「エレナ……」
シイナさんが、静かに私の名前を呼ぶ。
「……わかってます。
守られなければならない立場……。
でも、それでも私は――みなさんを守りたいんです」
「…………」
聖女としては、間違っているのかもしれない。
今の私は、むしろ“守られる”側でしかない。
みんなの負担になっているのかもしれない。
でも――
それでも、私は。
聖女として。
そして、“仲間のひとり”として――
この旅を、みんなと一緒に続けたい。
それだけが、私の希望だった。
「……はぁ。条件がある」
困ったような空気のなかで、シイナさんがふっと溜息をついた。
そして、穏やかに口を開く。
「俺たちに敬語は使わないこと。
それを呑んだら……お前も、対等な仲間ってことでいい」
そして――にっと、優しく笑った。
「ちょ、ちょっと、シイナ君……!」
ミストさんが焦ったように声を上げる。
でも、その顔はどこか柔らかくて――
「すっごくいい案ですねっ!!!」
次の瞬間、勢いよくそう叫んだ。
「お。おお? てっきり反対されるかと思ったが……。
グレン、シオン、お前らは?」
「俺はいいと思うぜ?
エレナも、仲間として一緒に旅してんだし――守るのも当然ってな!」
無邪気に笑って、親指を立てるグレンさん。
「危険だとは思いますが……それでも、私もエレナさんの護衛として全力を尽くします。
……ただし――背中は、任せます」
静かに、だけどはっきりと。
シオンさんがそう言ってくれた。
「よし。じゃあその方向性が、俺たちパーティの“合意”ってことで」
シイナさんが、さらっとまとめる。
「みなさん……っ! 本当に、ありがとうございます……!」
心の奥が熱くなる。
私を、こうして受け入れてくれる仲間たちがいる――
それが、何よりも嬉しくて、心強くて。
「おっとぉ? 早速敬語が出てますよぉ~??」
ニヤッとミストさんが意地悪そうにからかってくる。
「うっ……が、頑張りま……がんばる……っ」
私は恥ずかしさを堪えながら、必死に言い直した。
──
翌日――
ラムザスの暴走を止めた私たちは、
メモリスの長から正式に呼び出しを受けた。
(……ラムザスって、長じゃなかったんだね)
案内された応接室には、白い研究衣をまとった女性がいた。
長い黒髪を後ろで束ね、眼鏡の奥から、知的な眼差しを向けてくる。
「皆さん、この度は……ラムザスを止めていただき、
本当にありがとうございました」
深々と頭を下げながら、彼女――この街の正式な代表が口を開く。
「言い訳になるかもしれませんが……
私も家族を人質に取られておりました。
ラムザスには、逆らうことができなかったのです……」
その声は震えていて、決して演技ではないと分かる。
形式上はこの女性が“長”であったものの、
実質的に街を支配していたのは、やはりラムザスだったのだろう。
シイナさんが、一歩前に出て静かに告げる。
「それは……致し方ない部分もあるとは思います。
ですが、まずは“被験者”たちの保護を優先させていただきます。
彼らは今後、ベルノ王国の魔法研究所が責任を持って引き取ります」
その口調は明快で、余地を与えない。
けれど決して感情的ではなく、落ち着いた圧力を纏っていた。
「ええっ……! それはぜひ……ぜひ、お願いいたします……!」
長は胸に手を当てて、安堵の吐息を漏らす。
そしてシイナさんは、淡々と続けた。
「あと……この街の技術についてですが――
完全に封印してしまえば、この地に住む人々の生活基盤は崩れてしまう。
なので、一定の条件を飲むのであれば、記憶の取り扱いを今後も許可します」
その言葉に、長ががたっと身を乗り出す。
「ほ、ほんとうですか!? し、して……その条件とは……!?」
まっすぐな期待をこめた眼差しを向ける長に、
シイナさんは寸分の迷いもなく言い切った。
「四つ。覚えてください」
「一、ベルノ王国魔法研究所から数名の研究者をこちらへ派遣。
二、記憶に関する実験を行う際は、すべて“王国へ事前申請”を行うこと。
三、自ら差し出された記憶以外には、一切干渉しないこと。
四、そして最後に――“記憶の塔”を完全封鎖すること」
「……っ!」
その言葉を聞いた瞬間、長の顔がわずかに引きつる。
記憶の塔。
この街の象徴ともいえるその存在を失うことは、彼らにとっても大きな痛手のはずだった。
けど――
「……わかりました。全て、受け入れます。
これでこの街に住む者たちが救われるなら、それでいい」
長は、深く、深く頷いた。
「記憶の塔は確かに、知の象徴でもありました……。
けれど、あれがあったからこそ、今回のような事件が起きてしまった。
これ以上の過ちは……繰り返したくありません」
彼女の言葉は静かで、どこか震えていた。
でもそこには、確かな覚悟もあった。
「ええ。だからこそ、あなた自身が――“長”として、
これからは研究者たちをしっかりと律してください」
シイナさんの声には、揺るぎない力が込められていた。
「……はい。必ず」
「ラムザスの手で、多くの被験者が生まれたこと――
それを、決して忘れぬように」
最後にそう告げたとき、
シイナさんの眼差しは鋭く、長を射抜いていた。
長は、再び深く頭を下げる。
「はい……住民には、私からラムザスが行ったことを説明します。
……これからは、私自身がその責をしっかりと担います」
その背中には、ようやく“真の責任者”としての重みが戻っていた。
──
「ふぅ……」
シイナさんが、宿の椅子に深く腰を下ろす。
その声には、わかりやすいほどの疲れがにじんでいた。
(……そりゃ、そうだよね)
ベルノ王国の代表として、メモリスの長と直接交渉してきたんだもん……。
私なら緊張で言葉も出なくなる。
「お、お疲れ様っ……!」
私は思わず、ぎこちない声でシイナさんを労った。
「……ありがとう」
そう一言だけ返して、彼は軽く目を閉じた。
「大丈夫ですよぉ? シイナ君、こういうの得意ですから~!」
ミストさんが軽い口調で入ってくる。
「おい、ミスト。俺が“こういうの”苦手なの、知ってるだろ」
ジトーッとした目でミストさんを睨むシイナさん。
「苦手であそこまで出来ちゃうから、所長にもいろいろ押し付けられてるんですよ~?」
ニヤッと笑って返すミストさん。
そのやりとりは、もはやいつものテンポだった。
「くっ……自分の能力の高さが、ここだけは恨めしい……」
シイナさんが小さくぼやく。
「ははは、まぁいいじゃねぇか」
と、グレンさんが笑いながら会話に加わる。
「で? 次の目的地はどこだ?」
「そうだな……」
テーブルに広げた地図に目を落とし、
シイナさんがしばらく視線を泳がせる。
「……次は、ナヴィス・ノストラだ」
そう告げられたその地名が、
静かに、けれど確かに――
“次の冒険の扉”を開ける音を鳴らした。