「楽園が、崩壊する?」
ウチは信じられない通知に唖然とした。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
先ほどから繰り返し、信じたくないアナウンスが続いている。呼吸が荒くなる。動悸が止まらない。足が、震える。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
ウチは地面にしりもちを着いた。足腰が立たなくなってる。スカートの中の丸出しの臀部が直に地面に当たり、土で汚れる。仕事用にまとめていた荷物も地面に衝突し、ばらけてしまった。
あ、またお弁当が。今回は前程悲惨じゃないけど、少し汚れちゃったな。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
大丈夫。大丈夫。前だって、何とかなったんだから。バニ様が、楽園が助けてくれたんだから。また、何とかなるよ。そうでしょう? バニ様……
バニ様にはさっきから、連絡が付かない。何度も通信してるのに。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
ウチは過呼吸になりながら、同じ言葉を繰り返した。
『……みちゃん。……えみちゃん。……詩絵美ちゃん!!』
「英雄……」
『大丈夫、大丈夫だから、落ち着いて。何かあるはずだ。わざわざ国からこんなアナウンスがあるなんて、ただ不安を煽って終わりな訳無いから。だから安心して』
英雄がウチに喋りかけてくれる。ウチを落ち着かせようと、気遣ってくれる。ウチは、そんな英雄の声を聞いて、とても愛おしく思ってしまって、そして──
「嫌、だ……」
『詩絵美ちゃん?』
「英雄と、亜瑠美と、会えなくなるなんて!! ナトくんとも、父さん母さんとも、会えなくなるなんて、嫌だ!!」
叫んでた。全然、安心なんて出来ない。英雄の声を聞けば聞くほど、愛おしいという気持ちがこみ上げて来て、それがまた聞けなくなる不安が増大して。どんどん、どんどん不安になる。
また失われるのか。折角再会出来たのに、またあの悲しみを味わないといけないのか。
ウチはまだ40手前だ。事故でも無ければ100歳くらいまでは確実に生きる。生きてる内に、また別れがやって来るのか。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
国は15年以内と言っている。もしかしたら、もっと早く別れが来るかもしれない。
自分が死んだ後も、家族とゆっくりするつもりだったのに。バニ様は、楽園はそれが出来る素敵な装置だと言っていたのに。
不安で気分が悪くなり、ウチは朝食を吐き戻した。お弁当に吐瀉物がかかり、今度こそ食べにくくなる。
英雄と亜瑠美はウチを気遣い続けてくれる。その声を聞くたびに、ウチは二人と別れたくなくて、どんどんと恐怖心に駆られていく。
そんな中、アナウンスが変化した。
『楽園を愛する方々へ、国は解決策を用意しました。まずは首都に集まって下さい。集まり次第順次解決策を説明致します。猶予は1ヶ月とします。もし1ヶ月以内に首都に来られない方は、1ヵ月後にこちらのチャンネルより解決策を通知致します』
解決策! 解決策があるのか!! 早く、首都に行かないと。
ウチはよろよろと立ち上がり、降ってわいた希望に縋りつく。会社に欠席って伝えなきゃな。理由は……また露出で捕まったことにでもしておこう。ていうかウチよく今までクビになってないな。はは。
空元気だった。ただ、何もないよりは、解決策があると言われただけで救われる。何故、ここで言えないのか。首都に集まる必要があるのか、疑問は絶えないが。
ウチはガレージを開け車に乗る。服が吐瀉物まみれだが、気にしてられない。早く、首都に。安心が欲しい。
『人口は爆発的に増えています。このままでは、楽園は15年以内に容量オーバーで崩壊します』
国からは先ほどと同じアナウンスが続いていた。
『楽園を愛する方々へ、国は解決策を用意しました。まずは首都に集まって下さい。集まり次第順次解決策を説明致します。猶予は1ヶ月とします。もし1ヶ月以内に首都に来られない方は、1ヵ月後にこちらのチャンネルより解決策を通知致します』
その解決策に縋りつくために、早く、首都へ──
ウチは車のアクセルを踏んだ。
