「ナヴィス・ノストラ……」
ぽつりと呟いた私の声に、
「おお~さすがシイナくん。
確かにそのルートなら、禁足地までの距離も縮まりますね」
と、ミストさんが軽快に続けた。
ナヴィス・ノストラ。
そこは私も知っている。
隠れるように存在する――小さな港。
そしてその先には……聖女の地下墓がある国がある。
「エレナ。察しはついたと思うが、ナヴィス・ノストラの先には“へレフィア王国”がある」
「うん……。私のお母様も、そこに眠っているから……」
その一言で、場の空気が――少しだけ重くなってしまった。
でも、大丈夫。
お母様はベルノ王国を守るために、
その命を、祈りと共に捧げたのだから。
悲しいけれど……私は、それに縛られないって決めている。
「ああ。道中、近くを通るなら……
君もきっと、先代の聖女様のお墓参りに行きたいと思ってな」
「……ありがとう」
私はそっと微笑んで、みんなの顔を見た。
その優しさが、胸に温かく染み込んでいく。
「では、へレフィア王国が次の目的地……
そして“隠れ港”は、そこへ向かうための中継地ということですね?」
と、シオンさんが確認するように問いかける。
「ああ。準備ができ次第、出発するぞ」
シイナさんのその言葉で、私たちの新しい旅路が定まった。
⸻
メモリスを発ったあと、
私たちは――久しぶりに“野宿”をすることになった。
あの街で多くのことがあったけど、
私にとっては“秘密を打ち明けられた場所”でもあった。
きっと、忘れられない場所になる。
数時間の移動ののち、空が暗くなり、夜が訪れる。
焚き火を起こすグレンさん。
キャンプの準備をするシイナさん。
薪を集め、木を削るシオンさん。
食材を整えるミストさん。
私は、その周囲に四方結界を張っていた。
「よし……ここで、最後」
私が最後の一角に祈りを重ねた瞬間――
「エレナー! 終わったかー? 飯にするぞ~!」
グレンさんの声が、遠くから聞こえた。
その声に返事をしようとして……私は、ふと立ち止まる。
――見えた。
自分が張った結界の先に、淡い“二つの光”。
(……?)
目を凝らすと――
白銀の毛並みに、赤い双眸。
体躯は人ほどで、けれど“狼”の形をした魔物が、じっとこちらを見つめていた。
目が合った瞬間、魔物は音もなく、闇の中へと姿を消した。
「な、なに……? 今の魔物……」
(ふむ……敵意は無かったが。変わった個体だったな)
エレンの声も、どこか引っかかっているように聞こえた。
風が葉を揺らす音だけが、妙に耳に残る。
私はそっと息を整え、仲間たちのいる場所へと戻った。
⸻
焚き火が、ぱちぱちと音を立てていた。
みんなが輪になって、それを囲んでいる。
シオンさんが削った木の棒に、ミストさんが串刺しにした魚を丁寧に並べているところだった。
「ふふ、今日は大漁でしたよぉ」
と、満足げに微笑むミストさん。
「変な薬剤は使ってないだろうな……?」
「うぉ、やめてくれよ!? 本当にやめてくれよ!?」
シイナさんとグレンさんが、同時に反応を示す。
「何言ってるんですか~。
仮に実験で使ったとしても……せいぜい、お腹を壊すくらいですよ?」
ミストさんはケロリと、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
しかしその言葉が落ちた瞬間――
焚き火を囲んでいた全員の動きが、ピタリと止まった。
笑い声が消え、空気が一瞬で凍りつく。
焚き火の爆ぜる音だけが、はっきりと響いた。
「……こえーよ!!」
と、グレンさんがツッコミ半分に叫びながら、少し身を引いた。
「心臓に悪いからやめてくれ…」
と、シイナさんも額に手を当てて深く息をつく。
ミストさんの“真顔”が、逆に怖い。
「……あはは」
私は、苦笑いを浮かべた。
「ご安心を。水魔法で川の流れを操って、魚を打ち上げただけですから」
その言葉に、全員がふぅっと安堵の息を漏らす。
「なんだか、久しぶりの野宿って……いいですね」
私は焚き火の揺らめきを見つめながら、ぽつりと呟いた。
グレンさんが、もう一束薪を投げ入れる。
パチ……パチッ。
夜の空気に溶けるように、火が静かに燃え上がる。
「そうだな。ナヴィス・ノストラまでは、まだ距離がある。
この先も、あと数回は野宿が続くだろう」
と、シイナさんが淡々と告げた。
けれどその言葉には、どこか心地よさも滲んでいた。
⸻
焚き火の前で、私は――ゆっくりと、眠気に引き込まれていた。
まぶたが重く、首がカクン……と小さく揺れる。
あの、眠気と戦う時の、独特なあの感覚。
そして、私の意識は――ふわりと、内側へ沈んでいった。
「……ふむ」
静かな声と共に、
意識の表層に上がってきたのは――私、エレンだった。
(このままエレナと眠っても良かったのだが……)
けれど今夜は、それだけでは終わらせたくなかった。
“彼らに、感謝を伝えたかった”――ただ、それだけの理由で。
「エレンさん……」
誰よりも先に気づいたのは、シイナだった。
その声に、焚き火を囲んでいた全員の視線が自然と私に集まる。
「皆……エレナを、そして私を受け入れてくれてありがとう」
私は一礼し、深く頭を下げた。
「いえ……まだパーティになって日が浅いとは言え、
俺たちみんな、もうエレナのことが大切ですから」
シイナが、穏やかな笑みでそう答える。
「そうだぜ! エレナはかけがえのない仲間だ! もちろん、エレンもな!」
「そうですね~。二人とも、大切です」
グレンとミストの言葉も続く。
そのひとつひとつが、焚き火の温もりのように心に沁みていく。
私は、思わず笑ってしまった。
自分でも、頬が緩んでいるのが分かる。
「ふふ……ありがとう」
「エレンさんも、エレナが大切なのが伝わってきます」
そう言ったのは、シオンだった。
……まったく、その通りだ。
「ああ。私の命より、大切だ」
「エレンさん、エレナには甘そうですよね?」
うっ――
シイナには、痛いところを突かれる。
「そ、そんなことはない……」
そう言い返すと、周りからクスクスと笑いが漏れた。
その笑い声が、なんとも心地いい。
(……こんな時間も、悪くないな)
私は立ち上がる。
「さて……」
「お前たちは先に寝ていてくれ。私は念のため巡回をしてくる」
「……あ、ありがとうございます……」
シイナが頭を下げた。
「大丈夫だと思いますけど、お気を付けて」
「シイナ」
「はい?」
「私にも、敬語はいらない」
静かな夜の中に、その言葉だけがはっきりと響いた。
「あー……そうきますか」
数秒の間があったのち――
彼はふっと息を吐いて、笑う。
「分かった。これからはエレンさんにも、敬語はやめよう」
その言葉に、私は小さく頷いた。
「ふふ……ああ。では、行ってくる」
私は焚き火の光を背にして、
夜の闇の中へと静かに歩き出す。
火の温もりが遠のき、夜風が頬を撫でる。
仲間たちの声、笑い、焚き火の音――
そのすべてが、私の背を押してくれているようだった。