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【大久保利通】嬉しいような寂しいような

 大久保利通は静かに首相の執務室へと足を運んだ。大きな木製のドアをノックすると、すぐに反応が返ってきた。無造作に開かれたドアの向こうには、首相代理が立っていた。



 伊藤博文が病に倒れてから、すでに数週間が経過していた。その間、大久保は政務を進める中で何度も伊藤の姿が恋しくなる瞬間を感じていた。彼とは意見を異にすることが多かったが、あの威厳と判断力が今、どれほど国に必要かを痛感していた。



 首相代理が一度うなずいてから、大久保を招き入れる。室内には、伊藤が座っていた重厚な椅子が今は空席であり、その存在感がより一層強調されていた。しばらく沈黙が続いた後、ようやく首相代理が口を開いた。



「それで、大久保よ。今回の戦争で得た賠償金はどれくらいだ?」



 大久保は資料を取り出し、数枚の報告書を目の前に広げる。その手際は何度も繰り返した作業のように迅速で、目を通しながら要点を説明していった。首相代理は黙ってその報告に耳を傾け、途中で軽くうなずいたり、短い言葉で返答したりするだけだ。



 その反応の薄さに、大久保は内心で軽い苛立ちを覚えた。伊藤博文なら、きっともっと深く追及し、納得できるまで問い詰めただろう。しかし、この首相代理にはその力が感じられなかった。彼の指導力では、国家をまとめることが難しいのではないかと、大久保は危機感を覚えていた。



「それで、メキシコ領アメリカをすべて我が国のものにしたが、何かめぼしいものは見つかったか?」



「いいえ、特には。アメリカの西部3分の1すべてが我が国のものになったのですから、これで十分かと」



 大久保は思った。この程度の成果では、国の未来にとって意味が薄い。金鉱や資源の豊かな土地を手に入れたわけでもなく、今後の発展を見越した大きな投資ができるわけでもない。彼にとって、それは物足りなさを感じさせる結果だった。



 「それもそうだな。報告、ご苦労様」と首相代理が淡々と返答する。



 その言葉が、ますます大久保の胸に不安を募らせる。首相代理が必要としているのは、確かな舵取りをできる力強いリーダーシップではないか。彼にはその覚悟が欠けているように感じてならなかった。だが、それをどうしていいかが分からない。



 ふと、大久保は立ち上がり、窓の外を見つめた。少しだけ長い沈黙が続く。メキシコとの戦争に勝利し、領土を広げたという事実があったとしても、その先に何が待っているのか、大久保にははっきりとしたビジョンが見えていなかった。



 その時、首相代理が話しかけてきた。



「そういえば、伊藤首相の病はコレラでしたね。最近流行ってますから、あなたもお気をつけください」



 大久保は少しだけ顔をしかめた。コレラ、という言葉に不安を覚える。下痢や嘔吐が伴い、脱水症状が深刻化すると命に関わる病だ。流行病が猛威を振るう中で、首相の不在が長引けば、ますます国の舵取りが不安定になるだろう。しかし、大久保はこの時、ある考えがひらめく。



「私まで倒れてはこの国は滅びてしまう。そうならぬよう、必ず注意を払うべきだ」



 この言葉を聞いた大久保は、突然自分の中に一つの妙案が浮かんだ。しかし、それはあくまで自分の個人的な考えに過ぎない。自らの持ち場からすぐに実行に移せるものではないが、もし実現すれば、国にとって大きな利益になるかもしれない。だが、この案が本当に機能するかどうかは、今はまだ分からない。



「なんでも言ってみろ」と首相代理が声をかける。



 大久保は少しだけ考え、そして言った。



「これはあくまで私個人の考えなのですが……」



 彼の言葉に、首相代理は軽く頷いた。その顔には興味を示す色が浮かんでいる。



 この瞬間、大久保は心の中で信じることができる計画が、きっと国の未来を変えるだろうと確信していた。それが今はどんな結果をもたらすか分からなくとも、少なくとも彼の中には、何かを成し遂げられるという意志が湧き上がってきていた。

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