* * *
首都へ向かう道中、ウチは楽園内の情報を確認した。ウチの様に楽園を知る人間には、先ほどのアナウンスが届いていた様だ。その人づてに楽園内にも崩壊の情報は伝わり、内部は混乱状態になっている。
多くの人格が死にたくないと訴え、国からの解決策の情報を欲していた。「死にたくないも何も、僕らは既に死んでるのにね」と、英雄はあっけらかんと言ってのけたが……。
ウチを落ち着かせるためだろうが、この状況で英雄の口から「死」という言葉が出ると、それだけでウチは手足が震えてしまう。あの日の事故を思い出してしまう。また会えなくなるのではと、思ってしまう。
気を付けて、と英雄は言っていた。安全運転の件ではない。もちろん安全運転も必要だが、国からの策に関しての事だ。不穏な匂いがすると。連絡がつかない同僚の警察が多い事からも、警戒してほしいと。
ウチも、何か嫌な予感はする。しかしそれ以上に、答えを欲してしまう。楽園を救う、解決策を。
首都に着いた後は、指定された場所に集合した。国営の会館で、数百人が入れる大きな建物だ。学生時代に使っていた体育館に似ている。広さはもっと広いが。
その中にウチを含め、大量の人が押し寄せている。超満員とは言わずとも、両手を広げて回転出来る程の空間は持てない人口密度だ。ウチには左手無いけど。
解決策の説明は日に2度行われるらしい。ウチの住む家から首都までは車で5時間以上かかるので、今日は2度目の説明との事だ。昼と夜の説明で、今は夜の部。到着してからしばらく待たされた。
早く解決策を知りたくて気が気じゃなかったが、周囲にも同じような思いの人が大量にいるからか、ウチの心は相対的に落ち着いていった。
ウチと同じく、楽園の中に、別れたく無い人がいるのだろう。皆悲壮感と焦燥感にあふれた顔をしている。
そんな人たちを見て、不謹慎ながら「自分と同じ人がいる」と安心してしまう。何の解決にもなってないけど、境遇が似た人を見つけるだけで人は安心出来る生き物なんだな。
だからウチは、そのつかの間の安心感で満たされた心で、周囲を観察する。
(軍人が、多い)
背中に穴を開け、クローン脳をセットした軍人がずらりと、2階部分に並んでいる。ホールは吹き抜けになっているが、柵付きの二階部分が存在していた。二階への階段は関係者以外立ち入り禁止とされ、扉の前にも軍人が並ぶ。そして、彼等の持つ凶器の先が──
(ウチらに、向いている?)
どういう事だろうか? 軍人の多くは部分的に体を改造したグーバニアンだが、遠距離攻撃できそうな武器を持ってる軍人は皆、その先を1階にいる集まった人々に向けている。何かを警戒している様だ。何を? そして──
(床が、汚れている)
ワックスでコーティングされた木製の床は多少の汚れは付着しないはずだが、ところどころ赤黒いものが付着している。恐らくだが、これは、肉片……?
2階に並ぶ軍人、床に付いた肉片。1回目の説明の後何があったかは容易に想像がつく。もしかしたら説明前かもしれない。
(全員惨殺、なんて事があるのかな?)
人口増加が楽園の容量限界の原因だとアナウンスでは言っていた。だから人を集めて殺そうというのか。
でもそれなら楽園を知ってる人だけ集めるのもおかしい。こんな人数殺したところでスズメの涙だ。
それとも……
(楽園と共に滅ぼうとでも、言うのかな)
怖い。冷静になっていた心が、再び恐怖心を増大していく。自分が死ぬのが怖い訳ではない。楽園が、滅ぶのが怖い。
ここでウチが殺されたら、国が楽園を放棄する選択をしているのだとしたら。15年とたたずに、楽園が消されるかもしれない。大好きな、ウチの家族と共に。
ここから逃げた方が良いのか。ウチが弱気な思考をしていた所、ホールに動きがあった。出入り口が閉められ、壇上に国のお偉いさんと思われる人々が現れる。出入口付近には軍人が。まずい、これではもう出られない。
ウチが狼狽える中、壇上には見知った顔が次々と登場してくる。あの顔、ニュースで見た事あるな。皇帝は……流石にいないか。皇帝がいれば、全員惨殺という凶行の可能性は減るのにな。皇帝に危害が及ぶことは避けるだろうし。ただ皇帝がいずとも、国のお偉いさん方が沢山いる事は確かだ。
先ほどから楽園に通信をしようとしているが、それも遮断されている。何かしら、良くない事がここで行われる。まずい。まずいまずいまずい!
