ると思っていたのに、さっきだって死を覚悟して、反撃の準備をしていたのに!! なのに!! なのに……
「エムジも、同じ気持ちだったのか……」
ウチはエムジに死んでほしくないから、命がけで助けようとした。エムジも、同じことをしただけだ。立場が、たまたま変わっただけだ。
でも、残される側の気持ちは……。
「あぁ、あああああ」
涙が止まらない。エムジだって好きでウチを悲しませたい訳じゃない。むしろ逆だ。幸せになれと言っていた。幸せに生きていて欲しいから、エムジは命がけでウチを助けたんだ。ウチだってさっきまでそうしようとしてたから、気持ちはわかる。でも……。
「もう、取り残されるのは、嫌なんだよぅ……」
縋りつく。最愛の人の亡骸に。
ズンコの時も取り残された。覚えてないが、恐らくグーバニアンだった時も、ウチは取り残されたんだろう。心に穴が開いている。そして今、ウチは、エムジも失って取り残された。
もう、嫌だ。もう、沢山だ。心が、心が保てない。
何より、こんな大切な人の記憶を、声を、容姿を、看取った際に抱えた彼の重さを、鉄のぬくもりを、全て忘れてしまう。
怖い。怖い。怖いよ……。
そんな折、アルビが口を開く。
「……ねぇ、シーエ。ここらで、終わりにしない?」
「終わり?」
「戦争から、足を引こうよ。ズンコの時みたいに、エムジを昇葬してさ。そしたらその間に、ボク等はエムジの記憶を少しずつ失っていく。葬儀が終わるころには、多分覚えてない」
「……」
「それはとても悲しい事だけど、ズンコの時、忘れても想いは残ったって日記に書いてあったでしょ? たぶん今回もそうだよ。むしろ容姿や声を覚えてない分、普通の人よりも心の回復が早いかもしれない。内地に移動して、戦争から足を洗って、ボクと幸せに暮らさない?」
「幸せ……?」
「エムジだって、幸せになってくれって言ってたじゃないか。このまま戦争に参加し続けて、シーエが幸せになれるとは思わないんだよ」
「幸せって、何だよ……」
ウチは低い声でぼそりと呟く。
「シーエ?」
「幸せってなんだよ!! エムジのいない世界で! 幸せなんてどこにあるんだよ!!」
エムジは死んだ。ズンコも死んだ。世界は悲しみで満ちている。ウチは、その原因を作った奴等の仲間だ。その上でどう幸せになれと?
「ごめん。言葉を間違えた。これ以上不幸になって欲しくないんだよ」
「エムジを失う以上の不幸が、どこにあるんだよ……」
そう言った後、ウチはハッとして前を見る。悲しそうな顔のアルビが、そこにはいて。
「ごめん、アルビ……。アルビを傷つけようとして言った訳じゃ……。アルビがウチを想って発言してくれてるのは伝わってるんだけど、でも……」
ウチは、アルビの事も好きだ。アルビもグーバニアンだった。まだ素性は知れない。でもそれ以前に、ウチはアルビが好きだ。エムジを失う以上の不幸……ある。アルビまで失うという不幸が、ウチにはある。
かといって、エムジのいない人生に幸せなんて……
