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第5話 討伐報告

「本当に……本当に、ありがとうございました! エレナさん、そしてエレンさんにも、どうかよろしくお伝えください!」


ギルドの受付カウンターで、いつもの快活な受付嬢が、カウンターから身を乗り出すようにして深々と頭を下げてきた。その声には、心からの感謝と安堵が滲んでいる。


「依頼を受けたのは主にエレンですから……次に本人がギルドへ顔を出したとき、直接たくさんお礼を伝えてあげてくださいね。」


私はにっこりと微笑みながら、安心させるようにそっと言葉を添える。


「今日のこの感謝の気持ちはしっかりエレンに伝えておきますから。きっと喜びますよ」


「もちろんです! ぜひお願いします! それにしても……今回の特殊個体のグール、ギルドに所属する他のSランクの冒険者の方々でも、単独での討伐はかなり難しかっただろうって、討伐後の調査チームから報告が上がってきているんですよ」


その言葉に、私は思わず小さく息を呑んだ。



──S級冒険者



それは、単なる腕利きの冒険者という範疇を超え、一国の“戦略的戦力”とさえ呼べるほどの絶対的な実力者たちの総称。

その、選ばれし彼らでさえ容易には打ち破れないほどの魔物だったというのだろうか。


「そ、そんなに……手強い個体だったんですね……? 」


受付嬢は私の驚きに、こくりと静かに、しかし重々しく頷いた。


「ええ、尋常ではありませんでした。異常個体のグール……討伐現場に残されていたわずかな血痕や体組織を魔法研究所で詳しく分析してもらったのですが、あきらかに通常の魔物の組成とは異なる、未知の反応を多数示していたそうですよ。まるで、何かの実験で生み出されたかのような……」


「それに――」


受付嬢はそこで一度言葉を切り、周囲に人がいないことを確認するように声を潜めながら続けた。その瞳には、畏敬と興奮が入り混じったような複雑な色が浮かんでいる。


「その規格外のグールをほぼ完璧な形で倒せたのは、皮肉なことに、“魔法が一切使えない”エレンさんだったからこそ……というのが、ギルド上層部の正式な見解なんです」


「もし、他の魔法を得意とする冒険者の方だったら、もしかすると“たかがグールの一種”と、どこかで油断してしまっていたかもしれませんし、既存の魔法体系での対処に固執してしまった可能性も否定できませんから……」


……その言葉に、私はハッとする。胸の奥を、鋭い何かで突かれたような衝撃があった。

たしかに――そうかもしれない。エレンの戦い方を間近で見ていたからこそ、その言葉の重みが痛いほど理解できる。

他ならぬ私自身、聖女としての力、魔法が使えるという事実に、どこか慢心にも似た油断がなかっただろうか。


「グール程度なら、神聖魔法の祈りで祓えるはず」と、心のどこかで思ってしまっていたかもしれない。


でも、あの死闘を、私はエレンの意識の中から、彼の五感を通じて全て見ていた。あの異形のグールには、常識というもの、これまでの経験則というものが一切通用しなかった。

だからこそ、魔法という超常の力を持たないエレンは、己の肉体と剣技、そして極限まで研ぎ澄まされた戦術眼だけを頼りに、相手の視界を奪い、急所を的確に狙い、持てる全ての手段を駆使して“確実に仕留める”ためだけに、ただひたすらに、冷徹なまでに動き続けていた。



それが、結果として周囲から見れば“鮮やか”で“圧倒的”に見えただけ。

実際には、薄氷の上を渡るような、息詰まる攻防の連続。ひとつでも彼の読みを間違え、一瞬でも判断が遅れていれば――私たちの命は、あの薄暗い下水道で、間違いなく潰えていただろう。


(ふふ……まあ、そういうことだ。私の戦い方は、泥臭くて、格好のいいものじゃないさ)


心の奥で、彼のいつもの、少しだけ自嘲を含んだ乾いた笑い声が響いた。


「でも本当に……被害者を一人も出すことなく、しかもあれほど鮮やかに討伐されるなんて。エレンさん、やっぱり素敵ですね! ギルドの女性職員の間でも、隠れファンが多いんですよ!」


