昼間だというのに、卓上にはオイルランプが光っている。
清那は普段と変らない様子で侃爾を待っていた。
「先日連れて来た女、もうやめたなんだってな」
ルカから持たされたどら焼きを渡しながら言う侃爾に、ベッドに腰を下ろしていた清那が微笑を浮かべて頷く。
「どうも駄目だね。僕の教え方が悪いみたいだ」
「小学生の頃は丁寧に教えてくれると下級生に人気だっただろう」
「そんなの昔の話じゃない」
歯を見せる清那に、椅子に座った侃爾は顔を顰める。
「あんな女ばかり集めて。お前は優し過ぎるんだ」
「そうかな。ああいう社会に馴染めない人たちこそ学を身に着けるべきだと僕は思うよ」
「別に放っておいても俺たちに影響は無いだろう? 構わないでおけばいい。手持無沙汰ならもっと小さな子どもに手習いを教えるのはどうだ? 素直で熱心で、頭のおかしい女どもよりも教え甲斐があるだろう」
言って侃爾は句点を打つようにどら焼きに齧りついた。餡子の甘さが妙に舌に残る。
清那は窓から見える白い景色に向けて「可哀想じゃない」と呟いた。
「誰からも相手にされない……どころか、虐げられるなんてさ」
己の膝を擦り、どこか遠くを見る清那の瞳は木枯らしが吹いているように寂しげだった。
両足に運動麻痺があり、杖なしでは歩くこともままならない。一日のほとんどを自室で過ごす弟の孤独感は計り知れない。
しかし清那は明るい声で言う。
「いいんだよ。僕も彼女たちと接していくなかで、色々勉強になることもあるからさ」
――それより、と弟はどら焼きを掴んでいた親指を舐める。
「シイちゃん、どこかにいた?」
その問いに侃爾は咀嚼を止めた。
清那の顔を見ると、見られている彼はにこにことして首を傾げる。あの常時挙動不審で様子のおかしい女と、自分の関係を清那に打ち明けていいものか迷った。会いたい、と弟は言うだろう。会わせていいものか、どこか引っ掛かる。それでも澄んだ瞳を見ると偽ることは憚られた。
「ああ、会った」
「そうなんだ! 彼女は元気? 兄さんの通ってる学校の近くに住んでるの?」
珍しくはしゃぐ清那に、侃爾は足を組み変え努めて坦々と答える。
「元気そうだった。家はまあ、近所だな」
「今度は勉強の為じゃなく、お茶でもしに来てくれないかな。兄さん、シイちゃんを誘ってみてよ」
「ああ、今度会ったときに伝えておくよ。――しかし清那、俺はまだ心配だ」
何が? というふうに清那は何度か瞬きをする。
「あいつがお前の足の自由を奪ったんだぞ。またそんなことがあったら…………」
「大丈夫だよ。シイちゃんだってあのときはまだ子どもだったんだ。今はきっと、そんなことしないよ」
シイに尋常小学校の校舎の二階から突き落とされたことを忘れたわけでは無いだろうに、清那が彼女に好意を向ける理由や感情が、侃爾には理解出来ない。いずれシイを死に場所に連れていく役目を担っていると知ったら、きっと清那は止めるだろう。
止められるわけにはいかない。
それでは腹の虫が収まらないではないか。
侃爾は立ち上がり、
「しかし二人で会うことを寛容することは出来ない。ここに連れて来ても、俺が同席する」
と厳しい顔で告げた。
しかし清那はまるで他人事のように暢気に笑う。
「本当に心配性なんだから」
「次の電車に間に合わせたいからそろそろ行くぞ。……何か困りごとがあったらルカを寄越してくれ」
清那は快活に返事をし、部屋を出ていく侃爾に手を振った。
廊下に出ると室内から連れてきたオイルランプの匂いが際立って、侃爾は奇妙な不安感に襲われた。
寮へ帰る前にシイの家を訪ねると、彼女は驚いたふうだったが侃爾を迎え入れ、温かな茶を淹れた。猫はシイの足にまとわりついて離れない。彼女も表情は控えめだが嬉しそうにしてその獣の頭を撫でていた。
侃爾は持っていた風呂敷をシイに押しつけた。
「実家で食った余りものだ。不要であれば捨てろ」
恐る恐る受け取った彼女は、たどたどしい手つきでそれを解く。中には紙に包まれたどら焼きが二つ入っていた。
そして侃爾は驚いた。