「さて……」
村の手前に着いた。問題はここからだ。名無しの天使を振り返る。
「あんたは夜人だ」
「違うと思う。仮にも昼の神の上にいたんだし」
「違う。そういうことにするって話だ。夜人には有翼族がいる」
「ゆうよくぞく? 聞いたことのない言葉だなあ」
少女は不思議そうに繰り返した。どうも、見ていたとか聞いていたというのは本当らしい。ミュリデの周りで有翼族という単語を聞くことはないだろう。
「翼のある種族だ。天使に似てるから、夜の世界で差別されがちらしい」
「ああ、なるほど」
とにかく、簡単に村へ溶け込めるような設定にしたい。ここはおれを差別から逃れてきたというのがいいだろう。ミュリデはそういう人間に優しい。
「あんたは夜の世界で暮らしてた。でも、その天使っぽい見た目で差別されて、昼の世界に逃げてきた」
「ふむ」
「だが、今度は天使を真似ていると言われるようになった。あんたは各地を転々。ついには世界でいちばん南の村、このミュリデにまで流れ着いた」
「なるほど」
少し無理があるかもしれない。南北を行き来するのは今とても難しかったはずだ。竜王国は軍隊以外通れないし、昏暁門はとんでもない竜が巣にしてしまったという話だ。
だが、おれを受け入れてくれた村だ。きっとなんとかなるだろう。
「よし、行くぞ」
意を決して村に入る。目指すはバッカスら村の運営者がいるであろう詰所。
ありがたいことに人の姿が見当たらない。きっとイラガルムの群れと反対方向に避難したんだろう。
「これなら誰にも見つからずに詰所まで行けそうだ」
「わたしの見た目はそんなにおかしいのかな?」
「おかしいというか、きれいすぎる」
「ふうん」
ミュリデしか知らないから自覚がないらしい。ひょっとすると、見た目や喋り方よりずっと子供なのかもしれない。
そんなことを考えているうちに詰所へついた。中に入ると、見知った顔が一斉にこちらを向いた。
「生きてたか!」
ひとりがそう驚く。すると、いちばん奥の男がバンと机を叩いた。バッカスだ。
「それみたことか! アインが負けるわけがないと言ったろう!」
どうやら、軍を呼ぶべきかどうかで議論していたらしい。軍を呼べばとんでもない額の金を取られる。バッカスはおれを信頼してくれたんだろう。
だが、実際のところおれは負けた。途方もなく運が良かっただけだ。それも含めて、あの天使のことを話そう。
「いや、実は負けたんだ」
「ええ!?」
バッカスはひっくり返りそうな勢いで目をむいた。
「そしたら、ガルムどもはまだ生きてるのか!? いや、なるほど、わかったぞ。おまえは朝が来るまで時間稼ぎしてくれたんだな。そしたら軍が間に合うと! 負けたなんて謙遜するなよ!」
なるほど、確かに朝になれば夜獣の動きは鈍る。軍も間に合うだろう。だが、そういうことじゃない。
「普通に負けた。死にかけたよ。でも、イラガルムの群れはもう片付いた」
「……んん?」
バッカスは何が何だかわからないといった様子で唸っている。なんでかおれの戦いぶりをとても信頼してくれていて、苦戦したりするといつもおかしな様子になる。負けたらこうなるのか。
「おまえさんは負けたが、ガルムの脅威は断ったと? どういうことじゃ?」
わかりやすく訪ねてくれたのは最年長の男だった。確かログソンという。うわさでは100歳をこえているとか。
「ある人に助けられたんだ。その人が残りのガルムを倒してくれた。紹介するよ」
外で待っていた少女を招き入れる。その姿に、みんな一斉におおと歓声を上げた。
「天使様! 天使様じゃ! ありがたい……」
ログソンに至ってはその場にひざまずいてしまった。やっぱりおれ以外の人間が見ても天使に見えるらしい。
「残念だが、天使じゃない。夜人の有翼族だ」
「夜人? おまえと同じか」
立ち直ったバッカスが聞いてきた。
「そうだ。この見た目のせいで差別されてたらしくてな。なんとかこっちの世界に逃げてきたらしいんだが、こっちはこっちで天使を騙ってるだなんだの言われて、ついにここまで流れ着いたらしい。こんなちっこい見た目だけど、とんでもない奇跡の使い手だ」
「ふむ……」
おれがでっち上げた経歴を聞いて、バッカスは思案する姿勢に入った。いつもは割とひょうきんな雰囲気だが、実際はとても優秀な男だ。
この娘を村に受け入れてやってくれ、とおれが言いたいのを察したんだろう。
そして、おれが勝てなかった相手に勝ってしまうような武力を持つ、得体のしれない夜人を受け入れるべきかどうか計算している。
すると、天使が前へ出た。そして口を開く。
「お初にお目にかかります。自分のことだというのにアインに紹介を任せて失礼しました。しかし、わたしが話すよりも、あなた方に信頼されている彼の口から話すほうがスムーズだと判断したのです」
いきなり、持って回ったようにペラペラとしゃべりだした。口調まで変わっている。
「わたしがこの村へやってきた経緯については、だいたい彼が話してくれた通りです。しかし、それだけで得体のしれない夜人を受け入れるわけにはいかないというあなた方の考えには納得するし、村を守るための慎重な判断には敬意を表します。その上で、どうかわたしの話を聞いてください」
そう言うと、天使は自分の経歴を話し始めた。すべておれのの考えた設定に準じたでっちあげだ。だが、まったく穴がない。
それに同情と関心を誘うよくできた内容だ。これならみんな受け入れてくれるだろう。
だが、バッカスだけはまだ納得していない様子だった。ほんとうに賢い男だ。ひょっとすると、ぜんぶ嘘だと気づいているのかもしれない。
「ふむ……ここまで、あなたの名前が出てこなかったが」
「物心ついた時にはひとりで生きていたので、自分の名前すら知りません。どうか好きに呼んでください」
そうするとみんな口々に案を出し始める。相当に天使が気に入った様子だ。だが、それもバッカスは別。
「名無し、か」
バッカスの頭の中で、これまでの話に矛盾がないかとかいったことが高速で検討されているんだろう。硬い表情で一点を見つめている。
これはよくない流れかもしれない。心配になって天使を見ると、こっちにウインクしてきた。癖なのか? というか、なぜそんなに余裕なんだ。切り札でもあるのか。
すると、天使は少し自信を感じる声でこう言った。
「しかし、不便の心配はありません。じきに名前をくれると彼が言ってくれましたから」
それを聞いて、バッカスは信じられないといった表情でおれのほうを見た。おれが他人にそんなことをするのがよっぽど信じられないらしい。
「……わかった」
驚いた。あれだけ慎重だったバッカスがすぐに許可を出してしまうなんて。
「この娘さんを、アインと同じ村の守り人として迎え入れる。みんな、異存はないな?」
全員が一斉にうなずく。天使は見事な手腕で自分の居場所を確保してしまった。
おれにだけ見えるようにウインクしてくる。ウザいからやめて欲しい。