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第零章 06話『春風と共に…』

 月明かりが照らす森の中、二人のグーバニアンが密談を交わす。



「景織子ちゃん、この国の歴史、特に楽園の歴史は知ってる?」


「当たり前だ。そんなものこの国の軍人になる上での必修事項だ」


 二人のグーバニアン、裸繁 羽母児らはん うばに御劔 景織子みつるぎ きょうこの表情は真剣そのものだ。

 主題の見えない問いかけに対し、御劔の目線には懐疑的な色が浮かぶ。


「楽園が過去に何度か増設された事は?」


「馬鹿にするな裸繁。知ってるさ。3度だ。3度、過去に楽園は増設されている。最後の増設は今から約500年前だ」


「なんで増設されたかは知ってる?」


「馬鹿にするなというに。人口増加が原因だ。しかしその後災害や疫病で人口の増加は止まった。3度目の増設では当時の皇帝が心配性で、大規模な増設を行い、国土の半分まで楽園の規模を増大したと聞く」


 御劔が渋そうな顔でつぶやく。


「そんなに大きな容量は不必要だというのにな。そのせいで楽園の維持に使うカロリーの確保のため、むしろ飢餓が増え人口は減った。生きてる人の心を救う装置のはずが、本末転倒だ。これが500年程前の出来事だな」


「流石ね。そう。その後人口はまた緩やかに増えては行ったけど、その分内部の人格も満足して消えて行ったから、特に容量に問題は無かったのよ。定期的に災害とか小さな紛争とか色々あったしね」


「何が、言いたい?」


 御劔は懐疑的な色を濃くした視線で、裸繁を見据える。



「それはそうと景織子ちゃん。マキナヴィスの蒸気機関て発明、とてつもない物だって思わない?」


「何だいきなり。それは同感だが……。我が国の生活水準も飛躍的に上がり、医療技術も進歩。生きてる人間の世界はとても快適になった。死亡率も下がり、それに伴い出生率も上がり…………まさか!」


 御劔の目が驚きに見開かれ、次に顔面が蒼白に変わる。そしてその後、覚悟を決めたような表情に。

 強い女性だなと、裸繁は思う。自分なんかは今だって覚悟を決められていないのに。



「そう、そのまさか。増えすぎなのよ、最近の人間は。今までは問題無かったのよ。だから誰も問題無いと思い込んでいた。でも、最近ふとアタシは思ったのよ。これはまずいんじゃないかって。気になったアタシは、楽園内にいる過去の偉人達と協力して計算してみたの。今後の人口増加率と、楽園の残り容量のバランスを」


「……どうなった」


「あと15年もせずに、楽園は容量限界を迎えるわ。早ければ、10年程で」



 二人の会話を、しばしの沈黙が支配する。各々、その事実に向き合って。



「何故それを、私に言った?」


「たぶん、景織子ちゃんとアタシでは真逆の答えを出すから。国に報告する前に、意見を聞いてみたくてね」


「真逆……ね……」


 御劔は視線を外し、悲しそうな、それでいて険しい表情をする。彼女には解っていたのだ。裸繁が、国がどういった決断を下すか。それが自分の決断と真逆だという事も。

 それでも、今はまだこの事実を知る生きた人間は2人だ。国に報告する前に、確認しておきたい事がいくつもある。



「穏便な対策を練る時間は? 極論へ行きつく前に」


「たぶん、難しいでしょうね。時間が無さすぎるわ。もうこの国での増設は無理。敷地的にも維持カロリー的にも。かといって他の国に楽園の情報を開示するのは危険すぎる。保守的な国の上層部がそんな危険な事をするとは思えない。楽園はこの国の象徴、核だから」


「生きてる人間が、この国の、この星の主役のはずなんだがな」


「アタシもそれは同意だけど……でも、国は楽園に傾くと思うわ。アタシみたいに楽園に依存してる人間でなくてもね。楽園は自身の死後の生活を保障してくれる存在。好きなだけ存在していて良い、永遠の命をもらえる場みたいなもの。政治家には楽園にそういった価値を見出してる人間も多くいるわ」


「……糞が」


 御劔は吐き捨てる様に言う。


「くだらん。自身の利益の為だけに、極論に到るのか」


「アタシだって、変わらないわ、景織子ちゃん。アタシが恐れているのよ。兄がいなくなる事を、また会えなくなることを。ただアタシの欲望の、兄といたいという欲望の為に、楽園を選ぶ。それは突き詰めれば自身の利益のためよ」


 御劔は渋そうな表情で視線をはずす。「そんなことは無い」と、かすかに呟いた様に思えるが、裸繁の耳には届かない。



「政府の議論は、楽園を守るか、人の世界を守るかの、二択よ。恐らく、そうなるわ。もちろんもしかしたら頭の切れる政治家や技術者が多くいて、両立を取れる可能性も無きにしも非ずだけど」