ぞろぞろと現れる面々を不安げに見ていた折、ウチは友人の顔を見つける。ウサギ頭で、白衣を着た、大切な友人を──
「バニ様!」
思わず声が出た。あ、ヤバイ。皆こっち気にしてる。変に注目を浴びてしまった。ウチは冷や汗を流した。
ただその声は、壇上のバニ様にも届いた様で
「詩絵美、ちゃん……」
はっきりと聞こえた訳ではない。でも口の動きで解った。明らかに狼狽している。ウチを見る目が、悲しみにあふれている。
バニ様は何かを言いかけて口を開いたが、そのまま言葉が発される事は無く、口は閉じられる。と共に、何かを覚悟したような表情に変わり
『ごめんなさい。詩絵美ちゃん……』
そう、ウチに思念を飛ばしてくる。ただ、ごめんなさいと。
『あなたにはこれ以上、不幸になって欲しくないのに……』
やはり何かまずい事が起きるのだろう。しかしウチの心は、バニ様の声を聞いて少し安心してしまって。
ただ大好きな友人の顔を見ることが出来て、安心しただけなんだろう。でも少しだけ、冷静になれた。だからウチは、バニ様に聞く。
『バニ様、一つ聞きたい。国は楽園を放棄、……するのか?』
聞きたくない質問だった。でも、聞かずにはいられなくて。頼むから、違っていてくれ。
『それは無いわ。国は楽園を全力で守る。安心して。でもそのために、今から酷い内容をここで話さなきゃいけないの。あなたにも、地獄を見て貰う事になるわ……たぶん、あなたは、1の選択を選ばないから……』
バニ様から帰ってきたのは、ウチが思う最悪な話では無かった。良かった。これだけで安心できる。
しかし、1の選択とは? これから起きる事態に想像はつかないが、見届けるしかない。
『詩絵美ちゃん、出来れば今すぐここを出て、これから先の話は聞かないでほしいけど……ごめんなさい。あなたは大好きだけど、あなただけを特別扱いは出来ないの。だから、話をよく聞いて、出来るなら、1の選択肢を選んで』
1の選択肢とやらが何だかは解らないが、話は聞くつもりだ。そのために来たのだから。楽園が崩壊する事に恐怖して残りの人生を生きるなんて、つらすぎる。その解決策があると国が言うから、ここまで来たのだ。
そもそも出ようにも扉はしまって出られないし、1ヶ月したらアナウンスで解決策を案内すると言っていたし……。
……しかしそうか。1ヵ月後にアナウンスすると言っていたから、全員呼んで殺す訳ではないのか。バニ様も国は楽園を守ると言っていたし。だとしたら床の汚れは?
嫌な予感はひしひしとする。でも、楽園が消えるよりかは遥かに良い。ウチはこの説明から、逃げてはいけない。逃げたとしても楽園が無くなる恐怖は消えないし。
『バニ様、大丈夫だよ。何が起きようと、ウチは逃げない。楽園を、家族を守れるなら、ウチは』
『そう、ね。あなたは強い娘だものね。でもだからこそ、不安なのよ。でも、しょうがないわね。こうなってしまっては……。アタシが、責任を持って、詩絵美ちゃんをこれから地獄に案内するわ』
ごめんね。バニ様は再度そう告げて、壇上の中央に移動する。司会進行は、バニ様がやるのか。
地獄、とは──
『あーあー、皆さま初めまして。楽園管理局技術班代表の、
ホール全体に思念が飛んでくる。流石のバニ様も、こういった場ではいつもの口調では無いんだな。
『突然の招集、申し訳ありませんでした。楽園が無くなると、不安に思ってる方も多いと思います。……我々政府から、そういった皆様に、提案が、あります』
バニ様の思念が震えている。今日は二度目の説明だと思うが、そんなに言うのを淀む内容なのか。
ただその疑問は、次の一言で氷解した。
『まず、我が国は楽園のために、全人類滅亡を計画しました』
「……え」
聞き間違えかと思った。人類を滅亡させる? 何を──
『楽園の容量は人口の増加によってオーバーし、長くとも15年で崩壊します』
改めて告げられる楽園の崩壊。それを、よりによって楽園を教えてくれたバニ様が言う。
ウチは先ほどまで少し落ち着いていた気持ちが消え、再び青白い顔になった。周囲を見ると皆も同じような反応。生身の人間から発せられる最悪の知らせに、皆狼狽えるばかりだ。
