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第5話 アインの半生

 詰所をあとにすると、天使は自慢げだった。


「どうかな、わたしの弁論術は」


「すごいな。ほんとうに今日初めて昼の神から降りてきたのか?」


「わたしはとても耳が良い。あそこからきみたちの会話を聞いて勉強したんだ」


 すごい話だ。赤子が親から言葉を学ぶように、この天使はミュリデから言葉を学んだということか。


 すると、ある意味でミュリデの娘だ。村を見てはしゃいでいたのもわかる気がする。


「じゃ、行くか」


「次はどこに?」


「おれの家だよ」


「ああ、それなら」


 そう言うと天使は走り出してしまった。慌ててその背中を追いかける。


 ふと気が付いた。この道のりは……。


「ズバリ、きみの家はここだ!」


「うわあ」


 ほんとうにすべて知られているらしい。天使がたどり着いたのはまさにおれの家だった。


 夜獣に対処するという仕事もあって、おれの家は村のほぼど真ん中にある。ここからならどこに夜獣が現れても同じ時間で駆け付けられるからだ。


「さすがにちょっと怖いんだけど」


「しかたないだろう? 村を観察する以外にやることがなかったんだよ」


 だからといって許されるものなのだろうか。なんとやらの侵害だ。


 だが、ここでこうしていても仕方がない。おれは家の真正面に立った。


 ミュリデの建物はすべて砂レンガで建てられていて、扉や窓は吹き抜けになっている。屋根は赤く染めたものが多い。


 おれの家も例外じゃなく、北のほうで木造の建物を見てきた身としては少し開放的すぎる。


 だが、出入りする人間はおれだけだ。閉じる扉すらなくても、もうおれ以外に出入りする人間はいなかった。


 今日までは。


 天使を振り返る。この美しい少女はおれを変えるといった。ほんとうに、おれは変われるんだろうか。


 自分が価値ある存在だと、誰かと関わるに足る存在だと思える日が来るんだろうか。


「? どうかした?」


 天使はきょとんとしていた。こっちの気も知らずに。


「いや、なんでもない。ほら、入れよ」


「やった、お邪魔するよ」


 意気揚々と入っていった天使を追いかける。早くもリビングの椅子に腰かけていた。なんて図々しいやつなんだ。


 対面の椅子に腰を下ろす。物珍し気にキョロキョロしている姿は、目と髪の色も相まってウサギじみている。


「それで」


「ん?」


「おまえはおれを変えるって言ったな。具体的になにをしてくれるんだ?」


 我ながら意地の悪い聞き方だ。だが、天使は少しも揺らぐことのない様子で言葉を返してきた。


「そのためには、まずきみのことを知らないといけない。きみのことはだいたい知っているつもりだけれど、改めてきみの口からきみ自身のことを聞かせてくれないかな」


「む……」


 なんというか、詰所でも思ったが理路整然としている。声も不思議な気迫のようなものがあって、なんとなく言うことを聞いてしまう。


「確かに、もっともだな。わかった。あんまりおもしろい話じゃないが……」


「きみのことならなんでもおもしろいよ。さ、話してみてくれ」


 天使はそう言うと膝の上で手を組んで話を聞く姿勢に入った。なんだってこんなに親切というか、好意的なんだろうか。


 だが、思えば他人に自分の話をするのは初めてかもしれない。


「おれは、この星のいちばん北の大陸、夜の神の座す大地イディエで生まれた……らしい」


  らしいってのは、自分じゃ覚えてないからだ。物心ついたときには、おれはもう神々の背骨……って言ってもわかんねえかな。


  えっと、この星を北と南に分ける長い山脈があるんだ。昼の神と夜の神がやってきた衝撃で作られたからそう呼ばれてる。


  とにかく、その山脈を越えて南、ようするに昼の世界にいたんだ。だから故郷のことは覚えてない。気が付いたときには、おれは先生と一緒に南を目指して旅してた。


  この先生ってのが、まあ、おれの育ての親だ。昼人だったからほんとうに他人だと思う。おれを育ててた理由は何回か聞いたけど答えてくれなかった。


  先生はすごい人だった。どこにでも売ってるようなボロッちい剣と盾だけでどんな獣だって倒したんだ。竜の群れを無傷で全滅させたこともある。


  心の底から尊敬してたよ。それに、あの人はおれのことを大事にしてくれた。武術の心得も、生きるための知識も、ぜんぶ与えてくれたよ。


  でも、旅は良いことばかりじゃなかった。おれは夜人だし、黒い髪と青い目でいかにもって見た目してるから、差別を受けることも多かった。


  それに、昼獣の攻撃の対象にもなった。おまけに黒い夜獣は夜の生き物だろうが何だろうが襲ってくるから、苦労したよ。


  そして、このミュリデにたどり着いたとき、先生はおれを置いてどっかに行っちまった。おまえはもう必要ない、なんて言ってさ。


  辛かったよ。10歳のときだったから、どうしていいかわからなかった。そんなおれを拾ってくれえたのがこの村だった。


  おまえも見てたなら知ってるだろうけど、この村は優しい場所だ。おれみたいな夜人でさえ受け入れてくれる。おれはみんなを受け入れられないのにな。


  だから、おれはこの村を守ってる。みんなに近づくことはできないけど、恩を返すために。


「だいたい、こんなもんかな」


 振り返ってみればなんとも情けない話だ。子供のころの出来事をいまだに引きずって、あんなに良くしてくれている人たちを怖がり続けている。


 薄汚い人間だ。ねずみのような人間だ。


「うん、聞かせてくれてありがとう。その上で、わたしから言いたいことがある」


 天使は居住まいを正してそう言った。どんな言葉が投げかけられるのか。心臓が痛い。自分で自分をあざ笑うのと、他人にいさめられるのとではやはり違う。


 だが、天使の言葉は予想とかけ離れたものだった。


「きみは立派なひとだ」


「……は?」


「恐れは人を疑い深くする。しかし、きみは村人たちの善意を疑わず、恩返しを続けている。きみは恐れを克服できるひとだ。これを立派と言わずなんと言う」


 驚かされた。そんな考え方があるとは思ってもみなかった。だが、受け入れられない。


「おれが立派? バカげてる。そんな人間なら、先生が置いていくわけがない」


「きみはほんとうにその先生というひとが好きだったんだね。……うん、わかった」


 そう言うと天使は立ち上がった。おれの手を握る。細く、今にも壊れてしまいそうな繊細な手だ。だが、不思議と力強い。


「きみはもっと自分を愛するべきだ。つまり自信をつけなければいけない。そこで──」


 わたしたちはなんでも屋をする。天使は自信満々な様子でそう宣言した。

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