「この国最高の技術者が、二択と言っているのにか」


「アタシだって所詮個人よ。多数の人間で議論すれば、平和的解決もあるかもしれない。でも……」


 アタシは、怖い。裸繁はそう続けた。とてもか細い声で、泣きそうな声で。



「そう、か。なら国の決断次第では、私はお前とは違う道を辿らなくてはいけないな。なあ裸繁、教えてくれないかしら? 何故私に、話したの?」


 御劔が口調を和らげ、優し気に裸繁に聞く。そこには古くからの友人の、御劔並みの気遣いがあって。


「それはだから、真逆の意見を持つであろうアナタに、意見を聞こうと……」


「建前はいらないわ、裸繁。私とあなたの仲じゃない。あなたは実は──」


 私に殺してほしかったのでしょう? 御劔は核心に満ちた鋭い目つきで、裸繁を見据えた。

 裸繁の体が、びくりとして硬直する。



「本心でそこまで計算しての行動かは解らないわ。でも私が今ここであなたを殺せば、この後あなたがするであろう狂行は、止められる。あなたは何も罪を犯さず、楽園に行って今後の運命を他人に委ねられる」


「そんなつもりじゃ……!!」


 言いかけて、裸繁は口ごもる。否定しかけた言葉が、弱くなる。


「いや、そんなつもりだったわね。ごめんなさい。景織子ちゃん。アタシ、弱い人間ね」


「いいさ。普段強くてナルシストなお前が、私に弱い一面を見せてくれる。それだけでも友人として鼻が高いというものよ。だが、私はお前を殺さない。自分の決断には、責任を持って生きなさい」


 生きろ。そう告げ、御劔はその場を後にする。情報提供には礼を告げ。御劔は御劔で、準備を整えるそうだ。




 去る御劔を見つめ、裸繁は独り言をこぼす。


「そうね。生きなきゃね。アタシは、罪を犯してでも、自分の願望を叶えなくては。自分の手で、兄のいる、楽園を守らなくては」


 この場で殺されても、楽園内から今の情報を国に報告すれば国は勝手に動くだろう。ただそこに自分はいない。それは、これから始まるであろう地獄、人類滅亡への道を、他人に任せるという行為だ。その舵を切るべきは自分だと、裸繁はこの夜自覚した。地獄への道を、他人に委ねてはならない。



「景織子ちゃんに相談したの、失敗だったわね……」


 御劔は楽園を破壊する道を選ぶだろう。もしかしたら今夜にでも楽園に爆弾を仕掛けかねない。急いで国に報告し、楽園の防衛を固めなくては。議論はそれからだ。


「彼女の思念、ずっとブロックし続けないといけないわね。これは重労働よ……」


 恐らくしばらくは裸繁自身が他人との思念通信は出来なくなる程に。この情報を御劔によって拡散でもされたら、とても面倒な事になる。そうならない様、御劔の楽園との通信は阻止し、サーバーの利用権もはく奪しなくては。サーバー利用権をはく奪すれば、楽園に接近しない限り楽園内と通信は出来ない。現実世界でも楽園世界でも、この情報を拡散されない様に努めなくては。

 御劔一人なら、裸繁の能力をもって全力妨害すれば、情報拡散は防げるだろう。幸いこの国のサーバー機能の権限は、裸繁が持っている。ここから先は、楽園崩壊の情報をどう扱うかによって、戦況はどちらにも傾く。



「でも、ありがとう景織子ちゃん。あなたのおかげで、アタシは覚悟を持って前に進めるわ」


 地獄の、道を、前に。その覚悟は、今夜の会話で固まった。全人類の命、それと大切な家族の存在を天秤にかけて。



   * * *



「……殺しておくべきだったかしら」


 御劔は帰り道でぽつりとつぶやく。裸繁はかなりの技術者だ。これからの自分の行動、やるべきことを考えれば、消しておいた方が良い。

 踵を返し、先ほどの集会地点に戻ってみたものの、既に裸繁の姿は無かった。裸繁からの思念妨害が始まっている。裸繁の脳の位置を探知する事ももう出来ない。

 それどころか、このままでは仲間を集うのも、情報を拡散して相手を妨害するのも至難の業だ。でも。


「ただ、生きていて欲しいって、思ったのよ……」


 人は生きている方が主役だ。生きて、出会いと別れを繰り返し、前に進むべきだ。それが御劔の持論だ。楽園はその後押しをしてくれる装置だった。しかしそうでなくなるのであれば、破壊すべきだ。その障害になる裸繁も、殺しておくべきなのだ。なのに。