壇上のバニ様も、青い顔をしながら、思念通信を続ける。
『人類滅亡への準備は、出来てます。軍と警察は配備に着きました。……人類滅亡反対派は、全員抹殺されました』
「な!?」
再び衝撃が起きる。反対派の抹殺!? そんな強行手段を、国が取ったのか。と共に理解する。床の汚れを。反対、した人の……
でもじゃあ、賛成した人はどうなったんだ? どんな、役割が……。
それにこの話はおかしい。英雄の話では、警官仲間は楽園内に出現していない。たまたま仲間が全員人類滅亡賛成派だったのか。だとしても英雄は、楽園内に出現した反対派から情報の共有をされてても不思議ではない人物なのに……。
『楽園を安全に。これはわが国の隠れた指針です。楽園を知ってる皆さまならご存知かと思います。この国は楽園無しでは存続し得ません。なので楽園の危機に対し、国では様々な議論が交わされました。人口増加を制御し食い止める案、楽園を増設する案、ただそのどれも、時間が足りません。他国の協力も必須です。楽園の存続を理由に、他国に負担を強いる提案をした場合、最悪楽園が攻撃されかねない』
バニ様はここに到る経緯を説明する。まるで言い訳の様に、しょうがなかったという様に。
実際、しょうがなかったのだろう。でも、これは……
『結果国が出した結論は、とにかく人口を減らすというものでした。でも、ただ減らすのではダメだと。人類を滅亡させないと、安心出来ないと。それが現皇帝の……いえ、私の、私達楽園支持派の総意です』
安心、出来ない、から。そうバニ様は言う。
『マキナヴィスが開発した蒸気機関、それに伴った各国の技術革新。これらは一度出来てしまえばもう失われる事はない、技術、概念です。戦争でもして一時的に人口を減らしても、再び数十年すれば、人口はどんどん増えていく。もう、楽園は、人口を定期的に減らし続けるか、全ての人類を滅亡させて絶対的な安全を取るかの2択になってしまいました』
周囲からは、ざわざわという動揺が絶えない。困惑、恐怖、怒り、様々な感情がホールを渦巻いている。
『皆さまは、どうですか? 楽園が無くなると聞いて、どう思いましたか? ……アタシは、怖いと思った。なんとしても楽園を守らなくては、兄を、楽園の中にいる大好きな人を、二度と失いたくないと思った』
後半は、一人称もただのバニ様に戻っていた。これは、バニ様個人の魂の訴えだ。しかし同時に、ここにいる多数の人間の訴えでもあって
「英雄、亜瑠美、ナトくん、父さん、母さん……」
小声で、震え声で、ウチは大好きな人たちの名前を口ずさむ。怖い。また失うのが、ただただ怖い。怖い、怖い怖い怖い!!
『私など、もう60過ぎです。楽園の中にいる家族とは、十分過ごせたと思います。これから10年もあれば、少し短いけど、普通の人間の一生と同じくらいの長さは、過ごせると……。しかし、そんな私でも、怖いのです。一度失った大切な人を、もう一度失うのが……。ここにいる方には、お若い方も沢山いらっしゃいます。その恐怖は私以上だと思います』
バニ様が、自分の気持ちを伝えていく。今までひた隠しにしていた年齢と共に。
そう、そうなのだ。あと10年もあるという見方も出来る。でも、10年しかないという風にしか、思えないのがここにいるウチらだ。
楽園があれば、もう別れなくて済むと思ってた。死後もずっと一緒に、お互いが満足するまで一緒にいられて、人格が消えるときは、満たされた状態のはずだと。もう二度と、あの悲しい思いはしなくて良いのだと。
でも、その保証は消えてしまった。10年後だろうが15年後だろうが、場合によっては自分が確実に死んでる100年後だろうが、安心は出来ない。
死後の世界を保証されていた。天国はあると保証されていた。生きてる内も悲しまなくて良くて、死後も、平穏な時間が過ごせると保証されていた。保証されていたんだ。
その保証が、消えていく。大好きな家族と共に、消えていく……。耐えられる、訳が無い。