「ボクの事は良いよ。それよりも、さっきの話の続き! 内地で暮らせば、新しい友達も出来るかもしれない! いや絶対出来る。シーエは無駄に明るいからね。内地で暮らすって言ったって、シーエの戦闘経験は失われない。これは記憶と関係無く蓄積されていったじゃないか。だから新しい地で出会う大切な人を、突発的に起きるテロからだって守れるよ。戦争は軍と傭兵に任せて、ボクらは傭兵を止めて一緒に平和に暮らさない? ズンコとエムジの思い出と共に。二人の事を書いた日記を読みながらさ」
アルビが優しくウチを誘ってくる。その声は、震えていて。その声は、必死に涙をこらえていて。
アルビは思念魔力の練度が上がったから、感情が高ぶっても表情が消える事は無い。今のアルビが、どれだけつらい心境なのか、そしてどれだけウチを想ってくれてるのかが伝わってくる。
でも……
「ごめん。アルビ。その提案は魅力的だけどさ、ウチには、無理だ……」
「なんで……前もそうだった。でもあの時はエムジがいたからって日記には書いてあるじゃないか。エムジといたいからって、ズンコの記憶を見せてもらいたいからって。でも、エムジは、もう……」
その先を言えなくなるアルビ。務めてドライに、ウチを説得するつもりなのだろう。でも、アルビにとってもエムジは大切な人で……。まだまだアルビに謎は多いけど、エムジも仲間だと言っていた。アルビだってエムジのお母さんの脳を使って動いてるんだ。エムジが大好きなはずだ。母性を感じていたはずだ。6年も一緒にいて、仲間意識が芽生えないはずがない。ウチ等3人は、戦友であり、友人であり、相棒であり、家族であり、不思議な関係だった。
「違うんだ。アルビ。そうじゃないんだ。アルビには、そしてエムジも、ズンコにも申し訳無いけど……ウチはどこにいても、幸せになれない」
「……」
今度はアルビが黙ってしまう。たぶん解ってるんだろう。
「エムジがいない世界で、幸せにはなれないよ」
「だから反対だったんだ……」
アルビがぽつりとつぶやく。そして──
「戦争に加担するのは、最初から反対だったんだ。どっちも仲良く死ねるなら良かった。ボクら3人が仲良く死ねるなら。でも結果こうなってしまった。誰かが残される可能性はずっとあった。敵に近づけば近づくほど、シーエを知ってる敵に会う可能性も増える。そしたらシーエは傷つく。実際そうなった。ボクが思った通りになった!」
語る内にどんどん熱くなっていくアルビ。そこにはどうしようもない憤りが感じられて、怒ってる口調なのに、ウチの事を心配しているのが解ってしまって。
「ねぇ、シーエ。真剣な相談なんだ。ここらで終わりにしようよ! エムジの昇葬をしてさ。終わりに。これ以上戦う事は、エムジだって望んでないんじゃないかな? 天国のエムジが悲しむよ……」
「天国なんて、あるか分からないじゃないか……」
ウチは絞り出すように声をだす。ひどく弱弱しい、泣き言みたいな声を。
「天国があってほしい。そこでエムジもズンコも幸せに暮らしていてほしい。でも、でも!! あるかどうかなんて、解らないじゃないか! 誰も証明できないじゃないか!!」
気が付くと、ウチも声を張り上げていた。
「誰が証明してよ……天国があるって……あの世があるって……そうすればウチは、アルビの提案に乗って、余生をやり過ごせるんだ……」
もう一度会えるという保証さえあれば、残りの人生を何の不安もなく生きていけるんだ。でもそんな事、誰も証明できないだろ?