「結局は私も、ただの人間なのね」


 古き友を、自分が心を許せる相手を、殺したくない。ただそれだけだった。だからこそ、楽園を選ぶであろう人達の気持ちも痛いほど解る。これから先は、どうあがいても悲しみが世界を包むだろう。



「何でもっと早く気が付かないのよ。議論の余地がある内に……取り返しがつかなくなる前に……阿呆が」


 そう、世界で最も早く事態の深刻さに気が付いた技術者に、彼女は悪態をつく事しかできなかった。



 真の阿呆は自分だと、あの時即座に裸繁を殺していなかった自分だと、反省と後悔を感じながら、彼女は闇へ消えた。




   * * *




 何か最近、バニ様と連絡が付かない。慌ただしく動いている気配がする。

 英雄に聞いてみたが、警察や軍も内部が慌ただしいそうだ。知り合いだった楽園へのアクセス権を持つ警官も、何人かが連絡不能状態だとか。連絡が付く警官も、雰囲気が重々しいらしい。楽園に出現してる訳ではないので生きてるみたいだが……何が起きてるんだろうか?


 ウチは仕事へ出発する準備をしながら思想にふける。自分用の弁当を持ち、ウチが痛い人認定されている職場へ……うわぁ朝からブルーだ。外はスカイブルーの超青天だよ。だから何だよ畜生め!


 ブルーな所にブルーな思想を重ねるのはどうかと思うが、最近の不穏な空気は何か気になる。


 大規模な戦争はもう1000年も前の物だが、小さい小競り合いは世界中でいくつも発生している。もしかして小規模な争いでも発生しているのだろうか。嫌だな、人が死ぬのは。残される人が増えるから。

 グーバスクロには楽園があるから、心の傷は軽く済むが、結局死ぬことには変わりない。死んだ人の未来は、楽園の中にしかない。亜瑠美が大人になり、結婚し、子供を産む姿はもう見られないのだ。もっと小さい子ならなおの事。

 それに他国に死者が出た場合は、その国での残された人には、楽園を知る術がない。生きてる間、ずっと苦しみが続くのだ。



 いや、これは考えてもしかたない。何も決まった訳でもないし、まだ死者が出た訳でもない。ともかく、ウチはしっかり寿命まで生きて、しっかり死のう。残りの人生も楽園の家族と、現実の友人と楽しく。……現実の友人ができにくくなったのは亜瑠美のせいだと思うので、明後日楽園行った時に文句言おう。職場以外で友達探せって話だが。


(まあ露出仲間はいるし、普通に人生は楽しんでるけどねぇ?)


 ただ数少ない普通の友人……じゃねぇな。全く普通の友人ではないけど大好きな友人である事に変わりないバニ様と、連絡付かないのは寂しい。そして何か不安になる。



 やはり何か起きているのではないか。ウチは自分の手の届かない所の心配を勝手にしていた。


『──ピピピピ』


 そんな折、唐突に思念通信が入ってくる。これは、国の緊急チャンネル……?




『こちらはグーバスクロ国内の、脳仕掛けの楽園を知る人間にのみ送信される極秘通知です。楽園に関して重大な問題が起きました。繰り返します。楽園に重大な問題が起きました』



「……は?」



『こちらはグーバスクロ国内の、脳仕掛けの楽園を知る人間にのみ送信される極秘通知です。楽園に関して重大な問題が起きました。繰り返します。楽園に重大な問題が起きました』



 重大な問題? 先ほどから通信は繰り返し同じことを通知してくる。楽園関係者が全員通知を認識出来るよう、時間を取ってる様だ。

 慌てて楽園内の英雄に確認してみたが、楽園内にはアナウンスが流れていないらしい。ウチは情報共有をした。亜瑠美も不安がっている。

 ……バニ様は、連絡が付かない。



『こちらはグーバスクロ国内の、脳仕掛けの楽園を知る人間にのみ送信される極秘通知です。楽園に関して重大な問題が起きました。繰り返します。楽園に重大な問題が起きました』



 動悸が激しくなる。何か、とてつもなく嫌な予感がする。



『こちらはグーバスクロ国内の、脳仕掛けの楽園を知る人間にのみ送信される極秘通知です。楽園に関して重大な問題が起きました。繰り返します。楽園に重大な問題が起きました』



 アナウンスは10分以上繰り返した後、少し沈黙し、そして──



『マキナヴィスの蒸気機関の発明、それを発端とした各国の様々な技術の発達により、人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は──』



 楽園、は──



『長くても15年以内に容量オーバーで、崩壊します』




 一度失い、再び手にした最愛の家族との時間。それがまた失われると、無機質なアナウンスがウチに告げて来た。


 気持ちよい風の吹く、初春の出来事だった。あたりでは事情を知らない小鳥の気持ちの良い歌声が、鳴り響いていて。

 まるであのピクニックの日の、朝の様に──


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