『国からの選択肢は3つあります』
バニ様は慎重に、選択肢を提示していく。これが、さっき言っていた、選択肢。
『その1。今すぐここで死ぬ選択です。人口は少しでも減らしたいというのが国の方針です。ここで死んで頂ければ、ここにいる皆さんが子孫を残す事は無くなります。正直、私が個人的に一番勧めるのはこちらの選択です。今後提案する地獄の道を、歩まなくて済みます』
会場がいっそうざわざわする。ふざけるな! という声も聞こえる。そりゃそうだ。死にたくない人も沢山いる。それが一番オススメの選択となれば、意味も解らない。
そしてこれが、バニ様がウチに進める選択肢。ウチの自殺を止めてくれたバニ様が、再びウチに死ねと言っていた。死ぬ方が、今すぐ楽園内に行く方が、不幸にならないのか。
壇上ではバニ様が、どこかのお偉いさんから叱られていた。何だろうか。
『ごめんなさい。1の選択肢を勧めたのは、私の完全な個人的感情です。国が勧めるのは、本当に必要なのは、次の選択肢。その2』
バニ様はそう言ってためた後、続きを話した。信じられない、続きの内容を。
『皆さまに、人を殺す、戦士になって欲しいのです』
会場はさらにざわついた。人殺しになれと、国が言っている。何だと……
ウチも信じられなかった。いや、信じたくなかった。でも、その時ウチは既に解ってしまって。ウチの選択も、決まってしまって。
ああ、ダメだ、これは。こんなこと、全く考えて無かった。でも、実際に、国が、動くなら。
人類滅亡を真剣に取り組み、実行するなら、楽園を守れる可能性があるかもしれない。
降ってわいた蜘蛛の糸。その糸はとても細く、痛々しく、まるで有刺鉄線の様だけど。でも。
楽園を、救う方法が、提示されてしまった。大好きな家族と別れなくても良い方法が、もう一度、失わなくても良い方法が。
だからバニ様は1の選択を選べと言っていたのか。そうか、ウチを想って──
吐き気に襲われる。血の気が引く。でも、倒れちゃだめだ。聞き切らないと。バニ様の、国の提案を。
『これから我がグーバスクロは、マキナヴィスを初めとした各国に世界を巻き込んだテロを仕掛けます。表向き上は戦争と明うって行われるこのテロは、軍と警察の連合によって行われますが、今はまだ戦力が足りません。あなた方楽園を必要とする方には、その補佐をして欲しいのです。あなた達の大切な人のために、人を、殺してください』
バニ様の顔は、泣きそうになっていた。バニ様自身、嫌だったのだろう。こんな提案をするのは。でも、楽園を守るにはそれしか無くて。
『この選択肢を選んだ方には、軍から特別強化訓練が待っています。戦争開始は出来るだけ早い方が良い。楽園の寿命は刻一刻と迫ってきてますから。戦士になった皆さんには、早急に力を手に入れて頂き、軍と協力して人類滅亡を支援して頂きたい』
倒れこむ人もいる。そりゃそうだ。こんな、残酷な選択。
失う事のつらさを、ウチらは誰よりも知っている。それを、ウチらが与えるのか。人を殺せば誰かが悲しむ。最終的には全員殺せば楽園内で仲良く出来るのだろうが、悲しむ人を増やす事に変わりはない。それに死んだ人間は楽園の中では成長しない。
子供を殺したら? 夢を追う人を殺したら? それにもし、中途半端に人類を殺した上で楽園が先に限界を超えたら?? 悲しみだけ振り撒いて、後には何も残らない。
さっき以上に、声を荒げる人もいる「本末転倒だ!」と。楽園は生きてる人間を助けるための装置だろうと。それを、人を殺すための動機にするのかと。
その意見に同調するものもいれば、楽園を守りたいと反論するもの、ただ震えて倒れこむものも。
泣き出す人、吐き出す人、倒れる人、怒り反対する人、ホール内は阿鼻叫喚としていた。
その中でウチは、震えながらもしっかりと二本の足で立ち、バニ様の提案を受け止めていた。
倒れる訳には、いかない。だって、目の前の大切な友人も、バニ様も、足を震えさせながら、説明を続けているから。
既に1回昼に説明しているのに、まだ慣れないのだろう。いや、こんな説明慣れてたまるか。