「ボクと一緒なだけじゃ、幸せになれない?」
アルビは悲しそうな声で聞いてくる。
「ごめん。アルビがいなかったらもっと不幸になる自信はあるけど……でも開いた穴はふさがらないんだ。エムジも、ズンコもいない。二人の記憶を忘れてしまう。この状態で、ウチは幸せには……」
「……やっぱり、シーエはそうなっちゃんだね。知ってた。知ってたよ」
「アルビ?」
「詳しくは、話せない。でも詩絵美時代から、シーエはそうだった。ずっと穴が開いてるんでしょ? エムジに合う前から」
「知ってるのか? アルビは。この胸の穴の正体を! お、教えてくれ! ウチは、誰を忘れてる!! 誰を、失ったんだ!!」
その人の為に、思い出したい。その人の事を、失ってしまったその人の事を、想ってあげたい。
ウチの知る宗教観では、無縁仏は寂しい存在だったはずだ。グーバスクロなのか、マキナヴィスなのか、それとも両方か。どちらにせよ、死んだ人を想ってあげる、生きてる人間が必要だと、ウチはなんとなく感じている。
「知らない方がいいよ? 知ってもつらいだけだし、シーエは思い出す事は出来ないんだから」
「でも、知っていてあげたいんだ。想っていて、あげたいんだ。死者を想うのは、生者しか出来ないから……」
「そっか。シーエはそういう人だもね。その人はね……シーエの、いや、詩絵美の、夫。
夫……
ウチは結婚していたのか。そして、アルビの口ぶりから、その夫を亡くしていたのか。ああ、だからアルビは納得したのか。その時のウチも、今と同じ状態になって、幸せを放棄してたんだな。
しかし愛する男性が二人いるって、ウチはどんだけビッチだよ。体の貞操観は緩い自覚があるけど、心もそうだったか。
最愛の人を忘れて、新しい最愛の人を、見つける。そして二人とも、失う。穴が、どんどん増えて行く……
「エムジの為に言っておくけど、シーエは、詩絵美は人の想いをずっと大事にする人だったから……今もそうだけど。だからシーエが英雄さんの事を覚えてたら、きっとエムジには惚れなかった。あの日の記憶喪失は、詩絵美の全てをリセットした日だったんだ」
という事は、さっきアルビの言ってた、内地で新しい人と仲良くなって余生を幸せに送るという案は結局不可能だ。友達は出来るかもしれないけど……ウチはエムジを忘れられない。詩絵美は夫を、ウチはエムジを。生涯この人と決めた人を、ずっと愛し続けるんだ。
「で、どうするの? ボクの案は却下されちゃった。内地で幸せにって案は。シーエはどうしたいの? ボクは、どこまででもついていくよ。少しでもシーエを幸せにするためにね」
「どうしてアルビは、そこまでウチを……」
「それは、今度話すよ。話せる所までね。……簡単に言うと、ボクにとって、シーエが大事な人だからだよ」
「そっか」
ウチはアルビの大切な人でもある。エムジを追って自殺しようかという考えも一瞬過ったが、それも出来そうにないな。少なくとも今は。アルビがいる内は。アルビが、ウチに生きていて欲しいと言う内は。
「じゃあ、やることは決まったな」
「……何?」
「戦争を、終わらせる。エムジの意思を継ぐ。……エムジはウチに幸せになれって言ってたけど、ウチはエムジがいない世界で幸せにはなれない。だったら、エムジみたいな人を少しでも減らす助けをする。そのための手掛かりは、教えてくれるんだろ、アルビ」
エムジを孤独にしたのは、ウチだけど……。そういうグーバニアンを少しでも倒して、戦争の真実を探って、各国で起きてる自国民同志のテロも止めて。
やることは多い。でもやらなくては。そうしていないと、たぶんウチは自分を保てない。
上等だよ。やってやろうじゃないか。戦争の謎を解き、世界を救ってやる。だから見てて、エムジ……。もしあの世があるなら、見てて。たのむ、見ててくれ。あの世が、あってくれ。そこで見ててくれよ。たのむ。
「……ボクは、やっぱり反対だけどな」
「知ってた。ごめんな」
アルビは反対するだろう。いつだってそうだった。ウチが危険にさらされそうになると、いつも反対してた。でも、結局は付いて来てくれて。
「エムジ、想いに答えられなくてごめん。ウチはお前がいないと、幸せにはなれない。でも、でもさ、生きてはみるよ。お前の望み通り。生きて、戦争を終わらす手伝いをして、少しでも多くの人の悲しみを減らしたい」
愛が踏みにじられない世界を作りたい。エムジと出会った日にエムジが言っていた言葉らしい。ウチも、そんな世界を、作りたいな。
「だから、続けるよ。3人で続けてたこの傭兵家業を。お前の想いと一緒に、続ける」
ウチはあと1ヶ月で、エムジの事を忘れてしまう。でも、想いだけは、ずっと忘れないはずだ。ずっとずっと。エムジの想いと共に、生きて行こう。それが、天国があれば、いるはずのエムジの供養にもなるはずだから……。
「見ててな。エムジ」
やるべきことは決まった。さあ、動き出そう。ウチにはもう、それしか出来ないから。