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第3話 ふたりの始まり

 ──アイン、おまえはもう必要ない。


 おれはいつのまにか真っ白な空間に立ちつくしていた。声が聞こえる。おれを否定する声。何度も何度も聞いた声。この世の誰より慕った声。


「先生」


 気づけば、あの人が目の前に立っていた。何よりも頼った大きな体。褐色の肌と黄金の髪。赤い両目。


「どうしておれのこと置いてったんだよ」


 尋ねても返事はない。ただ、あの日に聞いた最後の言葉を繰り返すだけ。


 いつもの夢だ。6年前から毎晩見続ける慣れた夢。目が覚めるまで否定され続ける。


「……え?」


 だが、いつもと違う点があった。


 後ろから誰かに抱きしめられている。小さな体だ。だが、見上げるほどに大きく、温かい。


「誰だ?」


 尋ねても返事はない。どうしてだ。返事をしてくれ。あなたの声を聴きたい。こんな優しい温もりを持つ人の顔を見たい。


 身をよじる。その動きは夢を打ち破り──。


「はッ」


 目を覚ますと、おれは砂漠のど真ん中、昼の神のすぐ近くにいた。


「そうだ、おれ……」


 イラガルムの群れに負けた。そこまでは覚えている。


「で、そのあと……」


 そうだ、天使だ。灰の山となったガルムを見て思い出す。とんでもない奇跡を操る天使に助けられたんだった。


 あの天使はどこにいる? あの、この世の何よりもきれいな──。


「ん?」


 そこで違和感に気が付いた。夢の中の温もりがまだある。


 慌てて首をひねり後ろを見る。


 怖いぐらいきれいな顔がそこにあった。


「よかった、起き──」


「おああ!」


 現実でも抱きしめられていた! あわてて腕の中から逃れる。戦っていた時よりよほど心臓が速い。


「……傷つくな。せっかく助けてやったのにさ」


 白い肌と髪。真っ赤な瞳。背中の翼。間違いない、あの天使だ。


 少女は口をとがらせてこっちを睨んでいる。確かに、気が動転したとはいえ助けられておいて失礼なことをした。だが、こっちにも事情がある。


「わ、悪い。でもおれは──」


「わかってる。人に触れられるのが怖いんだろう? すまなかった。でも、どうしてもこうしたかったんだよ」


 おれが言葉にする前に少女はそう言った。どうしてそれを知っているのか。それを尋ねる前に、さらなる言葉が与えられた。


「きみの勇気に報いたかったんだよ。自分の命を犠牲にしてでもミュリデを守ろうとした、その偉大なる勇気にね」


 微笑みとねぎらい。無性に胸が熱くなる。だが、わからない。見た目は天使だが、この少女はいったい何者なのか。


「あんた、いったい……」


「ふむ。わたしが何者なのか、と?」


 考え込むように顎に手を当てる。うんうん唸っている姿を見て気づいたが、真っ白なワンピースを着ている。見たことのない材質だ。


「うん、その質問についてだけど」


「おお」


「わたしにもわからない」


「ええ」


 思わずコケそうになった。自分が何者かわからないとは。


「でも、きみのことは知っているよ。きみはアインだ。ミュリデを守る戦士だ」


 少女は自信満々といった様子でそう言った。あってるだろう? とウインクしてくる。ちょっとウザい。


「そうだけど……なんで知ってんだ? あんたと話したことなんて」


「無いとも。けれど、わたしはずっと見ていたんだ。君たちミュリデの民を」


「見てた? どっから」


「あそこから」


 そう言うと、少女は昼の神のほうを指さした。羽が生えていて、ありえない強度の奇跡を使い、昼の神の上から下界を見ている。まさか、ほんとうに天使なのか。


 天使。昼の神の使いとされる超常の存在。昼姫ちゅうきと呼ばれることもあるらしい。


 神話では何度か登場するが、歴史の記録が始まってから現れたことはないという。だから、おとぎ話の存在だと思っていたが。


「あんた、マジに天使なのか」


「だから、わからないといってるだろう? 気づいたらあそこにいて、きみを見ていたんだ。そしたらきみが死にかけていたから」


 少女が言うにはそういうことらしかった。よくわからないが、とにかく納得するしかない。


 そういえば、傷が塞がっている。血の流れも止まっていた。奇跡によるものらしい。


「あんたが治してくれたのか?」


「そうとも。ぜひ感謝してくれ」


「……するつもりだったよ」


 先に言われるとやる気がなくなるのはなぜだろう。


「まあ、ありがとう。助かったよ。まさか死なずに済むとは思わなかった」


 立ち上がり、少女に軽く手を振ってから村へ向けて歩き出す。バッカスに無事を伝えなければならない。


「それにしても下がこんなに暑いとは。上から見ているだけじゃわからなかったよ」


「もうすぐ夏だしな。よけいだろ」


「口の中がじゃりじゃりする。砂って面倒だね」


「砂漠に住むならしかたない」


「実際にミュリデに入るのは初めてだ。楽しみだなあ」


「……うん」


 少女を振り向く。どうかしたかい? という感じできょとんとしている。


「ついてくる流れ?」


「もちろん」


「そっか……」


 改めて少女の姿を見る。きれいだ。というよりも、きれいすぎる。こんなに整った顔は見たことがない。何より翼だ。亜人というのがいるが、翼が生えたのは夜の世界にしかいない。


 そんな、明らかにただものじゃない少女を連れて行ったらどうなるだろう。絶対に放っておいてはくれない。大勢に囲まれるのは嫌だ。


「昼の神のところに帰るとか」


「見かけだけで飛べないんだ。降りることはできるんだけどさ。さ、早く行こう」


 少女は当たり前といった風に急かしてくる。このままでは押し切られてしまう。


「わかった。手前までは案内するから、別々に……」


「ダメ。助けてやっただろ?」


「うぐ」


 それを言われると辛い。だが、おれの気持ちもわかってほしい。


「わかってるよ。人が怖いんだろう? 関心を持たれるのがイヤなんだ」


 また見透かされた。ひょっとすると、天使じゃなく悪魔かもしれない。


「きみは育ての親に捨てられ、それから人と深い関係を持たなくなった」


「……マジに見てたんだな、おれのこと」


「うん」


 それを知ったうえでこの態度。とんでもなく肝が太い。


「だったら、おれのことは放っておいてくれないか?」


「イヤだ。わたしはきみにとても興味がある」


 だから、と少女は言葉をつなぐ。


「いっしょに暮らそう。わたしがきみを変えて見せる」


「……余計な世話だって断ったら?」


「きみは断らない。借りを返すまでは言うことを聞いてくれる。そういう人間だ」


 この天使に逆らうことはできないらしい。本物かどうかは知らないが、さすが神の使いだ。


 正直に言うとすごく嫌だ。もう先生に置いて行かれた時のような思いはしたくない。近づかなければ離れることもないというのは、おれなりの自己防衛だ。


 だが、この不思議な少女なら。もし、天使がほんとうにいるなら。


「わかったよ。気が済むまで居候すればいい」


「やった!」


 少女は無邪気に飛び跳ねて喜ぶ。その様子を見て、ふと気になったことがあった。


「名前は?」


「ん?」


「名前だよ。あんたの名前」


「ああ」


 少女は飛び跳ねるのをやめ、真面目くさった表情になった。


「ないんだ。だから、いつかきみがわたしを受け入れてくれたとき──」


 きみが、つけてくれ。少女はおれにそう言った。

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