バニ様と目が合う。バニ様は、悲しみの中にも決意を秘めた表情で、ウチを見据える。ウチも、同じような表情で返す。もしかしたら、会場にウチがいるという事も、バニ様の心の負担になってるのかもしれない。ごめんね、バニ様。
『簡単に言わせて頂きます。楽園の中にいるあなた達の大好きな人。その人達と、あなた達が良く知らない、この世界に生きている他人。それを天秤にかけ、より大事な方を取って下さい。その天秤が、大事な人に傾くようなら、我々に力を貸して下さい』
バニ様は、泣いていた。泣きながら、しかし逃げずに、思念を飛ばしていた。恐らくその心は、どんどん擦り減って行っていて
『最後の選択肢です。これはもはや選択肢ではありませんが……。この選択をされる方、人類滅亡を反対し、楽園の崩壊を認める方……その方たちには申し訳ありませんが、あなた達は──』
バニ様は一呼吸おいて、そして。
『この場で処刑させて頂きます』
そう告げた。と同時に、2階にいる軍人たちが一斉に殺意を向ける。
『1の選択肢を選ぶ方も、この場で苦しみなく殺させて頂きます。後は我々国と、戦って頂ける戦士に任せて楽園でお過ごし下さい。戦士になって頂ける方は挙手をお願いします。その上でそのままお待ち下さい』
多くの人が、泣きながら手を上げる。ウチも、静かに挙手を。その人達以外をめがけ、2階の軍人が飛び降りて来て、血しぶきが舞う。
周囲からは、悲鳴が。
先ほどまでの演説で、国の選択を否定していた人々も、次々に殺されていった。……いや、正確には殺されてはいない。脳が人格を保ったまま、保護されている。どういうことだろうか。
まるで花火だ。血の、花火。あちこちで、赤い花が咲いては消える。ウチの服にも誰のものか解らない血と肉が、飛んできては張り付いた。元々吐瀉物で汚れてた服だ。別に今さら汚れた所でどうという事はないさ。
『演説中に批判的な姿勢だった方はチェックさせて頂いてます。挙手したとしても、殺害させて頂きます。すみません、不安分子は消しておきたいのです。この情報を元に、楽園破壊を目論む方もいると思いますので。またこのホールは思念通信を全面的にブロックさせて頂いてます。外部や楽園にこの情報を通信出来ない様に。今後通信を試みた方も、安全のため殺害させて頂きますね。本当に、ごめんなさい……ごめんなさい』
バニ様は目の前の惨状を見て、先ほどよりも大きな涙を流す。しかし決して目線は逸らさず、惨状を目に焼き付けながら。
ウチはそんなバニ様を、ずっと見ていた。血と肉の花火の隙間から、大好きな親友が辛そうにする姿を。可愛そうだなと、思いながら。
ウチもいつの間にか、バニ様と同じように泣いていた。ウチの涙が地面に落ち、誰のものか解らない血と混ざり、波紋を広げる。
大丈夫だよバニ様。ウチは、バニ様と同じ気持ちだ。怖い。ただ怖い。だから、この極論にも乗ってやる。どんな地獄が待ってようと、英雄達と会えなくなる事から比べれば、屁でもない。
だからバニ様、一緒に、人類を滅ぼそう?
会場には半分ほどの人間が残った。ウチを含め皆、泣いたり吐いたり忙しいが、その目つきだけは覚悟を決めていて。
血みどろの会場の中、同じく血で汚れた人間が残った。これからもっと多くの血を流すであろう、血で汚れた人間が……
血に濡れ、泣き叫ぶ皆の姿を見て、ウチは出産みたいだなと漠然と思う。皆、生まれたての赤ん坊の様だ。
この瞬間から、新しい人生が始まるんだ。血で汚れた、最低で最悪の、人生が。
人類の滅亡、人殺し。ウチはその時、その重大さにあまり気が付いてなかったのだろう。ただ英雄達を失うのが怖くて、事の重大さから目をそらしていたのだ。
まさかあそこまで、あそこまで非道で、残酷な道とは──
でもこれが、ウチのした選択だ。つらいけど、思った以上に苦しかったけど、後悔は無い。
やり遂げてやる。ウチの欲望の為に、家族のために、他人の命を天秤にかけて、殺す。殺して、みせる。
もう、後には引けない。血に濡れた赤子達は、皆、泣きながら、しかし決意を持った瞳で、その場にたたずんでいた。