かつて、この星の南極にひとつの生命が飛来した。
のちに昼の神と呼ばれるそれは、自らの肉体から無数の命を造り出すと、こう命じた。
──我が仇敵、夜の神を討て。
それは北極に飛来したもうひとつの命。こうして、戦いが始まった。
そんな世界のいちばん南にある村ミュリデから、物語は始まる。
「クソ、こんな時間に来やがって!」
砂漠のど真ん中。オアシスを囲むように築かれた村の中を、おれは必死で走っていた。
真っ赤な太陽がどっぷりと沈んでいく。あたりは夕闇の中に溶けて、あと少しすれば夜が来る。
そんな時間帯だというのに、村は大騒ぎだ。老若男女問わず、みんな何かから逃げるように一方向へ走っている。
いや、『ように』というのは正しくない。みんな実際に逃げているのだ。
「いた!」
村人がいなくなった広場で足を止める。おれの敵がそこにいた。
夕闇の中に鎮座する、ひときわ黒々としたかたまり。
黒いというところ以外は、一見すればただのニワトリにも見える。
だが、ニワトリの首はあんなに長くない。まして鱗に覆われた尻尾なんかないし、そもそも5メートル近いサイズの家畜なんて怖くて飼えたもんじゃない。
獣の名はコカトリス。
コカトリスはおれに気が付くことなく、一軒の家をじっと見つめている。
おかしい。普通はすぐにでも襲い掛かってくるはずだ。つまり、あの家によっぽど気になる何かがある。
窓越しに中を確認すると、少女がひとりへたり込んで泣きじゃくっていた。
確かサーシャという名前の子だ。逃げ遅れたのか。
「厄介だな……」
このまま戦いを始めるわけにはいかない。まずはあの子を逃がす。それからだ。
「サーシャ、聞こえるか!」
おれの存在をコカトリスに伝えるため、わざと大きな声で呼びかける。
怪物は狙い通りにこっちを向いた。
「おれがこいつを引きつける! 合図をだすから、そうしたら逃げろ! いいな!」
サーシャは泣きながらも頷いていた。こんな状況にしては落ち着いている方だ。きっとちゃんと走ってくれるだろう。
「コッコッコ……」
ひょうきんな鳴き声を上げながら、コカトリスが近づいてくる。
「ふう……」
息を吐く。体と精神を戦いへ向けてとがらせていく。
鶏頭がずいと寄せられる。焦点のあっていない両目は血走っているし、くちばしの隙間から得体のしれない硫黄っぽい臭いがする。
コカトリスはそこでピタリと動きを止めた。この習性は知っている。
バン! 前触れなく蹴爪が放たれた。油断を誘っての必殺の一撃だ。
危なげなく避け、わき腹に蹴りを叩き込んでやる。羽毛のせいで効果はない。でも、それで十分だ。気を引ければそれでいい。
「サーシャ、今だ!」
指示を出すと、サーシャはすぐに外へ出てコカトリスとは反対の方向に走り出した。
「コッコッコォ──!」
コカトリスが怒気を孕んだ絶叫を上げる。嫌な予感がした。
あんな怒りをまともにうけたのはきっと初めてだろう。サーシャは振り返ってしまった。
「振り向くな──!」
叫ぶが、遅かった。
コカトリスの両目から閃光が放たれる。
すると、サーシャはまるで石になってしまったようにその場に立ち尽くした。
コカトリスの別名は石鶏竜。こいつらは、獲物を睨むことで石化させる。
正確には、目の奥にあるタペタムという板が特殊な光を発し、見た生き物の脳に干渉して筋肉を硬直させるらしい。
「人質ってわけかよ……!」
頭の良さを侮っていた。まさか、サーシャを振り向かせて光線を直視させるとは思っていなかった。
「おれの手落ちだな……」
しかし、こうなったら仕方ない。
今、ここで、殺す。それしかない。
「頼むぜ相棒」
両腕を覆う紺色の
先手を取ったのはコカトリス。光という世界最速の武器を打ち出してくる。
もちろんその程度のことは読めている。顔を伏せ、両腕を交差させながら突っ込む。
ガントレット越しにくちばしの感触。すぐ上に目がある!
指先を伸ばして両腕を解き放つ。手刀で両目をつぶしてしまえば光は放てない。
「浅いか……ッ」
左目は完全に潰した。だが、右目はまぶたを切り裂いた程度。
そして、さすがに怒らせたらしい。コカトリスは鋭いくちばしを振り回して襲い掛かってきた。
速い。すべてはさばき切れなかった。白いシャツが切り傷で赤く染まる。
それを見て溜飲を下げたらしい。首を引っ込めて体の上に乗せた。
もう目には触れないぞ。喋るわけがないが、なんだかいやらしい表情をしているような気がする。
「あんがい鳥頭じゃないらしいな」
こうなると短期決戦は難しそうだ。西を見る。あと1分ほどで日が完全に沈み、夜が来る。
「夜になれば……」
その先を飲み込み、ほんの少しサーシャに目をやる。
それがうかつだった。
視界の端に光が映る。直視はしていない。この程度なら問題ない。
問題は、すぐそばの露店に鏡が置いてあったことだ。
「しまった──!」
鏡に映るコカトリスの右目が激しい光を放つ。とっさに顔を背けたが、遅かった。
右腕がだらりと垂れ下がる。どれだけ力を込めてもピクリとも動かない。
「コッコッコ」
あざ笑うような鳴き声。最悪だ。焦燥がこみ上げる。
しかし、逃走の選択肢はない。おれが逃げればあの子はどうなる。
「やってやる!」
意を決し、再び踏み込む。左拳を胴体に叩き込んだ。羽毛に阻まれ効果は薄い。
返礼にくちばしが襲い掛かる。それを必死で避けると、今度は蹴爪が放たれる。
「ぐ──」
何とか左腕を挟み込んで直撃は避けた。だが、重すぎる一撃。
流し続けた血と相まって、一瞬、思考が止まった。
コカトリスの首がグンと伸びる。右目でおれの顔を覗き込み──。
辺りが光に包まれた。
しかし、それは死の光線ではない。
もっと自然的な、星の息吹を感じさせる猛き光。
「間に合った……」
それは雷。紫の光は周辺の砂をガラスに変え、その衝撃はコカトリスを大きく吹き飛ばした。
ここは世界最南の村ミュリデ。村人はみんな昼人だが、おれだけは違う。
「悪いな。おれもおまえと同じ夜の世界の生き物なんだ。だから──」
夜になれば、本気で戦える。夜の神の雷が、おれの中からほとばしる。
まだ立ち上がれないコカトリスに向かって疾駆する。手には今しがた拾ったガラスの塊。
出来の悪いガラスだ。きっと、光をよく散らすだろう。
ガラスを投げる。それは、苦し紛れに放たれた光とぶつかり、なにも起こさずに地面へ落ちた。
右腕の石化も治った。もう、小細工はなしだ。
「あの世で唱え続けるんだな。おれの名前は──」
左足を踏み込み右拳を突き出す。紫電がガントレットを覆いつくす。
「──アインだ!」
電気に刺激された筋肉は、おれにありえないほどの力を与えた。拳がコカトリスの頭に突き刺さる。
轟音。閃光。肉が焦げる臭い。
頭の半分ほどを無くした怪物が砂の上に倒れこんでいた。