受付嬢が、まるで自分のことのように嬉しそうに、瞳を子供のようにきらきらと輝かせながらそう言った。


(ね、エレン。やっぱり皆、エレンのこと、ちゃんと見ててくれてるんだよ。憧れの的なんだって)


(……フン。私がその場にいなければ、そういう評価も、まあ悪くはない)


エレンは素っ気ない返事をしながらも、どこかまんざらでもないような気配が伝わってくる。

そんな他愛のないやりとりをしていた時だった。受付嬢が、ふと何かを思い出したようにポンと手を打った。


「そういえば……もうすぐ、王都魔法研究所が主催する“魔法闘技”、そろそろ開催される時期ですよね? エレナ様もご存知ですか?」


「……あっ、そういえば、もうそんな時期なんですね。街のあちこちでポスターを見かけるようになりましたものね」


魔法闘技――


それは、ベルノ王国が誇る王都魔法研究所が年に一度だけ主催する、王国公認の由緒正しき実戦形式の競技会。

王国全土から、自らの魔法の腕に覚えのある若き魔法使いたちが一堂に会し、互いの磨き上げた技と、譲れない誇りをかけて激しくぶつけ合う、“魔導の祭典”とも称される一大イベント。


その勝者には莫大な賞金と名誉が与えられ、今やその人気は王国の騎士団トーナメントをもしのぎ、国民の誰もが注目する国を挙げての一大エンターテイメントとなっていた。


「しかも今回は……なんと、あのエレンさんも特別枠で出場できるらしいんです! まだ内密な情報なんですけどね!」


受付嬢が、まるで世紀の大発見でもしたかのように、期待と興奮を隠しきれない様子で声を弾ませながら話す。


「えっ、で、でも……エレンって、魔法が全く使えないのに、その……“魔法闘技”に、出場できるんですか……?」


(おい、エレナ。今、私が楽しみにしていた可能性の一つを、真っ向から全力で削いでくれたな。)


エレンの、少し拗ねたような、それでいて冗談めかした声が脳内に響く。


(ちょ、ちょっと落ち着いてよ、エレン! 今のは、悪気があって言ったんじゃなくて、本当に素直な疑問だから!)


私は慌てて心の中で弁解する。


「ご安心ください、エレナさん。その特別参加資格があるのは、後にも先にも“エレンさんだけ”なんです」


受付嬢は、まるで自分のことのように胸を張って、誇らしげに言う。


「魔法を一切使えず、ただ剣技のみで、あのS級という高みにまで到達したのは……ベルノ王国の長い歴史上、彼ただ一人だけなんですよ。前代未聞の偉業なんです」


「だから、皆さん本当に、魔法を持たない剣士が、魔法使いだらけの闘技会で“どのように戦うのか”、その唯一無二の戦い方を、この目で一目見てみたいんです! 期待の声は、日増しに高まっていますよ!」


(どうする、エレン? 断る理由も、特にないように思うけど……)


(……決まっているだろう。こういう面白い催し物は、“逃す理由がない”というものだ。腕試しにもなる)


彼の声には、隠しきれない闘争心と、確固たる自信が満ちていた。


(……了解。なら、私も応援するだけだね)


「では、帰ったらエレンにそのお話、しっかり伝えておきますね。きっと、前向きに検討すると思います」


「ぜひお願いしますっ! エレンさんの出場が決まったら、ギルドを挙げて応援しますから!」


受付嬢は力強く拳を握った。

ギルドを後にしながら、私は少しだけ不安だった。


“魔法の祭典”とまで呼ばれる神聖な舞台に、魔法を全く使わない、異端とも言える剣士が出るということ――


それを、純粋な魔法使いたちや、観客は本当に心から受け入れてくれるのだろうか。もしかしたら、あらぬ批判や反感を買ってしまうのではないだろうか。

けれど、エレンはもう、その舞台に立つことを決めていた。彼の心は、もう闘技場へと向いている。

なら、私がすべきことはただ一つ。彼を信じ、その戦いを見守ることだけだ。


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