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第2話 天使が舞い降りた日

 コカトリスが死んだあと、村人たちはすぐに戻ってきた。すぐに戻ってくるのも危ない気がするが、夜獣の襲撃はしょっちゅうなので、みんな慣れたらしい。


「いつもおまえの仕事ぶりには感心するよ、アイン。報酬はいつもどおり明日の朝に支払う」


 そう言ってくれたのは村の運営をする組合の代表を務める男だ。バッカスという。村長とは少し違うらしいが、おれの雇い主なのには変わりない。


「金の話はいいよ。それより、あの子に怪我とかなかったか?」


 言いながら広場の隅を見る。サーシャが両親に挟まれて泣きじゃくっていた。どうも、留守番を任されていたところにコカトリスが来てしまったらしい。かわいそうに。


「ああ、無事だった。石化もすぐに解けたよ」


 バッカスはそう言うと薄く笑った。


「おまえのそういうところが好きなんだ。なあ、みんな」


 その言葉に、広場にいたみんなが笑ってくれた。ありがたいことだが、居心地が悪い。


「どうだ? 今日はもう襲撃もないだろうし、酒でも──」


「──ッ」


 肩に伸ばされた手を反射的に振り払ってしまう。やってしまった。気づいたときには、広場の和気あいあいとした雰囲気は消えていた。


「ああ……悪かった。おまえは、そうだったな」


「……悪い」


「いいんだよ。おれが無神経だった……さあ、みんな。コカトリスに荒らされたところを補修しよう」


 バッカスがそう言うと、みんな散り散りになって作業を始めた。こうなると、不器用なおれにできることはない。


 それに、ここにいるのは辛い。


 広場を離れる。バッカスの言った通り、今晩はきっともう夜獣はこないだろう。それでも、見回りは必要だ。


 村の端のほうに出る。このままいつもどおりぐるぐるしていよう──。


「ッ、角笛?」


 歩き始めたのと同時に、村の反対側から低い笛の音が聞こえてきた。夜獣襲撃を知らせる合図だ。1日に2度なんて。こんなことは初めてかもしれない。


「コカトリスの相手して疲れてるってのに……!」


 だが、もう夜になった。夕方とは違って体も万全に動く。よほどの相手が来ない限りすぐに終わるだろう。


 楽観的に考えながら走る。その先で見たのは、信じられない……というより、信じたくない光景だった。


「こいつは……!」


 村の外、砂の海を埋め尽くす獣の群れ。


 夜に溶け込むような黒色の体毛。不気味に光る青い瞳。サーベルのような牙。


 ガルムと呼ばれる夜の世界のオオカミだ。そして、いちばん奥にいるひときわ大きな個体。


「イラガルムか!」


 イラとは女王を意味する。その名の通り多くのガルムを産む特別な個体で、ある程度まで群れが大きくなると『遠征』を始める。


 実際にその様子を見たことはない。だが、群れが通った後には虫1匹のこらないという話を聞いた。


「遠征先がここってわけかよ!」


 だが、なぜイラガルムの群れがこんなところにいるのか。確か軍隊が動くレベルの脅威だったはずで、それが昼の神に近いミュリデにまで進むのを許されるはずがない。


「いや、おれが考えることじゃない」


 構えを取る。村の中に、1匹たりとも入れるわけにはいかない。


「来い! 全員まとめて相手してやる!」


 電を纏い群れに突っ込む。まっさきに噛みついてきたガルムの頭を砕き、それを見て怯んだやつを蹴り殺す。


 初めて戦ったが、1匹1匹は大したことがないらしい。これなら。


 無我夢中で殺していく。殴り殺し、蹴り殺し、投げ殺し、雷で殺し。


 だが、まったく数が減らない。それどころか、遅れていた個体が到着してきて増えているような気さえする。


 日没と同じぐらいに昇ってきた満月は、あっという間に空の頂点に達して、ついには傾きはじめた。


「まさか……」


 朝が来るまでに間に合わないのか。最悪の想像が頭をよぎる。いまは戦いになっているが、朝になれば一気に押し切られる。


 そうなれば、残ったガルムはきっと村に入り込む。そして村には戦える人間がほとんどいない。


 それだけはダメだ。おれを、夜人のおれを受け入れてくれたあの親切な昼人たちを殺させるわけにはいかない。


「ッ、こっちだ!」


 村と反対方向へ走り出す。少しでも引き離さなくては。


「おれが戻ってこなけりゃ、バッカスが軍を呼んでくれるはず……!」


 もはやそこに賭けるしかない。頭を空っぽにして走り続ける。


 すると、地平線の向こうから純白の巨山が現れた。雲を衝くほどのそれには翼があり、尾があり、四肢があり、頭がある。


 かつてこの星に飛来し、生き物を生み出したあと眠りについたという昼の神だ。村からはそれなりに離れている。ここまで引き離せたなら、あとは朝が来るまで戦うだけだ。


 また、ありとあらゆる手段でガルムを殺していく。ようやく数が減ってきたが、それでもまだまだいる。満月の傾きが深くなってきた。もうじき夜が明ける。


「ダメ、か」


 軍がやってくる気配はない。少なくとも、おれの命には間に合わないだろう。


「まあ、それなりだな」


 よくやった。そうさ、よくやった。に見捨てられた出来損ないにしちゃ、今日までよくやったほうさ。


 そして、とうとう夜が明けた。頭にもやがかかり、体がぐっと重たくなる。雷はどこかへ消えてしまった。


「ぐッ!」


 肩に噛みつかれたのを振り払う。そうこうしているうちに脚に噛みつかれ、わき腹、首筋と傷が増えていく。


 全身から血がだくだくと流れ出す。もう長くなさそうだ。


 むき出しの牙によだれが滴っている。おれの体はすぐに噛み砕かれ、この砂漠の上にばらまかれるんだろう。


 死を覚悟して、頭がどうにかしたのだろうか。気が付くと、やけに穏やかな気持ちで空を眺めていた。おれにとって朝は忌々しいものでしかないのに。


「……なんだ?」


 おかしい。ガルムたちが襲い掛かってこない。おれは隙だらけのはずなのに。


 ふと、肩に何かが落ちてきたことに気づいた。手で取ると、それは白い羽だった。


 なぜかは分からない。だが、なんとなく、こう思った。


「──天使」


 瞬間、世界が炎の向こうに消えた。


 空から降ってきた純白の業火が、ガルムの群れを焼き払っていく。


 それはイラガルムも例外ではなく、ひときわ大きな炎の塊が女王を灰へと変えた。


 この世には、魔術と奇跡が存在する。魔術は夜の世界に由来する技術で、自分の内側から出でるものだ。おれの雷は魔術に当たる。


 対して、この炎は間違いなく奇跡だ。奇跡は昼の神に祈ることで与えられ、白い炎はその典型。


 上を見る。奇跡を起こした人物は上にいると、なぜだか確信できた。


 それはまさに天使だった。


 新雪のように白い肌。雲を紡いだように白い長髪。血のように赤い瞳。背中から生える白い翼。年の近い少女の姿をしているが、根本的に人とは違う何か。


 魂が震える。今までの人生で見てきたなによりもきれいだと思った。


 それと同時に世界が傾いた。やはり、血を流しすぎたのだろう。


 意識が遠のいていく。


 天使が、おれに手を伸ばしていた。

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