鳥のさえずりが、静かに朝の訪れを告げてくれる。
風は優しく、テントの幕を揺らしていた。
私は、ゆっくりと身を起こす。
(おはよう、エレナ)
「あっ……おはよう、エレン……」
今となっては、仲間たち全員が私とエレンの“秘密”を知っている。
だから、こうして彼の名を口にすることも――もう、怖くはなかった。
私はテントの入口を開けて、外の様子を覗き込む。
冷えた朝の空気が、ひやりと頬に触れた。
「……まだ早いと思うけど、着替えてちょっと散歩でも行こうかな」
(いい案だな)
「まだ早いと思うけど…着替えてちょっと散歩にでも行こうかな…。」
(いい案だな )
私はそう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。
寝間着姿のまま荷物へ手を伸ばし、
清潔に畳まれた服をそっと取り出す。
まずは柔らかな素材の白いシャツを身にまとい、
次に、金の刺繍があしらわれたスカートを丁寧に履く。
聖女としての衣――
司祭様から貰った衣服に袖を通し、出かける準備を済ませる。
みんな心配するから…置き手紙も書いていこう。
私は紙を取り出し、簡単な置き手紙を書いた。
──
朝靄に包まれた森の中を、私は一人、歩いていた。
「ここ、綺麗……。川の水も澄んでて、なにより自然がいっぱい」
(ああ、そうだな)
木々のざわめき、川のせせらぎ、遠くの鳥の声。
そのすべてが、どこか心を浄化してくれる気がした。
そんな時――
(……エレナ)
「ん? どうしたの?」
(左前方を見てくれ。……なにか感じないか?)
私は言われた方へ視線を移す。最初は何も見えなかった。
けれど、ゆっくりと近づいていくと――
「……あっ」
落ち葉の陰に隠れるように、古びた石造りの“階段”が口を開けていた。
地面に空いた黒い穴。そこへ続く段差。
(……ダンジョン、だな)
エレンの声が、低く呟く。
⸻
“ダンジョン”とは――
地中深くに広がる、自然と魔力が作り出した魔物の棲み処(すみか)。
多くは人の手が入らず、洞窟や古代遺跡がそのまま“迷宮”として魔物の根城となっている。
地下へ行くほど瘴気が濃くなり、魔物の数も増える。
その構造はひとつとして同じものがなく、冒険者たちにとっては**“未知の試練”**でもあった。
⸻
「ど、どうする……?」
(魔物の気配はする。……だが、大した強さではないな)
「じゃあ……行ってみようか? ……エレン、代わる?」
(ふむ……いや、このまま行こう)
「えっ!?」
(……昨日、エレナに対して“甘そう”と言われてしまってな。
ちょうどいい機会だ。君に最低限の護身戦闘を教えるには、もってこいだろう)
えぇぇえ!? このタイミングで!?
「えぇ~……それ、今言う!?」
(ふふ。ほら、行け行け。何かあればすぐ代わる。だが、“自分で戦ってみる”経験も必要だ)
エレンの声は、からかい半分、でも優しさが含まれていた。
「……もう……」
私は小さく息を吐いて、足を止める。
(……だいじょうぶ、だいじょうぶ)
胸の前で両手を軽く握り締め、深呼吸する。
そのとき――
(……緊張しているな)
(う、うん……)
ほんの一瞬、内側で感じた。
優しく、でも静かに背中を支えてくれる――彼の気配。
(君の後ろには、いつだって私がいる)
その言葉だけで、ふっと肩の力が抜けた。
私は頷き、
ゆっくりと、石階段の前に立った。
そして――
こうして私は、人生で初めて“ダンジョン”に入っていくことになった。
──
「……暗い」
私は、聖属性の光を手のひらから前方へ放った。
静かな輝きが闇を切り裂き、周囲の空間がぼんやりと浮かび上がる。
壁や床、細かな石の模様まで鮮明に映し出された。
私は手元の短剣を一本抜き、そっと握りしめる。
けれど――
(ふふ。君は普段、後衛で光の弓を使っているからな。短剣を構える姿は少しぎこちないが……まぁ、それも悪くない)
エレンが穏やかにからかう。
「……もう、こんな時に言わなくても」
そう返しつつ、慎重に角を曲がろうとした――その瞬間。
「ァア……!」
闇から、突然ゾンビが這い出てきた。
「きゃあっ!!」
私は思わず悲鳴をあげ、反射的に後ずさる。
(さて、どう戦う?)
エレンが冷静な問いを投げかけてくる。
「こ、こ、こういう時は……!」
私は混乱しかけた頭を落ち着かせ、短剣に祈りの光を込める。
手元から放たれた黄金の輝きが、短剣を包み込み――
そのまま光がゆっくりと伸びて、やがて長剣ほどの長さへと変化した。
(ほう……リーチを伸ばしたか。なかなか良い判断だ)
エレンの声が、素直な賞賛をくれる。
その言葉に勇気をもらった私は――
「そ、そりゃあー!!!」
思いきり掛け声を上げて、ゾンビに向かって駆け出した。
震える腕で突き出した光の刃は、真っ直ぐにゾンビの胸を貫く。
「アァァァァ……!」
悲痛な呻きが響き渡り、
刺された場所から黄金色の浄化の光がじわじわと広がっていく。
濁った肉体が徐々に消滅し、光と共に浄化されてゆく――
「ふぅ……や、やった……」
緊張で固まった肩から、ようやく力が抜けた。
(走り方はもっと前に屈むんだ。そうすれば、もっと速く走れる)
エレンが静かに指摘をくれる。
「わ、分かった……! 次はもっと頑張るね…!」
私は小さく頷き、気を引き締め直した。
このダンジョン――まだまだ奥は深そうだ。